19話 イリナ、猫の真似をする
(可愛いラナァ)
(アリゲーターパンチ)
イリナとラナァは頭の中でしりとりをしていた。
(ち……ち……ちん……いえ、ちょっと考えます)
うーんとうなるムッツリスケベのイリナ。
と、マリアの世話係の女性が事務員に寄ってきて何かを耳打ち。
事務員が頷き、イリナの方へ移動。
イリナはそろそろ会えるのかな、と思って立ち上がる。
「応接室に案内します」と事務員。
「お願いします」
イリナがそう言うと、事務員が歩き始めたのでイリナも続く。
(イリナまだぁ~?)
(えっと、あ、チーズ!)
(ズッキズッキのズッキーニ♪)
(肉!)
(草木が揺れるよラナァと一緒に♪ の草木!)
(き……き……)
イリナが悩んでいる間に、応接室に到着。
事務員が応接室をノックし、中から「お入りなさい」と冷たい声が聞こえる。
(きんた……いえ、なしで。えっと……)
事務員が扉を開き、イリナに入るようジェスチャ。
イリナは小さく頷いてから入室。
事務員が扉を閉める。
ソファに座ったマリアがイリナをジッと見詰める。
「キツネ」とイリナ。
マリアはビックリしたように目を丸くした。
いきなり何の脈絡もなくキツネと言われたら、多くの人はマリアのような反応をする。
「す、すみません。ちょっと緊張してしまって……」
「はぁ……」マリアが首を傾げる。「あなたは緊張すると『キツネ』と口走るのですか? 変わっていますね」
「ええ、はい……」
「お座りなさい」
マリアが自分の対面のソファを視線で示す。
「では失礼して……」
イリナはマリアの対面に腰を下ろした。
2人の間にはテーブルがある。
(猫ねこニャンニャン♪ 猫にゃんにゃん♪ の猫)
あへぇ、可愛い~、とイリナの表情が緩む。
それを見てマリアが訝しむ。
イリナは小さく咳払いして表情を引き締める。
「お久しぶりですマリア様」
「ええ。あなたが聖女になった時以来ですね」
聖女候補の教育中にマリアの授業も何度かあったし、修了の日にはマリアの演説も聴いた。
そのことを思い出して、イリナは少し懐かしい気持ちになった。
(次は「こ」だよー?)
(あ、ラナァちょっと1回終わりましょう。あたくし、マリア様とお話するので)
(そっかー、じゃあ本体と続きやるね)
分体ラナァは本体ラナァとしりとりを始めた。
「早速なのですが、本題に入りたいと思います」イリナが言う。「あたくしは聖女を辞めたいと考えています」
「却下です」
「はやーい! 超はやーい!」イリナが突っ込む。「もう少し考えてください!」
「イリナさん」マリアがとっても冷たい声で言う。「聖女らしからぬ言葉使いです」
「あ、すみません……」
マリアに睨まれ、イリナがキュッと身を縮めた。
聖女候補の時から、マリアは怖くて苦手だった。
まぁ、前世の記憶を思い出した今は以前ほどの恐怖はない。
ないけれど、苦手が克服されたわけではない。
だってこの人、魔王を前にしても態度を変えなさそうだもの、とイリナは思った。
(猫ちゃんの前なら態度を変えるよー)とラナァ。
(あ、猫には優しいという話でしたね、マリア様は)
(猫の真似してみたら?)
ラナァがそう言ったので、イリナは両手を持ち上げて自分の頭に当てる。
そして猫の耳に見立ててぴょこぴょこと指を動かす。
「にゃんにゃん♪」
そう言った瞬間に、空気が凍ったのをイリナは感じた。
「イリナさん。わたくしをバカにしていますか?」
「い、いいえ! 違います! 猫が好きと聞いていたので!」
「……あなたは人間でしょう……」
マリアは酷く呆れた様子で言った。
「はい、そうでした……」
イリナが俯きながら言って、マリアは長く深い溜息を吐く。
(あんまり似てなかったね)とラナァ。
「あなたはとっても優秀な候補生でした」マリアが言う。「まさに理想の聖女。わたくしもあなたには目をかけていました」
「そ、それはどうも……」
「聖女になってからも、あなたの噂は聞こえてきました。『聖女の中の聖女である』と」
「よく言われます……」
「あなたは最年少で大聖女を目指せるし、最年少枢機卿、そして教皇にさえなれる器なのです」
「あ、はい……」
別になりたいと思っていないけれど、とイリナは思った。
前世を思い出す前から、権力や地位にあまり興味がなかった。
「だというのに!」
バン、とマリアが両手でテーブルを叩いた。
イリナはビクッとなった。
「なんですかその態度は! 枢機卿命令です! 3日間懺悔室に入りなさい!」
「えええええ!?」
イリナは過去、懺悔室に入ったことは一度しかない。
それも聖女候補の時に体験として1日入っただけである。
祈る以外にやることがないので、イリナ的にはちょっと楽だったのを覚えている。
今はラナァもいるし、3日ぐらい余裕だ。
「しっかり聖なる神アレクシア様に祈りを捧げなさい」
「それはいいのですけど」
「いいのですか!?」
マリアがビックリして目を丸くした。
「そのあとは聖女辞めますね?」
「却下したはずですが!?」
「却下を却下しますっ!」
「あなたにそんな権限はありませんが!? キリッとした顔で言っても無駄ですが!?」
「でもあたくし、本当に辞めたいんです」
イリナが真剣に言うと、マリアが姿勢を正す。
「理由を話しなさい」
「一緒に暮らしたい相手がいます」
「なるほど。恋人ですか。若い頃にはありがちですが……」
「いえ、娘です」
「むすめぇぇぇぇ!?」
マリアが勢いよく立ち上がった。
そしてコホン、と咳払いして座り直す。
「この身体で産んだわけでは、ありませんが……」
言いながら、イリナは胸元のラナァを撫でた。
「……その大きな花は娘からの贈り物ですか?」
「え? いえいえ、これが娘……あ、違う、えっと、そうですそう。娘からのプレゼントですはい」
慌てるイリナに、マリアがまた訝しげな表情を浮かべた。
「とにかく、あたくしには義理の娘がいて、森の中でスローライフを送りたいのです」
「なるほど」マリアが頷く。「しかし娘のためにも、神殿で一緒に暮らした方がいいのでは? 神殿なら飢えることもなく、教育だって受けられる。わざわざ森で暮らす意味が?」
「娘は自然が好きなのです」
ってゆーか、本体ラナァは森から動けなーい、とイリナは思った。
「あなたの神殿にも庭園はあるでしょうに」
「ありますが、違うんです。大自然がいいんです!」
イリナが強い口調で言って、マリアがしばらく考え込む。
「……わたくしが何を言っても、決意は変わらないようですね」
「はい。最悪、逃亡します」
「……それは止めなさい。捜索隊を組むことになるので、本当に止めなさい」
「あたくしも、できればちゃんと辞めたいのです」
逃げると両親も心配するし、とイリナは思った。
イリナの父親はとある国の騎士だ。
ちなみに母は平民。
「……分かりました」
マリアが溜息交じりに言った。
「では!」
「ええ。辞めてもいいですが、まずは3日間、懺悔室に入りなさい」
「喜んで!」
「そんなキラキラした瞳で懺悔室に入る子は初めてですが!?」
「バラ色の森林が待っていますから!」
「お待ちなさい。懺悔室を出たら、1つだけ仕事をしてもらいます」
「ええ……?」
イリナのテンションがだだ下がった。
「最後の奉公です。いいですね?」
「いいですが、何をするんです?」
「難しいことではありません。とあるアンデッドの討伐隊に参加しなさい」
「そんなことですか。いいですよ」
アンデッド退治は神殿の仕事である。
通常の魔物は国が対処することが多いのだが、アンデッドに関しては基本的に神殿が担当している。
聖女の魔法属性がアンデッドに有効だからだ。
ちなみに、聖騎士たちはただ『聖』と付いているだけで、普通の騎士なので特に有効ではない。
国所属の騎士との差別化として、神殿所属の騎士を聖騎士と称しているだけのこと。
「……油断しているようですが、相手はリッチかそれよりも上位のアンデッドです。気を引き締めなさい」
「はぁい」
ラナァがいれば余裕、とイリナは思った。




