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変態オオカミと忘れた君 ラストワンダーランド  作者: 新藤 愛巳
第一章 変態オオカミと忘れた君
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凍える涙

 次の日、僕は紳一郎さんのマンションを訪ねた。やはりこの人を訪ねておかなければいけない気がした。お金がかかろうとも直接、アドバイスを貰っておきたくなった。彼女の為に。


 たとえいなくてもそろそろ帰ってくるという手掛かりがあればいい。


「おはようございます……?」


そこには綱子ちゃんが三角座りをしていた。立ち上がりざまに僕の胸元に拳を埋める。僕はわけが解らなくて、その場に膝をついた。なぜ?


何これ、これは何のラブコメだ?


もしかして嘘がばれましたか?


僕の心の声はただもれだったという展開ですか?

君はエスパーじゃないよね?


「えっと、どういう状況なんですかこれ?」


「今のはチェストよ」


 綱子ちゃんは拳を固めた。


「何をするんですか」


「不意打ちだと硬化出来ないのね、狼憑き。鬼と一緒」


 僕は咳き込んだ。本気の拳だった。止めを刺そうとしている種類の、殺そうといった種類の。そう言った不気味な種類の拳だった。


「僕の油断を誘うなよ」


 何食わぬ顔で埃を払った。ばれてはいない。躊躇いが残っている。

 後は何処まで嘘をつきとおせるかだけど。


「どうしたの。綱子ちゃん」


昨日と違って恐い顔をしているよ。


「お前は大江戸山で頼光様がだまし討ちをしたみたいに言うけどそれは嘘……」


「綱子は誰かの犠牲を払えばよかったというのか」


「そうじゃない、そうじゃないけど……」


「大丈夫。君はあまり覚えていないんだ。不完全なんだよ」


 不完全。渡辺の綱子は不完全。海美はそう指摘した。彼女は不安になっている。

記憶を取り戻したがっている。従妹はそう指摘した。そこに付け入る隙がある。


「僕は世界中のみんなのマフラーになりたい人なんだよ。おいで」


「へ……変態」


「変態じゃない。まったく、あんな態度は無いぞ、綱子。みんなが戸惑っていたじゃないか。電車の中でマフラーを振りまわして……僕を殺そうとするなんて」


 綱子ちゃんは下唇を噛んだ。


「……お前もなにか忘れているの?」


 僕は遠い目をした。するしかなかった。どうやって誤魔化そう。


「僕は昨日のスーパーの特売だって忘れられない男だけど、でも、そうだね。大まかな事はもう忘れたよ。人は諦めながら生きて行くものだからね」


 とか何とか適当な事を言ってみる。綱子ちゃんは膝を抱えた。


「お前がそんな風だから、過去を忘れたがっているから、眠りの森が現れるのよ」


「もしかして忘れ者の森のことか?」


「きっと私も連れて行かれるわ」


 綱子ちゃんの手はとても冷たかった。僕は彼女の頭を撫でながら髪を整える。


「そうなったら、僕は一目散に逃げるよ。それでいいかい?」


「うん。リフレインで無ければあれと戦えないわ。お前では役不足よ」


 まだ僕を信用してない。勘のいい子だ。


「ここには何の用事?」


「紳一郎を待っていたのよ」


「そっか、神一郎さんの知り合いなのか。待っていて、今、コーヒーを入れるよ」


 僕は勝手知る真里菜ちゃんの家でコーヒーを作った。ここの豆は格別だ。

 綱子ちゃんは落ちつかないみたいで家の中をそわそわしていた。


「ゆっくりしなよ。そのうち紳一郎さんも帰ってくるから」


「そのうちっていつなの?」


「いつって」


「皓人には色んな知り合いがいるわね」


「それはまあ……色々いるね」


 言葉に詰まる。彼女は柔らかい髪を乱した。


「佐伯皓人。私の事を忘れてこの街でどうやって暮らしていたの?」


 非難するように僕の名を呼ぶ。僕の嘘を信じているのか?


「思い出したのは最近だよ」


 芝居を続けよう。彼女が壊れるくらいなら僕が壊れた方がいい。赤雪姫曰く、そんな僕の心は気持ち悪いそうだけれど……。


「皓人。だったらなんで会いに来なかったの!?」


「僕は今、刀の一族の手助けをしている。君を巻き込みたくなかった」


「口では何とでも言えるわ」


 ここまでは予定調和。ここからが正念場だ。


「恐かった。あんな事があったしね」


「私はずっと一人でいたのよ。何も出来なかった。みんながいなくなるのを見ていただけ。みんなが倒れるのを見ていただけ。だから一人でいたわ。何が起きても誰も助けられないから、一人でいたの。気持ちが死んでしまったわ。一人でいないと死んでしまう。誰かと一緒に居たらみんな死んでしまうと思ったわ……。私といるとみんな死んでしまうと思ったの」


 綱子ちゃんは自分の膝に爪を立てた。その指が消えかかっていた。


「私は要らない人間なんです」


 僕からも見えないってどう言う事だ?


「何も出来ないって……言うなよ!」


 彼女のマフラーを握りしめる手がぶるぶると震えた。視線が揺らいで不安定な程、肩が上下する。馬鹿な奴、馬鹿な奴、馬鹿な奴。


 可哀想に。


 僕が手を取ると綱子ちゃんは嫌々をするように首を振った。


「私はここには必要ない。誰も必要としない。あなただって! あなただって……」


「馬鹿野郎!」


 僕は彼女を抱きしめた。かけがえのない彼女を。


「君より今の僕の方が何も出来ない。僕はただ、物質に眠る時間を読むだけの存在だ。今は君の方が色んな事が出来るんだ! 戦えるじゃないか! 僕を救ってくれたじゃないか! なんでだよ……なんで……そんな!!」


 彼女のように強い力があったら、僕だって自分の周りぐらい何とか出来たかもしれない。でも本来の僕が持つ力は本を作る能力だけ。それがどれだけ悔しかったか。


「綱子。しっかりしろ!」


 顔をあげた綱子ちゃんはとても小さく幼く見えた。リフレインとはこんなにも不安定なものなのだろうか?


 簡単に精神を壊してしまうものなのだろうか?

 不安定で不完全で、壊れた神のように虚ろなるものなのだろうか?


「私は……貴方を救えませんでした……」


 胸が痛くなる。何を恐れている。何を怖がっている。何を泣いている。綱子!


「何にもならない人なんてどこにも居ない。そよ風のさざめきすら、蝶の一生を左右するように、人の中の葛篭は人の一生に左右する。どんなに辛くても、どんなに絶望していてもだ! 他人に影響できない人間なんていないんだよ!」


 僕は彼女の両手を柔らかくくるんだ。綱子ちゃんは嫌々をする。


「皓人、私は疫病神よ。離れて」


「違う! 僕にとって君は、ただの、可愛い女の子だよ!」


 強く抱きしめると、彼女は僕を突き飛ばした。


「それではダメ! ダメ、ダメ。ダメ!」


 綱子ちゃんは刀を抜いて大暴れした。僕はテーブルの向こうまで吹き飛ばされて床に転がった。意識が揺らぐ。綱子ちゃんが大声で叫んでいる。どうして僕の声はいつも届かないんだ。


「ダメ! ダメ。ダメ! 助けて、助けて、助けて! 夢なら覚めて!」


「落ちつけ」


 僕は殴られても、殴られても食らいついた。前向きに何がダメなんだ!


「やめろ、綱! 君は僕を何度も助けてくれたじゃないか!!」


「その名前で呼ばないで」


 彼女は目に涙をいっぱい溜めて僕を見た。そう言えば彼女は自分が何者なのかわからないのだと言っていた。何のリフレインなのかわからないのだと言っていた。


 それがどれだけ苦しい事か僕にはわからないのだ。


「人々の先頭に立ち苦しい思いをしていて、何も得られないのが再来なら、僕は僕個人の為に生きてみようって思ったんだ! 君もそうしろよ……!」


 彼女は僕の両手を握りしめて喉を鳴らした。涙をこぼし、僕の袖を掴んで叫んだ。


「変わってしまった貴方なんか大嫌いです!」


 寂しかった女の子は力いっぱい泣いた。死人のように冷たい身体で凍えるような涙を流し震えていた。僕は抱きとめていいのかどうか分からず手の所在を捜した。


 不意に視線を感じて紳一郎さんの部屋の鏡を盗み見る。その頃から、鏡の向こう側の頼光さんが僕に向かってにこにこ笑うようになっていった。優しい顔で。

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