第八章:神童と影(シャドウ)
揺りかごの裏板に刻まれた青写真。
数週間に及ぶ過酷な肉体労働の末、ついに最後の一筆が刻まれた。
アーガスにとっての長く退屈な、手動による瞑想訓練からの解放。
彼は自らの傑作を見つめ、前世でも感じたことのない達成感に浸っていた。
この小さなシステムこそが、この世界における彼の運命を変える鍵となる。
深夜。
サラの寝息が部屋に満ち、平穏で長いリズムを刻み始める。
アーガスはそっと寝返りを打ち、小さな手のひらを揺りかごの床板に押し当てた。
一筋の微弱な魔力が、試探する触角のように指先から放たれ、裏板の秘密の青写真へと侵入する。
魔力は鉄片で削り出した溝に沿って緩やかに流れ込み、物理的な傷跡を、エネルギーを導く真の魔法回路へと変換していく。
(接続、完了!)
微弱だが、継続的な吸引力が回路から伝わってきた。
それは体内の魔力をごく少量ずつ、しかし確実に吸い上げ始めた。
まるで体内に、精密に調整された極小の渦が形成されたような感覚。
これでついに、前世でスクリプトを走らせて放置するように、揺りかごで寝ているだけで、24時間体制の全自動トレーニングが可能になったのだ。
松の香りと微細な木屑の匂い。
彼は目を閉じ、エンジニア特有の、満足げな笑みを浮かべた。
しかし、事はそう順調には運ばなかった。
初期テストの段階で、奇妙な「異変」が観測され始めた。
ある深夜。
いつものように回路を起動した瞬間、指先に針で刺されたような鋭い痛みが走った!
ビッ! と彼は反射的に手を引っ込める。
魔力で内部を「視る」と、信じられない光景がそこにあった。
魔力がアルファベットの『F』の鋭角なコーナーを通過した瞬間、微小だが明確な火花が発生していたのだ。
まるで、極小のエンジンが暴走したかのように。
彼は目を見開き、苛立ちと興奮が混ざり合った感情を噛み締める。
(くそッ……この世界の法則は、文字の『形状』そのものに反応するのか? ……待てよ)
(これはつまり、文字そのものが何らかの神秘的な力を持っているということか?)
この発見は、彼を興奮させると同時に混乱させた。
異なる世界の文字体系が、これほど奇妙な化学反応を引き起こすとは。
また別の夜。
今度は数字の『0』と『1』を表すシンボルを魔力が通過した際、回路が突然微弱なエネルギー共振を起こし、効率が予測不能な乱高下を始めた。
アーガスはすぐに理解した。
彼が地球から持ち込んだのは、冷徹で普遍的な「論理」と「構造」。
だが、この世界を構成しているのは、奇妙な力を内包した「文字」と「ルーン」なのだ。
彼が記述した英数字の一つ一つが、この土地においては、彼がまだ理解していない原始的な法則に対応しているのかもしれない。
それはまるで、中国語の文法で英語の文章を理解しようとする学者のようなものだ。
論理は通じていても、「文法」が衝突し、不可解なエラーを引き起こす。
かくして、それからの数ヶ月。
家族が寝静まった揺りかごの中で、再び微かなスクラッチ音が響くことになった。
アーガスは回路の運行を感じ取りながら、鉄片で青写真の上で調整と修正を繰り返した。
異郷の知恵を、この新しい土壌に適合させるための、最も根気強い学者のように。
松の木屑が舞い散る中、小さな手は震えながらも、異常なほど安定していた。
一削りごとに、エンジニアの執念が込められている。
揺りかごの裏の「トレーニング・デバイス」がついに安定稼働し、効率は劇的に向上した。
半年後。彼が三歳になる頃には、小川のようだった魔力は、小さな池と呼べる量まで蓄積されていた。
彼はついに、次のステップへの最低ラインに到達した。
その進歩は、手塩にかけた花がついに開くのを見るような感覚だった。
ある偶然の機会。
彼はトールがドワーフ工芸学校の課題で持ち帰った、「金属軟化」の基礎図面を目撃した。
家族の目を盗み、アーガスは幼児離れした記憶力で、その構造と原理を瞬時に脳内に刻み込んだ。
彼は再び、あの彫刻刀代わりの鉄片に目を向けた。
今度はこれを、ただの道具から、真の製品へと変えるのだ。
彼は獲得したばかりの魔力を使い、「金属軟化」の魔法を駆動させ、脳内に焼き付けた実行コードを鉄片の上に苦労して蝕刻していく。
魔力はまだ微弱だ。
それは鋼鉄の板に刺繍針で彫刻するような作業だった。
髪の毛一本分より細いラインを数本刻むだけで、魔力切れ(バッテリー切れ)で深い眠りに落ちる日々。
だが、彼は決して諦めなかった。
このプロジェクトもまた、数ヶ月の期間を要した。
一年半の月日が流れた。
「ボトルネック理論」に基づいたトレーニング・デバイスのパフォーマンスは完璧だった。
アーガスの魔力池は常識外れの速度で拡張され、逆に虚弱な肉体を滋養し始めていた。
サラは驚喜した。自分の息子が、近所の純血ドワーフの赤子よりも早く、明瞭な言葉を発したからだ。
ブレイクもまた、ある日の午後、三歳にならないアーガスが、よろめきながらも独力で庭を歩き回る姿を見て、開いた口が塞がらなかった。
彼らはそれを神の恵みや「早熟」という言葉で定義した。
だが、アーガスは知っている。
これは科学と魔法の結合の成果だ。
すべての進歩は、精密な計算と、たゆまぬ努力の結果に過ぎない。
その日の夕暮れ。
鍛冶場の売り上げが久しぶりに好調だったらしく、ブレイクは上機嫌だった。
夕食のテーブルには、シチューの香りとエール酒の酸味が漂い、暖炉の火が石壁を暖かなオレンジ色に染めている。
サラが湯気の立つ羊肉のスープを運び、アイリーンが興奮気味に冒険者ギルドでの見習い体験を話している。
「今日ね、新しい技を覚えたの! 短剣で矢を弾くのよ、超カッコイイでしょ!」
彼女の浅い金色の髪が火光に輝き、鈴のような声が弾む。
トールは黙々と黒パンを齧りながら、時折アーガスへ複雑な視線を投げていた。
突然、ブレイクが豪快に笑い、ジョッキを置いて立ち上がった。
彼はアーガスを軽々と抱き上げる。その粗野な顔は誇らしげに歪んでいた。
「見たか、サラ! 俺が言った通りだ、鉄棘の血は特別なんだ! このチビ、三歳前でもう歩いてやがる! 隣の黒髭んとこの、よだれ垂らしてるデブ餓鬼よりずっと賢いぞ!」
彼の硬い髭がアーガスの頬を擦り、煤と汗のしょっぱい匂いが鼻をつく。
サラは笑って首を振る。
「調子に乗らないの、ブレイク。落としたら大変よ」
サラの目は優しさで満ちていた。
アイリーンが顔を寄せ、指先でアーガスの頬をつついた。薄いマメのある指が温かい。
「弟くん、もしかしてこっそり魔法の修行でもしたの? お姉ちゃんに教えてよ!」
アーガスは心の中で冷笑した。
(血統? いいや、血など関係ない。これは科学だ。論理だ)
中世レベルで停滞しているあなたたちには、永遠に理解できない、高次文明からの智慧。
あなたたちの賞賛は、ライターの火を見て驚く原始人の反応と同じだ。
彼の内面は、極大の傲慢さで満たされていた。
この優越感こそが、無力な幼児の肉体に耐えるための唯一の鎧。
彼は次元の異なる天才であり、この世界の魔法など、最適化を待つだけの原始的なシステムに過ぎない。
だが、その傲慢さの裏側で、微かな不安が芽生え始めていた。
この世界は、彼が想定しているよりも遥かに複雑かもしれない。
家族の期待に応えるため――あるいは、単なる自己顕示欲のために――アーガスは少しだけ「実演」してみせることにした。
(集中。テレキネシス、起動)
彼は精神を集中し、微量の魔力を変調させる。ターゲットはテーブルの上の木製スプーン。
スプーンがカタカタと震え、ふわりと浮遊した。
ゆらゆらと、彼の元へ飛んでくる。
「わぁっ! すごい、弟くん! 天才だわ!」
アイリーンが手を叩く。サラは口元を押さえ、感嘆の声を漏らす。
ブレイクが得意げに吠える。
「ガハハ! さすが俺の種だ!」
家族の称賛が、アーガスの承認欲求を満たしていく。
この全能感があれば、幼児の無力さなど忘れられる。
だが。
スプーンが彼の小さな手に触れようとした、その直前(0.1秒前)。
バチッ!!
予兆はなかった。
鋭利な麻痺が脊髄を駆け上がり、瞬時に全身の神経系を貫いた!
(エラ――!?)
魔力制御が切断される。
スプーンは「パシャ」と音を立ててテーブルに落下し、スープがアイリーンの顔に跳ねた。
家族は一瞬呆気にとられ、すぐにドッと笑い出した。
アイリーンは顔を拭きながらケラケラと笑う。
「あはは、魔力切れちゃった? ドンマイ!」
「疲れたのね、よしよし」
サラが背中を撫でる。ブレイクも手を振る。
「ガハハ、焦るな焦るな。才能はあるんだからよ!」
だが、アーガスだけは笑えなかった。
彼はその場で硬直していた。
身体の芯が冷え切り、巨大な、解析不能な恐怖がシステムを支配していた。
(ありえない……)
今の出力係数は0.1%にも満たなかった。
魔力枯渇(ガス欠)ではない。
これは……ハードウェアの故障?
彼は恐る恐る、再び魔力へのアクセスを試みる。
すると、体内の小さな魔力池の表面に、不気味な波紋が走ったのが見えた。
まるで、強制終了する寸前のマシンのように。
その瞬間、彼は前世でも感じたことのない恐怖を覚えた。
未知への恐怖ではない。
制御不能への恐怖だ。
自分はすべてを掌握していると思っていた。
だが今、彼は突きつけられたのだ。
この世界の法則は、彼が想像しているよりも遥かに不可解で、予測不能なバグを孕んでいることを。
アーガスは目を閉じる。
脳裏には、揺りかごの裏に刻んだ魔力回路が明滅していた。
(僕は……管理者ではないのか?)
彼は初めて認識した。
自分はこの世界の支配者などではなく、神秘の領域に片足を踏み入れたばかりの、単なる初心者に過ぎないのかもしれない。
その発見は、背筋が凍るほど恐ろしく、そして――。
震えるほどに、刺激的だった。
この世界にはまだ、解析すべき秘密が無限に眠っているのだから。
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