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金鉱山を抱く黄色の村ライゼガングは、今や没落の一途を辿っている。
露出した鉱脈を掘り尽くし、地中深くに長く伸びた坑道も数多く。
しかしそれも老朽化した坑道の崩落に浸水等、度重なる問題で今や壊滅状態だ。しかしそんなライゼガングも全盛期には働く労働者は千を越え、過去、村は鉱山都市と呼ばれていた。
その栄華も今は何処へやら、衰えた鉱脈を捨てて鉱夫達は新しい仕事場を探しに村を出て行ってしまった。故に村は衰退し、今や新しい鉱脈を掘削する事もせずに残る資源の枯渇を待つのみだ。
まだ他に比べれば比較的人通りの多い中央広場を眺めながら、エルケは疲れ切った活気の無い村人達の姿を見ていた。
女はまだ忙しく洗濯や掃除をしていても、男達は何処となく暗い表情が多い。それに子供の姿が極端に少なく、天気のいい昼間だというのに遊んでいる姿を見かける事がなかった。
空はからりと乾いた青空。雨はここ数日降っていないらしく、あちこちに見られる緑は男達と同じ様に何処となく元気がない。
風が強く、吹く度に乾いた土埃が宙に翻った。すると、あっという間に口の中が砂塗れだ。少し目に砂が入ったらしく手の甲で擦った。
替えたばかりの布に涙が滲み込んで行く。
カヤは今宿屋の手続きに行っていて、街を眺めるエルケの横に腰掛けるのはクルトだった。
エルケの横は男性が丁度二人ほど腰掛ける事が出来る位、開けられている。その距離が妙に空々しい。クルトを横目に戦々恐々としているエルケに対し、クルト自体は何ら動じていない様子だ。
どうにも居心地の悪い空気だった。明らかに過敏過ぎるほど反応をしてしまう自分がまるで自意識過剰みたいだ。そう思っても無意識にしてしまうのだから仕方ない。
あの最悪の夜の後、起きると既にヤンは発った後だとトニに聞かされた。
行く先は誰も知らないようで、結局は嫌でもクルトに聞きに行くしかなかった。
旅支度を既に整えていたクルトは外套を投げ付けてただ「行くよ」とだけ言った。まるでエルケとも、これから旅を続けるのが至極当たり前である風に、共に行くのが当たり前の様に。
連れて行ってくれるのか、と驚きを隠せないままで聞いたエルケに、クルトはいかにも心外だと言った表情を返したのだ。
ここに置いて行って、一人で辿りつけると思ってるんだ? そういったクルトの表情に違うのだと返したかった。聞きたいのはそういう事では無くて。負担にならないのか、とか、罪人出あることが気にならないのか、そういうことだ。
でも聞くことは出来なかった。元より口で勝てる相手だとは思っていないし、それでは連れて行かないと言われてしまうことが何よりも怖かった。
一人で辿りつけるだなんて、今更もうエルケだって思ってはいない。
でも迷惑を掛けてしまうんじゃないか、とは思っている。薄々、ヤンもカヤもエルケの様に農民以下では無いのだとは気付いていたし、寄りにも寄ってクルトは貴族なのだ。エルケがワルゼに置いて行かれても勿論文句は言えない。
だから旅が続く事自体は嬉しかった。カヤにもまた会えるし。
ワルゼを発つ前にエルケは「手の甲の烙印は隠した方がいい」と新しい布を手渡された。旅を続けるのに剥き出しなのは支障が出るのだという。
隠すことで連れて行って貰えるのなら、構わない。エルケは隠してでも一緒に行くことを選んだ。
その後、結局ヤンの行く先はエルケには教えて貰えなかった。クルトの指示でヤンが動いている、という事だけノルベルト副総長からは教えて貰えた。
実はワルゼを発つ時に一番悲しんだのが、トニやマルセルでは無くノルベルト副総長だ。
未完成の体をむざむざ手離すなんて、とクルトに厭味を言ってだんまりをされていた。やっぱり、騎士団の新しい人材として考えられていたみたいだ。正直、エルケにとって城に入るだけで一杯一杯だというのに。
とはいえ、彼はエルケの事ではなくクルトの事を一番心配していたらしい。実際にルッツではない馬が牽く馬車にエルケが乗り込む乗る寸前、クルトの見ていない隙を狙ってノルベルト副総長から「クルトの事を頼む」と耳打ちされたのだ。
頼まれるのはあくまでも自分であって、クルトじゃないだろう。不思議そうな表情を浮かべたエルケの顔を見て、ノルベルト副総長は大声で笑っていた。
大声だけじゃなく内緒話をする事だって出来るノルベルト副総長にも驚いた。もしかしたら、彼は全てを偽って生きているのかもしれない。見える事が全てとは限らない。
因みにマルセルは任務だったのか、最後まで姿は見せなかった。
トニは中城の鐘楼の傍で手を振っていた、少し寂しそうな顔だ。副総長外の団員は形式上、送りに出る事を許されなかった為に、エルケは皆に世話になった挨拶すらできなかった。
騎士団としては総長が外出するのを形式上はおもむろにはしたくないらしい。例え明らかであったとしても形式上の何かは必要らしい。
あれからの会話は必要最小限。勿論、触れ合いも必要最小限。
クルトと一度乗り越えた壁は、全く違うものとして立ちあがっていた。
それはエルケの今まで気付かなかった女の部分だ。男であれば掴まれた手首も触れ合い過ぎた体も、然程気にせずに、逃げようとしたエルケを押さえ込む為には必要だったんだろうと思えるのだろう。
それでも、幼い頃の村で逃げようとしたエルケが兵士に押さえ込まれた恐怖と、クルトのあの時とは随分とエルケの感じるものは違っていて、たまにこうやってクルトだけが傍にいるとどうしたらいいのか分からなくなった。
命の恐怖ではない、何か分からない束縛感か閉塞感を覚えてしまう。
今まではこれ程まででは無かった。だからカヤが近くにいる毎日はエルケに取って凄く楽であり、それにストレスが溜まらない。逆にカヤがいないと会話すらままならないのだ。正に今現在そうであるように。
宿屋の扉がいきなり開いて、カヤが手を振っている。ここにいるよ、そう教える為にエルケも小さく手を上げた。
これだけ人の行き来も少ないライゼガングの宿屋が混み合っているとはまさか思っていなかった。っしかし思ったよりも宿屋自体が少なく、殆どが閉まっていた為に宿屋探しが難航した。
部屋はどうやら空いていたらしい。
カヤが頷いて両手を振っている。やっとこの息苦しい場所から逃げる事が出来る。と、エルケはカヤの元に駆け寄る為に立ち上がった。
縛られた。そう思った瞬間、もう手首は引き戻されている。
勢い良く体は元の場所へと戻り、元通りクルトの横へ腰掛けてしまった。反射的に横を向いても手首を掴んだ主はこっちを向こうとはせずに、前を向いたままだ。意味が分からない。
手首が熱い。
「どうしたの?」
「行くよ」
聞いた事に対する、クルトの返事は無かった。
自分が立ち上がるよりも先に立たれたのが、もしかして面白くなかったのかな? 拘束された手首は直ぐに離れ、クルトは立ち上がってさっさと一人でカヤの元へ行ってしまう。思わず、放置された自分の手首を見詰めた。
土埃に煽られたカヤを、クルトは自分の広げた外套で隠して守っていた。それなのに、カヤに腹を殴られていた。どうやらエルケの手首を掴んで無理やり引き戻したのが見えていたらしい。彼女は危ない、と怒っている。
ヤンと離れて、突然はっきり見えてきた事がある。ヤンと離れた所為なのか、自分の心の所為なのかははっきりとは分からない。
最近は特にだけれど、クルトは実はカヤを凄く大事に扱っているという事。
カヤの体調は随分と良くなったものの、いい時と極端に悪い時が半々だ。今日は大分いい日。笑う顔にも快活さがある。でも悪くなると途端に起きあがる事が出来なくなる。そうなると、クルトが凄く心配するのだ。
今まで気付かなかったけれどヤンはエルケを、クルトが陰ながらカヤを、という構図が出来上がっていたのだろうか。殴られたり蹴られたりしている癖に、実はカヤの精神的な面倒を一手に引き受けているのはクルトだった。
満面の笑みのカヤ。エルケに手を振りながら寄って来る。
可愛いカヤ、綺麗なカヤ。優しいカヤ。本当に心からそう思っているのに、エルケの中に黒く濁って沈む感情がたまに湧き起こっている事は、絶対に内緒だった。その汚い感情に名前を付ける事は出来なくて、ただそんな事をカヤに思ってしまう自分が嫌だった。
そんなことを思う自分を、認めたくは無かった。
「エリク! やっと、今日はベッドで寝られるのよ!」
「良かった、部屋が開いていたんだね?」
夏の今時期は旅人も多い。宿屋に空きが無い所為で最近は野宿が恒例になっていた。
馬車の旅も三カ月を過ぎると、眠れなかったエルケも比較的野宿にも慣れ、揺れる馬車でうたた寝位は出来るようになっている。人間、何でも慣れなのだ。随分と神経面で図太くなった自覚はあった。
カヤはエルケの手を握り、大袈裟に振った。良かった、今日は凄く気分がいいみたいだ。
「一室しかなかったら、クルトには馬小屋か外のゴミ箱にでも行って貰おうと思っていたんだけど。残念な事に二室の空きだったの」
「残念なんだ……」
カヤは本当にクルトには容赦ない。カヤと笑いながら横を見ても、クルトはいつも通りに飄々としているだけだ。聞いているのかすら分からない。
たまに、視線を感じる時がある。
振り返っても決してそれは絡む事は無かったけれどカヤと話していたり笑っていたりする時、特に強く感じた。何か言いたげな視線、熱く苦しい視線。少し苛立ちを感じる視線。見ないで、と言いたくなるような視線。
言いたい事があるならば、はっきり言って欲しいのに。その視線の意味がどうしても理解が出来なくて混乱する。クルト、僕は一応男だよ。そう思うと胸が苦しくなって、まだ隠しごとをしている自分が嫌な人間になりそうだった。
「エリクは私と一緒の部屋だから行きましょ!」
「え? 僕が一緒なの?」
カヤは何を今更と笑う。そんな彼女が好きだ。
カヤに掛かると、女だと隠している事も瑣末だと思わせる。どうでもいいの、エリクがエリクであればいいのだと言われている様だった。烙印の事もクルトに聞かされている筈なのに、彼女は何も言わなかった。態度も変わらず、今まで通りのカヤだった。それが嬉しい。
「今まで離れていた分、色んな話を聞きたいの。見せる分には、私は全然気にしていないから問題ないのよ」
こっちは十分気にしなくてはいけないんだけどな。そう思っていても強く反発はしない。
カヤと一緒の部屋で寝たいのはエルケも一緒だ。それにカヤと違う部屋になると、必然的にクルトと同じ部屋になってしまう。それだけは絶対に嫌だったから。
曖昧な表情を返して頷いた。背中にまた視線を感じる。
やっぱり男の『エリク』が、カヤと同じ部屋に寝泊まりというのは支障があるんだろうか? そう言えば、今までカヤとは同じ場所で寝ても同じ部屋で寝た事が無い。初めてだった。
馬車から荷物を持ち入れるのはクルトに任せて、二人で先に宿屋に入ると扉を開けて直ぐに小さな食堂があった。閑散としている食堂の中で、幼い子供が二人楽しそうに走り回っている。
カヤが相好を崩して、一方の少女に手を伸ばした。
「こんにちは」
「こんにちは!」
返事は同時だ。6歳くらいだろうか、幼さを過ぎて少し伸びて来た手足。
抱き上げるカヤの姿は随分と堂に入っていた。少女を膝に下ろしたカヤは少女の解けかかっていた髪を結び直し、括っていた紐を綺麗に整える。ありがとう、と照れて小さくなった高い声が愛らしい。
「お名前は?」
二人はデリア、とマルガ、と答えた。六歳でこの宿屋の娘らしい。双子なのだ。
彼女達は両手に一杯豆を掴んでいる。エルケが何処から持って来たものだろうかと不思議そうに見ていると、デリアが豆を一つエルケに投げ付けて来た。 途端に大声が食堂に響く。
「この馬鹿娘どもが、お客様になんてことするんだい!」
奥から出て来た母親らしき女が二人に大声で注意して首筋を掴むと、奥に引き摺って行った。
大きな体に纏うのはくすんだ橙のスカート、白いエプロンが大きく見える。奥に入る寸前に、二人は笑いながら手をカヤへ振っていた。ほんの一瞬でカヤは彼女達に好かれた様だ。
大袈裟に肩で溜息をつきながら、女将が戻って来る。
食堂のテーブル奥には下拵え前の豆の山。どうやら彼女達は手伝いをしている間に飽きて、遊び始めたらしい。よくあることだ、エルケは思わず口端を上げた。豆の下拵えなんて、六歳には退屈に決まってる。
テーブルの下には沢山、豆が転がっていた。
エルケは話を始めたカヤと女将を置いてテーブルの下にしゃがみ込む。一つ二つ、青青しい豆を拾えばテーブルの下に小さな手が見える。マルガだ。豆を一緒に拾う気らしい。
でも、小さな手は既に持ちきれない程の豆を持っていた。豆を拾う為に来たんじゃないのかな?
マルガは少し考え込んでから、小さな口を開いた。
「あのね、お兄ちゃんは何かを買いに来たの?」
買い物、商人の事を言っているのかな?
「ううん、違うよ」
「ふぅん、そっか。なぁんだ」
なぁんだ? その返事に首を傾げた。
マルガは床にうつ伏したまま、直ぐに答えたエルケの顔を不思議そうに見上げてくる。
「マルガとデリアを買いに来たのかと、思ったの」
お兄ちゃんなら良かったな、って思っただけなの。そう言うとマルガはエルケを置いて、両手いっぱいの豆を持ったまま奥に消えて行った。
小さな頃、ゼークトでも悪い事をしたら母親に、人買いに売るよ、と怒られている子供なら見た事があった。それとは少し様相が違う気がする。
小さな背中が奥に消えて行くのを見送ると、心臓が早鐘を打っているのに気付いた。そうか、さっきデリアが豆を投げ付けてきた意味も分かった。何故なのか、エルケを人買いと勘違いしたのだ。
食堂の脇では未だカヤと女将は世間話に興じていて、幼い少女達は奥に消えたまま出ては来ない。奥に行って、少女達に何か問い質すべきだろうか? でも自分に何かが出来るとも思えない。金だって持っていないし、権力だって持っていない。むしろ逃げ回っている罪人なのに。
まだ世間話中のカヤには声を掛けず一人で二階に上がり、エルケは女将に言われた部屋のノブを掴んだ。小さな宿屋は殺風景な程片付けられている。
妙に違和感を感じて、エルケは足を忍ばせながら二階を勝手に見回った。
汚れて黒っぽくなった壁、装飾品の無い壁。軋んだ古い床と廊下は随分と長い間、宿屋を経営していたんだろう。カーテンの付いている部屋もまばらだ、付いていても半分落ちてしまっている部屋もあった。
客はエルケ達の他にはいない。
だって使われていない部屋の扉は開き、それぞれの部屋の中は何も家具も無いのだ。寝台も机も椅子も無く、ただ壁と床と天井しかない部屋。それは、まるで人間が消える寸前の家みたいだ。
この村は少しおかしくないか? 背筋に走る悪寒に突き動かされるまま、宛がわれた部屋の窓から外を見てもやはり子供の姿は一人も見えなかった。歩くのは俯く男達。
噴水のあるかつての栄華を思わせる中央広場。昔は馬車も行き交い、市場も開かれていたのだろう。奥に見える邸の庭は管理されていないのか、草が生い茂っている。
谷沿いに広がる村は細長い。両側に広がる森の向こう側には金鉱山がある。
本来は鉱脈を探し歩き回る筈が、既に掘り尽くした山ではもう鉱脈を探せない。それに代わる商業も生産業もここには用意されていないのだ。だとしたら、村の状況はきっともう――
「エリク」
声が突然、間近で聞こえてきてエルケは飛び上がった。
いつの間にこんな近くへ。体が強張る。
考え事をしていた所為でここまで近付いているのに気付かなかった。もうここまで近ければ振り向くことすら出来ない。
振り向かなくても声の近さで分かる。窓に張り付いて外を向いていた背中側に、クルトが立っているのだ。
どうしてこんなに傍に来るのか。密着しているかのようなクルトの寄り添いように、例え自分が男装をしてるとは言っても羞恥心が隠せない。耳が熱かった。
背中へ僅かに触れ合っている感触を感じる。窓に手の平が置かれて、吐息がそのまま屈み込んだ。逃げ出せるかと横を向けば、クルトの腕が横から出ていた。
「今考えてる事を、教えて」
まるで自分に何かを隠す事を許さないみたいな口調だった。
この間みたいに押さえ付けられてはいないのに、まるで強制的に聞かれている様な気分になる。中身をばらされて、覗かれている様な気分。
俯いて窓の外を見ると、静かすぎる風景がある。寂しい。だから、つい疑問に突き動かされるままに唇を開いた。
「クルト、この村はもう間もなく死ぬの?」
村に死ぬという表現は変なのかもしれない。
でも、この街はもう疲労しきっていた。するべき事を終え、あとは静かに消えて行くのを待つだけの村だ。
「そうだね、もうそろそろだね」
簡単にクルトが同意するのは悲しかった。そうだよね、仕方ないよね。どうにも出来ないんだもんね。
村や部落が消えて行くのにはいくつかの例がある。例えば戦、それに病気、天候から来る飢餓が最たるそれだった。死にかけの村には誰も手出しをしない。誰も助けてくれない。逆に損害を被るからだ。
助かるか助からないかはっきりしないものに手を出す事はしない。それは実際にエルケもよく知っていた。ビューローに攻撃された時、ゼークトは何処からの援軍も無く滅ぼされたから。
マルガの一言は子供の戯言だ、と一蹴されるだろうか? それとも無駄な事を心配しているのだと思われるのだろうか?
ただの綺麗事なのだ、そうヤンは前にエルケに言った。エーゲルで襲って来た人間を逃がした時だ。たった一人を逃がしても、何も変わる訳ではない。デリアとマルガだけを助けても根本的には何も変わらないじゃないか。でも放っておく事だけは出来なかった。
「一階で会ったこの宿屋の女の子が、僕に自分を買いに来たのか? って聞いて来たんだ」
訥々と話し始めたエルケに、クルトは満足したようだった。それ以上近付く事もせずに大人しく聞いてくれている。
話しながら、これはあくまでもマルガが少しだけ話した事に対する想像で、事実なのかは決してはっきりしない事を強く主張した。だってライゼガングはワルゼ騎士団の管轄だ。
「だから、マルガとデリアは僕に任せて欲しい」
「任せる?」
「うん」
クルトが問い詰めれば、きっとあの子達は逃げ場を失うだろう。
先日追い詰められたエルケみたいになるに違いない。エルケが強く頷くと、クルトがエルケの耳元で小さく笑った。
吐息が耳に触れて、顔が一気に熱くなる。お願い、離れて。心の中で懇願してしまう。俯いた。
「俺は子供には優しいよ?」
クルトは本当に嘘つきだ。
今まで十分子供扱いしていたくせに、先日は優しいとは程遠いものだった。押さえ付けられた恐怖を覚えている。ほんの少しも体は動かなかった。
「約束してよ! 僕だってそれぐらい出来るよ」
早く腕の中から逃げたくて、強い口調で言った。
エルケが話している間に後ろ髪が引かれ、背中にまで付きそうな程長く伸びた髪に触れられているのが分かる。紐で括った根元からずっと髪を辿り、そのまま先へと指が辿った。呼吸が上手く出来なくて、目を強く瞑る。苦しいよ。
首筋と背中に苦しい程の視線を感じた。クルト、違う。今、僕は女じゃない。その反応は間違ってるんだよ。お願い、離して。
急に開け放たれた扉の向こうから階段を軽快に上がって来るカヤの足音が聞こえて、思わず身じろいだ。だって、こんな所をカヤには見られたくはない。絶対に。
「クルト、カヤが来たよ」
「そうだねぇ」
そう言いながら、クルトは背中から離れて行く。名残惜しそうに? それとも少し呆気なく?
離れる寸前に耳元に残した声に思わず紅潮した頬をエルケは腕で隠して、カヤの手助けをする為に部屋を出て行ったクルトの背中を睨みつけた。膝が笑って、震えが止まらない。
クルトが男なのだと思い知らされて、無性にヤンに会いたくなる自分は身勝手なのかな。肩を窓枠に預けて、頬を冷たい窓ガラスに押し付けた。
「いいよ、見ててあげるよ」
残された声にエルケは、見ないで、と言い返した。




