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奴隷令嬢、最強への成り上がり  作者: 南蛇井


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領主アルト・アステルとの謁見

 ――霧が、音もなく揺れていた。

 月の光さえ届かぬ湖畔、その奥に“それ”はあった。


 湖面に浮かぶように建つ漆黒の館。

 石造りの外壁は古代の意匠を残し、どこか呼吸しているように湿った空気を吐き出している。

 門を抜けた一行は、冷たい風とともに静寂へと飲み込まれた。


 扉がゆっくりと開く。

 軋む音が、やけに長く響いた。


 中に足を踏み入れると、空気が一変する。

 息を吸い込むたび、古の埃と魔力が喉を締めつける。

 壁には無数の肖像画――男も女も、誰もが紅い瞳を宿して微笑んでいた。

 彼らの視線が、今なお館を守り続けているかのようだ。


 カイルが短く息を呑む。

 「……誰もいないのか?」


 返答の代わりに、天井の燭台がぼんやりと光を灯した。

 淡い青白い炎が列をなすように並び、長い回廊を照らす。

 だが、その炎はどれも揺らめかない――まるで生者の熱が存在しない空間。


 セレナが目を細め、掌に魔法陣を描く。

 「気配はある。でも、人のそれじゃない……何かが、見てる」


 その言葉に、一行の緊張が一気に張り詰めた。

 バルゼンは無言で剣の柄に手を置き、視線を巡らせる。

 彼の眉間に皺が寄る。

 「この静けさ……妙だ。音が吸い取られてやがる」


 確かに、靴音も呼吸も、館の中で吸い込まれるように消えていく。

 空間そのものが、生き物のように彼らを呑み込んでいる――そんな錯覚を覚えるほどだった。


 そのときだった。


 ――ギィィィ……。


 奥の扉が、自らの意思で開いた。

 重厚な金属音が静寂を裂くように響く。

 その向こうから、淡い紅の光が滲んだ。


 カイルが思わず一歩引く。

 セレナの灯が揺れ、霧のような光が広間を包み込む。

 そして――。


 バルゼンが低く呟いた。

 「……来るぞ。」


 開かれた扉の向こう、闇の中に“誰か”の気配があった。

 それは冷たく、しかし確かに彼らを“歓迎する”ような気配。


 長い旅路の果て、彼らはようやく出会う。

 この地の主――アステル領の若き領主との、運命の邂逅を。



扉の向こう――

 霧を切り裂くように、静かな足音が響いた。


 広間に差し込む紅の光。

 その中心に、一人の青年が立っていた。


 白銀の髪が月光を弾き、紅玉のような瞳が闇を貫く。

 年若く見えるが、その眼差しには人のそれを超えた“深淵”が宿っている。

 彼こそ、アステル領主――アルト・アステル。


 彼はゆるやかに玉座から立ち上がり、

 まるで再会を喜ぶかのような穏やかな笑みを浮かべた。


 「ようこそ、遠き地よりの来訪者たち。」

 その声は、湖の底から響くように静かで、美しかった。


 そして、彼の瞳が――麗華を見据える。


 「そして――“麗華・クラウディア”。」


 時間が、止まった。


 麗華は息を呑む。

 背筋が、凍りつくような感覚に襲われた。

 自分の名が、確かにこの男の口から告げられた。

 それも、まるで“知っていた”かのように。


 「っ……! なぜ、私の名を……」


 その瞬間、麗華の首元が熱を帯びた。


 黒い首輪――“封印の印”が淡く輝き出す。

 脈動が肌を伝い、光が血管のように広がっていく。


 空気が震えた。

 館の壁が微かに鳴動し、燭台の炎が揺れる。

 重く、古い何かが、目を覚ましたようだった。


 アルトはその様を静かに見つめ、唇の端をわずかに上げる。


 「それは、“誓約の印”だ。」

 「忘れられし契約の証。この地に眠る“古き血”が――君を呼んだのだよ。」


 その声に、確かな哀しみと慈しみが混じる。


 麗華は思わず一歩、後ずさった。

 胸の奥で、心臓とは別の“鼓動”が鳴っている。

 自分の中に流れるもの――それが何かを、彼女はまだ知らない。


 だが、アルトの目は知っていた。

 まるで、千年の時を超えてその瞬間を待ち続けていたかのように。


 静寂の中、紅い瞳と蒼い瞳が交わる。


 ――その出会いが、すべての因縁を再び動かす“契機”となることを、

 この時、まだ誰も知らなかった。


沈黙の広間に、淡い魔力の光が灯った。

 セレナが両手を掲げ、分析魔法を展開する。


 青白い魔方陣が麗華の首輪を包み、幾層もの魔力紋が浮かび上がる。

 だが、次の瞬間――魔方陣が軋むように歪み、弾けた。


 「っ……!? 解析が……遮断された?」

 セレナが息を呑む。

 「構造が……ありえない。未知の層構成よ。人間の術式じゃない……!」


 カイルが思わず叫ぶ。

 「おい、何だよそれ! 外せないのか?」

 セレナは首を横に振るしかなかった。

 「“解除不能”……まるで、生きてるみたいに抵抗してるの。」


 そのやり取りを、アルトは静かに見ていた。

 そして、ゆるやかに口を開く。


 「無理だよ。――その印は、ただの魔具ではない。」


 紅の瞳が、闇の奥で細く光る。

 微笑んでいるのに、空気が冷たく張り詰めていく。


 「この地を治める者は、代々《血の契約者》として、聖獣と魂を結んできた。

 それは、“封印”であり、“誓約”でもある。」


 彼の声は、どこか祈りのようであり――呪詛のようでもあった。


 「君の中に流れるのは、かつてこの地を護った“始祖の血”。

 ゆえに、契約は再び結ばれねばならない。」


 麗華の目が大きく見開かれる。

 「私の……血が、始祖の……?」


 アルトは静かに頷く。

 その仕草に一片の疑いもなく、まるで真実を確認するようだった。


 「そうだ。君は呼ばれた――“誓約”の残響によって。」


 その瞬間、麗華の意識の奥で“何か”がざわめいた。


 視界が、赤く染まる。

 遠い記憶の欠片が、音もなく流れ込む。


 ――紅い月。

 ――湖畔の神殿。

 ――誰かの声が、名前を呼ぶ。


 『契約を、果たそう。魂の半分を君に――』


 その“影”は、確かにアルトと同じ声をしていた。


 麗華ははっと息を呑み、現実に引き戻される。

 指先が震え、胸の奥で心臓とは違う“脈動”が鳴っていた。


 アルトが一歩、麗華に近づく。

 その距離、わずか数歩。

 けれど空気が変わる。


 「恐れることはない。契約は、君を縛るためのものではない。

 ――君を“還す”ための儀式だ。」


 紅い瞳が揺らめき、まるで月光を映した湖のように光る。


 麗華はただ、言葉を失って立ち尽くした。


 その夜、彼女の中で――“千年前の記憶”が、静かに目を覚まし始めていた。


重苦しい静寂を裂くように、カイルが声を荒げた。


 「――勝手にそんなことを言うな!」


 彼の手が無意識に剣の柄を握りしめる。

 薄暗い大広間の空気が一瞬にして張り詰めた。


 「麗華の“血”だの“契約”だの……そんなの、誰が信じるかよ!」


 アルトは微笑んだまま、ゆっくりと玉座の階段を降りてくる。

 その仕草には一切の敵意がない――はずなのに、

 目の前にいるだけで、背筋に氷が滑るような寒気が走った。


 「ふむ。血の繋がりを、信じないと?」

 彼の声は柔らかく、それでいて――どこまでも冷たい。


 「君は“護衛”だろう? ならば、剣よりも、口を慎むことだ。」


 その言葉に、カイルの頬が怒りで震える。

 「てめぇ――!」


 瞬間。

 バルゼンの手が、素早く剣にかかる。


 「……貴様、何者だ」


 音のない静寂が、広間を包む。

 アルトはその灰銀の瞳を細め、バルゼンを見据えた。


 そして――微笑んだ。


 「人ならざる者――とでも言っておこう。」


 その言葉と同時に、空気が歪んだ。


 目に見えない“圧”が広間を満たし、

 壁の紋章が低く唸りを上げる。

 石の床がきしみ、重厚な扉がわずかに震える。


 セレナが息を呑んだ。

 「魔力……いや、これは……“存在”そのものが異質……!」


 アルトの紅い瞳が、薄闇の中で静かに輝く。


 「私は、この地に生まれ、契約を果たすために生きてきた。

 それ以外の“意味”を、私は持たない。」


 麗華の心臓がひときわ強く脈打つ。

 まるでその“血”が、アルトの言葉に呼応するかのように――。


 「……契約を果たすために、か」

 バルゼンの声が低く響く。

 「ならば――その目的が我々に害を及ぼすなら、俺は容赦しない。」


 アルトはふっと目を伏せ、口の端をわずかに上げた。


 「それもまた、“契約の定め”だ。拒む者がいれば、試練は訪れる。」


 その瞬間、館の奥で鈍い鐘の音が響いた。

 低く、重く、まるで“何か”が目を覚ますような音だった。


 麗華はその音を聞きながら、胸の奥に疼く“血のざわめき”を感じた。

 ――この地で、何かが始まろうとしている。



 ――静寂。

 だが、その沈黙の底で、確かに“何か”が脈打っていた。


 館の石造りの床が、鼓動のように微かに揺れる。

 それは風でも地鳴りでもない。まるでこの場所そのものが生きているかのように。


「……今の、何?」

 セレナが呟いた瞬間、淡い紅光が床下から立ち上がる。

 模様が浮かび上がった――それは古の紋章。円環と血の線で織りなされた、精緻な魔法陣。


 麗華の首に巻かれた“黒い首輪”が、呼応するように脈動を始める。

 脈打つたび、紅い光が彼女の肌を透かし、空気が震えた。


「麗華っ! 下がれ!」

 カイルが叫ぶが、麗華の足は動かない。

 何かに引かれるように、彼女の視界が暗転していく。


 ――気づけば、そこは異なる世界だった。


 闇の湖面。赤い月が空を裂き、静かな波が足元を撫でる。

 目の前に立っていたのは――自分と同じ顔をした“もう一人の麗華”。


 その影が口を開く。


> 「約束を……果たして。

 世界が崩れる前に。」




 囁きは優しくも、胸の奥を刺すように痛かった。

 次の瞬間、紅の光が視界を覆い――麗華は現実へと引き戻された。


 膝をつき、荒い息を吐く麗華。

 カイルが駆け寄ろうとするより早く、アルトが彼女の前に歩み出た。


 彼の瞳――紅玉のように冷たく輝くその光が、麗華を見つめる。


> 「さあ、継承者。運命は始まった。」




 差し出された手。

 その掌から、淡い魔力の波が溢れる。


> 「血が呼ぶならば――抗うことはできない。」




 その言葉は、まるで呪いのように、館中に響いた。

 そして麗華は、震える手で――その手を取るかどうか、迷い続けていた。


 やがて、夜が深く沈み、紅の魔法陣は静かに消えていく。

 だがその瞬間、誰も気づかぬ場所で――古き封印の鎖が、ひとつ“音を立てて外れた”。


夜は深く、静寂が館を包み込んでいた。

 遠くでかすかに風が鳴り、月光が薄いカーテンを透かして差し込む。


 一行は、アルトの計らいで領主館の客間に宿を取った。

 だが誰も、安らかに眠れる者はいなかった。


 セレナは部屋の隅に魔法陣を描き、淡い青光の結界を張る。

 その光はまるで静かな焔のように揺らめき、外界の気配を遮断している。


 バルゼンは無言で窓辺に立ち、剣を膝に置いたまま目を閉じた。

 浅い眠りの中でも、彼の耳は外の気配を逃さない。

 彼の手の甲に刻まれた傷跡が、月光を反射して淡く光った。


 一方――麗華は、眠ることをやめていた。


 窓を開け放ち、冷たい風を胸いっぱいに吸い込む。

 夜空には、紅く染まった月。

 まるで誰かの血が、天にこぼれ落ちたかのような色だった。


 彼女の指が、無意識に首の“黒い首輪”へと触れる。

 触れた瞬間、微かな熱が走る。

 まるで脈打つように、首輪が呼吸しているかのようだった。


> (麗華の心の声)

「あの人……私を“知っていた”。

 どうして――?

 この首輪も、あの血の声も……全部、私の中にあったものなの……?」




 唇が震える。

 だが、その問いに答える者はいない。


 遠く、鐘の音が鳴った。

 ゆっくりと、静かに――まるで誰かの“目覚め”を告げるように。


 その音に重なるように、麗華の耳に届く。

 湖の方角から――微かに響く、心臓の鼓動のような音。


 ドクン。

 ドクン。


 それは確かに、生きていた。

 この地のどこかに、“何か”が眠っている。

 そして、彼女の血がそれを呼び覚まそうとしている。


 麗華は月を見上げ、震える声で小さく呟いた。


> 「運命なんて……信じたくないのに。」




 夜風が彼女の髪を揺らす。

 その瞬間――紅い月が、まるで微笑むように陰を深めた。


 館の奥で、誰も知らぬ小さな“ひび割れ”が走る。

 それは封印の綻びか、あるいは世界そのものの警鐘か。


 静寂の夜に、不穏なる前兆が忍び寄っていた。



第四章 晩餐と“契約の目覚め”



――アステル領主館・大広間


 夜の帳が降り、霧の湖面を紅に染める月が、静かに昇り始めていた。

 その光を受けて、湖上に浮かぶように建つ領主館が妖しく輝く。

 石造りの外壁は黒曜のように光を反射し、風もないのに幕がわずかに揺れた。まるで建物そのものが呼吸しているかのようだった。


 重厚な扉が開かれると、蝋燭の炎がゆらめく広間が現れた。

 長卓の上には金と銀の食器、磨き上げられた水晶の杯、どれもが完璧な配置で並んでいる。だが――そこに漂うのは、祝宴の華やかさではなく、言いようのない静寂と恐怖。


 使用人たちは黙々と給仕をこなしながらも、誰ひとりとして目を合わせようとしなかった。

 顔を伏せ、足音さえ忍ばせ、息を殺すように動く。まるで“何か”に怯えている。


「なんだよこの空気……まるで葬式みたいだな」

 カイルが肩をすくめながら囁く。

 彼の軽口も、この場では妙に響いて聞こえた。


 セレナは周囲を鋭く見回しながら、小さく息を呑む。

「……“見られてる”。どこかから」


 バルゼンは何も言わず、静かに壁際へと視線を送った。

 その手はすでに剣の柄にかかっている。


 長卓の最奥――そこに座していたのは、アステル領主・アルト。

 白銀の髪を月光に照らし、紅の瞳を細めながら、一行をまるで玩具でも見るように眺めていた。

 笑みは穏やか。けれど、どこか冷たい。


「ようこそ、我が館へ。旅の疲れもあるだろうに、招きを受けてくれて光栄だ」

 その声は柔らかく、しかし耳の奥に残るような響きを持っていた。


 麗華は一礼し、用意された席に腰を下ろす。

 けれど、その瞬間――胸の奥に“重い圧”がのしかかるのを感じた。


 息が詰まる。

 首元に触れると、冷たい金属の感触とともに、首輪がかすかに“脈打って”いた。

 微かな痛みが走り、意識の奥で誰かの囁きがこだまする。


 ――〈還れ〉


 麗華は思わず目を見開いた。

 けれど、誰も気づいていないようだった。カイルもセレナも、ただ不穏な空気を感じ取っているだけ。


 アルトはゆるやかにワイングラスを傾け、紅の液体を唇に運ぶ。

 そして、わずかに笑みを深めた。


「どうか、ゆっくりと――この夜を楽しんでくれ」


 その声音の裏で、紅い月が雲を裂き、館の窓に怪しく映り込む。

 まるで“血の宴”の幕開けを告げるかのように。


――アステル領主館・大広間


 金糸のカーテンが夜風に揺れ、紅月の光が卓上を照らしていた。

 長い晩餐の席。並べられた皿には、香辛料と果実で彩られた料理が並び、湯気がゆらりと立ちのぼる。

 香りは甘く濃密――だが、その奥にかすかな“鉄の匂い”が混じっていた。


 肉の断面があまりにも鮮やかで、まるで今も命の熱を宿しているかのようだった。

 ワイングラスの中で、深紅の液体が光を反射し、ゆっくりと波打つ。

 それは葡萄酒というより、まるで――血。


 麗華は静かにグラスを持ち上げた。

 手の震えが止まらない。指先に伝わるガラスの冷たさが、妙に生々しく感じられた。


「どうか遠慮なく。王都の客人に最高のもてなしを」

 アルトは柔らかな声でそう言い、グラスを掲げた。

 その瞳――紅玉のような光が、蝋燭の炎を映して妖しく揺れている。


 彼は談笑するような調子で語り始めた。

 アステル家の起源。

 この湖と結ばれた“始祖の契約”。

 血によって継がれる誓いのことを――。


> 「この湖は、“魂の契約”を交わした地。

 血を分けた者たちは、永遠にこの地と繋がる。

 死んでもなお、その絆は断たれない。」




 彼の声が、広間の静寂に吸い込まれていく。

 まるで語りながら、空間そのものに“命令”を刻みつけているようだった。


 セレナはフォークを置き、眉をひそめる。

 いつも冷静な彼女の声に、わずかな緊張が滲んだ。


> 「……それは、呪いのようなものね。」




 アルトは穏やかに微笑む。

 けれどその笑みは、どこか人間の温度を欠いていた。


> 「呪いと呼ぶのは、恐れる者だけだよ。

 誓いを“選んだ”者にとっては――それは祝福だ。」




 その言葉に、麗華の心臓がひときわ強く脈打つ。

 胸の奥から熱が込み上げ、喉が焼けるように乾いた。

 そっと唇を濡らそうと、ワインを口に含む。


 瞬間――


 鉄の味が、舌の上に広がった。

 それは決して“気のせい”ではなかった。

 温かく、重く、わずかに甘い――血の味。


 麗華の視界が揺らぐ。

 赤い光がちらつき、脳裏に“誰かの声”が微かに響く。


 ──〈目覚めよ、継承者〉──


 グラスがカチリと鳴った。

 その音は、宴の空気を裂く“予兆”のように響き渡った。



静寂を裂くように、領主アルトの低く響く声が麗華の名を呼んだ。

その瞬間――空気が、張り詰める。


> アルト:「君の中に眠る“印”、やはり目覚め始めているのだね。」




 麗華は一瞬、意味が理解できなかった。

だが次の瞬間、胸の奥――いや、鎖骨のあたりから焼けるような熱が走る。


「……あ、あつ……!」

 息を吸い込む間もなく、痛みが爆ぜた。

首輪が赤く脈打ち、まるで生き物のように締め付けてくる。

黒だった装飾が、血のような紅に染まり――やがて、その光は肌の下を這い回る。


 胸元に浮かび上がる、見たこともない“紋様”。

それは古代文字のように絡み合い、紅い炎を灯していた。

空気が震え、床の絨毯が波打つ。

どこか遠くで、鐘の音が鳴った気がした。


> 麗華:「あ……ああっ……!!」




 痛みとも快感ともつかぬ感覚が、背骨を駆け上がる。

椅子が倒れ、皿が砕け、ワイングラスの中の液体が紅の霧となって宙に舞う。

風もないのに、カーテンが激しく揺れた。

まるでこの館そのものが、彼女の呼吸に合わせてうねっているようだった。


> カイル:「麗華ッ! やめろ! 抑えろ!」

セレナ:「違う……彼女がやってるんじゃない……“呼ばれてる”!」




 セレナが詠唱を始め、光の結界を展開しようとする。

だが――

バチン、と乾いた音と共に、見えない力に弾かれた。

彼女の足元に魔方陣が砕け散り、青白い火花が走る。


> セレナ:「くっ……結界が、破られた……?」




 バルゼンが剣を抜いて麗華に駆け寄る。

だが、紅い奔流がその身体を拒むように吹き荒れ、男は数メートルも押し戻される。


 ただ一人、アルト・アステルだけが悠然と立ち上がっていた。

その瞳――紅の光を宿した双眸は、まるで長い時を超えて何かを見通すかのように静かだ。

ゆっくりと、彼は手を胸に当て、薄く微笑む。


> アルト:「――ようやく、“声”が届いたか。」




 その声に応じるように、紅光が脈動した。

麗華の瞳の奥にも同じ紅が灯る。

その瞬間、彼女の内側から“誰かの声”が囁く。


> 〈目覚めよ――契約の子〉




 外界の音が遠のき、世界が一瞬、静止した。

やがて紅い光が弾け、夜空に響くような震動が館全体を包み込む。


 そして――満月の光が、紅に染まった。



――落ちていく。

 意識の底が、音もなく沈んでいく。

麗華は抗う間もなく、何かに引きずり込まれていた。


 視界を覆うのは闇。

けれど、どこか遠くで水音がする。

次第に、冷たい空気と血の匂いが満ちていった。


 気づけば足元は、波打つ“赤”。

――血の湖だ。

月が、それを照らしていた。

満月ではない。いや、満月なのに、その光はまるで――血を流すように紅かった。


「ここ……どこ……?」


 呟いた声は、まるで他人のように響く。

そのとき、対岸に“誰か”が立っていた。


 それは、麗華自身。

けれど――髪は白く、瞳は深紅に輝き、古代の衣をまとっていた。

まるで鏡の向こうの存在のように、もう一人の“私”が静かに微笑む。


> 影の声:「目覚めよ、継承者……」




 その声は彼女の内側からも響いた。

痛みも、恐怖も、消えていく。

代わりに、心の奥底に何かが“戻ってくる”感覚。


 そして――景色が歪む。


 麗華は古代の祭壇に立っていた。

巨大な石の環の中心、湖を背に、紅い光が渦巻く。

彼女の目の前には、一人の青年。

その瞳もまた、紅。

その輪郭も、その声も――まるで今のアルト・アステルに瓜二つだった。


> 男の声:「我が血を汝に分け与え、永遠を誓おう。魂は二に分かれ、やがてひとつとなる。」

麗華(過去の姿):「――受け入れます。この血と共に、あなたの名を継ぎます。」




 二人の掌が重なり、刃が滑る。

流れ出た血が交わり、湖面へと滴り落ちる。

紅が波紋となって広がり、湖全体が真紅の光に包まれた。


 その光の中で、二人は微笑んでいた。

誓いの言葉が、時を超えて響く。


> 二人:「魂を分け、永遠を誓う――」




 やがて光が爆ぜ、世界が白く染まる。

風の音も、水の音も、何もかもが遠ざかっていく。


 そして――麗華は目を開いた。


 視界に映るのは、再び晩餐の大広間。

倒れた椅子、砕けた食器、そして自分の手に残る紅の輝き。

その前で、アルトが微笑んでいた。


> アルト:「……やはり、君だったんだね。」




 彼の瞳が、懐かしさと哀しみを帯びる。

麗華の胸の奥で、“あの誓い”の言葉がまだ脈打っていた。



 ――息が、できない。


 麗華は激しく脈打つ鼓動を押さえながら、床に膝をついた。

冷たい石畳の感触が、焼けるように熱い。

胸の奥からせり上がる痛み。

その中心で、紅い光が脈動していた。


 衣の隙間からのぞく胸元には、まるで生きているかのように揺らめく“紋様”。

それは血のように紅く、闇のように深い――“契約の印”。


> カイル:「おい、しっかりしろ! 麗華!」

セレナ:「……信じられない……魔力が暴走してる……これ、人間の領域じゃない……!」




 駆け寄るカイルの声も、セレナの結界の光も、すべてが霞んでいく。

鼓動と共に、耳の奥で何かが“囁いていた”。

――“誓いを果たせ。血は再び巡る”――。


「……いや……私……何を……?」


 息を絞るように呟く麗華。

その視界の先――

アルト・アステルが立っていた。


 彼はまるでこの混乱を楽しむかのように、穏やかに微笑んでいる。

紅の瞳が、光を吸い込むように揺れた。


> アルト:「やはり君こそ“継承者”だ。」




 その言葉が、静かに部屋に落ちる。

割れたグラス、倒れた燭台の影。

そこに満ちるのは、ただひとつ――“確信”。


> アルト:「そして――契約の目覚めはもう止められない。」




「……契約……?」

 麗華の声が震える。

視界が揺れ、紅の光が脈打つたび、意識が遠のいていく。


> 麗華:「……あなた……何を、したの……?」




 その問いは、震えた唇から零れ落ちた。

アルトは、少しだけ目を細める。

どこか懐かしげに――、まるで“再会”を喜ぶように。


> アルト:「私はただ、“定め”を告げただけだよ。」




 その声が、湖の底のように深く響く。

まるで、千年の時を超えて届いた“運命の宣告”のように。


 紅い光がふっと消え、麗華の身体が力なく崩れる。

カイルが抱きとめた瞬間、部屋の中の空気が一変する。

壁に刻まれた紋章が淡く光り、湖の方角から“心臓の鼓動”のような震動が伝わった。


 ――目覚めの余波は、まだ終わっていない。


 その夜、アステル領全体が微かに“脈動”していた。

湖が呼吸し、血が巡り、そして、何かが“戻り始めている”。


晩餐の終わりを告げる鐘の音が、静寂の館に響いた。

けれどその余韻はどこか歪で、底の見えない“脈動”のようでもあった。


 銀の食器がわずかに揺れる。

グラスの中の赤いワインが波打ち、光を反射して――紅の月を映す。


 次の瞬間、館そのものが震え始めた。


 壁が軋み、天井のシャンデリアが微かに揺れる。

外の窓を覗くと、湖の水面が――紅く染まり始めていた。


 最初はほんの霞のような赤。

だが、それは次第に濃くなり、やがて血のような深紅へと変わっていく。

湖面が蠢き、波紋が規則的に脈打つ。

まるで巨大な“心臓”が、この地の底で鼓動しているかのように。


> バルゼン:「……湖が、生きてやがる。」

セレナ:「これは……“契約の地”が呼応しているのね……」




 その言葉が途切れると同時に、冷たい風が館の中を走り抜けた。

燭台の炎が揺らぎ、影が壁を這う。

空気が――“呼吸している”。


 アルト・アステルは、そんな異様な光景の中でも微笑を崩さなかった。

ゆっくりと椅子から立ち上がり、窓辺へ歩み寄る。

紅く染まった月が、その白銀の髪を照らす。


> アルト:「契約は再び巡る。

 血が交わる時、世界は選ばれる――」




 その声は、まるで湖そのものが語っているかのように低く、深く響いた。


 麗華の胸が再び熱を帯びる。

首輪の“印”が光を放ち、脈打つたびに心臓の鼓動と重なっていく。

痛みとも呼べぬ感覚――いや、それは呼び声だった。


 紅い月が湖面を照らす。

館全体が淡く輝き、空間が歪む。

その光景を、誰もが息を呑んで見つめることしかできなかった。


 ――そして、麗華の“印”が最後にひときわ強く脈打つ。


 それは、次なる“儀式”の始まりを告げる鼓動。

湖の奥底で、何かが“目を覚ます”音がした。


 世界が、静かに回り始める。


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