第六章:竜の税(ドラゴン・タックス)
アイアンソーン工房から響く鍛冶の音は、不整脈のように途切れがちだった。
数ヶ月前のアーガスの昏睡事件以来、この石造りの家の生気は低下する一方だ。
ブレイクのハンマーが鉄床を叩く。火花が散るが、彼の額に滲む冷や汗を隠すことはできない。
アイリーンは部屋の隅で短剣を磨いている。その動作は機械的で、瞳には光がない。
工房の空気は重く、炉の熱気さえも疲弊しているようだった。
この家は、稼働限界を迎えた古い機械のようだ。
摩耗した部品同士が悲鳴を上げ、いつ致命的な崩壊を起こしてもおかしくない。
突然、整然とした重い軍靴の音が遠くから接近してきた。
それは工房のリズムを粉砕する、戦太鼓のような響き。
ハンマーの音が止まった。
アイリーンの手が硬直する。短剣が床に滑り落ち、乾いた金属音が静寂を切り裂いた。
ブレイクが顔を上げる。濃い髭の下で、唇が真一文字に結ばれている。
扉が乱暴に押し開かれ、寒風と共に金属の擦れる音がなだれ込んできた。
その音は、抑圧されたすべての職人が知っている。
権力と恐怖が奏でる交響曲だ。
三つの影が工房に踏み込んできた。
先頭に立つのはドワーフの税務官。王国の制式鎧をまとい、胸甲に刻まれた《竜の紋章》が炉の火を受けて冷たく輝いている。
その目は傲慢に見下ろし、腰には鉄のそろばんを下げていた。
背後には二名の衛兵。長槍を構え、魂のない彫像のように無表情だ。
「アイアンソーン工房だな」
税務官の声は、揉みくちゃにされた羊皮紙のように乾いていた。
「今期の『竜の税』だ。孤山の法令に基づき、計上額は……」
彼が羊皮紙を広げる。
そこに記された数字は歪んでいて、しかし目に痛いほど鮮明だった。まるで文字の一つ一つが血で書かれているようだ。
「即刻、納付せよ」
ブレイクがハンマーを置き、ゆっくりと立ち上がった。
その巨躯は鉄塔のように、居住区への扉を塞ぐように立ちはだかる。手の甲に青筋が脈打っていた。
火山の噴火を抑え込むような、低く、押し殺した声。
「……前期より五割も多いぞ! どういう計算だ! 『鉄顎』の胃袋は底なしか!」
税務官が冷笑する。
鉄のそろばんが指先で弾かれ、カチカチと耳障りな音を立てた。
この家族からあとどれだけの血と汗を搾り取れるか、計算している音だ。
「偉大なる『鉄顎』カロックス様が王国を守護し、貴様らが外敵に食われずに済んでいるのだ。この程度の税金、光栄に思うがいい」
彼の視線が工房内を品定めし、壁に掛けられた一振りの戦斧で止まった。
ブレイクが数週間を費やして鍛え上げた傑作だ。
その貪欲な視線は、肥えた羊を見つけた狼のそれだった。
「そのガラクタ、悪くないな」
税務官はそろばんの角で斧の柄をコツコツと叩いた。軽蔑的な音が響く。
「現物納付として没収する。端金くらいにはなるだろう」
ブレイクの拳が握りしめられ、関節が悲鳴を上げた。
呼吸が荒くなる。胸板が激しく上下し、追い詰められた熊のような殺気を放つ。
「それは……俺の魂(心血)だ」
震える声。それは恐怖ではない。屈辱による共振だ。
「それを何だと言った? ガラクタだと?」
「心血?」
税務官は肩をすくめ、口元を歪めた。
「鉄棘の『大師』よ。貴様の個人的な事情など、王国の守りには何の関係もない」
その冷徹さは、どんな罵倒よりも残酷だった。
彼らの目には、職人の尊厳など存在しない。路傍の雑草を踏みつけるのと同義だ。
その時。
居住区のドアが、きしんだ音を立てて開いた。
アイリーンが出てきた。
まだ十歳。粗末な布服に包まれた痩せた体。茶色の髪をポニーテールに束ねている。
頬には幼さが残るが、その翠玉の瞳は、凍結した湖面のように静まり返っていた。
彼女は無言のまま、ずしりと重い革袋を握りしめていた。
ブレイクが呆然とする。その目に苦痛が走る。
自分の子供が、無理やり戦場へ送られるのを見た親のような顔だった。この魁偉な男が、初めて無力に見えた。
アイリーンは鉄床の前で立ち止まり、革袋を置いた。
ゴトリ、と鈍い音が響く。心臓を直接殴られたような音だった。
中身は、彼女が数ヶ月かけて冒険で稼いだ全財産だ。
採取、収集、値切り交渉……数々の屈辱と労力が、この金貨に変換されている。
一枚一枚が、彼女の汗と、血で濡れていた。
税務官は眉を上げ、革袋を重さを確かめるように放り上げ、満足げに笑った。
ネズミを捕らえた猫の顔だ。
彼は衛兵に勘定を命じる。袋の中身は不足分を補って余りある、十数枚の金貨が余計に入っていた。
税務官は無表情のまま、その余りを自分のポケットにねじ込んだ。
当然の権利だと言わんばかりに。
彼は頷き、踵を返す。
遠ざかる軍靴の音は、葬送曲のようだった。
工房に死のような静寂が戻る。
ブレイクはアイリーンの背中を見つめていた。
鉄床の横に立つ彼女の小さな肩は微かに震えていたが、決して振り返らなかった。
それが、彼女が守り抜いた最後の尊厳だった。
ブレイクの視線が空になった革袋に移り、そしてゆっくりと目を閉じる。
巨人のような肩が、初めて力なく崩れ落ちた。
その瞬間、父親の心が砕けた音がした。
夜の帳が下りる。
炉の火は落ち、会議室ではオイルランプだけが揺らめいていた。
一人の老いたドワーフがテーブルに座っている。
ランプの光を受けて、白髪が銀色に光る。
彼は、奪われかけたあの戦斧の柄を愛おしげに撫でていた。斧刃の魔法紋様は、すでに光を失っている。
「ブレイクよ」
長老の声は低く、山彦のように響いた。
「我々の武器がどれほど鋭くても、孤山に巣食う悪竜には届かない」
彼は言葉を切り、テーブルの上の鉄床へと視線を流す。
「我々の盾がどれほど堅牢でも、税務官の強請りは防げない。お前が誇りとする『手仕事』は……今や我々を縛る鎖になりつつある」
その言葉は鋭利な刃物となって、ブレイクの最も深い傷口を抉った。
テーブルの向かいに座るブレイクは、両手を組んで俯いている。関節が白く浮き出ていた。
何かを言おうとして、出たのは重い溜息だけだ。
「……俺は、努力さえすれば……強くなりさえすれば、この家を守れると思っていた」
声が掠れている。珍しいほどの脆さ。
「だが今日、アイリーンは……まだ十歳のあの子が、命を削って稼いだ金で、あの怪物の胃袋を満たしたんだ」
長老が頷く。その瞳に悲哀がよぎる。
「竜の税は金の問題ではない、ブレイク。あれは屈辱だ。我々が孤山の奴隷であるという、定期的な烙印なのだ」
彼は声を潜めた。ほとんど囁きに近い。
「だが、我らの先祖……かつての《ルーン・マスター》たちは、決して畜生風情に頭を垂れなかった」
ブレイクが顔を上げる。その目に疑念が混じる。
「ルーン・マスター……?」
長老は鉄棘家の家紋、斧の柄に刻まれた古の文字を指差した。
「もし、彼らが生きていれば……いや、この戦斧が真に目覚めていれば、あのトカゲごときに屈することはなかっただろう」
「……」
「通常の魔法は『抜け道』に過ぎない。あれは力への『願い』だ。だがルーン文字は違う。あれは真の工芸……金属への『命令』であり、法則の『理』だ。ブレイクよ、もし孤山に抗う術があるとすれば、それはルーンしかない」
それは飢えた者に、鍵を失くした無限の食糧庫の話をするようなものだった。
ブレイクの瞳孔がわずかに収縮する。
彼は戦斧の紋様を、まるで初めて見るかのように凝視した。
「ルーン文字……伝説だ。その技はもう失われた」
「誰も知らんのではない。忘れたのだ」
長老が立ち上がる。マントが床を擦った。
「ブレイク、お前は鉄棘家の最後の希望だ。アイリーンの犠牲を、無意味な残響にしてはならん」
その言葉は種子のように、ブレイクの心に植え付けられた。
それが芽吹くか、それとも腐り落ちるか、今はまだ誰にも分からない。
揺りかごの中で、アーガスは天井のひび割れを見つめていた。
居間での会話は、ノイズキャンセリングされたかのようにクリアに耳に届き、意識に刻み込まれていた。
この異世界から来た魂(OS)は、もはや傍観者ではない。
彼の思考回路は冷徹に、そして高速で情報を処理していく。
(状況分析開始)
(外部脅威:孤山の悪竜『鉄顎』カロックス)
(内部エラー:『竜の税』によるリソースの枯渇と精神的損耗)
(既存システムの限界:通常魔法=『リクエスト』型。権限不足により現実改変不可)
(唯一の解:ルーン文字。失われた工芸=『コマンド』型。管理者権限による法則定義)
アーガスの小さな指が、揺りかごの中で握りしめられる。
《風暴雷霆》を起動した瞬間の感覚を検索する。
あれは単なる魔法具ではない。複数の属性を統合し、自律稼働さえ可能な、完全なシステムアーキテクチャだった。
エンジニアとしての本能が沸騰する。
血の匂いを嗅いだ猟犬のように。
だが、現実は残酷だ。
今の彼は乳児であり、バッテリー(魔力)容量は極小。
そして何より致命的なのは――
(言語パックが……ない)
ルーン文字。
あの複雑な幾何学と数値で編まれた古の言語は、彼にとって暗号化されたブラックボックスだ。
最高峰の設計能力を持ちながら、基礎構文すら知らない。
絵具を持たない天才画家。
楽器を持たない巨匠。
アーガスの瞳に、氷のような青い炎が宿った。
それは怒りでも、絶望でもない。
純粋な、目的指向の輝き。
(ルーン文字を解析する)
知的好奇心のためではない。
この家族を圧迫する、残酷なバグをデバッグするために。
揺りかごが微かに揺れる。
アーガスの呼吸は、平穏だが、鋼のように固かった。
この夜。
異世界から来たエンジニアは、一つの決定を下した。
自らの知識で、この世界の仕様を書き換えることを。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
台湾出身の作者です。
職人が伝説級の道具を鍛え上げるためには、
技術だけでなく、赤々と燃える「炉の火」が不可欠です。
私にとって、皆様からの応援と☆☆☆☆☆評価こそが、
この物語(アイアンソーン工房)を燃え上がらせる最高の燃料となります。
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アイアンソーン工房に火をくべてやってください!
それでは、次の章でお会いしましょう!




