18話 ラナァ、一瞬で変わる
朝、イリナは早速『転移門』へと足を運んだ。
神殿の敷地内にあるそれは、見たまんま門の形をしている。
大きさは馬車が通れるぐらいで、石造りの無骨な門だ。
しかし魔力を流すと、決まった場所に転移可能な優れた魔法道具なのである。
ただし必要な魔力量が多いので、普通は複数人で起動させる。
が、イリナは1人でも問題なく転移門を起動可能だ。
イリナは転移門に魔力を流す。
そうすると、門の中の景色が波打ち始め、しばらくすると別の場所を映し出す。
「ふぅ……」
問題なく起動できるが、魔力がスッカラカンになるので、かなり疲労を感じる。
それでもイリナは胸を張って、転移門を潜った。
そうすると、そこはもう大神殿の庭だ。
大神殿は大陸最大にして最強の帝国、その帝都に位置している。
大神殿にはまだ静けさが漂っていた。
信徒たちを受け入れるのはもう少しあとの時間なので、今はまだ関係者しか活動していない。
「聖女候補だった時以来ですかねぇ」
大神殿を見回しながら、イリナが呟いた。
聖女候補の教育は大神殿で行われる。
イリナは胸元のラナァを軽く撫でてから、歩き始めた。
目的地は枢機卿たちが生活している区画だ。
大神殿の庭は美しい庭園になっているので、見応えがある。
イリナは庭園を楽しみながら進んだ。
そうすると、花の手入れをしている男性が寄ってきた。
「聖女さん、こんな朝っぱらかどうしたんだい?」
男性の年齢は20代の半ばに見えた。
「庭師の方ですか?」
イリナが質問すると、男性は目を丸くしてから自分の服装をみて笑った。
「そうだよね、聖職者には見えないよね」
「すみません、司祭の方でしたか」
年齢的には助祭っぽいが、上の階級で言っておけば問題ないはずだ、とイリナは思った。
「司祭?」男性が少しビックリした表情で言う。「そうか、司祭か……ふふ、そういうことにしておこう」
(どうやら助祭だったようですね。でも気分は良さそうなので問題ないです)
イリナは聖女スマイルを浮かべた。
「それで君はどこの聖女かな?」男性が言う。「大神殿の所属じゃないよね?」
「ええ。あたくしはヴェルテール王国、王都の中神殿に所属しています」
「ヴェルテール……」男性が少し考えるような仕草をする。「というと、ディア様のところかな?」
「そうです。ディア様が神殿主です」
よく知っているなぁ、とイリナは思った。
ぶっちゃけ、イリナは他の神殿に所属している人のことはあまり分からない。
もちろん、関わったことのある人物は覚えているけれど。
「そっか。でもヴェルテールの聖女がなぜここに?」
「この先には枢機卿たちの区画しかないのに、と怪しんでいるわけですね?」
イリナが言うと、男性が慌てたように両手を振った。
「怪しんでいるわけじゃないよ。君が聖女なのは分かるし、単純にどうしたのかと思っただけだよ」
「実はマリア様に用がありまして……」
イリナは事情を掻い摘まんで説明した。
「なるほど、聖女を辞めたいわけか。珍しいね」
「でしょうね」
「まぁ、そういうことなら僕は力になれないな」男性が肩を竦めた。「ところで、胸の花がすごく気になるんだけど……」
「聖域のお花です。可愛いでしょう?」
「ああ。とってもね。よかったら僕に譲って……」
男性の言葉の途中で、イリナはラナァを庇いながらサッと飛び退いた。
その過剰なまでの反応に、男性は目を丸くする。
「いや、別に取ったりしないよ?」
「本当ですか?」
男性が頷く。
イリナがホッと息を吐く。
「さぁもう行って。この時間ならマリア様は朝食を摂っている頃だろうけど」
「分かりました。それでは」
イリナは男性の隣を通り抜けた。
◇
「ふむ。聖域の花か……」
男性はイリナの後ろ姿を見詰めていた。
「不思議と見られている感覚があったし……それに……魔力を帯びていた」
男性はしばらくその場で思案していた。
「ヴェルテールの聖域か……僕もあの花、欲しいけど……うーん」
忙しいし行くのは無理かなぁ、と男性は思った。
◇
枢機卿たちの居住区画に入ったイリナは、事務員に挨拶をしてマリアに会いたい旨を伝えた。
そしてロビーのソファに綺麗な姿勢で座って、マリアが現れるのを待つ。
ラナァは魔力視界を広げてマリアを観察することに。
ちなみにマリアの容姿は世界図書館でサッと確認済み。
マリアは自室で猫を撫で回していた。
「猫ちゃん可愛いでしゅね~♪ 猫ちゃん可愛いでしゅ~♪」
これが猫なで声ってやつだね、とラナァは納得。
ちなみに、マリアは食事の最中だったが、猫が膝に乗って来たのでそのまま撫で始めたのだ。
「はぁ~、もう猫ちゃんさえいればわたくし生きていけますわ~」
これが冷血女と呼ばれる54歳枢機卿の姿である。
(猫の方は『お前撫ですぎや』って顔してるー!)とラナァは思った。
マリアの方はもうデレッデレの表情で、他人には絶対に見せられない。
もちろん、マリアの私室なので他には誰もいない。
ただ、扉の外で世話係の女性が待機している。
食事を運んだのがこの女性で、食事が終わったら片付けるのもこの女性だ。
と、事務員が女性に近寄り、面会希望者がいることを伝えた。
女性が頷き、ドアをノック。
そうすると、マリアは猫を膝から下ろしてキリッとした表情に。
「お入りなさい」
さっきとは打って変わって冷たい声でマリアが言った。
(マリアすごーい! 表情も声も一瞬で変わったー! ラナァも練習してみようかな!)
女性が部屋に入り、深くお辞儀。
それから、マリアに面会希望者……つまりイリナのことを伝える。
「ふむ。聖女イリナですか。いいでしょう。会いましょう。食事中ですので、少し待つよう伝えなさい」
淡々とした声でマリアが言って、女性がコクンと頷いて「承知しました」と言ってまたお辞儀をしてから部屋の外へ。
ドアがちゃんと閉まったのを確認してから、マリアは「猫ちゃーん♪」と猫を呼んだ。
呼ばれた猫はソファで丸まっていて、「悪いがもう俺は寝るんだ」という表情でマリアを一瞥。
「うぅ……そんな冷たい猫ちゃんも大しゅき♪」
言ってから、マリアは食事を進めた。
(ねぇねぇイリナ)とラナァがイリナの脳内に話しかける。
(はい。どうしました?)とイリナ。
(『入れて』って言って)
(!?)
イリナがビックリしてビクッとなった。
(?)
ラナァはどうしてイリナがビクッとしたのか分からない。
ラナァの「入れて」は「部屋に入れて」という意味だ。
(そ……そんなエッチな言葉……一体誰が……パメラですか?)
(違うよ? マリアが言ってたんだよ)
(マリア様が!? あのお年でも……そうですか……なるほど……いえ、お元気なのは……いいことですが……)
イリナは深刻な表情でうーんと唸った。
(ねぇ早く言ってよ)とラナァが急かす。
イリナは頬を染めてから、コホン、と小さく咳払い。
(ラナァ……挿れて……きゃ)
(お入りなさい)
ラナァが酷く冷たい声で言った。
それはもう、世界中が凍ってしまうほど冷たい音だった。
実際、イリナは硬直した。
(どうだった? ラナァ、一瞬で変わったでしょ?)
ラナァがいつもの楽しそうな声で言った。
その声で、イリナは正気を取り戻す。
(ラ、ラナァ……今のはもう……やらないでください)
(分かったー)
(あまりの冷たさに世界の冷酷さを感じてしまいましたよ、あたくし)
(ほぉん?)
(更に、全裸で吹雪の中に放り出されたような感覚でしたね)
(ラナァは雪が降っても全裸だよ?)
「ですよねー!」
イリナが声に出して言った。
そしてすぐに両手で自分の口を押さえた。
幸い、周囲には誰もいな……ちょうど戻って来た事務員がビクッとなった。
イリナと事務員がしばらく見詰め合う。
「すみません……」イリナが赤面しつつ言う。「ちょっと……考え事をしていて……」
「そ、そうですか……」事務員がおっかなビックリ、イリナに近寄る。「その、マリア様がお会いになるそうです。ただ、食事中ですのでしばらく待ってほしいとのことでした」
「分かりました。食事(意味深)をしているのですね」




