奴隷市の中央広場。
石畳の真ん中に、つぎはぎだらけの木製の処刑台が組まれていた。
日暮れ前の赤い陽光がその板を染め、まるで血に濡れているかのように見える。
周囲の露店はどこも早じまいし、人の波が広場へ押し寄せていた。
「おい、始まるぞ」「どんな罪だ?」「逆らったんだとよ」
笑い混じりの囁きがあちこちで飛び交い、子供までもが背伸びして見物しようとする。
香辛料の濃い匂い、焼けた汗の臭い、そして――鉄の、錆びた匂い。
それらが入り混じり、空気がざらりと肌を擦るようだった。
まるで市場全体が、この処刑を娯楽として待ち望んでいるかのように――。
――奴隷市場の中央広場。
夕刻が近い。傾いた陽光が赤く石畳を染め、建物の影を長く引き延ばしていた。
広場の中央には粗末な木製の処刑台が組まれ、今まさにその時を待っている。
だが、漂う空気は恐怖ではない。
集まった人々の顔にあるのは、退屈を紛らわせる娯楽への期待――。
「誰がやられる?」「奴隷が逆らったんだってよ」
ひそひそ声と笑い声が入り混じり、子供までもが背伸びして台を見ようとする。
香辛料と汗の臭いに、鉄の匂いがまじり、熱気が肌にまとわりつく。
――ここでは、処刑すら“見世物”だ。
檻付きの馬車が、広場の端に停められている。
木の格子の隙間から、石畳の中央に組まれた処刑台がよく見えた。
麗華は鎖につながれたまま、無理やり座らされている。
鉄の首輪は肌に食い込み、ほんのわずかな動きでも冷たい感触を伝えてきた。
首元にかかる鎖の重みが、まるで「おまえは逃げられない」と告げているようだ。
視線を上げれば、人波の向こうにざわつく群衆。
あざけり混じりの笑い声が、檻の中の麗華にまで届く。
彼らにとって、あの台の上の奴隷も――この馬車の中の自分も――
同じ“見世物”にすぎないのだ。
木製の処刑台に、ひとりの奴隷が引きずり出された。
骨ばった体に、擦り切れた布をまとっただけの青年だ。
両手足には無骨な鉄の枷。歩くというより、衛兵に押されて膝をついた形だ。
――ガタン、と木の床を踏みしめる音。
その瞬間、広場の熱が一気に高まる。
「おい、始まるぞ!」
「何やった奴だ?」
「逆らったんだとさ。そりゃ殺されるわな」
無数の声が笑い混じりに飛び交う。
そこに同情のかけらはなかった。
彼らにとって、これは正義でも罰でもない。
ただ退屈を晴らすための、血のショーにすぎないのだ。
麗華は檻の中で、首輪の冷たさを感じながら息を呑んだ。
――あれは、明日の自分かもしれない。
麗華は思わず、身を乗り出していた。
鉄格子に額がぶつかり、ひやりとした感触が額に残る。
――カシャリ。
首輪に繋がる鎖が鳴り、肌に食い込む感覚が一層強くなる。
胸の奥で、心臓が勝手に速く打ち始めた。
理由はわからない。ただ――視線を逸らせなかった。
なにかが……おかしい。
その言葉にならないざわめきだけが、じわじわと麗華の中で膨らんでいく。
鎖を握る指先に、自然と力がこもった。
夕陽が傾き、処刑台全体が血のような赤に染まった。
石畳に伸びた影が歪み、人々のざわめきが熱を帯びていく。
「おい、もうすぐだぞ!」
「見ろよ、あいつ足が震えてやがる!」
歓声と嘲笑が入り混じり、広場全体が異様な興奮に包まれていく。
麗華の視線は、無理やり膝をつかされた奴隷の青年に釘付けになった。
――その瞬間、場の空気がさらにざわめく。
檻馬車の中で鎖の冷たさを感じながら、麗華は息を呑んだ。
何が始まる……?
そして、処刑台の階段を上がる少女の姿が――ゆっくりと現れた。
夕陽が広場の端から差し込み、石畳を赤く染め上げる。
その光の中、ゆっくりと一人の少女が現れた。
裾に金糸をあしらった豪華なドレスが、夕焼けを映して鮮やかに輝く。背後には従者が数名、等間隔に控え、彼女の歩みに合わせて一糸乱れず進む。
少女の足取りは、まるで舞踏会のステップのように優雅だった。
だがその一歩ごとに、広場のざわめきは次第に小さくなり、群衆の視線が彼女へと吸い寄せられていく。
ただ歩いているだけなのに、空気が一変する。
この場の主導権が誰の手にあるのか、誰もが無意識に理解してしまうような、そんな存在感だった。
処刑台へと続く石畳を、少女は迷いのない足取りで進んだ。
背筋は伸び、肩は自然に張られている。場慣れした貴族特有の立ち姿。
彼女が歩み寄るだけで、道の左右に人の壁が生まれた。
誰もが本能的に距離を取る。
足を止めた少女は、赤く染まる広場を見渡す。
一瞬だけ、声を発さずに視線だけで群衆を一掃した。
その眼差しは、虫でも見るかのように冷ややかで、絶対的な上下関係を告げていた。
左手に握られたのは、銀細工で縁取られた扇――あるいは装飾用の杖か。
彼女はそれを軽く振り、まるで舞台上の女王のように、わずかな仕草で周囲を支配した。
少女は処刑台の階段をゆっくりと上り詰め、振り返って広場を見下ろした。
赤い陽光が豪奢なドレスの刺繍を照らし、きらりと輝きを放つ。
扇を軽く広げ、声を張り上げる。
「――この者は、主人に逆らった罪を犯した! 見せしめとして、ここで処罰する!」
広場にざわめきが走り、次いで拍手と歓声が巻き起こった。
「おお、やれやれ!」
「逆らえばこうなるってことだ!」
「いいぞ、もっと見せてやれ!」
嘲笑混じりの喝采が渦を巻き、奴隷青年の顔色はさらに青ざめていく。
だが、少女の目にはその恐怖さえ映っていない。
彼女にとってはただの儀式――己の権力を示すための演出に過ぎなかった。
麗華は檻馬車の中で、首輪に繋がれた鎖の冷たさを無意識に握りしめていた。
鉄格子の隙間から見上げた夕焼けの広場――処刑台の上に立つ少女の姿が、信じがたい光景として映る。
「……あの子が……あの副委員長が……?」
「現世じゃ……私よりずっと地味で……下だったはずなのに……」
胸の奥がひりつく。恐怖、屈辱、そしてどうしようもない嫉妬が渦を巻く。
目の前で振るわれる権力の象徴――その場に割り込む力など、今の自分にはかけらもない。
鎖が小さく鳴る。麗華は必死に唇を噛みしめた。
私は……見ていることしかできない……
夕陽が赤く沈みかける広場は、熱気とざわめきに包まれていた。
処刑台の上に立つ藤堂彩花――豪奢なドレスが夕陽に染まり、まるで燃えるような輝きを放つ。
彼女が片手を軽く掲げるだけで、群衆の歓声が一気に沸き起こり、石畳が震えるほどの熱狂が広がった。
麗華は檻馬車の中で、冷たい鉄格子の隙間からその光景を見つめる。
華やかな立場と権力を誇示する藤堂彩花の姿――現世で同じ教室に座っていた少女が、今や群衆を従える存在になっている。
「……どうして……あの子が……」
鎖が小さく鳴る。麗華の指先は汗で滑り、首輪の冷たさがいやに鮮明に感じられた。
歓声はますます大きくなり、広場の空気は異様なほど熱を帯びていく。
ここでは現世のカーストなんて意味がない……
麗華の視線は藤堂彩花に釘付けになったまま、かすかな震えが止まらなかった。
処刑台の上、藤堂彩花が杖を高々と掲げる。
夕陽が差し込み、その動作に合わせて宝石の飾りが赤く煌めいた。
「――この者を処罰せよ!」
澄んだ声が広場全体に響きわたり、群衆が歓声をあげる。
鎖に繋がれた奴隷の青年が衛兵に押さえつけられ、処刑台の板が不吉に軋む。
観衆の視線はすべてその一点に集中していた――麗華の視線も例外ではない。
やめて……
声に出せないまま、麗華の心臓は破裂しそうなほど高鳴る。
首輪が微かに喉を圧迫し、息が詰まりそうになる。
どうして……副委員長だったあの子が、あんなに堂々と命令してるの……?
そして私は、ただ檻の中で……
夕陽が朱に染める処刑台、その上で振り下ろされる彩花の腕――
麗華の胸の奥で、恐怖と屈辱と焦燥が一気に膨れ上がった瞬間、場面は次の展開へと流れ込んでいく。
夕陽が広場を赤く染める中、檻馬車の格子の向こうに見慣れたはずの顔が浮かび上がった。
藤堂彩花――学級副委員長だったあの子が、豪奢なドレスに身を包み、夕陽を受けて紅く輝いている。
まるで、この異世界の女王そのものだ。
ドレスの裾が揺れるたび、金糸の刺繍が赤い光を反射して眩しい。
「……っ」
麗華は無意識に前へ身を乗り出した。
その瞬間、首に巻かれた冷たい鉄の首輪が食い込み、喉を締めつける。
苦しいはずなのに、むせ返るはずなのに――それすら意識の外に追いやられていた。
視線はただ、一点。
格子の隙間から見える横顔に釘付けになった。
同じ教室で見ていたはずの藤堂彩花が、今は別世界の生き物に見える……。
胸がざわつく。
呼吸が荒くなる。
理由も分からないまま、麗華の指は鎖を強く握りしめていた。
檻馬車の中で、麗華の心臓が耳の奥でうるさく鳴った。
――藤堂? 本当に……藤堂なの……?
どうして……ここに?
夕陽に照らされるその横顔は、確かに見覚えがある。教室でいつも淡々とノートを取っていた、あの優等生の藤堂彩花。
――学級副委員長の藤堂……あの子が……貴族に……?
現世じゃ、ただの“真面目な子”だったのに……。
混乱が胸の奥で渦を巻く。
目の前の少女は、もはや“ただのクラスメイト”ではなかった。
群衆の視線を一身に集め、堂々と処刑を告げるその姿は――完全に“上に立つ者”だった。
――私より……下だったはずの……あの藤堂が……。
――なんで、あんなに……堂々としてるの……?
喉を締めつける首輪の感触が、妙に鮮やかだった。
自分が下に落ちたからこそ、彼女が上にいる現実が余計に刺さる。
麗華の胸の奥で、いくつもの感情が絡み合ってほどけない結び目になっていた。
――怖い。
処刑を告げる藤堂の声には、教室で聞き慣れたあの落ち着きがなかった。
いや、声は同じなのに、中身がまるで別人――権力を握った者の声だ。
――屈辱だ。
自分は鎖につながれ、鉄の檻に押し込まれているというのに、
彼女は衛兵に囲まれて人を裁いている。
――嫉妬してる。
現世ではただの“優等生”、せいぜい“同じくらいの立ち位置”だったのに、
今は……雲の上だ。誰も逆らえない“本物の貴族”。
――そして何より……おかしい。
この世界の身分は、現世の評価なんて関係ない。
テストの点も、内申点も、人間関係も……何の意味もない。
首輪がわずかに鳴った。鎖の重みが、胸の奥に沈んでいく。
「……そんなの……納得できるわけ、ないでしょ……」
声にならないつぶやきが、唇だけを震わせて消えた。
麗華の手が、無意識に鎖をぎゅっと握りしめる。
指先に力を込めても、当然ながら鎖はびくともしない。
唇が小刻みに震え、声にならない息がかすかに漏れる。
その息は自分の心臓の高鳴りと混ざり合い、馬車の床に静かに反響した。
格子越しに見上げる瞳は、驚きと混乱で揺れ、焦点を定められない。
藤堂彩花の堂々たる姿が、現世で知っていた優等生の面影を覆い隠し、麗華の胸を締め付ける。
「……あの子が……こんなに……強く、堂々として……」
心の中でつぶやく言葉も、鎖の重みと恐怖に押しつぶされて、空気の中に消えていった。
群衆のざわめきが一気に高まり、歓声や囃し声が広場に響き渡る。
その中心で、藤堂彩花がゆっくりと腕を上げる。
その動作だけで、広場の空気が凍るかのように静まり返った。
麗華の胸は締め付けられるように高鳴り、息が詰まる。
「いや……いや、待って……藤堂、どうして……?」
唇が震え、声にならない叫びが胸の奥で反響する。




