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奴隷令嬢、最強への成り上がり  作者: 南蛇井


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37/50

奴隷刻印の暴走

息を吸うたび、湿った空気が肺の奥を刺す。

 視界のすべてが、灰色の霧に覆われていた。

 ここは、ギルドの地下深くに広がる“試練迷宮”。

 第一層――《幻惑の回廊》。

 無音。

 ただ、麗華の靴音だけが、濡れた石畳に鈍く響いていた。

 何度同じ角を曲がっても、同じ光景が続く。

 壁には刻まれたような模様があるが、形が一定しない。

 まるで、歩くたびに迷宮そのものが彼女を観察しているようだった。

 「……幻惑の回廊、“心を映す鏡”か」

 小さく呟いた声が、すぐ霧に溶けて消える。

 「私の心なんて、見ても……何もないはずよ」

 冷えた指先が、自然と首筋へと触れた。

 そこに――焼きつけられた奴隷の刻印がある。

 魔術抑制用の“枷”。

 本来なら魔力の暴走を封じるはずのそれが、今はかすかに脈打っていた。

 (……おかしい。ここに入ってから、ずっと熱い)

 脈動が、鼓動に重なる。

 やがて、それは“他者の心臓”のように、別のリズムを刻み始めた。

 霧の奥で、何かが囁いた気がした。

 ――“聞こえるか、器よ”

 麗華の足が止まる。

 空気が変わった。温度も、匂いも。

 先ほどまでの無機質な回廊が、どこか“生き物の内部”のように感じられた。

 「……誰?」

 反射的に声を上げるが、返答はない。

 ただ、遠くで“鎖のこすれる音”が響く。

 次の瞬間、視界が揺らいだ。

 床の石が赤く染まり、霧の中に“血の影”が滲み出す。

 そして、囁きがはっきりと形を持つ。

 > 『お前の力は――王国が隠した“封印の器”だ』

 ――バチッ。

 刻印が脈動し、黒い光が一瞬だけ漏れた。

 麗華の身体が、熱に浮かされたようにふらつく。

 「……やめて……っ」

 両手で首を押さえる。けれど、止まらない。

 刻印の奥に、“何か”が蠢いていた。

 (見せないで……そんな過去、もう要らない……!)

 だが、回廊は残酷な鏡だった。

 麗華が否定すればするほど、闇は形を取り、過去の記憶を現実に変えていく。

 血の匂い、祈りの声、鎖の冷たさ――

 そして、あの名も知らぬ“男の声”。

 > 『封印を――破壊せよ』

 麗華の瞳に、黒い光が宿った。

 ――沈黙の回廊が、息を吹き返すように震えた。

視界が――歪んだ。

 霧の色が一瞬で変わる。

 白から、濁った赤へ。

 空気がねっとりと絡みつき、喉の奥が焼けるように痛む。

 「……ここは……?」

 気づけば、麗華の足元に“赤黒い水”が広がっていた。

 それは血だった。無数の手形が床に残り、壁には鉄の鎖が垂れ下がっている。

 冷たい鉄の匂い。吐き気を誘うほど濃密な血の香り。

 ――記憶だ。

 これは、過去の断片。

 幼い声が、闇の奥から響く。

 > 『お前の力は、王国が隠した“封印の器”だ』

 麗華の心臓が凍りついた。

 その言葉を、確かに“昔”どこかで聞いた。

 だが思い出そうとするたびに、頭の奥で警鐘のような痛みが鳴る。

 「……やめて……! 見せないで……!」

 叫びは、空間に吸い込まれていく。

 だが幻影は消えなかった。むしろ――鮮明になる。

 目の前に、赤い祭壇。

 無数の祈りの声。

 そして、幼い自分が鎖に繋がれている姿。

 光を放つ魔法陣。儀式。

 誰かが泣いている。誰かが笑っている。

 その中心で、黒い炎がゆらめいた。

 麗華の胸元――刻印が黒く脈動を始める。

 それは、鼓動というより“命令”のようだった。

 拒絶しても、抑えても、体の奥から何かがこみ上げてくる。

 > (……やめて……! 出てこないで!)

 パキッ、と音がした。

 回廊の壁に、亀裂が走る。

 その裂け目から、闇が溢れ出すように“幻影の魔物”たちが形を取った。

 光を食らう影の狼。

 歪んだ顔の兵士。

 翼をもがれた天使の亡骸。

 麗華の恐怖に反応するように、幻影たちは蠢き、唸り声を上げる。

 「こ、れは……私の……心?」

 息を吸う。胸が焼ける。

 そして――刻印が完全に暴れ出した。

 > ドクン、ドクン、ドクン。

 首筋から漆黒の紋が広がり、腕、頬、そして瞳へ。

 瞳孔が赤く染まり、周囲の霧を呑み込むように空気が変わる。

 > 『――解放せよ、“封印の器”』

 耳鳴り。心臓の音。悲鳴。

 全てが重なり、麗華の中で何かが“弾けた”。

 ――黒炎。

 地を這うように、闇が燃え上がる。

 幻影の魔物たちが、悲鳴を上げる間もなく灰へと変わっていった。

 麗華は膝をつき、息を荒げる。

 視界の端で、黒い炎が壁を焼き尽くすのを見ながら、ただ震えた。

 「……これが……私の……?」

 その声は、誰にも届かない。

 迷宮全体が、彼女の内なる闇を映すかのように、静かに脈動していた。

――地鳴りのような音が、足元から響いた。

 次の瞬間、麗華の足元を中心に“漆黒の炎”が噴き上がる。

 それは火ではない。

 冷たく、そして生き物のように蠢く闇の焔だった。

 「――ッ!」

 熱さではなく、圧が空気を揺らす。

 彼女を囲んでいた幻影の魔物たちが、一斉に後退した。

 牙を剥いていた狼の幻が、悲鳴を上げて溶けるように消滅していく。

 黒炎はそれを追うように地を這い、壁を舐め、空間全体を染め上げた。

 > ドクン、ドクン、ドクン。

 首筋の刻印が脈動を繰り返すたび、炎はさらに濃く――重く――なっていく。

 麗華の瞳は紅く染まり、吐息すら黒煙を帯びていた。

 「……やめ、なさい……! 私の中から――出てこないで!」

 しかし黒炎は止まらなかった。

 彼女の声に呼応するように、より激しく荒れ狂う。

 意思を持つように、空間を焼き払いながら伸びていく。

 ――その様子を、ギルド上層・観察室の巨大な水晶が映し出していた。

 「なっ……あれは……なんだ!?」

 「幻惑層の魔力が乱れている! 監視結界が干渉されて……!」

 試験官たちが慌ただしく報告を飛ばす中、

 ただ一人、中央に座る副長バルゼンの表情は変わらなかった。

 冷たい声で命じる。

 「記録を継続しろ。制御不能なら、即刻消去対象とする」

 「しょ、消去……!? しかし、彼女はまだ試験中です!」

 「試験に値しない異物だ」

 その一言に、室内の空気が凍る。

 しかしその時、別の声が静かに割って入った。

 ――ミレーヌ女官長。

 彼女は椅子を鳴らし、ゆっくりと立ち上がる。

 水晶越しに映る黒炎の少女を見つめながら、低く呟いた。

 「……あれは暴走じゃない。

  刻印の“逆流”。

  本来、抑制に使われるはずの封印が……彼女の魔力に“従おう”としている」

 「なに……?」

 バルゼンが眉をひそめる。

 ミレーヌの瞳には、恐怖ではなく“確信”が宿っていた。

 「放っておけば、ギルドの秩序そのものが崩壊するわ。

  でも同時に――新しい秩序が、あの子から生まれるかもしれない」

 沈黙。

 再び水晶の中に目を向けると、黒炎の渦の中心で、

 麗華がゆっくりと立ち上がるのが見えた。

 燃え尽きた回廊の中で、

 彼女の髪が、黒と紅の光をまといながら揺れていた。

 > “恐怖ではない。これは、覚醒――”

 水晶越しの映像に、誰もが息を呑んだ。

 ――“奴隷の枷”が、少女の中で“力の証”へと変わる瞬間だった。

黒炎が渦を巻く。

幻惑の回廊全体が、まるで息をしているかのように震えていた。壁の文様が血のように脈打ち、足元から立ちのぼる熱が、空気そのものを歪ませる。

その中心に――麗華がいた。

燃え盛る炎の只中、少女は立ち尽くしていた。

髪がゆっくりと浮かび上がり、瞳の奥に映るのは怒りでも憎しみでもない。

ただ、悲しみと、強い願いだった。

「……違う……」

唇が震える。

「私は、壊したいんじゃない……」

炎が呼応するように、ふっと揺らめいた。

「誰かを……守りたかっただけなのに……!」

その言葉と同時に、爆ぜる音が響く。

黒炎が一気に収束し、まるで巨大な心臓が鼓動するかのように脈打つ。

刻印が赤黒い光を放ち――そして、一瞬、純白の紋に変わった。

観察室の上層では、試験官たちが息を呑む。

「……今の、見たか?」

「黒炎が、光に……?」

「ありえん……暴走の反転だと……?」

誰もが理解できなかった。

だが、その中心で膝をついた少女は、確かに“生きていた”。

肩で息をしながら、麗華はゆっくりと顔を上げる。

頬を伝う涙が一筋、光の粒となって消えた。

「……まだ、終わってない」

震える脚を押し出し、立ち上がる。

その瞳には、かつての怯えも絶望もない。

ただ、前に進む意志だけが宿っていた。

炎はすでに静まり返っている。

けれど、その余韻が、空間全体を圧していた。

まるで“何か”が目覚めを待っているように。

――観察室。

老魔導士バルゼンが、無言で映像を見つめていた。

他の試験官が騒ぎ立てる中、彼だけは静かに呟く。

「……制御した、だと? 封印の器が、自我で……?」

その声には、わずかな震えと――

畏敬にも似た戦慄が混じっていた。

黒炎の少女。

その存在は、もはや“被験者”ではなかった。

それは、覚醒の始まりにすぎなかったのだ。

試験が終わったはずの回廊は、まだどこか息づいていた。

焦げた床、ひび割れた壁、空気の中に残る“熱”――

まるで、先ほどまでの黒炎がいまだこの場所を離れきれずにいるかのようだった。

麗華は医務官たちに支えられ、薄暗い通路を歩いていた。

白衣の袖口に付いた血と煤が、どこか現実感を欠いて見える。

視界の端がかすかに揺れ、耳の奥では、まだあの炎の音が聞こえていた。

ふと、彼女は歩みを止める。

喉元――首筋に手を当てた。

そこには、焼き付けられた封印の刻印。

いまも微かに、熱を帯びていた。

指先で触れた瞬間、皮膚の下で“何か”が蠢いた。

まるで、生き物がうごめくように――。

(あれは……まだ、眠っていない……)

息をのむ。

誰にも気づかれぬまま、彼女の瞳がほんの一瞬、黒く揺らめいた。

――場面転換。

ギルド上層部の円卓会議。

燭台の炎が静かに揺れ、重苦しい空気が支配していた。

分厚い報告書が、一枚のテーブルに置かれる。

ページの最下段には、赤い印章とともに短い記述。

《封印反応:再覚醒の兆候あり》

沈黙。

その言葉が、誰の喉も塞いでしまうようだった。

ミレーヌ女官長が、ゆっくりと視線を上げる。

冷たい銀の瞳が、闇を映す。

「“彼女”が目覚めれば……今度こそ、この国は終わるわ」

誰も、反論しなかった。

ただ、遠くで風が鳴っていた。

――そして夜。

迷宮の外壁。

赤い月が昇る。

雲の切れ間から、血のような光が流れ落ちる。

その闇の中、ひとりの“観察官”が立っていた。

漆黒のコートに、無表情な仮面。

仮面の奥から、くぐもった声が漏れる。

「秩序の崩壊……やはり、美しい」

唇の奥で、くすくすと笑う音。

足元には黒い霧が渦巻き、まるで意思を持つかのように壁を這い上がっていく。

やがて霧が夜空に溶け、赤い月を飲み込む。

――そして、静寂。

誰も知らぬうちに、次の災厄が“目覚め”を始めていた。

――赤い月が昇り、物語は、次章へと続く。


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