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涙と蝶  作者:
5章 September 白の都
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 父親に謁見を申し出る、それも変な話だとクルトは美しいアーチを描く長椅子に腰掛けながら、天井を仰いだ。

 綺麗な宗教画が天井一杯に広がっている。

 美しい天使と女、果物に緑。水と空。金に物を言わせた証だ。クルトにはその美しさに何の感動も見いだせない。

 再三着替えるように通告を受けていても、外套を宮殿前で付け替えたのみでクルトは旅の埃臭い服のままでいる。

 何も恥ずかしい物を着ている訳でもないのに、せめてワルゼ騎士団の団服を着ていればよかったのに、と言わんばかりの反応なのがまた面白くない。

 大広間での謁見を進める家臣の訴えを退けて、身内としてクルトを私室に呼びよせたのは父親であるブラル大司教の方だった。

 大体、何を聞きたいのか予想も付いていても、クルトの求める情報と交換してからではないと流石に口にする事は憚られる。この対話は取引だ。家族の会話だと思ってはいけない。

 どんなえげつない聞き方をクルトにしてくるつもりなのか、ブラル大司教夫人が同席する様子は無かった。クルトには一際弱い母親の前では流石に強く出ることは出来ないらしい。

 相変わらず天下の大司教は母親の尻に引かれているのだとクルトは苦笑する。

 唯一の兄は領境に視察中だったのが幸いだ。

 騎士団を放っておいて漫遊――ではないが。と知ったら兄は卒倒してしまうだろう。

 ただひたすらにブラル大司教領の為、ヨープで真面目に生きて来た長男だ。クルトが商人の振りをして、情報を仕入れながら飛びまわってるなんて、説明したらどんな反応が返ってくるか想像に難くない。

 しかも、最近は男装をしている身元不明の少女に最近は執心だ。そんなことを言おうものならきっと直ぐに縁談を用意するに違いないのだ。

 クルトは背凭れに頭を預け、一人でくつくつと笑った。

(俺も、随分とエリクに絆されたよね)

 テーブルに置かれた紅茶は、運んで来た時には既に冷めきっていた。

 手を付ける気も起きずに、クルトはただそれを眺める。この城では何も口にする気が起きない。それもいつも通りだった。

 出来るなら早く話を終わらせて、宿屋に戻りたいとクルトは思う。

 待っていると『彼女』は言っていた。待っているという事は戻っていいという事だろう。それならば、出来るだけ早く戻りたいのだ。

 それに、マルガとデリアの行く先の事をカヤに確認しておきたかった。あの場所がきっと最適で、一番カヤ自身も安心できるだろう。そうクルトは確信していた。

 しかしクルトの頭を一掃悩ませている事があった。

 城内部で聞いて来た現在の情勢は、決して安易に考えられるものではなかった。要は、簡単にヨープがライゼガングへ資金提供を出来る様な状況では無かったのだ。

 ビューローの軍がエーゲル手前で小競り合いを起こした事は、クルトもヤンから聞かされて知っていた。

 それでもその小競り合いは、思ったよりもあっさり終わったらしい。どうやら、数ヶ月前エリクが遭遇した、余りにも精巧過ぎる偽金貨の威力はあった様だった。

 ひとまずの決着を経て、ビューローの軍は戻ったかに見えた。

 都市ビューローを抱くマルプルク公国は、緑の多い豊かな土地だ。

 だが気候的に十数年に一度、雨が壊滅的に降らない年がやって来る。それが寄りにも寄って今年だった。

 夏も終わりかけの今時期に雨という雨は殆ど降らずに、土はかなり枯れているらしい。土が枯れると、作物を作る事が出来なくなる。飢餓が所領を襲うと、所領の根底が崩れるのだ。

 それでも鉱脈などの資源を持っている所領は余力があり、苦しい一年を耐え忍べばまた次の年がやって来る。

 税を減らし、領民を守れば一年は何とか持つだろう。しかし、その余力がビューローには無い。

 マルプルク公国の支援領はきっとビューローを切り捨てるだろう。何故なら、資金を援助しても見返りが無いのだ。仕方ない。

 マルプルク公国は自領自身を立て直す事に必死になる。都市ビューローは、恐らく早い内に何処かへ戦争を仕掛けるに違いない。

「どうしたものかねぇ……」

 クルトは天井を仰いだまま、目を閉じる。

 手伝ってくれる? そんなエリクの声が微かに聞こえたような気がして、無性にその細い腰を抱きたくなった。

 そう言えば、ライゼガングで女であることを敢えて知らない振りをしてから余り触れてはいなかった事に気付く。自分の中でも無意識に枷を掛けていたのか、手首にすら触れていない。

 日増しに花開いて行くエリクは、今まで辛うじて少年に見えていた部分を全て投げ捨てて行っている様だった。

 久し振りにエリクを見たヤンが見た事も無い程驚愕の表情をしているのを見て、クルトは思わず噴き出しそうになった。敢えて口にするのは野暮というもので、勿論指摘はしていないが。

 見たものが信じられない。ヤンはそんな表情をしていた。

 殆ど見かけは変わっていない筈なのに、毎日見ているクルトでも分からない程に確かに何かが今までとは違うのだ。

 仕草、声、視線、微笑み。何が壊れて、何が変化したのか。見当もつかない。

 花が綻ぶように、日々纏う空気が変わっていく。それを間近で見ているのは、神の奇跡を目の当たりにしている様だった。

 ただ言える事は、あの日を境にクルトの中で何かが変わり、あの日を境にエリクもまた変わっていっているという事だろう。

(冗談じゃなく、本気で城に連れて来る気だったんだけどね。俺は)

 いつ眠りにつくか分からない体でカヤの面倒と双子の面倒を見る為に張り切っているエリクは、長い夢から覚める度に考え込む時間が増えている。何かをしようと、自分に言い聞かせているようだった。まるで先を急いでいるかのように。

 首に突き付けた剣を持って、少しずつ壁に近付いている様なものだ。

 いつか動けない程までに自分の決めた目標の壁に突き当り、手に持った剣は首を傷付けるだろう。蝶と出会えば、エリクは本気で向かう気なのだとクルトは知っている。例え勝算御のない戦いでも、その危なげな剣の腕でも。

(何をしでかすか分からないから、出来るだけ傍に置いておきたいんだけどなぁ……)

 これに限りは本人が望もうと、望まないとも構わなかった。

 出来るなら城に囲って――と、まで考えてクルトは頭を抱えた。これではやはり父親と一緒だ。

 城と離れた場所にある無骨な全門を抱く宮殿は、昔カヤが父親に閉じ込めらていた檻だった。

 そして現在、あの中には七歳になるカヤの息子が幽閉されている。

 幽閉というと言い方が悪いかもしれない。

 彼は縛り付けられる事も、鎖で繋がれる事も無く、至って塀の中では自由に動けるのだから。ただ彼は宮殿を出る事を未だに許されていない。彼はブラル大司教にとって、カヤを連れ戻す餌なのだ。


 当時、カヤは下働きよりももっと下の位だった。

 汚い使用人と所領の領主であるブラル大司教が、一体どんな出会いをしたのかまではクルトも流石に聞いてはいない。

 それでも間違いは起こり、二人の間にいつしか子供まで出来ていた。

 案の定というべきか、身分分相応な働き女の仕業に母親は激怒し、カヤは城を追い出された。しかし、既に執着していたブラル大司教はカヤを探し出し、結局宮殿に幽閉したのだ。どうにもならない父親だとクルトも思う。

 カヤが宮殿から出る事が許されたのはそれから一年後。生まれた子供を奪われ、ワルゼ騎士団のノルベルト副総長の元へカヤが預けられたのが、今から六年前だ。

 ワルゼ騎士団に来たばかりのカヤは、初めて会ったエリクそのものだった。

 表情を失い、体も疲労と、精神を病んで痩せ衰えて笑うどころか泣く事もしない。

 辛うじて握ったのが、ノルベルト副総長の妻が渡した剣だったのだというから、やはりカヤとエリクは似ているのだろう。

 鬼教官と名高いノルベルト副総長と、それを越える鬼の妻に剣を指導されてカヤは少しずつ表情を取り戻して行った。

 それをクルトは間近で見ていたのだ、何もかもを失った人間がまた立ち上がる様をずっと近くで。

 クルトがカヤから離れないのを、カヤは贖罪なのだという。

 確かに、自らの父親が傷付けた女を切り捨てる事が出来なかったクルトは、そのつもりは無くとも心の奥底では罪滅ぼしのつもりで一緒に旅をしているのかもしれないと気付いていた。

 互いに欠けた所を補い見ない様にして、三人で旅を続けた。

 ヤンはヨープの騎士だ。

 そして騎士になる為に過去、弟を孤児院に預けた。まさか、会えなくなるなんて考えもしなかったのだと、ヤンは消えた弟へ言い訳をしたいに違いない。

 それでも、ヤンは言い訳もせずにただ何年もずっと探し続けている。

 足取りの途絶えたエーゲルの孤児院から、一度も諦めることなく探し回っているのだ。それもまた贖罪だなのだろう。決して報われることはない。探し続けることで自分を満足させる為に、ヤンは見つからなくてもずっと探し続けるのだろう。

 そんな何処か捻じれ、壊れた旅の仲間にたった一人、加わっただけだった。

 それなのに大なり小なり、全員がエリクに影響を受けていく。

 ヤンは自らに、エリクに弟を重ねていると思い込ませているのだ。

 どんな状態であれ、子供――しかも男、にこれだけ感情を揺らされる自分が信じられないのだろう。

 正面向いて、エリクの視線を受け止めないのはその所為だ。真っ直ぐ見上げてくるあの視線には、何もかもを見透かされそうになる。

(……もし、泉でエリクの裸を見つけたのがヤンだったならどうするのかね?)

 そう馬鹿げたことを思い付いてクルトは苦笑した。

 それでも、きっと同じ様に口を噤むに違いないのだ。

 エリクが望むのは男女の関係では無く、家族的なものだ。別れた姉の様に、絶対的なものを求めている。その純粋さが気高く、時に鬱陶しくなる。

(……カヤはどうかな?)

 子供と引き離され、飛び出したワルゼ城からクルトが付いて行った。

 決して雄弁ではないヤンが旅に加わると少しは元気になった様だった。

 ふざけて笑う事や箒を振り回す事、元々あったらしい感情の激しい起伏を垣間見せるようになった。ヤンもクルトも笑顔で受け入れられるかと聞かれると、それとこれとは話は別だが。

 カヤの変化が顕著に表れるようになったのが、エリクが旅に加わってからだった。

 彼女は、エリクの最も求めるものを敏感に察知して一番傍にいる事が出来る場所に収まった。溢れ出そうな程の母性は行く先を決めて、慈愛を向ける相手に執着する。どう考えても厄介な人間だ。

 嫌われないよう、もういなくなってしまわぬよう。カヤはエリクを見ながらいつも怯えている。

 そしてエルケが一人で立てるようになったら、自分はまた用無しになるのだと怯えている。エリクが言えば、カヤは今度こそ息子と会うのを決断するかもしれない。

「……俺は、何をしたらいいんだろうね?」

 今回父親であるブラル大司教と向かい合えば、もう自らの立場から逃げる事は叶わなくなるだろう。

 政治に係わる全ての事から逃げて来たクルトが、今情報を流し父親と話せばそれはもう駒として動くという事だ。

 ただの人間ではなく、責任と責務を背負ったワルゼ騎士団の総長になるのだ。

(俺はそれをずっと嫌い、それからずっと逃げて来た。でも、もう逃げる事は叶わないんだ……それでも仕方ないのか?)

 重厚な扉が開き、予想していたよりももっと年老いたブラル大司教が胡散臭い微笑みを浮かべながら入ってきた。クルトは久し振りに会う父親だ。

 顔を顰めて、クルトは長椅子から立ち上がり礼に則って挨拶をした。吐き気がする、何もかもを叩き付けて逃げてやりたくなった。

 しかし、それもかなわない。

(エリク……恨むよ)

 彼女は悲しげな顔をして待つのだろう。そう考えれば、まだ少しましな気がしてクルトは偽物の微笑みを顔に張り付けた。


「ゼークトという村はご存知でしょうか」

 クルトの前で鷹揚に腰掛けているブラル大司教が微笑んだ。

 彼は非常に機嫌がいい。地方を放浪していた次男が二年ぶりに城へと顔を出し、政治談議を出来るのがそんなに嬉しいのか。

 クルトは聞いた事への返答を急いて、眉を僅かに寄せながらその内心を計り知れない顔を見遣った。

 ついて来た使用人の内、何人かは人払いをさせている。

 一人残った使用人は古参の家令だ。彼までをこの部屋から追い出す事はまず無理に近い。そもそも大司教自身が、家令の存在を気にしていない以上クルトが口を挟む訳にはいかなかった。

 テーブルに置きかえられた紅茶のカップは湯気が立っている。

 焼き菓子も香ばしい匂いをさせていた。

「ああ、聞いた事があるな。人魚の村だね」

(……人魚の村? 随分と夢見がちな名称だな)

 クルトは首を傾げた。

「その通称は存じ上げませんでしたが、マルプルクのビューローに一年以上前に攻め込まれたそうです」

「鉱脈の在処を明らかにしなかったそうだね。ゼークト側の強欲で滅んだ事になっているけれど、さてどうだろうか」

「どうだろうか、とは」

(これだからノルベルト副総長と、こいつとは話すのは嫌なんだよ)

 クルトは自分の話の難解さを棚に上げて毒舌を吐いた。

 謎解きをしているかのようだ。それか、見た事のない文字で書かれた古文書を読んでいる気分だ。

 解読できるのはたった一部だ。そこから紐解くしかない。

「あの村には、古来から夢物語みたいな言い伝えがあってね。吟遊詩人が囀る類の物だが、軍人には理解できない繊細な物語だから理解できなかったのかもしれないね」

 苛立ち紛れに紅茶のカップを持ち上げれば、美しい飴色の水面が揺れた。

 言い伝えから紐解くべきか、それとも違う場所から進むべきか。クルトは切り出すのを躊躇する。

(軍人からにしようかな。まぁ、おとぎ話はあくまで夢物語でしかないし)

 慎重に言葉を選んだ。間違った言葉を話せば、一気にこちらの内情がばれてしまう。気は抜けないのだ。

「ビューローに子飼いの蝶がいる事は、ご存知でしたか」

「知らないな、初耳だ」

 本当に知らなかったらしい。

 大司教はくつくつと笑い、凄いね、と言った。

(くそったれが……!)

 貴族らしからぬ毒舌を心の中で吐き捨てる。

 ブラル大司教の台詞はまるで初めての手伝いを終えた幼い子供にかける労いのようだ。

 奥歯を噛み締める、早くも腹が痛くなりそうだった。

「ここ数年で激増した我ブラル大司教領の人身売買も、恐らくその蝶の暗躍の所為だと思われます。エーゲルの修道院と孤児院の閉鎖も、恐らく蝶の係わりがあると」

「じゃあ、数年前からマルプルク公国はブラル大司教領に戦争を仕掛けようとしているということかな?」

(そうなのか? いや……そうなんだろうな、多分)

 それでも、何度考えてもクルトにさえ何を目的にしているのか、よりによって何故ビューローが、ヨープの城を混迷させる事をしているのかが分からないのだ。

 まるで何かから目を逸らそうとしているようだ。

 白の混じる薄い金髪の髪が帽子から漏れている。

 リンネルのシャツ衿を指で辿りながら、大司教は口に紅茶を運んだ。どうやら、クルトの見解を待っているらしい。

(正解か、不正解か。そうなのではなく、ただ子供の成長を見たいという所か……ふざけるな)

 部分的にしか見ていない様な顔をして、実は手広く視界を広げている。

 殆どの情報が大司教にも入っているに違いない。ビューローにも蝶がいるのと同じように、ブラルにもまた蝶に似た存在はいるのだ。

 何処からでも、何でも仕入れる事の出来る商人が存在している。

「ライゼガングの金鉱の話は聞いているよ」

 返答をする前に、話が違う方へ展開した。

 その曲がる方向も難解だ。何処から攻めるべきか分からなくなって自分の立場が分からなくなってしまう。

 下から政情を見るべきか、上に立って政情を見るべきか。クルトは混乱するのだ。

「枯渇した金鉱の村はかなり困窮しています、早い時期に何らかの支援をした方がいいと思われます」

「その報告は聞いているよ。で、何らかとは?」

(……試しているのか?)

 宿屋で恐らく暢気に双子と遊んでいるに違いないエリクの頭を、苛立ち紛れに小突いてやらないと気が済まない。

 何らかとは、と聞かれても満点を貰える答えが見つからなかった。それが今回の目的だったからだ。

「軍も金も動かすには、見返りが必要になる。ワルゼ騎士団総長は、ブラル大司教に見返りの無い出費と戦争を仄めかしに来たのかな」

 自分がその矢面に立つというならば、それもありかもしれないけれど。そう大司教は継いだ。

「お前はもう少し、背中後ろに沢山の人間がいる事に気付いた方がいい。安易に戦争を仕掛けるのは、ザクセンとマルプルクに任せなさい。その戦の意義が見つかったら、その時に考えよう」

 つまりは飢餓が起こり、逃げ場を失ったビューローが攻め込むまでヨープはだんまりを通すという事だ。

 蝶を放し人身売買を黙認するという事だった。

「ライゼガングは、切り捨てるおつもりですか」

 責める様に言ったクルトを、ブラル大司教は話も終わったとばかりに立ち上がり見下ろした。

「ライゼガングを救う意義が見つからないと、無理だろう。金を出すのに教会も修道士会も納得しまい。今は教会を取り纏めるので精一杯だよ。ライゼガングに新たな鉱脈が見つかれば別だが」

(……それは難しい、だろうな)

 鉱山は領境に背を向けた形で広がっている。

 もし新しい鉱脈を探すのだとしたら、マルプルク公国との領境に隣接した山まで赴かなくてはいけない。それも、武器も無く危険も承知でだ。

 クルトは何か言い掛けて、口を噤んだ。

 気付くと、上からの立場ではなく村人など領民の立場になって大司教に話し掛けているのだ。切り捨て、割り切る事が難しくなっていた。

「話は、終わりかな?」

 その言葉を聞いて、家令が大司教に正装用の長いガウンを手渡した。

 クルトは奥歯を噛み締めて、はい、とだけ答える。

 完敗だった。ここに長男がいれば、政治談議はこんな謎解きでは終わらなく、もっと長い時間かけてクルトの考えが如何に稚拙で安易な考えなのか、上に立つ者の立場から延々と講釈されるに違いない。子供臭いけれど、長男が欠席で助かったとクルトは溜息をついた。

 戦争を仕掛ける、それも騎士団が矢面に立つ。

 ビューローと事を構えるとはそういうことだ。

 蝶は黙認すべきなのか、明らかにして火炙りにするべきなのか。ワルゼがその蝶に係わってる事までは流石に口には出せなかった。

「そうだ、ゼークトでは人魚が石を取ってくれるそうだよ」

「は?」

 急に言った一言は余りに子供騙し過ぎて、変な声が出てしまった。

 鉱脈の無い宝石、エリクは確か石は海からやって来るのだと言っていた。

「あれは人魚の命だから、人魚にしか見つけることが出来ないと聞いた。海に潜り、どこぞの場所から石を見つけてくるらしい。まぁ、これも言い伝えだから真偽の程は問われるけれど」

「……それは」

 震える声が自分の物だと気付くのに、時間が掛かった。

「ベルンシュタインは元々貴族にしか流通していない石だったからね。過去ゼークトの職人と接触する機会があっただけだよ。確か、その職人はその昔エーゲルに嫁いだと聞いた。彼女が言うには、人魚は滅多に姿を見せないらしい。雪の吹きすさぶ嵐の夜や、波の高い荒れた夜に姿を見せて石を浜辺に置くのだと言っていた」

 まぁ、普通の人間がそんな夢みたいなことを信じる事は無いだろうね。大司教は小馬鹿にした口調で笑い、家令の開けた扉向こうに足を一歩出した。

 一瞬、立ち止り背中を向けたまま「子供にいつでも会いに来なさいと、彼女に伝えてくれるかな」と言った。そしてそのまま扉は静かに閉じる。

 クルトはテーブルを軍靴で蹴り上げた。食器がかん高い悲鳴を上げた。

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