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変態オオカミと忘れた君 ラストワンダーランド  作者: 新藤 愛巳
第一章 変態オオカミと忘れた君
16/141

爆誕

 横志摩邸は悠然とした鹿鳴館のような建物だ。庭も広く、玄関までが遠い。

 綱子ちゃんは野良犬を抱いたまま緊張している。


「初めまして? 初めましてでございます……!」


「綱子ちゃん落ち着いて」


「皓人、どんなうどんが出て来るかわからないわ。気を付けて。気絶していてはダメ」


 いや、気絶はしないよ。ただの広い家だよ。多少、豪華だけど。


「どんなお化け屋敷だと思っているんだよ。まあ、僕もあまり来ないけれど」


 その全貌は呑み込めていないけど。

 真里菜ちゃんは笑った。


「私はのんびりここで待つとしましょう」


「ついてきて、真里菜、ついてきて! ここは大変そう!」


 必死な綱子ちゃんだった。


「綱子ちゃんの家はどこですか?」


「東海道よ」


「東海道ですか。お肌すべすべですね」


「真里菜はプルプル」


「色も白いし綺麗ですね」


 真里菜ちゃんは綱子ちゃんに抱きついた。


「さあ、一緒に行きましょう」


「そうは行かないわ!」


 綱子ちゃんが挙動不審だ。


「真里菜。私に優しくして何のつもり? 目的は何。お前、ひょっとして私のエネミーですか?」


「君は落ち着け。綱子ちゃん。ついてきてと言ったのは君だ!」


 綱子ちゃんは優しくされたいのに優しくされると怯えてしまう、気の毒なタイプの人のようだ。


「敵じゃなくても、私に優しくする人はみんなエネミーよ。何か企んでいるんでしょう。もしかして皓人もエネミーですか?」


 違う。


「僕は正真正銘、君の味方だよ。僕の言うことは信じるんだろう?」


「うん。信じる」


 素直な綱子ちゃんは僕の手を握りしめた。


 大広間の扉を通って奥へと導かれる。


 僕らが通されたのは象牙色した応接室だった。広くしんとしていて美しい。


「海美、僕たちをここに連れてきた目的は?」


「目的があるの?」


 綱子ちゃんは低く身構える。綱子ちゃんの胸で野良犬がワンワン吠えた。

 海美は野良犬を押しとどめた。


「あそこで話すわけにいかなかった。実は生田公園の様子がここ一週間おかしいんだ」


 海美は両手を組んだ。

 そういえばあの公園の雰囲気がいつもと違った。変化していた。

 なんだろう、不気味で歩いていて気持ち悪かった。


「海美、あそこの桜は赤い粒子を流していたな。あれはなんなんだ?」


「それを調べてもらうことこそ、あなたの役目だ。皓人」


「あそこでそれを言わなかったのは?」


「嫌な気配がしただろう?」


「勅使河原君か?」


「それは皓人。あなたの問題だ。彼はただの普通の人だよ、何も見えないし何も感じていない。ただ、そういう者に遭遇しやすい人ではあるかもな」


 海美の言うことはもっともだ。もっともでしかない。


「生田公園の嫌な気配か。釈然としないな」


「桜の枝が結晶化しただろう? あれについて鬼切り師に意見を聞きたい」


「海美は桜の木が鬼だとでもいうの?」


「違うのか?」


「あれは違うわ。何かを吸収したのね。生命エネルギー?」


「何の生命エネルギーを吸収してって言うんだ?」


 脳の中で唐突に閃いた。


「ひょっとして……二百人の人間の生命エネルギーか」


「そんな馬鹿な」


 海美は笑ったが、僕は笑えなかった。予感がある。


「あの地面には二百人の人間の生命エネルギーが埋まっているんじゃないか?」


「いや、それはない。昔、桜の木の下には何かが埋まっているという本を読んだことがあってな、あの辺を少し掘ってみたが結局、何も出なかったよ」


 それはよかった。


「なら、あの粒子は」


 真里菜ちゃんは呟いた。


「もしかして桜は香木になろうとしているのではないですか?」


「香木? 確か桜は香りの薄い花。香木になるはずが」


「何者かが香木を造ろうとしているのではないでしょうか? あの公園は良い匂いがしましたものっ」


「香木を作る」


 確かにそれならしっくりくる。


 チンチョウゲの香り。あの公園は樹木の香りがしていた。


 何者かがあそこの桜を置き換えて香木にしようとしている。何のために?


「鬼を封じるため?」


 綱子ちゃんが神妙な顔でつぶやく。


「鬼を封じるためって。あそこに鬼なんていなかったじゃないか」


「鬼はいる。香りで眠っていただけだわ。香りで眠った鬼は気配を失う」


 綱子ちゃんは無形を握りしめた。


「もっと早く気付けばよかった。私の名前は梔子綱子。クチナシは香木。香木は間を払い、鬼を和ませるという伝承があるがある。私は梔子の名前を持っている。もともと私の家は鬼切り師の家系だったの。廃れていたけど。梔子の家は鬼を眠らせるから。鬼を倒せる」


 なら、香木を持った人たちが失踪したのは、消えてしまったのは。


「誰かが、鬼を倒さず眠らせている。二百人の人間を使って」


「一体誰が」


 綱子ちゃんは両手を打った。


「赤雪姫?」


「あいつは利己的な奴だ。決してそんなことはしない」


「ヒルメは?」


「僕らに黙ってそんなことしない」


「なら、えびす?」


「えびす様が?」


 海美は立ち上がった。


「あのタヌキおやじ」


「おやじじゃないよ。神様だよ。性格は悪いけど」


「そこが問題なんだ」


 海美は低くうなった。


「人の領域で人の人材を使って鬼を眠らせるとは何を考えているんだ」


「眠らせないといけない鬼だったんじゃないか」


「眠らせないと危険な鬼?」


「雑魚鬼じゃなくって強力な鬼」


「そんなものがいたら私様がとっくに成敗して」


「成敗できないんじゃないのか?」


「どういう意味だ? 私様が弱いとでも?」


「そんな問題じゃないだろう。この問題は消えた人が今、安全かどうかという問題だよ」


「えびす様の事なら心配ないわよ」


 綱子ちゃんは目を閉じた。


「この前、手紙をくれたの。あの人はあれでいろいろ考えているんだと思う」


 綱子ちゃんはぽつりと口にした。


「昔は八百万もいた神様も減ってしまったから。神はどんどん祭られなくなっていくから。あの人は姪のことが心配。だって、神のところに人が集まらなくなってきている。えびすはみんなに祭られるけど、ヒルメを知っている人は少ないんじゃないかしら。神様は人が集まる場所に集まる意識集合体だから。あの人はたぶんヒルメのことも守りたいんだと思う」


「えびすがそんないい奴なものか」


 真っ向から食い違う綱子ちゃんと海美。


 真里菜ちゃんは微笑んだ。


「なら消えた二百人は何の問題もないんですねっ」


「問題はある」


 僕は顔を引き締めた。


「桜の木から赤の粒子が流れたということは、二百人がかけた術が弱まってきている可能性がある」


 あの公園に植わっている桜は今、鬼を抑える香木でなくなってきているんだ。


「術が弱まるとどうなりますか?」


 綱子ちゃんは神妙な顔をしている。


「術が跳ね返されると一般の人間は死ぬわ」


 僕らの間の空気が冷えた。


「二百人の人間はえびすが保護しているんだろう? だったらえびすは何をしているんだ」


 いらだつ海美。


「えびす様のところにいる二百人の人間たちが一斉に弱り始めたんじゃないかな。それでえびす様も困っていると予測する」


 一刻も早く手を打たなければ。


「なぜ、そんなことに。えびすは大人しく鬼退治を見ている立場だったんじゃないのか、皓人。なぜ今更、私たちの戦いに手を出す」


 海美は僕の襟をつかんだ。


「考えられることは一つ。一つだけ。あの公園で今、新たな鬼が生まれようとしているからじゃないだろうか」


「鬼が生まれる?」


「長年、人の思いを受け止めてきたものは鬼になる。もしそれが本当なら」


 あの公園は何かを産もうとしているんじゃないだろうか?


 綱子ちゃんは指を噛んだ。


「鬼は生まれるときに爆誕ばくたんするの」


「爆発誕生?」


 僕は間抜けな声を上げた。


「四方を吹っ飛ばして生まれるの。町は一部、焦土と化す。かなりの被害が出る」


 生田公園の周りのは学校が多い。人口も密集している。そんな馬鹿な。

 あの中で一番、鬼になりそうなのは。


「恋人たちの岩」


 綱子ちゃんと真里菜ちゃんは同時に叫んだ。


「皓人、今すぐ壊しに行く」


「だけど、えびすはどうしてそんな大事なことをヒルメちゃんに言わなかったんだ」


「言ってもヒルメが聞かなかったのかも」


「その可能性ならあるか」


 ヒルメちゃんは強情だ。えびす様の忠告が聞けないくらいに、鬼退治に夢中になっているんだろう。


 僕は海美を見た。


「いいか。鬼が爆発誕生しないように海美は大岩を領域で囲んで」


「わかったよ」


「綱子ちゃんは囲った瞬間、鬼を払って」


「解ったわ」


 真里菜ちゃんは野良犬を抱えた。


「行きましょう。一刻の猶予もありません。鬼の気配が近づいています」


 僕らは席を立った。


 一分一秒も惜しくもどかしかった。四人と一匹で必死に公園へと戻った。

 僕らはえびす様に試されているのかもしれない。


     ☆      ☆     ☆      ☆      ☆


 公園の周りには瘴気が立ち込めていた。

 神様はこの瘴気を吸っただけで危ない。だから僕らを使うのだが。


 野良犬が真里菜ちゃんの腕の中でけたたましく吠えた。

 恋人たちの岩から瘴気を感じる。人々は辺りに倒れている。


 先ほどと同じ公園とは思えなかった。のどかさはかけらもなく、ただのしかかるように空気が重い。苦しい。肺が焼け付くようだ。


「海美」


「守れ、静謐の葛篭」


 海美は両手を使って領域を張った。恋人たちの岩に。


「はああああああああ」


 綱子ちゃんが力いっぱい無形の刀を振り下ろす。しかし、何も起こらなかった。


「なんで。なんで皓人の言うとおりにならないの?」


 綱子ちゃんが悲しそうな顔になる。


 読み違いか。僕が間違えたのか?

 いったいどこを間違えたって言うんだ。


「先輩!」


 野良犬が勢い良く吠える。

 真里菜ちゃんが真っ直ぐに前を指差した。


「瘴気の発生源は岩ではありません。調べてください。先輩」


「ワンダーランド!」


 僕はたくさんの糸を呼び出した。その中から鬼の黒い糸を探す。

 岩は違う。地面も違う。桜の木も違う。どこだ、どこなんだ。


 綱子ちゃんが僕の手を握った。


「落ち着いてください皓人。お願いです。皓人なら見つけられます。私、信じているから。信じていますから」


「ありがとう、綱子ちゃん。必ず見つけてみせるよ」


 君の為にも。


 感覚の鋭い真里菜ちゃんが膝を突く。僕は辺りを見回し、あるものに目を止めた。

 それの存在が突然目の中に飛び込んできた。こんなに近くにあったのに不自然じゃなく願いのこもった物。


 イカルガ官公庁の看板。看板には恋人たちの手形がはっきり刻まれている。

 僕はそこから黒い糸を引きずり出した。黒い糸は鬼の色だ。


「これだ。海美、鬼はイカルガ官公庁の看板だ!」


「了解した」


 海美が領域で看板を囲った瞬間、看板が爆発した。爆風が領域の中で弾ける。


 綱子ちゃんは転がるようにその中へ飛び込んだ。


「はああああああ」


 鬼は、生まれたばかりの鬼は、大声で吠えた。

 脳髄が揺さぶられた。僕は感知系じゃないが立っていられない。


 真里菜ちゃんは地面に倒れ、その隣で野良犬がワンワン吠えている。

 野良犬は真里菜ちゃんを鬼から遠ざけようと躍起になっている。


 海美だって立っているのが精いっぱいだ。海美は鬼との戦いに慣れていない。

 その中で綱子ちゃんは平気で走り回っていた。


「だらしない。仕方ない人ね」


 綱子ちゃんは僕の手を握った。


「頼光様、ブランクが長すぎたのですね」


 息をするのも苦しい。


「そうだよ」


「だからあなたを鍛えようと言いました」


 綱子ちゃんは寂しそうに笑った。


「そうだね。僕は鍛えないといけないね。これでは鬼と戦うのは難しそうだ。あはは」


「そうです。鍛えてください。でも、守る方も癖になりそうです。きっと、これも運命です。これこそが私とあなたの運命なのですね。頼光様」


 意味ありげに笑う綱子ちゃんは回転しながら無形を手に、鬼に突っ込んでいった。

 相変わらず強い。強いけど、その刃は泣いているようだった。


 どうして君はそんなに辛いんだ。冷たい思いを抱えているんだ。その思いを僕に打ち明けてくれないんだ。


「あの子は皓人の手には負えないよ」


 海美がいつの間にか僕の隣に並んでいた。


「あの子の絶望は深い。ひょっとしたら狼のお前よりも」


 綱子ちゃんは鬼に蹴りをかました。鬼は綱子ちゃんの足をつかんで振り回す。海美は防御の領域を綱子ちゃんの下に張った。綱子ちゃんはその上で弾む。体勢を立て直し、鬼に切りかかる。鬼はその刃を相撲取りの様な両腕で受け止めた。


 綱子ちゃんはその刀を力でねじ込む。


「空腹でも戦えます」


 海美が鬼の攻撃をことごとくはじき、綱子ちゃんが鬼に向かっていく。

 綱子ちゃんは無形を振り回す。気がつくと犬はもう吠えていなかった。


 振り返ると野良犬のいた位置に小さなクジラに乗った義手義足の人が座っていた。

 腕組みをして胡坐をかいている。とても癖のありそうなスマートなおやじだった。

 見覚えのあるその男は性格がタヌキおやじなのだ。


「えびす様も犬が悪い」


「犬は良いよ。少女に抱いてもらえる。くくく」


「岩に願掛けした人を二百人も集めたのはあなたですか」


 えびす様は悪びれなかった。


「自分の責任は自分たちでとらせたのだよ。それの何が悪い」


 匂いの薄い桜の木に、匂い桜のように香りをつけた男は穏やかに笑った。


「長時間の人間の拘束は罪でしょうに」


 神にもルールはある。ルールを破れば存在が脅かされる。


「なに。神の意向を示したら、彼らは皆、大人しくついてきてくれたよ。ルール違反などないよ。ボクはそう言うのが苦手でね。規則は守りたい神だから」


 人々があなたについて行ったのは。


「岩への願掛けより、神様への願掛けの方が効くからでしょう」


 そう、人々は惚れた腫れたの御利益を人は岩ではなく神に求めたのだ。


 恋人に会いに行く。確かに間違ってはいない。正当な労働による報酬だ。拘束などされるはずがない。ルール破りになるはずがない。


「そうそう。そんなところだよ。君、意外と使えるね。なかなか回転がいい。天才でないのが悔やまれるが」


「使えませんよ。僕はポンコツです」


「ポンコツか。それはいい。綱子はどうかね。君の役に立ちそうかね」


「役に立つ立たないじゃないでしょう?」


 あなたの思惑が見えない。


「意地悪な質問だね。くくく。自覚はあるんだ。ボクは神だからね」


「あなたは紳一郎さんに似たタイプだ」


「そうかね、そうかね? ボクと紳一郎は仲良しさ。でも、あいつには随分煮え湯は飲まされたかな。あいつのおかげで神の勝負に勝ったり負けたりだ。厄介なものだよ。鬼退治はヒルメとボク、どっちが取ることになるだろうねえ。君はどっちが勝つと思う?」


「どうして綱子ちゃんを巻き込んだんですか?」


 どうして。


「あの子が鬼退治してくれたらこっちは助かるんだよ。ボクらが手を下せば、土地が壊れるから。簡単なことだよ。くくく。君は抜け目ないね。嘘は美しいんだよ。この上なくね。ばれなければ梔子の花よりも美しい」


 難しい人だ。僕の弱みを、柔らかい場所を握りしめてくる。


「やっぱりあなたは厄介な人だ。ヒルメちゃんが嫌うのもわかる」


「嫌われても道を示すさ。ボクはおせっかいなの。あの子たち、鬼退治にてこずっているよ。手助けしてやらなくていいの? あの子たちには指示する人が必要だよ。ほかならぬ君の指示がきっと必要だ。放っておいてもいいの?」


「綱子ちゃんが空腹だからですよ。普通なら後れを取りません」


「随分、信頼しているね」


 そんなことより。


「犬が勝手に消えたら綱子ちゃんが悲しみます。それは悲しい嘘にはなりませんか?」


「あはは。これは参った。飼い主が現れたと綱子には伝えてくれよ。ボクは二百人をこれから元の土地に返さなくちゃならないし」


 天を鬼の影をよぎる。僕は桜の木の陰に隠れた。


「あなたは、それだけの人の恋の願いをかなえるのか」


「僕は力ある神だ。少しずつかなえて見せましょう。あとは願った者次第だ。それ以上のことは各個人で何とかしてよね。詐欺じゃないよ。そういうもんでしょう? 神様の出来る範囲って」


「えびす様。綱子ちゃんの願いは?」


「そうだね。あの子の願いは難しい。ボクはちゃんとかなえてあげられないよ。くくく」


 神様ですら難しいのか。あの子の願いは。


「そんな頼りない。もっとしっかりしてください」


「人の願いは人が叶えるもんだからね。神様云々じゃないのさ。ボクはお礼を言われたいから頑張っているけどね。力を貸すだけなんだけどね」


 そう言うとえびすは低く笑った。


「相変わらずタヌキおやじだと思っただろう? お互い様さ」


 いつの間にか、えびす様は犬の姿になっていた。


「海美は便利だね。こっちに来てくれないかな」


「彼女はうちの人間です」


 他の人間にはなりません。


「それもそうだね。まあまたの機会にスカウトするよ。それじゃ」


「待ってください。鬼退治の顛末を見ていかなくてよいのですか?」


「君は茨城童子に気をつけなよ。こんな風に気軽に出歩いてはいけない。それにこの勝負、見なくてもわかる。またボクの点数だ。爆発誕生さえ防ぎきれれば綱子の勝ちだ。くくく」


 えびす様の言うとおりだった。


 海美が作った階段の領域を必死で駆け登る綱子ちゃん。その飛び上がった一撃が立札の鬼を石に変えるまでそんなに時間はかからなかった。

 赤子の手をひねるようだった。


「やったな、綱子!」


「海美。役立たず?」


「あまり役に立たなかったことは事実だ。一人でもなんとかなったんじゃないか、綱子」


「うん。何とかなった」


 綱子ちゃん。


「皓人。聞いてほしいの。私、私の願いは……」


 君の願いはなんなんだ。教えてくれ。お願いだ。


「私は頼光様がいれば他に何もいりません」


 綱子ちゃんは勢いよくイカルガ官公庁の立札を砕いた。


 恋人たちの願いは粉々に砕けた。真里菜ちゃんの手当てをし、海美と協力して辺りを片付ける。倒れている人々を助け起こし、病院に連れていく。


 一通り片付いたところで綱子ちゃんはついに気がついた。


「皓人、さっきの犬はどこ? どこへ行ってしまったの?」


 悲しそうに首をかしげる綱子ちゃん。


「さっきの戦いで死んでしまったの?」


「主人のところへ帰ったよ」


「そう。そうなのね。それが良い。それがこの世で一番幸せです」


 穏やかに笑う彼女を見て僕はたまらないほど悲しくなった。

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