虐げられた転生幼女は、呪いの糸をほどいて人生逆転を目指します
「何回言ったらグズは治るのかしらね!」
「あう……。お、お母様、おゆるしを……」
「黙りなさい!」
お腹を蹴られるのは辛い。私は体を丸めてお母様の怒りが収まるのをじっと待つ。
全部私が悪いから。これは当然の罰なんだ。
夕食を運ぶのに、またスープを少しこぼしてしまった。どうして私はこんなにダメな子なんだろう。
「はははっ。マルニーは優しいなぁ! 頭を蹴らないでやるなんて」
「違うよ父さん。母さんは、それはデザートに取っているだけさ」
テーブルでは、お父様とお兄様が楽しげに夕食を摂っている。
嵐のように降ってきていたお母様の蹴りが止んだ。
おそるおそる顔を上げると、お兄様が制止してくれていた。
「母さん。今日はアリーの八歳の誕生日だ。この辺にしておいてあげなよ」
「……クエンがそういうなら、仕方ないわね。この馬鹿娘、感謝しなさい」
ふらつく私を、お兄様が支えて立ち上がらせてくれる。
「大丈夫かい? 一緒にご飯を食べよう」
「あ、ありがとうございますお兄様」
「なーんちゃって!」
私の腕を強く引き、そのままお兄様は私を壁に向かって投げ飛ばす。
「あがっ!?」
後頭部を壁に打ち、変な声が漏れた。
笑っている三人の声が遠くに聞こえ、視界がぐにゃりと歪む。
「身寄りのないお前を拾って家族にしてやったんだ。感謝しろよ?」
お父様が私の顔を覗き込むようにして、笑った。
「は、ひ、感謝しでま……」
視界が暗転したかと思うや、何百ものシーンが頭の中に流れ込んでは消えていく。
え、なにこれ……?
こことはまるで違う世界の話だった。黒い服を着た大人の女性が意味のわからない言語を話している。
最初は理解できなかったが、すぐに私は言葉の意味を理解できるようになった。
そうだ、この女の人を私は知っている。
有山美奈子37歳、日本人だ。
っていうか──私だ。
「ほら、もう一度ちゃんと言うんだ」
父がニヤニヤした顔で、もう一度感謝の言葉を言わせようとする。
「感謝、して……」
るわけないでしょうが!
よっぽど怒鳴ってやろうと思ったが、私は寸前で堪えた。
ああそうだわ……!
全てを思い出した。
私には前世がある。
今まで完全に忘れていたそれらがハッキリと頭の中に蘇ってくる。
同時に、この馬鹿家族からの洗脳も完全に解けた。
私は死んでから、異世界の男爵家の一人娘に転生した。
両親は私を愛してくれたが、不運な事故で二年前に亡くなってしまった。
孤児になった私を、遺産と共に養子に迎え入れたのがこのレイダーン一家だ。こいつらは最低最悪の人間たちだった。
まだ幼い私を奴隷以下として扱い、両親の残したお金だって好き勝手に使っている。
まだ五、六歳の娘に対して、こいつらは虐待を続けてきたのだ。
幼かった私は完全に洗脳され、自分が悪いのだと思い込まされた。
でも全てを思い出した今は違う。こいつらを燃やしてやりたい……!
「感謝、しています。私は、お父様とお母様、お兄様のおかげで生きていられます」
「よーし! よく言えたなっ。じゃあ今日は誕生日だしこれをあげよう」
父ライジャはパンをひとかじりして、ペッと一欠片を床に吐き出した。
汚いってレベルじゃないわよ!
でも私は微笑み、ありがたがる演技をする。
いくら頭脳が戻ったとはいえ、圧倒的に不利な状況は何一つ変わっていない。
肉体に植え付けられた恐怖は消えていない。
正直、まだ怖い。
ここで逆らえば、八歳の私は暴力でボコボコにされて最悪死んでしまう。そもそもまだ頭が痛いし……。
とにかく中身が変わったと気づかれないように演技をしておこう。
「おいアリー。なにか面白いことやれ」
クエンがいつも通りに無茶振りしてくる。
苦痛だがやらないと腹パンがくるので、私は立ち上がって彼の前に立つ。
歯を見せるように、唇を広げて笑う。いまの私は生え変わりで、上の前歯が二本ともない。
「私が噂の、歯抜け令嬢です」
「だはははっ! 最高のギャグじゃないか!」
あんたの考えたギャグでしょうが。
まあでも、こいつはある意味単純で助かる面もある。
結局今年も最悪な誕生日だった。
一番最後にリビングの掃除を終え、私は屋根裏部屋に足音を殺しながら向かう。
音を立てると起きてきて怒鳴られるから。
兎小屋のような寒い部屋で、私は紙のようなボロ布一枚を身に纏う。
今までが嘘みたいに、前世のことが思い起こせる。
私は独身で出世に身を捧げた人生を送っていた。
男にも負けじと身を粉にして働き、プライベート返上で金稼ぎに腐心していた。
幸せだったかはわからない。
いや、幸せだった。
少なくとも今の人生よりは。
「神様、どうか哀れな私をお助けください……」
両手を組んで天井を見上げる。
この世界は魔法もあるし、私も特殊な力が一つある。
神がいたって何もおかしくない。
神様お助けください。清く正しく生きます。悪いことしません。誠実に生きます。だからどうかお助けください。この家に救いに来てください。あと金持ちになりたいです。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします。お願いします──
「──いつまで寝てんのさこの歯抜け!」
何も変わらない朝がやってきた。
「今起きます」
「早くしな!」
母親マルニーは怒鳴り散らしてから出ていった。
私は素早く布を剥いで階段を下りていく。
うん、もう神頼みはやめよう。
そう決めていつもの作業に入った。
☆
日中は広場をウロついて、私とライジャは客になりそうな人がいないか探す。
基本的には浮かない顔をしている人、体調が悪い人に声をかける。
「おい、あのオヤジ暗い顔してるな。呪われてるか?」
ライジャが言うので、私は目を細めて中年男性を見る。
呪いは見えない。ただ、呪われていないとは限らない。
私には人と違う特殊能力があり、呪いの可視化、解除ができる。
けれど呪いは常に見えるわけじゃない。
大抵は呪いが強まって発作などが起き、本人が苦しんでいる時によく見える。
「わかりません」
「一応、声かけてみっか。いくぞ」
ベンチに座ってため息をついている男性に、ライジャが声をかける。
「やあ、調子はどうですか」
「……誰だよ。失せろ」
「実は我々、解呪屋をやっておりましてね。もしお知り合いに呪われた方いたら、ぜひウチに」
この世界では、結構な頻度で呪いが発生する。
軽いものから深刻なものまで、種類も幅広い。
重ければ命すら奪っていく。
ライジャはこんなやつなので、まともな仕事などできない。
そこで私を使って、解呪屋で稼いでいるのだ。
さて、男性はしばらく黙って、私たちを観察してきた。怪訝な表情で言う。
「お前が、呪いを解けんのか?」
「俺じゃないんですよ。娘が特殊な力がありましてね」
「こんな子供が? 騙そうって魂胆じゃねぇだろうな」
「解けなかったらお代はいただきません。如何でしょう?」
彼は迷っていたが、やがて静かに頷いた。
交渉成立だ。
ライジャが細かいことを事情聴取する。
彼と同行して、呪いが強まった時に私がいなくてはならない。
だから呪いの性質を知りたいのだ。
「大体、一日に三回は痛み出す」
「ではしばらく同行します。我々ならば難しい呪いも治せますのでご安心を」
治すのは私でしょう。
ライジャは男と成功した時の報酬について交渉を始めた。
そこから数時間、彼の行動に付き合う。
昼間から酒を飲んで愚痴ばかりで、正直ライジャ並みにロクでもない人だと思った。
夕方の五時ごろ。
三限目のお店を出て少しした時のことだ。
彼がトイレをすると言って路地裏に入っていく。
私たちが待機していると、悲鳴みたいな声が奥から届く。
「痛でぇええええ──! き、きてくれ、呪いが疼き出したっ」
急いで駆けつける。
彼は倒れ込んだまま、右手だけを苦しそうに上げている。
さっきまで見えなかった呪いを、ハッキリと確認できた。
手の甲から何本もの黒い紐が伸びており、それが複雑に絡み合っている。
「どうだアリー!? 見えるか?」
「見えます」
「オイッ! 治せんなら早くしてくれっ!」
男は深刻な感じで叫ぶ。
かなり軽い種類の呪いだけど、それでも本人からすると辛くて仕方がないのだ。
「右手を動かさないでください」
私は絡まっている黒い紐のようなものに触れ、それを解いていく。
何本もの紐が色んな結び方をされ絡まっているものを、解いていく感覚に近い。
呪いが見える間しか解呪できないので、なるべく急ぐ。
「……全部、解けました」
最後の絡まりを解き、最後の呪いを手から引っこ抜いた。
これで解呪成功だ。そして痛みはどうなったかを男に尋ねた。
「まだ痛…………くねぇ。おぉ、本当に痛くねえぞ!」
さっきまでの痛みは嘘のようだと彼は喜んでいる。
そんな彼の両肩をがっしりと掴み、ライジャは逃げられないようにする。
かなりの巨漢なので、男も少し怯えている。
「支払いは約束通り、支払ってもらいますぞ。よろしいな?」
「も、もちろんだ」
「アリーは通りで待っていろ」
ライジャは男を連れて、金を下ろさせにいく。
もしも男が治療代を持っていなかったら、彼を気絶させ、闇のルートで内臓を売り飛ばすだろう。
そうならないことを祈りつつ、私はライジャが金を持ってくるのを待つ。
ようやく帰ってきたライジャの顔を見れば、結果は一発でわかった。
無駄にでかい手で私の頭をわしゃわしゃとしてくる。
「クハハ! 儲かった儲かった。今日は特別に屑肉を少し食わせてやろう」
「……チッ」
屑肉はクズのあんたが食べなさいよ、と内心毒づく。
無言の空間が続き、私はハッとして見上げる。
さっきまで笑顔だったライジャが射殺すような目で私を見下ろしていた。
「今のは、なんだ?」
私は大急ぎで、唇を小さく噛みちぎる。
「嬉しすぎて、口の中を間違って、噛んでしまって……」
血の味を感じつつ、私は唇をめくって見せた。
「ハハハッ、そうかそうか。久しぶりの肉だものな!」
いや初めてだからね。あの家に入ってから肉なんて一度も食べていない。
おかげで私はいつだって骨と皮だけのガリガリ娘になっている。
しかし危なかった。
上手く誤魔化さなければサンドバックになるところだ。母のステラとは比較にならない腕力なので、手加減を少し間違われたら私は死ぬ。
この世界では日本より、ずっと命が軽い。
親が子供を殺しても、状況次第では無罪になることだってある。
犯罪を常日頃から犯していた悪童で、躾を強めにしたら死んだとでもライジャは言うつもりだろう。
さっきの舌打ちは前世の記憶が戻った弊害だ。
日本での私はかなり気が強かった。会社でも陰で『狂犬病の美奈子』と呼ばれていたほどに。
せめて病は抜いてほしかったよ(泣)
ともあれ、私が素を出したら人生は簡単に終わる。
「アリー、あのギャグやれ」
「私が噂の……歯抜け令嬢ですぅ!」
「クハハハハハ──」
おのれ……。でもいくら腹が立ろうが馬鹿にされようが、今はとにかく耐えるしかない。
それが今置かれているポジションなのだ。
☆
「クソ。今日は幸せそうなカップルばかりだな。反吐が出る。呪いにでもかかって死ねばいいのによ……」
あの解呪から一週間が過ぎた。
久しぶりにライジャと広場にやってきたのだが、今日は運悪く博愛イベントみたいなのをやっていた。
こんなところには、呪われている人はまず来ない。
「仕方ねえな。乞食ビジネスに変えるか」
うわ……それは勘弁してほしい。
ライジャは冷たい口調で告げる。
「怪我してこいアリー。俺がぶん殴ってもいいぞ」
「自分でやります!」
私はハキハキと答えて、広場の隅っこに移動する。
乞食ビジネスとは、優しい人の同情を買ってお金を恵んでもらうやり方だ。
二人で、ホームレスとその子供を演じる。
私は一目でわかる派手な怪我をして、ライジャが治療させてやりたいと泣きつく。
特に私は風呂もまともに入らせてもらってないので、髪とかも女子とは思えないくらい汚い。
かなり本物感が出る。
「ハァ……。最低の人生ね」
文句を言いつつ、私は顔面から地面にヘッドスライディングする準備をする。
覚悟を決めても、結構にはなかなかの勇気が必要だ。
いくのよ。もうやるしかない! GO!
「アリー!! すぐに戻ってこい!!」
ヘッスラの直前、ライジャの大声が届いた。
何事かと戻ると、ライジャは燕尾服を着た六十歳くらいの男性と話していた。
「まだ子供ではないですか……。この子が、解呪師なのですか?」
「その辺にいる大人の解呪師の何倍も優秀ですぞ」
不安げになる男性に、ライジャは強気に断言した。
粗野に見えて交渉や相手の懐に入るのは意外と上手い。
私は頭を下げて挨拶をする。
「アリーと申します。呪いなら任せてくださいね」
「わかりました。では伯爵家へご案内しましょう」
伯爵家!?
目を大きく開く私を見て、ライジャは下卑た笑みを浮かべた。
私たちは馬車に乗せられ、目的地へ向かう。
二人の会話を聞くに、相手は私たちの噂を耳にして、今回依頼してきたらしい。
確かに、私とライジャはあの広場で活動することも多い。しかし貴族様とは驚いた。
いや私も元は貴族だったのだけど、養子に入る際に爵位は引き継げなかった。
立派な伯爵家に到着すると、すぐに広間のようなリビングに通される。
そこで依頼主の伯爵と夫人と面会する。
「よく来てくれた。あなたが解呪師か」
「いえ、呪いを解くのは娘です。俺はあくまで解呪アドバイザーですな」
……初めて聞いた。
ライジャは知識のスペシャリストで私にアドバイスをしていると伯爵に説明する。
よくもまあ、その場で嘘がスラスラと出るものだ。使いの執事と同じく、夫妻も私で大丈夫かと不安がった。
「まずは御子息に合わせていただきたいですな。俺と娘がいれば、基本は問題ありません」
「では、着いてきてくれ」
伯爵と一緒に二階にいる息子のところへ移動する。
「ヴィクター、入るぞ」
返事はない。嘆息しながら入る伯爵の後ろから、私とライジャもお邪魔した。
部屋の窓際近くにある立派なベッドに、ヴィクターという人は横になっていた。
窓の外を眺めている。
「解呪師を連れてきたぞ」
それを聞いたヴィクターはようやくこちらに顔を向けた。
──嘘、でしょう……?
私の心臓がドクンと跳ねる。
今までの人生の中で、最も美しい少年だった。柔らかいブラウンの髪に涼しげな瞳、シミ一つない滑らかな肌に引き締まった口元。
たぶん、一目惚れした。
いや元アラフォーが十代半ばの少年に恋をするなんてありえない。
けれど今は、八歳のアリーの肉体や感覚に引っ張られているのだろう。
鼓動の高鳴りが止まらない。
たまたま差し込んだ光の演出も相まって、神の子かと見間違うほどだ。
「……もういい。父上、僕はもう諦めたんです」
「馬鹿を言うな。お前は私の後を継ぐ男だ。呪い如きで諦めるな」
「呪い如き……? では今まで、何人の解呪師がきました? 誰一人まともに解けなかったではありませんか!」
だいぶ取り乱している。確かに顔は美しいが、体はよく見ると相当に細い。
衰弱しまくっていると見ていい。
伯爵も返す言葉に迷うと、様子を見ていたライジャが図々しく一歩前に出る。
「フフ、解呪師なんてのは偽物が多いですからな。本物にあったことがなければ、そう感じるのも無理はありません」
「……貴方が本物だとでも?」
「俺は解呪アドバイザーです。本物の解呪師は娘になります」
自信満々に言って、ライジャは私の背中を軽く押した。
私は緊張で指をモジモジさせながらも自己紹介する。
「ア、アリーと申します……。呪いを解くのは、得意です」
「君が? ……呪いとかの前に、ちゃんとご飯を食べているのか?」
ごもっともな意見だ。衰弱している人にまで心配されるのだから情けないことこの上ない。
どうか、レイダーン家の悪人たちを説教してやってください。
しかしヴィクターは完全に私たちを警戒している。ライジャなんて特に胡散臭そうなので、仕方ないけれど。
「必要ない。君たちの力など借りない」
「では残り一週間といったところでしょうか」
不謹慎とも言える発言を、ライジャは堂々とした。
さすがに平民風情が貴族にこの態度はまずいと私は思う。現にヴィクターがすごい剣幕で怒鳴る。
「それは僕の命の期限の話か!?」
「そうです。嘘をつけないタチでしてな」
ライジャに呪いの詳細はわからない。
でもあながち外れているとも言えない。
そのくらいヴィクターは衰弱している。
正直、私も一ヶ月は絶対に保たないと感じる。
「御子息が受けたくないのであれば、仕方ありませんか……。アリー、今日三人目の客のところへいくぞ」
ぴく、とヴィクターが反応した。たぶん、三人目が気になったのだろう。
一日で二人はすでに救っている風に聞こえる。
ライジャは私の肩を掴み、部屋から出ようとする。
「……待ってくれ。本当に、解呪できるのか?」
「今までアリーが解けなかった呪いはありません」
これは本当だ。
強気な態度のライジャに呑まれ、ついにヴィクターの考えが変わっていく。
「わかった。君たちに賭けてみる」
「では報酬の件や、詳しい状況を聞きたいですな」
ああ、これはふっかけるやつだ。
私の勘は当たってて、ライジャは伯爵に高額な成功報酬の約束をさせた。
ただ、伯爵もすんなり受け入れたので、彼らからすれば許容範囲らしい。
やっぱり金持ちは羨ましい……。高い地位があれば、私だってこんな風にはならないのに……。
今の自分が雑魚すぎて、ちょっと涙が出そうになった。
「ふむ、発作は夜中が多いと。そうなると泊まり込みになりそうですなぁ。本来の活動時間外なので、オプション代になりますが」
「構わない。息子を救ってくれるのならばな」
「毎度あり!」
商売上手なライジャはどんどん金を稼ぐ算段とつけていく。
金遣いが荒すぎて、いつもすぐに使い果たすけれど、稼ぐのは結構巧みだ。
私は後ろで聞きながら、どうにかライジャを離す方法はないか考える。
ヴィクターを助け、そのまま伯爵家に助けを求めて保護してもらう。
伯爵の感じだと、息子の恩人になれば手厚く歓迎してくれそうな気もする。
「お父様、私一人でもやれるかもしれません。今夜はお兄様が相談があると」
昨夜、クエンが学校のことでライジャに相談したいと話していた。
学校で問題を起こしまくっているので、それ関連のことだろう。
「ああ、確かに言っていたな」
お願い、帰って……! 腕を組み、ライジャはしばらく黙った。
「……いや、俺も残る。強い呪いなら俺のアドバイスが必要となるからな」
くっ、アドバイザー設定した以上、それを押し通すつもりだ。
話がまとまると、発作が起きるまでは屋敷内で自由にしてていいことになった。
椅子から立ち上がったライジャは、私の頭をぽんと叩く。
「せっかくの機会だ。あのギャグを皆様にもお見せしなさい」
「……アレですか?」
「アレだ」
緊張感漂う場を少しでも和ませたい。
そういう意図なのだろう。
私はいつものようにニッと笑う。
「私が噂の、歯抜け令嬢ですぅ!」
豪快な笑い声が部屋の中に響く。ただ声は一種類だけだ。
ライジャだけが爆笑しており、ヴィクターや夫妻、使用人たちは無言。
それどころか、ドン引いている様子だった。
鈍感なライジャもさすがに外したことに気づいて、焦ったように弁明する。
「し、失礼。平民の間では流行っているギャグでしてな。どうしても娘がやりたいと」
ナイフのような目が私を捉えた。
「はい。どうしても私がやりたくて、不快にさせてすみませんでした」
ここで機嫌を損ねると後で殴られかねない。
私が頭を下げると、伯爵たちは優しく許してくれた。
その後、談笑を交えながら下で夕食をいただく。
ヴィクターはずっと部屋で眠っていた。
ここ数日は、まともに食事も喉を通らなくなっていたとか。
結構急がないといけない状況かもしれない。
それはそうと、食事があまりにも美味しすぎて私は生まれたことに感謝した。
いつも食べている残飯とは、こうも違うなんて……!
感動しつつも、私は伯爵と夫人の観察を怠らなかった。
ライジャのくだらない話にも頷いてくれ、平民を強く見下した様子もない。
そりゃ貴族だから、多少は差別意識はあるだろう。
でも、人として尊重している雰囲気が醸し出ている。
これは大切な縁かもしれない。そう簡単に投げてはいけないものだ。
夜の十時ごろ、私たちはヴィクターの部屋の前にいく。
「ここからは俺と娘だけで。商売上、秘密も多いものでして」
「では、何かあれば隣室にいる執事に言ってくれ」
「承知しました」
伯爵たちは自室へ。私たちも音を立てないよう室内へ。
ヴィクターはまだ寝ていた。部屋の明かりは消されており、窓から差し込む月明かりが光源となる。
近くの椅子にライジャは座り、満足そうに舐めずりした。
「いやぁ、あんな美味ぇ酒は初めてだぜ。貴族ってのはいい御身分だ。アリー、お前も昔を思い出したか?」
「昔のこと、あまり覚えてなくて」
「ヘヘッ。その方が幸せだ。お前はこの先、一生平民なんだからよ」
はいはい、いいから早く寝て。
椅子を何個か並べて、ライジャはそれをベッドがわりにして横になる。
「容態が変わったら起こせよ」
「任せてください」
酒は強いライジャだが、浴びるように飲んだせいもあるのか、すぐにイビキをかき始めた。
私はベッドの横に置いた椅子に座って、ヴィクターを眺める。
とんでもない美形だなぁ。この人と結婚して、伯爵家の一員となり、レイダーン一家を倒す妄想に浸る。
妄想が絶頂期に達するかというところで、ベッドから声がする。
「君はいつも、あんなことをやらされているのか?」
驚きすぎて、私は椅子から転げ落ちそうになった。
慌てるこちらを眺め、ヴィクターは悲しそうな目をする。
「あのギャグのことだよ。君はやれと言われた時、一瞬嫌そうにした。自分の意思じゃないのだろう?」
まだ若いのに、洞察眼に優れた人だ。
私は感動しつつも、すぐには返事をしない。無論、気持ち的には肯定したい。
けれど万が一、ライジャが実は起きていたらまずいことになる。
多少強引にでも話題を変えよう。
「それよりヴィクター様、呪いはいつ頃からですか?」
「あぁ、半年くらい前かな」
「何か人から恨みを買うとか、悪い場所に行ったとか、ありますか?」
「……いや、覚えはないな」
呪いは本当に、どこで貰うかわかったものじゃない。
ただ、生い立ちなどは一応探っておく。
解決のヒントになるかもしれない。
「僕は今でこそ、こんな状態だけれど、ルワード学院で剣士学を学んでいてね」
クエンが通っている学院だ。年齢も十六歳で同じだった。学部は違うとはいえ、あんなのが同級生なのは少し可哀想な気もした。
彼は将来、いざという時は戦える伯爵になりたいのだと話してきた。
「君は、夢はないのかい?」
興味深そうにヴィクターが尋ねてくる。
私はまず、ライジャの方を素早く一瞥した。
相変わらずイビキをかいている。
「私は……一週間に一回、体を洗ってみたいですね〜」
一週間に一回というのがミソだ。
平民でも二、三日に一回くらいは体を洗うのは常識となっている。
水が豊富な地域で、川も基本的に汚染されていない。
だから子供でも、毎日水浴びしている子は珍しくないのだ。
その上で、一週間に一度を夢見る子。
これはもう、暗に酷い境遇に置かれていると暗に伝えることになる。
ヴィクターは豪快に寝ているライジャに刺すような視線を送った。
顔をこちらに向けると、柔らかい微笑をする。
「うちでよければ、体くらいいつだって洗っていいよ」
「あ、ありがとうございますっ」
「うん。もしお腹が減ったときも────ウウッ!?」
それは唐突だった。
ヴィクターは胸元を掴むように抑え、激しく顔を歪ませた。
ついにきた。
彼は苦しみ悶え、ベッドの上で体を右に左に転がした。
月明かりが照らす呪いの全貌に、私は息を呑む。
かなり強力なものだった。
幾重にも絡まった呪いの糸たちは、まず頑強そうにだった。
この間のおじさんとは比較にならないほど太く、禍々しい。
太さはバラバラで最も太くて赤黒く鈍い光を放っているものがある。
あれ呪いの糸が、最も深いダメージを彼に与えている。
さらにそれらは部屋の外から、彼のところまで伸びていた。つまり原因となる元凶があり、そこから呪いの念が届いているということ。
ともかく、まずは赤黒糸を解かなくては!
「ヴィクター様、落ち着いてください。今、呪いを確認します!」
糸に触れた瞬間、非常に頑強だとわかる。
硬縄で止め結びされているみたいな感触で、簡単に解くことはできない。
これは呪いの大元を辿った方が早い。
「待っていてください。絶対に助けますからね」
彼を励まし、私は部屋を出る。
呪いの糸を辿っていき、どこに繋がっているのかを探す。
最悪の場合、何キロも先であることも多い。
だが今回のケースは、そうではなかった。
呪いの元凶は、意外なことに食堂にあったのだ。
私たちが先ほど食事をいただいた場所。
壁に飾られた立派な剣から、禍々しい糸が何本も伸びていた。
さすがに伯爵家の物に勝手に触れるわけにはいかず、私は執事を起こしにいく。
事情を説明すると、すぐに伯爵を起こしてくれた。
一緒に食堂にいき、この剣から呪いが出ていると告げる。
「そんなまさかっ……!?」
伯爵はすごくショックを受けていた。
「これは……亡くなった父が戦場に参加した時、使っていた剣なのだ。それ以来、我が家の家宝として飾ってきた」
その戦場で、彼は大きな戦果をあげて王様にも褒賞を頂いたという。
それはつまり、戦場で沢山の人を斬ったということでもある。
血塗られた剣に染み付いた怨念が時と共に熟成されていき、呪いを発するまでに成長した。
そして深く昏い闇が、ヴィクターを対象として捉えた。
「この剣を壊せば、ヴィクターは助かるのか?」
「いえ、この状態で壊すのは危険なんです」
糸がガチガチに絡みついた状態で大元を壊すと、力が暴発してヴィクターに向かう可能性がある。
もしそうなれば、彼は確実に死ぬ。
そんなギャンブルはしたくない。
「私に貸してもらせませんか」
「好きに使ってくれ!」
伯爵はすぐに剣を渡す。家宝であろうが、息子のためなら簡単に差し出す。
私もこんな父親と暮らしたかったわ……。
願望はさておき、私は呪いを確認する。
太くて赤黒い糸と、数本の黒糸で構成されている。
今回は赤黒糸だけにターゲットを絞る。
これを刃に強く巻くようにして、切断を試みる。剣であることを逆に利用するのだ。
ノコギリを使うような要領で、縄を左右に動かして切断した。
これでヴィクターへの供給が一時的に途絶えたはず。私は急いで寝室に戻る。
「ハァハァハァ……」
呼吸が荒い彼に近寄って、胸元の赤黒糸に触れる。
よし、細くて柔らかくなっている。
私は指を動かして、絡まった糸を解いていく。
「抜けた……!!」
一番厄介なものを取り外すことに成功。
これが彼の生命力を最も奪っていた。
実際、ヴィクターもだいぶ呼吸が楽そうになる。
あとは残りの黒い糸たちね。全部で五本ある。これらを全部抜くかどうかの判断は難しい。
呪いは生き物だ。
このタイプの呪いの場合、一気に解呪されると黒糸たちが暴れることがある。
そうなると今の衰弱したヴィクターでは、耐えられないかもしれない。
今日はあと、黒糸一本だけにしておこうか?
そうしたい理由は、実はもう一つある。
私は、一番細い黒糸を解いて抜く。
この糸は本体側で切断していない。
そのため、まだ生きている。
うねうねと動くそれを掴んだまま、私は寝ているライジャに忍び寄る。
この二年間、私は一つだけ秘密を抱えていた。殴られても洗脳されても、伝えなかったことがある。
私は本当は──解呪師ではない。
もう一つ上。
強いて言うならば、操呪師だ。
「ぐがぁ、ぐごぉー」
膨らんだ腹に手を当て、ライジャはまだ豪快なイビキを掻いたままだ。
あと五歩……四歩。
起こさないように忍び足で少しずつ距離を詰めていく。
残り三歩……二歩──
「あ? 何してやがる?」
低い声を発して、ライジャが私を睨みつけた。
つい反射的に、私は呪いの糸を横に捨てる。
どうせライジャには見えないのだけど、体が勝手に反応してしまう。
「お、お父様、呪いが一つ解けました」
「成功したのか!?」
ライジャは飛び起きて、ヴィクターの元に駆け寄った。
「調子はどうなんです?」
「……すごく、良い。胸の苦しさがだいぶ楽になったよ」
「──ヴィクター! 大丈夫か?」
ここで伯爵夫妻が部屋の中に入ってくる。
「父上、母上、信じられないくらい体が楽です」
「おぉっ……!」
伯爵は一度ヴィクターを抱きしめてから、私のところにきて手を握る。
「感謝するぞ、小さな解呪師よ」
「はい。でもまだ呪いは残っています。お身体のため、後日一本ずつ解いていきます」
そう告げてから、私は伯爵と一緒に食堂に戻る。
行き場を失っている黒糸を一本、切断して今日の処置は終わりだ。
「この剣は箱に入れて、その上から聖水をかけてください。呪いは消せませんが、伝達力は弱まります」
伯爵はすぐに言われた通りにしてくれた。
これでヴィクターが呪いによって死ぬことはないだろう。
☆
一晩があけ、朝食の席にはヴィクターも座っていた。
スープを飲み、舌鼓を打つ。その様子を両親が幸せそうに見守っている。邪魔したくはないのだが、私は一応伝えておく。
「呪いで体力を消費しているので、消化の良いものを少しずつ食べるのが良いです。大変ですけど、食欲のコントロールをお願いします」
絶食からのドカ食いは最悪死んでしまうことがある。
呪いから生還して、食事で死ぬなんてオチは絶対に避けたいもんね。
「君はまだ子供なのに、色んなことを知っているんだな。素敵な子だ」
感心したように言って、熱い眼差しをこちらに向けてくる。
あれ……?
これもしかして……始まっちゃうのでは?
平民と伯爵令息の身分差を超えたラブストーリーが──
「ヴィクターどこにいるの!?」
食堂の扉が開き、お姫様みたいな若い女性が入ってくる。
「ナタリー、僕はここだよッ」
呼応するように立ち上がってヴィクターは走り出す。
そして二人は情熱的に抱きしめ合った。
「本当に、呪いは平気なの?」
「まだ治ったわけじゃないけど、だいぶ良くなったんだ。今日は学院にもいくよ」
「まあ嬉しい……!」
長らく見つめあって、二人だけの世界に入り込んでいる。
ぽかーんと開けた私の口からパンがこぼれ落ちた。
「まさか、あの嫡男と結ばれるとでも思ってたのかよ? ガキが夢見てんじゃねぇぞ、ククッ」
黙れライジャ……。私の真の夢はあんたを倒すことよ。
とはいえ、恋破れたショックを受けたのは否定できない。
やっぱりそう上手くはいかないよね……。
また後日、解呪しにくると約束して屋敷を出る。
ヴィクターたちは見送りに来てくれた。
「ライジャさん、よかったらアリーを一晩、うちに泊まらせてもいいですか? お礼をしたいんです」
ヴィクターがありがたい申し出をする。
残念ながら、ライジャは即答で断る。
「遠慮します。うちも忙しいので」
「わかりました。ではまた、解呪をお願いします」
「ええ。その代わり、報酬はよろしく頼みますぞ」
一度頭を下げて、私は屋敷を後にする。
帰り道、ライジャはずっとご機嫌だった。
今回の報酬だけでも、しばらくは遊んで暮らせる。
加えて、あと数回は確定で報酬が入ってくるからだ。
「いや、いいカモ見つけたぜ。おいアリー、なるべく治療を分けるぞ。あと次も難しそうな顔をして解呪しろよ」
「はい」
あと数回、彼の家を訪れられる。
それは明確なチャンスとなる。
最後の申し出、あれはヴィクターからのメッセージに思えた。
どこの世界でも人脈は大切だ。
これを大切にしていくことで、この地獄を抜け出すための糸口となる。
「ふふっ」
「何がおかしい?」
「いえ、お金をいっぱい稼げそうでよかったなって」
「そうだなぁ。ロイズ伯爵家、美味しいよなぁ」
今のうちに笑っておけばいい。
ライジャはロイズ伯爵家が諸刃の剣だということに、まだ気づいていない。
目先のお金に目が眩み、大切なものを見逃している。
何もない私は、まずは武器を集めていく。
やがて、それを使ってレイダーン一家を叩き切ってやりたいと思います!
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