処刑
広場は夕陽に赤く染まっていた。石畳の上に組まれた粗末な木製の処刑台が、赤い光を受けて不気味に輝く。群衆のざわめきと歓声が混ざり合い、笑い声や囁きが絶え間なく飛び交う。香辛料の甘い匂い、獣の臭気、汗と鉄のにおいが入り混じり、空気はどこかざらついて重い。麗華は檻の中で鎖に繋がれ、現実の冷たさと世界の残酷さを同時に感じながら、その異様な光景を見つめていた。
処刑台の中央に引きずり出されたのは、骨ばった体の青年奴隷だった。
手枷と足枷で無理やり膝をつかされ、汗と埃にまみれた頬が夕陽に照らされて赤く見える。
首筋には鋭い剣先が押し当てられ、わずかに震える喉が金属の冷たさを反射する。
衛兵が無言でその剣を支え、もう一人が鎖の手綱を握って動きを封じる。
「おい、見ろよ! 始まるぞ!」
「逆らったんだとさ、そりゃこうなるわな!」
群衆は嘲笑と歓声で処刑の瞬間を歓迎し、悲壮感などひとかけらもない。
そこにあるのはただの見世物としての興奮――血の匂いを待ち望む観客の熱気だった。
檻の中で麗華は、呼吸がうまくできないほど胸を締めつけられていた。
処刑台に押さえつけられた青年の首筋へ、剣先がじわりと押し込まれる。
心臓が、どくん、どくんと早鐘を打つ。
「――や、やめ……!」
声を出そうとした瞬間、喉が詰まり、かすれた空気しか漏れない。
乾いた声は自分の耳にさえ届かず、群衆の歓声にあっけなくかき消された。
鎖を必死に握りしめる指先が白くなる。
だが檻馬車の中では、身を乗り出すことすらままならない。
鉄の首輪が冷たく肌に食い込み、ただ「無力だ」という現実だけが体中に響いていた。
檻馬車の外から、怒鳴り声が飛んだ。
「おい、何やってやがる! 静かにしろ!」
次の瞬間、首輪に繋がれた鎖が乱暴に引かれ、麗華の身体が前から後ろへ強く引き戻される。
喉に食い込む圧迫感に、短い悲鳴が漏れそうになったが、それすら空気に変わる。
背中が檻の木枠にぶつかり、鈍い痛みが走る。
視界が揺れ、夕陽の赤が鉄格子の隙間でちかちかと瞬いた。
「っ……!」
首輪の冷たさが、まるで氷のように肌を刺す。
鎖の重みが肩へとのしかかり、呼吸の度に「これは夢じゃない」と現実を突きつけてくる。
外の群衆の歓声は途切れることなく続き、麗華のかすかな抵抗など、誰一人気づくことはなかった。
麗華の胸が、きしむように締め付けられる。
目の前で――本当に人の命が奪われようとしている。
刃が振り上げられるたび、心臓が自分の意志とは無関係に跳ね、喉の奥を押し上げてくる。
(……どうして……私は何もできない……)
両手は無意識に鎖を握りしめていた。
けれど、その鉄の鎖はびくともしない。
ほんの少し動こうとするだけで、首輪が喉を圧迫し、冷たい感触が皮膚に食い込む。
(あの商人の言う通り……首輪一つで、人間じゃない……)
恐怖と無力感が絡みつき、胸の奥でじわじわと屈辱が滲む。
現世での自分は――優等生で、誰よりも“上”にいると思っていた。
けれど、この世界では鎖に繋がれたただの“商品”にすぎない。
夕陽が赤く広場を染める中、麗華は唇を震わせ、声にならない呻きを押し殺した。
広場の熱気が、まるで生き物のように渦巻いていた。
群衆の歓声と嘲笑が重なり合い、ざらついた空気が喉を焼く。
処刑台の上、青年奴隷の首筋に剣先が押し当てられる――その瞬間、歓声がひときわ高まった。
まるで祭りの合図のように、笑い声と怒号が入り混じる。
檻馬車の中、麗華の胸が激しく脈打つ。
(やめて……やめて!)
声にしようと唇が震えるが、喉が詰まってかすれた息しか出ない。
鎖を握りしめた指に力がこもる。
首輪が冷たく喉を締め付け、呼吸すら奪っていく――その感触が、自分の無力さを突きつけてくる。
群衆の熱狂と、処刑対象の恐怖。
それらが同じ地平線の上で交錯し、麗華の心に鋭い焦燥を刻み込んだ。
息をのむ音さえかき消すほどの歓声の中で、彼女は声にならない悲鳴を押し殺したまま、鉄格子に額を押し当てた。
夕刻の奴隷市場。
傾いた赤い陽光が広場を染め、処刑台の影が長く伸びている。
「おい、見ろよ! 始まるぞ!」
「逆らった奴隷だってさ、ざまぁみろ!」
群衆は歓声と嘲りの声を上げ、広場は異様な熱気に包まれていた。汗と獣臭、そして鉄錆びの匂いが入り混じり、胸の奥をざらつかせる。
処刑台の目前、観客たちの視線は血に飢えた獣のように一点を射抜き、笑い声が不気味な波のように押し寄せる。
まるで広場全体が一つの巨大な生き物になり、犠牲を待ちわびているかのようだった。
夕陽が血の色に溶け込む刹那——剣が無造作に振り下ろされた。
「ぐっ……!」短い声が潰え、鈍い衝撃音が処刑台に響く。
赤い飛沫が宙を裂き、粗末な木材を鮮やかに染めた。
「うおおおおっ!」
「いいぞ、もっとやれ!」
「逆らう奴はこうなるんだ!」
歓声、拍手、口笛、罵声。どれもが死を祝う音。
子供が笑い、大人は酒を掲げて叫ぶ。誰ひとり眉をひそめない。
命が絶たれる瞬間が、ただの余興として消費されていく。
夕刻の赤光が広場全体を染め上げ、処刑台はまるで舞台のように熱狂の中心で輝いていた。
檻馬車の格子越しに、すべてが目に飛び込んできた。
見たくない、でも目が離せない。
「……っ……!」
息が勝手に荒くなる。
必死に視線をそらそうとするのに、剣の軌跡も、血飛沫も、脳裏に焼き付いて離れない。
鎖が膝に食い込み、鈍い痛みがじわりと広がる。
首輪は冷たく喉を圧迫し、呼吸をするたびに皮膚が擦れてひりついた。
鉄臭い血のにおいが風に乗って流れ込んでくる。
それが群衆の汗と混ざり合い、吐き気を誘う――喉がひくりと動いた。
「……いや……」
声にならないかすれが漏れた。
逃げ場はない。目を閉じても、耳を塞いでも、この現実からは逃げられなかった。
檻馬車の奥で、麗華は無意識に鎖を強く握りしめていた。
鉄が食い込む手のひらの痛みすら気づかない。
視線の先――処刑台の上で、藤堂彩花が腕を下ろし、群衆の喝采を浴びている。
あの学級副委員長。
かつては、ただの優等生。
少なくとも、自分と“並んでいたはずの存在”。
「……あんな奴が……上に立つなんて……!」
胸の奥で何かが煮え立つ。
恐怖か、怒りか、それとも――屈辱か。
「私が……藤堂より下……? こんな世界で……!」
鎖がわずかに鳴る。
首輪の冷たさが、言葉以上に現実を突きつけてくる。
優等生として積み上げた“序列”が、一瞬で崩れ去る感覚。
怒りと悔しさと嫉妬が絡み合い、胸が締め付けられる。
なのに、どうにもならない――
手足は縛られ、声すら出せない。
「……くそっ……」
唇を噛む音が、小さく檻の中に響いた。
「おい、静かにしろ!」
商人の声が檻馬車の中で響き、麗華は思わず体を縮める。
鎖が乱暴に引かれ、手首に鋭い痛みが走る。
首輪の冷たさが喉をさらに圧迫し、息を吐くたびに痛みが増す。
「いや……!」
叫ぼうとするが、喉は締め付けられ、声にならない。
檻の奥へ押し戻され、背中が木の格子にぶつかる。
涙が滲み、頬を伝うが、それを拭く余裕すらない。
無力さだけが全身を包む。
鎖の重み、鉄の冷たさ、そして商人の怒声――
すべてが、麗華に現実を突きつける。
ここでは、何もできない。何も変えられない。
「……くっ……」
小さく唇を震わせ、手首の痛みを噛みしめるしかなかった。
広場には、処刑を終えた勝利の余韻のような歓声が渦巻いていた。
藤堂彩花は高く腕を掲げ、群衆に誇らしげに手を振る。その姿は、夕陽に赤く染まり、まるでこの世界の支配者そのものだった。
檻の中、麗華は震える手を見下ろす。
鎖の重みと首輪の冷たさが、現実の残酷さを肌に刻む。
「……何も……できないの……?」
小さな声は喉の奥で途切れ、空気に溶けてしまう。
自分の無力さが、心の底から胸を締め付ける。
そしてその瞬間、麗華の視界の端に次の行動――商人たちによる連行、出品準備――がちらつく。
心の中の恐怖と屈辱が、次の場面へと静かに、しかし確実に導いていく。
夕陽が傾き、長く伸びる影の中で、檻付きの馬車が静かに止まっている。
裏手の通りは市場の喧騒から少し離れ、ざわめきは遠くに響くだけ。
空気には香辛料の甘く刺激的な匂い、獣の獣臭、そして血の生々しい匂いが混ざり合い、息を吸うだけで胸の奥がざわつく。
麗華は鎖に繋がれたまま、影に包まれる薄暗い馬車の中で、遠くの歓声と、自分の無力さを同時に感じていた。
夕陽に赤く染まる影の中、商人が馬車のそばに立った。
低く、無機質な声で告げる。
「そろそろお前も出番だ」
言い終わるや否や、鎖を乱暴に引かれ、金属のカシャリという冷たい音が夕陽に反射して響き渡る。
麗華の体は無理やり揺さぶられ、首輪の重みが喉を圧迫し、思わず息を詰める。
その瞬間、恐怖が全身を走り、逃げ場のない現実を思い知らされる。
「やめて……!」
叫ぼうと口を開くが、声はかすれ、喉の奥で詰まったまま。
首輪の締め付けと鎖の重みで膝が震え、足元はふらつく。
商人に乱暴に引かれながら、麗華の体は馬車の床から地面へと無理やり押し出され、冷たい石畳に引きずられていく。
その瞬間、逃げ場のない恐怖と、抗えない現実の重みが全身を覆い尽くした。
麗華の脳裏には、さっき処刑台で見たあの青年の姿が鮮明に蘇る。
血に染まった木台、群衆の嘲笑、あの冷たい剣の先端……。
「……私も、ああなるかもしれない……」
全身を恐怖が貫き、屈辱が胸の奥を締め付ける。
鎖と首輪の重みが、ただ現実の冷たさを思い知らせる。
現世での序列、学園での優劣、知識や能力――どれもこの世界では無力。
すべて意味を持たないことを、麗華は痛切に理解した。
麗華の足元には冷たい石畳が広がり、膝に食い込む鎖の重みがずっしりと伝わる。
金属のカシャリという音が、夕陽に赤く染まる馬車の床板に冷たく反響する。
首輪の冷たさが喉元を締め付け、肌に刺すような感覚を残す。
遠くからは群衆の歓声やざわめきが届くが、馬車の影に隠れた麗華には届かず、孤立感だけが濃く重くのしかかる。
赤く傾いた光が鎖や格子に反射し、心理的な圧迫感と恐怖を視覚的に増幅させている。
商人に鎖を引かれ、麗華は石畳の通路をゆっくりと進む。
檻の影から見える処刑台は、まだ赤く染まったまま広場にそびえ、群衆のざわめきが遠くに響く。
胸の奥で息が詰まり、手の震えを鎖の重みが強調する。
麗華の視線は、群衆の歓声と血の匂い、そして自分のこれから立たされる未来へと向かい、不安が全身を支配していた。




