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奴隷令嬢、最強への成り上がり  作者: 南蛇井


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42/50

領主邸の違和感 ― 血の契約の影

 麗華たち一行が辿り着いたのは、王都北部――アステル領の中心に佇む“湖の館”だった。

 鏡のように澄みきった湖面。その水上にまるで浮かぶように建つ白亜の館は、夕暮れの光を受けて神々しいほどの輝きを放っていた。

 しかし、その静寂はどこか張りつめている。鳥の囀りも風の囁きも、まるで遠慮しているかのように控えめだ。

 麗華は門前に立ち、ふと息を詰めた。

 (……空気が、重い)

 目には見えない。だが、確かに圧がある。

 空間そのものが“意思”を持ち、外からの侵入を拒むような圧迫感。

 隣でセレナが眉をひそめた。

「……この空気、妙ね。結界のような魔力が、館全体を包んでる」

 彼女の紫の瞳が淡く光る。魔導士特有の魔力感知だ。

 セレナの指先から放たれた微細な光粒が空間に溶け、すぐに霧散する。

「やっぱり。相当古い術式よ。……触れただけで、拒まれた」

 ロウガが大きく肩を回した。

「気のせいじゃねぇのか? なんか胸が詰まる感じはするが、結界なんて見えねぇぞ」

 セレナが小さくため息をつく。

「見るんじゃなく、感じるの。あなたみたいな筋肉では分からないかもね」

「なんだとぉ?」

「はいはい、落ち着け」

 ダリオが制止しつつ、懐中の魔力測定端末を取り出した。

 カチリと起動音。淡い光が円盤状の装置に灯る――が、すぐにノイズが走り、数値が乱れた。

「……ダメだ。波形がめちゃくちゃだ。普通の魔力じゃねぇ。何かが“反応を拒んでる”」

 麗華は静かに辺りを見渡した。

 館を取り囲む森は不気味なほど静かで、まるで外界と隔絶された異空間のようだった。

(ここが……アステル領。封印指定区域、ね)

 胸の奥で、微かに首輪が脈動する。

 血のような熱が、皮膚の下を通って首筋を焼くように走った。

「……行きましょう」

 麗華の一言で、重い空気を押し割るように一行は歩き出す。

 湖を渡る橋を踏みしめるたび、波紋が静かに広がっていく。

 その足音が、どこか遠い“目覚め”の合図に思えた。

――そして、湖の底の“何か”が、微かに呼応する。

水面に、誰にも見えない紋章が一瞬だけ浮かび、消えた。

 案内されたのは、湖の館の奥――まるで異世界に踏み込んだかのような大広間だった。

 天井まで届く黒曜石の柱が左右に立ち並び、壁一面には古代語にも似た紋章が刻まれている。

 無機質な光がその文様を淡く照らし出し、まるで文字そのものが呼吸しているかのようだった。

 足音が床に響くたび、低く重い反響が返る。

 空気そのものが“圧”を持つようで、ロウガでさえ無意識に背筋を伸ばした。

「……こりゃ、ただの貴族の館じゃねぇな」

「同感。建築様式が古すぎるわ。少なくとも数百年前の“契約期”のもの」

 セレナが壁を見上げながら呟くと、ダリオが軽く頷いた。

「この装飾……王国史に載ってないタイプだ。記録外の文明、か」

 そんな彼らの視線の先、広間の中央――

 ひとりの青年が、黒曜の椅子に静かに座していた。

 白銀の髪を後ろで束ね、深紅の瞳を持つ青年。

 貴族としての品格を纏いながらも、どこかこの世の理から外れた存在感。

 その姿を見た瞬間、麗華は胸の奥で何かがざわつくのを感じた。

 ――冷たい。けれど、どこか懐かしい。

「遠路ご苦労だったね」

 青年はゆるやかに立ち上がり、微笑を浮かべた。

 その声は穏やかで、よく通る。だが不思議と、空間の奥底にまで染み込むような響きを持っていた。

「アステル領へようこそ――特級冒険者、麗華・ヴァルグレイン」

 その名を告げる声音に、微かな“探る気配”が混じる。

 まるでその名の響きが、何かを呼び覚ます鍵であるかのように。

 次の瞬間――麗華の首元の首輪が、淡く光った。

 かすかな熱。皮膚を通して、血が震える。

 (……反応した? どうして――)

 麗華は無意識に喉元へ手を当てた。

 だが、アルトはそれを見逃さない。

 深紅の瞳が、彼女の動きを射抜くように追う。

 その瞳には、ただの興味ではない“確信”が宿っていた。

「やはり……君の中に眠る“印”が、目覚め始めているのだね」

 その言葉に、場の空気が一瞬凍りつく。

 カイルが思わず剣に手をかけ、ロウガが低く唸る。

 セレナとダリオは互いに視線を交わしながら、即座に結界展開の準備を取った。

 しかし、麗華は動けなかった。

 アルトの言葉が、胸の奥のどこか深い場所に突き刺さる。

 (“印”……? この感覚を、知っている……?)

 アルトはゆるやかに微笑み、背後の執事に指を鳴らす。

「緊張しなくていい。君たちは客人だ。……だが、今宵はゆっくり話そう。

 ――“血”に刻まれた真実について、ね」

 その瞬間、黒曜石の柱に刻まれた紋章が一斉に淡く光を帯びた。

 古代の呼吸のような響きが、静かに大広間を満たしていく。

 そして麗華の首輪も、再び脈動を始めた。

 まるで、それが“応答”しているかのように。

夜の帳が下りるとともに、湖の館は一変した。

 無機質な昼の静寂とは違い、今は豪奢な光と音楽に包まれている。

 金糸のカーテンが月光を反射し、天井のシャンデリアが宝石のような輝きを放つ。

 長卓の上には香ばしい肉料理、艶やかな果実、蒸気を立てるスープ。

 絵画の中の饗宴のように整えられた光景――

 だが、麗華の胸には拭えぬ違和感があった。

 給仕たちの動きは確かに洗練されている。

 だが、その笑顔の奥に見えたのは“忠誠”ではなく、“恐れ”。

 背筋を伸ばしても、どこか怯えたように目を伏せている。

 この館には、笑ってはいけない何かがある――そんな緊張が漂っていた。

「……なあ、ここ、変じゃないか?」

 カイルが声を潜めて呟いた。

「貴族の屋敷ってより……なんつーか、牢獄の中の晩餐って感じだ」

「気づいた?」とセレナが応じる。

「この館、結界で覆われてる。魔力が微細に巡回してて……まるで“監視”されてるみたい」

 麗華は黙って頷いた。

 背中に感じる、目に見えない“視線”。

 それは空気の一部に混ざって、彼女たちの一挙手一投足を観察しているかのようだった。

「誰かが、見てる……ずっと」

 呟いた瞬間、アルト・アステルが静かにグラスを置いた。

 赤いワインが月光を受け、妖しくきらめく。

 その色はまるで、血液のように濃く、粘り気を帯びて見えた。

「君の中に眠る“印”……」

 彼の声が、晩餐のざわめきを切り裂く。

「やはり、目覚め始めているのだね」

 麗華の手が止まる。

 次の瞬間――首輪の奥から、焼けるような痛みが走った。

 体の内側で、何かが蠢く。血流が逆流するような熱。

「う……あ……っ!」

 息を詰まらせ、テーブルに手をつく。

 首元の紋章が、まるで心臓の鼓動と連動するように光を放った。

「麗華!? どうした!」

 カイルが立ち上がり、セレナがすぐに支える。

 ロウガの拳が震え、ダリオは即座に警戒魔法を起動しかけた。

 だが――アルトは微笑を崩さず、手を軽く上げた。

「大丈夫。……“反応”しているだけだ」

 その声はまるで祈りのように静かで、確信に満ちていた。

「彼女の血が、我らの“契約”を覚えているのだよ」

「契約……?」

 カイルの喉が鳴り、セレナが息を呑む。

 アルトはグラスを置き、ゆっくりと立ち上がった。

 彼の足元から、淡い赤光が広がっていく。

 床に刻まれた古代の文様が呼応するように脈動し、部屋全体がわずかに震えた。

「この地は、かつて《血の儀式戦争》で滅んだ“契約者たち”の眠る場所。

 君の中の血が反応しているのは――“ここ”が、彼らの故郷だからだ」

 麗華の視界が滲む。

 音が遠のき、代わりに――耳の奥で誰かの声が囁いた。

 ──【目覚めよ、継承者】──

 瞬間、血紋が脈打ち、脳裏に紅い残光が走る。

 それは知らぬ記憶の断片。かつてこの地で交わされた、誰かの誓約の残響。

「……やっぱり、ただの依頼じゃないわね」

 セレナが小さく呟く。

「アルト・アステル……こいつ、何者だ?」

 ダリオの目が鋭く光る。

 アルトはその問いに答える代わりに、静かにグラスを掲げた。

「ようこそ、“契約の地”へ。

 君たちの来訪は――運命によって定められたものだ」

 その宣言とともに、晩餐の灯りが一瞬揺らいだ。

 窓の外――湖面の光がゆっくりと紅へと染まり始める。

 風は止み、音は消え、世界が息を潜めた。

 そして――麗華の胸の奥で、

 “何か”が確かに呼吸を始めた。

 それが《血の契約》の再始動であることを、

 この場の誰ひとり、まだ理解してはいなかった。

 昇格式から、数日後。

 麗華は呼び出しを受け、ギルド本部の最上階――上層会議室の前に立っていた。

 分厚い扉の前で一度だけ深呼吸をし、ゆっくりと扉を押す。

 重い音とともに開かれたその部屋には、張り詰めた空気が満ちていた。

 長机を囲むように幹部たちが並び、中央には封蝋付きの依頼状。

 赤黒い封蝋の表面には、不吉な紋章が刻まれている。

 ――“血の契約紋”。

 それを目にした瞬間、麗華の胸がざわめいた。

 どこかで、確かに見たことがある。

 いや、もっと深いところで――“覚えている”。

 副団長フェルディナが、低く響く声で口を開いた。

「この印……覚えているか? 古文書では“誓約の印”と呼ばれていた代物だ」

 麗華は一拍の沈黙ののち、静かに頷いた。

「ええ。触れた者の“魂”にまで契約が刻まれる……そんな伝承が残っていました」

 フェルディナは短く息を吐き、椅子の背にもたれかかる。

「依頼の内容は、アステル領での“古代遺跡の調査および護衛”。

 一見すれば学術的な依頼だ。だが、実際には“観測”と“監視”を兼ねている可能性がある」

 “監視”――その言葉に、麗華の眉がわずかに動く。

「監視、ですか?」

 フェルディナの視線が、静かに彼女を射抜いた。

「お前の“血紋”が、前回の戦闘以降――王都の観測装置に反応を示している。

 上層部は、それを偶然とは考えていない」

 沈黙が落ちる。

 時計の針の音さえ、やけに大きく響いた。

 麗華は拳を握りしめ、唇を結ぶ。

「……つまり、私は“観測対象”というわけですね」

 フェルディナは何も答えなかった。

 その代わり、壁際に立っていた黒衣の男が一歩前に出る。

 黒の外套が音もなく揺れる。

 その姿は、影そのもののようだった。

「――そういうことだ」

 低く、冷静な声。

 バルゼンだった。

 彼は麗華を真っすぐに見据え、無駄な前置きもなく告げる。

「今回の依頼は、表向きは護衛任務。だが実際には“接触任務”だ」

 空気が一層、張り詰めた。

 バルゼンの瞳に浮かぶ光は、まるで真実を切り裂く刃のように鋭い。

「アステル領の領主、アルト・アステル。

 彼は古代の血統を継ぐ家系の末裔とされている。

 何らかの理由で、“血紋”の反応を感知した可能性が高い」

 麗華は息を呑む。

 その名――“アステル”に、微かな既視感があった。

 バルゼンは続けた。

「お前には、彼と接触してもらう」

「接触……ですか?」

「ああ」

 淡々と頷く彼の声には、一切の感情がない。

「今回の任務は、上位会議直轄の“別命”だ。

 俺たちですら詳細を知らされていない。

 ただひとつだけ伝えられた――“血の契約”に関わる、と」

 会議室の空気が、一瞬で凍りついた。

 “血の契約”――それは王国建国以前に封印された禁術。

 人と魔の血を混ぜ、魂ごと縛る、最古の誓約。

 麗華の胸の奥で、痛みが走る。

 首元の首輪が、淡く赤黒い光を宿した。

 それを見たフェルディナの目が鋭くなる。

「……やはり、無関係ではないか」

 麗華は深く息を吸い、わずかに俯いた。

「この任務……受けます」

 その声には、覚悟が宿っていた。

 フェルディナが眉をひそめる。

「自分が“監視対象”になるかもしれないんだぞ」

「それでも――確かめたいんです。

 この“血”が、何を呼ぼうとしているのかを」

 静寂。

 そして、バルゼンがわずかに口角を上げた。

「いいだろう。ならば――行け、麗華・ヴァルグレイン。

 これは、お前自身の“運命”への試練だ」

 その瞬間、麗華の首輪がかすかに震えた。

 まるで、遠くの誰かがその名を呼んだかのように。

 ――その呼び声が、再び“血の契約”を目覚めさせることになるとは、

 まだ誰も知らなかった。


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