8話 イリナ、辞職を告げる
ラナァとイリナが大聖女の部屋に入ると、大きなソファに足を組んで座っている女性がいた。
その女性はキセルをふかしながら、気怠そうな表情をしている。
髪は赤毛のロングで、イリナと同じような聖女の服を着ていて、胸が大きい。
顔は美人だけど、少し怖い印象。
裏社会にいそうな感じ。
「クラウディア様、またキセルですか……」
イリナは表情を歪めつつ言った。
部屋の中にキセルの煙が充満している。
「ディア様の唯一の楽しみなんだ、放っておいておくれよ」
大聖女クラウディアはゆっくりと首を左右に振りながら言った。
「あと、一人称ディア様も止めましょうと言いましたよね?」
「なぜ? ディア様はずっとディア様だ」
「クラウディア様はもう36歳で、その上大聖女なのですから、その一人称は不適切だと思います」
「あーあ、これだからディア様はあんたが嫌いなんだ」ディアが面倒臭そうに言う。「真面目、真面目、真面目、真面目一辺倒の『ザ・聖女様』。あと年齢は関係なくね?」
「とにかく、キセルを吸う時は窓ぐらい開けましょうね?」
言いながら、イリナは部屋の窓をバーンと開いた。
(ラナァ、煙くなかったですか? 大丈夫ですか?)
(ラナァは平気だよ)
「それで? あんたは聖域の調査に向かったんだろう?」とディア。
「あたくしは聖域の中に入ることができました」
イリナが言うと、ディアは目を丸くして驚いた。
それから、イリナと一緒に入室した騎士隊長に視線を送る。
「事実であります。自分も確認しております」
隊長は姿勢を正して言った。
「そんな大事なこと、『念環』で知らせろよ……」
ディアが右腕を持ち上げる。
その手首には、腕輪型の魔法道具『念環』を装備している。
これは単純に、魔力さえ有していれば誰でも【念話】が可能になる魔法道具だ。
見た目は銀色の腕輪で、特別感はない。
「会って話したいことがありましたので、急ぎ戻った次第です」
イリナが肩を竦めながら言った。
ちなみに、念環は誰でも持っているわけではない。
聖域の調査に向かった者たちの中で、念環を装備しているのはイリナと隊長だけ。
「ん? 何か面倒なことでもあったのか?」ディアが顔をしかめる。「聖域の中に神が降臨したとか……」
「その通りです!」とイリナ
「そうなの!?」
ディアが驚いて立ち上がった。
「あ、いえ、すみません、違います」
イリナにとって、ラナァとの出会いは神との邂逅に等しかったので、つい肯定してしまったのだ。
「……ディア様をからかってるのかい?」
ムスッとした様子でディアが言った。
「いえいえ、単に間違えただけです」
「何をどう間違ったのか詳しく言えるかい!?」
ディアは少しも納得していない様子だった。
「聖女だって間違うのです。話を進めますね」イリナは有無を言わせない雰囲気で続ける。
「聖域には何もありませんでした。ただ、魔力が満ちていて、そこにいるだけで体調が良くなる、などの恩恵はありましたが」
「普通の聖域か……範囲が広いだけで」
呟きながら、ディアがソファに腰を下ろす。
それからまたキセルを吸った。
「もちろん、あたくしは全体を調査したわけではありません。全域を調査するなら、かなりの日数と人数が必要でしょう」
「まぁそうだろうね。とりあえず、誰も入れないとされていた聖域に、あんたは入れたわけだ?」
ディアの質問に、イリナがコクンと頷く。
「それはなぜだい?」
ディアが言うと、イリナが首を傾げる。
(なぜですか?)
(ラナァ分かんなーい)
そもそも、ラナァが自らの意思であの森を聖域にしたわけではない。
気付いたら聖域になっていたのだ。
「他の聖女も入れるか、調べた方がいいねぇ」とディア。
「そうですね。それはそうと、本題なのですが」
「今のが本題じゃないのかい!?」
ディアはまたまた驚いて言った。
「あたくし、今日で聖女を辞めますので、あとのことをお願いします」
「ああ、そうかい、辞めちまうのかい……って! 辞めれるわけなくね!?」
ディアは勢いよく立ち上がった。
「辞めますよ? あたくし、もう聖女とかどうでもいいのです」
イリナはとってもいい笑顔で言った。
事実として、イリナは聖女という役割への興味を失っていた。
大切なのは迷える信徒でもアンデッド退治でもなく、ラナァと幸せに森で暮らすことなのだから。
「いやいやいやいや、真面目一辺倒のあんたが、どうでもいい? マジで?」
「マジです」
イリナは力強く言った。
今のイリナにとって、ラナァとの生活だけが人生の全てなのだ。
「あー、えっと、その、なんだ、ディア様だけで決められることじゃ……ないんだよね、聖女の進退ってのは……」
「そうですね。では早速、上に相談してください」
「あー、あぁ、分かった……だからその、まだ出て行くなよ? 正式に決まるまで、あんたは神殿の聖女で、ディア様の部下だからな?」
「分かりました。急いでくださいね? でないとあたくし、逃げちゃいますよ?」
イリナはバチコンとウインクをかました。
その動作に、ディアはビクッとなった。
「今日中に枢機卿に話すから、今日はもう休め」
「分かりました。では失礼します」
イリナはそそくさと部屋を後にした。
しかし騎士隊長は動かない。
「なんだい? あんた、イリナの護衛だろう?」
ディアが目を細める。
「実は報告したいことが……」
◇
ラナァは世界図書館の椅子に座って、『神殿について』という本を読んでいた。
ラナァは葉っぱを器用に使って、本を捲る。
「へぇ。神殿って昔からあるんだぁ」
神殿の歴史は古い。
ラナァよりもずっと年上なのだ。
ペラペラと本を捲るラナァ。
神殿の正式名称は『神殿』である。
そのまんまだ。
大陸に唯一の大神殿と、各国の首都に中神殿があって、各領地に小神殿がある。
今、ラナァとイリナがいるのは中神殿だ。
「一番偉い人が教皇で、大神殿の主」ラナァがブツブツと言う。「次に偉いのが6人の枢機卿で、人事権を持っていると。ほうほう」
この人たちがイリナの進退を決めるんだなぁ、とラナァは思った。
「んっと、中神殿の主は大司祭がほとんどだけど、大聖女の場合もあると」
ラナァはディアの顔を思い浮かべた。
いつか挨拶できるといいな、と思った。
「小神殿の主が司祭で、特別な場合は聖女が主になることもある……けど、聖女は外で活動していることが多いっと」
無料で人々のケガや病気を治して回ったりしている。
「司祭の下が助祭で、その下が修道者。あとは信徒がたくさんいると。ふぅん」
ラナァはコクコクと頷いた。
「ラナァはもう神殿マスターだね!」
上から声が聞こえたので、ラナァが上を向く。
そうすると、逆さまの天使がスゥーッとラナァの前まで降りてきた。
天使の見た目は14歳ぐらいの少女で、ゆったりとした白いローブを着ている。
髪の色は水色で、ロングストレート。
「あーちゃん、久しぶり」
ラナァが葉っぱを上げると、あーちゃんと呼ばれた天使がラナァの葉っぱにハイタッチ。
それから、あーちゃんはクルッと正位置に戻って机の上に立った。
「久しぶり。ラナァに会えてあーちゃん嬉しい」
ニコッと笑ってから、あーちゃんが床にピョンと飛び降りた。
「ラナァもあーちゃんに会えて嬉しい!」
ラナァもピョンと床に降りる。
そして葉っぱを二枚持ち上げる。
あーちゃんが両手でラナァの葉っぱとハイタッチ。
「ラナァ、どうして神殿を調べてるの?」あーちゃんが言う。「もし嫌なことされたなら、あーちゃんが滅ぼすよ! なんなら世界ごと滅ぼすけど!?」
「何もされてないよ! 今、ラナァの分体が神殿にいるからちょっと調べてただけ!」
「そう? ならいいけど」あーちゃんが肩を竦める。「ところで、世界はどう? 何か直して欲しいところはある?」
「んーん」ラナァは首を左右に振る。「とっても素敵な世界で、ラナァはいつも幸せだよ。あーちゃん、世界を創造してくれてありがとう」




