第二十五章:創世記(ジェネシス)下-1
「僕の魔法じゃ、足りないんだ!」
アーガスは早口でまくし立てた。家族に理解できる言語で、今まさに姉の体内で起きている見えない戦争を翻訳しなければならない。
「呪いの大部分は殺した! でも、死骸が……粘り気のある膿になって、沼の泥みたいに姉さんの身体を詰まらせてる! 僕の『水潤』じゃ、水流が弱すぎて押し流せない!」
その声には、かつてない切迫感と懇願が滲んでいた。
迷宮で迷子になった子供が、ついに意地を捨てて大人の助けを求めるように。
彼は母サラに向き直った。その瞳は、すがるような期待で潤んでいる。
「母さん! 母さんは光明神の敬虔な信徒だろ!? 知っているはずだ! 何か……何か『汚れを洗い流す』ことに特化した、古い魔法はないの!? 治療じゃなくていい、洗浄だ! 祭壇を洗ったり、聖水を作ったりするようなやつ! どんなに弱くてもいい、あの汚いヘドロを押し流す『道具』が欲しいんだ!」
サラは虚を突かれた。
彼女の人生は祈りと共にあったが、知っているのは治癒や祝福、勇気を与えるといった主要な奇跡ばかりだ。
汚れを洗う? そんなものは、神殿の下っ端が掃除に使うような……。
――待って。
神啓のような閃きが、混乱した思考を切り裂いた。
思い出した。
色褪せた古い教典の片隅に、現代の神官たちが忘れ去った儀式用の生活魔法が記されていたことを。
『聖水洗浄』。
ただの水を、不浄と怨念を洗い流す聖水へと変える清めの儀式。
強力な呪いと戦うための高位神聖術ではない。祭壇の血糊や負のエネルギーを拭き取るための、実益よりも象徴的な意味合いの強い、ささやかな浄化魔法。
だが今この瞬間、この取るに足らない魔法こそが、アーガスが渇望する「正解」だった!
「あるわ!」
サラの目に、かつてない強い光が宿った。
説明している時間はない。彼女はリビングの机へダッシュし、震える手で木炭ペンと白紙の羊皮紙を掴み取った。
アーガスは足を止めない。
即座に、反対側にいる父と兄へ向き直る。声はさらに鋭くなる。
「父さん! トール兄さん! 毒だ!」
彼は全力を振り絞り、イメージを具体化する。
「魔鋼蠍の毒が、姉さんの神経の上で固まって……硬い結晶になってる! まるで……まるで鍛冶場の炉に残る、どうしても取れない頑固な『鉱滓』みたいに!」
「鉱滓だと?」
その単語が、二人の鍛冶師の魂に火を点けた。
ブレイクとトールは顔を見合わせた。一瞬で理解した。
それこそが、彼らが一生をかけて戦い続けている宿敵だ!
どんなに純度の高い金属にも必ず混じる、頑固で、忌々しい不純物。それを処理するには、特殊な技術が必要だ。
「僕の聖光じゃ砕けないんだ!」
アーガスは叫んだ。絶望と希望がない交ぜになった咆哮。
「もっと……もっと『荒っぽい』力が必要なんだ! 父さんたちの鍛冶魔法の中に……不純物を焼き切ったり、石を粉々に砕いたりする魔法はない!? 『鉱滓』を処理できるなら何でもいい!」
ブレイクの瞳の炎が、凄まじい勢いで燃え上がった。
あるに決まっている! 一つどころではない!
それは鉄棘家の男なら呼吸するように使える、基本中の基本スキルだ。
「トール!」
彼は息子に号令した。ハンマーを振るう時のような腹の底からの声。
「紙とペンだ! 急げ!」
それは高尚な治癒魔法などではない。
長い鍛冶の歴史の中で培われた、最も実務的で、泥臭い「工具」だ。
一つは『溶断』。
極小範囲に集中した超高温の炎で、鉄鉱石に混じった頑固な不純物を焼き溶かす技術。
もう一つは『破砕』。
土属性の高周波振動を送り込み、硬すぎる不要な岩盤層を内側から震わせて砕く技術。
乱暴で、直接的で、「治療」という言葉からは最も遠い対極にある力。
医者が見れば、野蛮な破壊工作にしか見えないだろう。
だがそれらこそが、「鉱滓」を始末するための、完璧な(パーフェクト)ソリューションだった!
一瞬にして、絶望に沈んでいた部屋は、緊張感に満ちた高効率の司令室へと変貌した。
全員が、一つの明確な目標に向かって並列処理を開始する。
その団結感が、家族の空気を熱く震わせる。
サラは床に跪き、記憶の底から引き上げた神聖な曲線を、一筆一筆、羊皮紙に刻み込んでいく。
その手にもはや震えはない。あるのは母として子を守る、鋼のような意志だけ。
すべての線に、娘への愛が込められている。
一方、ブレイクとトールの親子は、鍛冶師特有の機械的な正確さで、力強い直線を引いていた。
単純だが、暴力的な力を秘めた鍛造用魔法陣。
まるで鉄板に鑿で刻み込むような筆圧。迷いなど微塵もない。
数分後。
家族全員の希望を乗せた、インクも乾ききっていない三枚の羊皮紙が、アーガスの前に差し出された。
紙からは、書き手たちの魔力の熱が立ち上っている。
「トール兄さん!」
アーガスは魔力の注入を維持したまま、振り返らずに指示を飛ばした。
その声には、全幅の信頼が込められていた。
「プロトタイプの右側に、予備の拡張スロット(端子)がある! その三枚を、そこへ繋いでくれ!」
トールは、唸りを上げる醜い鉄箱を見つめ、そして手の中の脆い羊皮紙を見た。
迷いはなかった。
彼はその無骨に見えて繊細な指先で、新しい「武器」が記された三枚の図面を、慎重に、かつ確実に、マトリクスの端子へと接続した。
バチチチチッ!!
接続した瞬間、マトリクスが悲鳴のような警告音を上げた!
数十の接点から、青白い電気火花が激しく迸る。
回路が過負荷で暴れている。爆発寸前だ。
アーガスは歯を食いしばった。冷や汗が額を伝う。
精神的視野の中で、彼はシステムクラッシュ直前のコンソールに向かうプログラマーと化していた。
三つの、全く未知の変数を含んだ「外部プログラム(プラグイン)」が、メインシステムに強引にねじ込まれたのだ!
古いパソコンで、互換性のない最新ソフトを三つ同時に起動したようなものだ。
(制御するんだ……!)
彼は数秒という極限の時間内で、新しいデバイスドライバと安全プロトコルを脳内で書き上げた。
家族から託された、荒々しく強大な原始の魔法エネルギー。
それらを、異世界の論理というラッパーで包み込み、飼い慣らし、統合していく。
鉄をも溶かす『溶断』の火力を、膿だけを気化させるマイクロ単位の出力へ制限する。
岩盤を砕く『破砕』の振動を、微細結晶だけを狙い撃つ特定の周波数へチューニングする。
母の優しく敬虔な信仰の光と、父兄の荒々しく実直な職人の魂。
それらを強引に、しかし完璧に、彼の冷徹で精密なオペレーティング・システムへと組み込んだ。
ブォォォォン……。
マトリクスの悲鳴が収束し、深く、力強い、巨獣の心音のような駆動音へと変わった。
表面のスパークが消え、安定した、調和の取れたエネルギー流動が銅線を駆け巡る。
統合、完了。
【あとがき】
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