ようやく……始まるのね。反撃が
熱気と怒号の渦が、ようやく遠ざかっていく。
昇格試験の発表を終えた大広間には、まだ人々の残り香が漂っていた。
石造りの天井に反響する靴音、湿った空気に混じる緊張の余韻――
だが、中心に立つ三人の姿だけが、まるで異質な時間の中に取り残されているようだった。
群衆は次々と退場していく。
さっきまで「奴隷が」「身の程知らずが」と罵っていた者たちも、今はただ遠巻きに見ている。
誰もが本能的に感じ取っていた。
あの少女――麗華の瞳の奥に宿るものは、決して“諦め”でも“屈服”でもないと。
ロウガは腕を組み、無言で周囲を睨み据える。
ダリオは剣を握ったまま、静かに息を整えていた。
そして麗華は、ゆっくりと一歩前へ出る。
月光が高窓から差し込み、彼女の頬を照らす。
その姿は、敗者の影ではなく――
嵐の後、なお立ち続ける者のようだった。
重苦しい沈黙。
大広間の中心に響くのは、三人の呼吸の音だけ。
それでも、確かに何かが変わった。
嘲笑ではなく、畏れにも似た沈黙が――麗華たちの周囲を包み込んでいた。
場が落ち着きを取り戻し始めたころ、
クラスメイトたちは、まるでこの空気に長くいられないとでも言うように、ぞろぞろと背を向け始めた。
「――ふん、結局、奴隷は奴隷だな」
「どんなに偉そうなこと言っても、下民は下民さ」
わざとらしい嘲笑。
だがその声には、先ほどまでの余裕や高慢さがない。
口では見下すように言いながらも、視線は決して麗華に向けようとしなかった。
彼女の“あの目”――あの、氷の奥に燃えるような光を直視するのが怖かったのだ。
「……目が違った」
取り巻きの一人が、ぽつりと漏らす。
「まるで、何かを決めた人間の目だ。俺たちの知ってる“奴隷”じゃ――」
「バカ言えよ!」
リーダー格の少年が、慌てたように遮った。
乾いた笑い声が響くが、その頬には冷や汗が伝っている。
「所詮、奴隷なんだよ。明日には忘れてるさ……」
そう言い残して、彼らは早足で去っていった。
だがその背中は、どこか落ち着かず、振り返るたびに麗華の姿を確かめるようだった。
――恐怖。
――焦り。
――そして、理解不能な“圧”の感覚。
彼らの胸に芽生えたその違和感は、後にそれぞれの行動を変えていく。
復讐を誓う者も、逆に彼女の側へ寄ろうとする者も現れることになる。
この日、麗華という名の“異端”は、確かに彼らの中に刻まれたのだった。
喧騒が去った大広間には、わずかな靴音と、焦げつくような沈黙だけが残っていた。
砕けた空気の中に立つのは、麗華、ダリオ、ロウガ――三人のみ。
月光が高窓から差し込み、三つの影を長く伸ばしている。
1. ダリオの決意
ダリオは静かに目を閉じ、腰の剣の柄に手を添えた。
その指先には、かつて仕えていた主君の面影がよぎる。
そして今、目の前の少女――麗華に、同じ“強さ”を見た。
(……この娘は、ただの奴隷ではない。己の誇りすら踏み越えて、未来を掴もうとしている)
ダリオの胸に、久しく忘れていた熱が宿る。
剣士としての誇り。人としての信念。
それらが再び、錆びた心を研ぎ澄ませていく。
「ならば俺は――」
ダリオは低く呟き、瞳を開いた。
「その道を切り開く剣になる。
誰も届かぬ場所へ、お前が進むというのなら……俺が、その先を切り拓こう」
その声は、静かでありながら、確かな決意に満ちていた。
ロウガがそれを聞き、にやりと口角を上げる。
2. ロウガの応答
「へっ、らしくねぇこと言うじゃねぇか、ダリオ」
粗野な笑いとともに、ロウガが肩を鳴らす。
「だが悪くねぇぜ。その覚悟、嫌いじゃねぇ」
そして、ぐっと麗華の方へ顔を向ける。
その金色の瞳には、闘争心と、どこか兄のような温かさが混じっていた。
「おい麗華。奴隷だろうが何だろうが関係ねぇ。
お前が頂点目指すってんなら――俺はその背を押すだけだ」
豪快な笑い声が大広間に響き渡る。
先ほどまで渦巻いていた侮蔑の残滓を、まるで一掃するかのように。
3. 麗華の誓い
麗華は二人を見渡し、静かに息を吸い込んだ。
胸の奥で煮え立つ炎を、決意という形に押し固める。
そして――まっすぐに前を見据えた。
「必ず……這い上がる」
低く、しかし研ぎ澄まされた声。
「この世界で、“頂点”に――!」
その瞬間、風が流れた。
高窓から吹き込む夜風が、麗華の髪をふわりと持ち上げる。
その姿はまるで、鎖を纏いながらも天を仰ぐ戦乙女のようだった。
見物人たちは、言葉を失ったまま息を呑む。
“奴隷”という枷は、もはや彼女を縛るものではない。
それは――誓いを刻む“鎖”として、彼女の意思を形に変えていた。
月光が三人の影を重ね、やがてひとつに溶けていく。
それは、“運命の三叉”の始まりを告げる光景でもあった。
喧噪が去った大広間は、まるで嵐の通り過ぎた後のように静まり返っていた。
割れた椅子、散乱した紙片、そしてまだ消えぬ緊張の残り香。
そんな中、麗華たち三人だけが、中央に立ち尽くしていた。
「……行くか」
最初に口を開いたのはロウガだった。
豪快な笑みを浮かべ、麗華の肩をぽんと叩く。
「飯でも食いに行こうぜ。祝勝会だ、どうせ誰も開いてくれねぇしな!」
その笑い声は、どこか救いのように響いた。
ダリオは黙ったまま、しかし確かな足取りでその背を追う。
彼の背筋には、いつになく静かな決意が宿っていた。
麗華は、二人の背を見送り――ふと、振り返る。
壇上。
そこに並ぶギルド幹部たちの中、ひときわ鋭い眼光が、彼女を射抜いていた。
無言のまま視線を交わす。
まるで“次なる試練”を告げるように。
やがて麗華は、ゆっくりとその場を後にした。
彼女の歩みはもう、怯える奴隷のそれではない。
一歩ごとに、鎖の音が遠ざかっていく――。
――この日、麗華は“奴隷”から“挑戦者”へと変わった。
その姿を笑う者はいても、
無視できる者は、もはや一人としていなかった。
扉が閉まる。
その先に待つのは、血と誇りの“ギルド試練編”。
物語は、ここから本当の地獄を歩きはじめる。
大広間が完全に静寂へと沈んだ頃、
壇上の奥――分厚いカーテンの裏で、幹部たちの密やかな声が交わされていた。
「……あの娘、放置しておくのは危険だな」
「まさか“奴隷”の身で昇格試験を乗り切るとは。前代未聞だ」
「正式登録の審査、通常よりも厳しくしておけ。――あれは、芽のうちに摘んでおくべきだ」
低い笑いが、陰に溶ける。
その言葉の裏には、恐れと警戒が滲んでいた。
“麗華”という存在が、ただの例外では終わらぬことを、彼らは誰よりも理解していたからだ。
一方その頃――
夜の通りを歩く麗華の瞳には、迷いの欠片もなかった。
ギルド本部の灯が遠ざかるにつれ、その決意だけが鮮烈に燃え上がる。
“正式登録試練”――
それは、奴隷身分の者には突破不可能とされる最後の壁。
だが、彼女にとってそれは“拒絶の象徴”ではなく、“越えるための炎”だった。
「……望むところよ。私の道は、誰にも決めさせない」
風が吹き抜け、彼女の髪をなびかせる。
遠く、夜空の向こうに輝く星を見上げ、麗華は小さく笑った。
――試練があるなら、それでいい。
それこそが、“挑戦者”の証なのだから。
月が沈みかけ、街の灯がまばらに瞬く深夜。
ギルド本部の尖塔を見上げながら、麗華は静かに拳を握り締めていた。
――この世界の階級制度。
貴族、騎士、平民、そして最下層の“奴隷”。
それらが絡み合い、腐敗と虚栄に満ちた秩序が、この国を支配している。
だが麗華は、そんな構造を見上げる側では終わらせないと決めていた。
「ならば、登り詰めるしかない――頂点まで」
その言葉を呟いた瞬間、背後から豪快な声が響く。
「へへっ、やっぱ言うと思ったぜ」
ロウガが両手を頭の後ろに組み、笑いながら近づく。
「お前がどこまで行こうが、俺はついてく。貴族の塔の上でも、魔王の城の中でもな」
麗華は振り返らずに答える。
「……後悔するかもしれないわよ」
「上等だ。後悔してる暇があったら、笑って殴る」
そのまっすぐな笑顔に、麗華の胸の奥が少しだけ熱くなる。
策も計算もない――けれど、どんな鎖よりも強固な信頼。
ロウガという存在が、彼女の進む道を支える“唯一の光”になりつつあった。
――だが、その夜の闇の奥で、別の影が動き始めていた。
街外れの薄暗い路地。
黒衣の男が手にした書状を指で弾き、にやりと笑う。
「奴隷の首輪……封印の刻印はまだ眠っている。目覚めれば、“あの血”が暴れるぞ」
男は、奴隷商人を名乗る影の一人。
麗華の身に隠された“古代契約”の存在を知る、数少ない人物だった。
同じ頃、別の場所では――
かつてのクラスメイトが、闇の祭壇で跪いていた。
「……力を。俺に、奴らを見返す力を」
その前に現れたのは、紅い瞳を持つ“魔王軍の使者”。
狂気と欲望が、かつての学友たちを少しずつ蝕んでいく。
そして夜明け。
麗華、ダリオ、ロウガの三人は、新たな依頼書を手にしていた。
――依頼主:アスガルド領主邸
――内容:魔獣討伐および護衛任務
それはただの任務ではなかった。
貴族社会の闇と、権力の腐敗、そして“頂点への道”の最初の一歩。
麗華は静かに微笑む。
「ようやく……始まるのね。反撃が」
風が吹き抜け、朝日が差し込む。
奴隷という烙印を背負った少女が、“支配の頂”へ挑む物語――
その幕は、今まさに上がろうとしていた。




