第二十七章:贖罪の重み(ウェイト・オブ・アトーンメント)-3
深夜。家全体が昼間よりも深い静寂に沈んでいた。
暖炉の火は落ち、残った熾火だけが闇の中で弱々しく明滅している。この家の最後の体温のように。
冷たい月光が細い窓から差し込み、リビングのすべてを霜のような冷たい銀色に染め上げていた。
ブレイクは一人、いつもの頑丈な木の椅子に座っていた。
彼自身の重みで窪んだその座面は、幾多の不眠の夜を知っている。
彼は杯の酒を一口ずつ飲んでいた。苦い記憶を嚥下するように。
灯りはない。山のように巨大な背中が、濃密な影に飲み込まれている。
闇の中の彼は、天を支える巨人のようには見えなかった。運命に打ちのめされた一人の老人に過ぎなかった。
二階。アーガスの部屋のドアが、髪の毛一本分ほど開いている。
隙間から漏れる微かな光。彼は起きていた。
闇の中で、この家のすべての音を聞いていた。父の重い呼吸、台所での母の足音、そしてアイリーンの部屋から時折聞こえる寝返りの音。
早熟すぎるこの少年は、聞いてはいけない多くのことを聞いてしまっていた。
微かな、気配ほどの足音がした。
サラがアイリーンの部屋から出てきた。月光の下、寝間着姿の彼女はひどく薄く見えた。
奇跡の直後の喜びは消え、より深い憂色が顔を覆っている。
夫の背中を見て、彼女は音のない溜息をついた。煙のように儚い溜息。
「……アイリーン、寝たわ」
彼女はブレイクに近づき、囁いた。「呼吸も安定してる。顔色もいい……普通の子供みたいに」
「『普通』か……」
ブレイクは喉の奥で、自嘲と苦痛に満ちた呻き声を漏らした。
「自分の足の感覚もない子供が、何が普通だ」
その言葉は棘となって、二人の心に深く刺さった。
サラは答えなかった。窓辺に歩き、雪に覆われた死の庭を見つめる。月光に照らされた雪は青く、魂まで凍らせるようだ。
長い沈黙の後、彼女は不安に満ちた声で言った。
「ブレイク……私、アーガスが心配なの」
ブレイクの手が止まる。カップが唇の端で凍りつく。
サラが振り返る。月光を背にした彼女の顔は影になり、瞳の不安だけが光っていた。
「あの子、最近ずっとアイリーンのベッドの横にいるの。一晩中、座りっぱなしで。アイリーンの足に手を置いて、目を閉じて……私たちが全然分からない言葉を、ずっとブツブツ呟いてるの……」
彼女の声が震えた。恐ろしい悪夢を思い出したように。
「……『データと不整合』だとか……」
(肉体修復完了率100%。神経信号伝達率0%。物理的にありえない……)
二階の部屋で盗み聞きしていたアーガスは、母の言葉に心の中で冷たい注釈を入れた。
「……あと、『法則の干渉』だとか……」
(物理レイヤーに閉塞なし。だが脳からのコマンドが消失する。観測不能な高次元、非地球物理法則の干渉が確定……)
「ブレイク、私……怖いの」
サラの声は、母親としての根源的な恐怖に満ちていた。「あの子は十五歳の子供じゃないわ。まるで……壊れた時計を直すことに取り憑かれた、偏屈な老人みたい……」
その比喩はあまりに的確で、あまりに痛ましかった。
腕の中で泣いていた赤ん坊が、今は理解不能な謎の塊になってしまった。
「俺だって、あの小僧が何を考えてるか分からん!」
ブレイクは苛立ち、残りの酒を煽った。重い溜息をつく。苦渋を吐き出すように。
「あいつがアイリーンを救った。それは事実だ。だが今……あいつがやってることに、何の意味がある?」
口に出してしまえば残酷だ。だが現実は残酷なものだ。努力で治る傷ばかりではない。
サラは夫に歩み寄り、固く握りしめられた荒れた手に、そっと自分の手を重ねた。
「……でもね、ブレイク」
彼女は自分に言い聞かせるように言った。
「たぶん……あの子に感情がないわけじゃないの。神殿の修道女様が言っていたわ。『賢者の病』のような症状があると……」
彼女は言葉を選んだ。
「詳しいことは分からないけど、そういう人は悲しくないわけじゃないんですって。ただ、すべての愛や自責の念を、私たちには読めない計算式や、難しい言葉に変えてしまうだけだって」
声が小さくなる。
「たぶん……アーガスは彼なりのやり方で、まだお姉ちゃんを救おうとしているのよ……私たちには理解できない方法で」
そう言っても、彼女の不安は消えなかった。
闇の中で、アーガスは無言で反論した。
(違うよ、母さん。病気なんかじゃない。僕はただ……この世界の人間じゃないだけだ……)
だが声には出さない。真実は嘘よりも残酷なことがある。
ブレイクの肩の力が少し抜けた。月光に照らされた妻の、やつれてはいるが芯の強い顔を見上げる。
「だが……グレン先生も言ってたろう」
彼は苦しげに言った。「アイリーンの身体はもう『完治』している。今の問題は、薬や神術で治せるもんじゃない……あれは……『魂』の領域の損傷だ」
その言葉が、部屋の温度をさらに下げた。
それは、すべての努力が無駄かもしれないという宣告だからだ。
「ええ、分かってる」
サラは頷き、壁の古時計を見上げた。針は止まっている。彼らの希望のように。
だが、彼女の目には、最後の藁にすがるような、微かな光が灯った。
彼女は夫に語りかけるようでいて、枯れかけた自分の信仰への最後の祈りを捧げていた。
「……子供の頃、神殿の最高司祭様から聞いたことがあるの……古い教典の隅っこに、伝説上の聖人しか使えないような、『聖言』クラスの神術が記されているって……」
夢言のように軽いその声は、ドアの隙間をすり抜け、人工的な闇の中へとはっきりと届いた。
「……その魔法は……こう呼ばれているの……」
「……『魂の再構築』……」
その単語は。
最高優先度の割込命令として、エラーレポートと絶望で埋め尽くされていたアーガスの脳髄を、鮮烈に切り裂いた。
一瞬にして、「物理的修復不能」、「データ不整合」、「法則干渉」といったエラーログが消去された。
「失敗」や「無力感」といった負のプロセスが、強制終了された。
全く新しい、未知数だらけの、しかし他のすべてを凌駕する新規タスクが、彼の大脳に書き込まれる。
――『魂の再構築』手段の検索。
闇の中で、アーガスは目を開けた。
その瞳には、新しい光が宿っていた。
それは絶望の残り火ではない。
未知への挑戦を告げる、希望の種火だった。
【あとがき】
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