何も言わない理由 午後7時13分 ~告白
居酒屋の引き戸を開けた瞬間、賑やかな声がぶつかってきた。
金曜の夜。店内は既に満席に近い。誠は軽く店内を見回し、奥のテーブルに目を止めた。
いた。
すでにジョッキを半分ほど空けている美咲が、こちらに気づいて手を振る。
「遅い」
「まだ十分早いだろ」
向かいに腰を下ろすと、彼女は笑いながら枝豆をつまんだ。
「もう一杯いっとく?」
「俺はまだ一杯目」
そう言いながらメニューに手を伸ばした時だった。
視線の端で、見覚えのある背中が動いた。
誠は思わず目を細める。
・・・あいつか。
少し離れたテーブル。男女混じったグループの中心で、やけに楽しそうに笑っている男。
大樹だった。
女の子たちに囲まれて、肩を叩かれたり、腕を引かれたり。あの独特の距離の近さで、軽く肩を寄せたり、笑いながら耳元で何か囁いたりしている。・・・相変わらずだな。
その時。
「あ」
大樹の視線がこちらに止まった。
一瞬だけ驚いた顔をしてから、すぐに笑う。グラスを軽く持ち上げる仕草。
誠も小さく手を上げて返した。
それを見て、美咲が首をかしげる。
「何? 知り合い?」
「同僚」
「ふーん」
ちらり、と彼女は大樹のテーブルを見る。
「そうなんだ。いつもあんな人?」
少し心配そうな顔。
誠はグラスを口に運びながら眉を上げた。
「何。俺が来る前に何かあった?」
「何かっていうか・・・」
美咲は小声になって言う。
「すごい」
「何が」
「あれは勘違いする子が続出しそう」
誠もつられて視線を向けた。
ちょうどその瞬間、大樹が隣の女の子に何か言われて、軽く肩を引き寄せる。女の子が笑いながら腕を叩く。別の子が「ずるい」と腕に絡む。大樹は困ったように笑いながらも、わりと自然に受け止めている。
・・・まあ。
あいつはそういう男だ。
誠は小さく息を吐く。
「・・・オマエも」
「何?」
美咲がにやりと笑った。
「言いたい事あるなら、はっきり言ったら?」
誠は少し黙ってから言った。
「ああいうの、されたい?」
一瞬。美咲が、ぽかんとした顔で誠を見る。
「・・・は?」
「だから」
誠は視線を逸らしながら言う。
「手繋いだり、くっついたり」
「・・・」
「そういうの」
沈黙。
それから・・・。
「さあね?」
からかうような笑み。彼女が身を乗り出して、誠の顔を覗き込む。
「気になるの?」
距離が近い。
誠はふと気づく。・・・ちょっと酔ってるな、こいつ。
次の瞬間。
ぽん。美咲の手が誠の頭に乗った。
「よしよし」
「・・・は?」
撫でられる。
普通に撫でられる。
「たまにはしてくれる?」
誠の背中に冷たい汗が流れる。なんだこの流れ。
美咲はにやりと笑う。
「手ぇ繋いで」
「・・・時々するじゃん」
「恋人繋ぎにして~」
「・・・」
「それから、歩く時とか、くっついてたり」
「・・・歩きにくい」
「ご飯食べてる時、片手繋いでたりとか・・・」
誠はしばらく黙っていたが。
ふっと息を吐き、そっとテーブルの上で、彼女の手を取った。
ぎゅ。
指を絡める。
恋人繋ぎ。
美咲が一瞬、驚いた顔をする。
そして・・・
「・・・あ」
自分の右手を見る。
誠を見る。
また手を見る。
「・・・ゴハン食べれない」
誠は心の中で静かに思った。形勢逆転。箸を持つ。ポテトサラダをすくう。
そして。
「あーん」
美咲の口元へ。
一瞬で。
彼女の顔が真っ赤になった。
「ちょっ、ちょっっ・・・無理っ」
顔を真っ赤にして、美咲が身を引いた。
誠はポテトサラダを箸で持ったまま、少し肩をすくめる。
「じゃあ手ぇ離す?」
「それは・・・」
美咲は一瞬迷ってから、小さく言った。
「・・・やだ」
誠は思わず吹き出しかける。そのまま、結局ポテトサラダは自分の口へ。
「ずるい」
「どこが」
「誠、絶対楽しんでる」
「別に」
そう言いながら、誠はグラスを口に運ぶ。
その時だった。
美咲がふと、また視線を横に流した。
大樹のテーブル。ちょうど今、女の子が笑いながら大樹の肩にもたれている。大樹は困ったように笑いながらも、軽く頭を撫でている。
「・・・ねえ」
美咲が小さく言った。
「なに」
「さっきの人」
誠はグラスを置く。
「同僚なんでしょ」
「ああ」
美咲はまた大樹のテーブルを見た。笑い声。男の子も近いが、女の子との近すぎる距離。
「モテそう」
「まあな」
「彼女いないの?」
誠は枝豆を一つつまむ。
「さあ」
「さあって」
誠は肩をすくめた。
美咲はしばらく黙って、大樹の方を見る。
「・・・あれ」
「ん?」
「彼女いたら怒られそう」
誠はグラスを口に運ぶ。
「怒るタイプじゃないかもな」
「え?」
誠は答えない。
その沈黙を、美咲が横目で見る。
「・・・誠」
「なに」
「なんか知ってるでしょ」
誠は笑う。
「仕事の話」
「絶対うそ」
「うそじゃない」
美咲はまだ疑う顔をしていたが、やがて肩をすくめた。
その向こうで、大樹の笑い声がまた上がる。
誠はグラスを傾けながら、ちらりとだけそちらを見た。
そして。
何も言わなかった。
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