すべてを踏み越えて
冒険者ギルド本部、大広間。
掲げられた依頼書に目を通した冒険者たちは、互いの顔をうかがい合いながらざわついていた。
「……エルドラン卿、か」
「またあの人かよ。面倒ごとばかり押し付けてきやがる」
「いや、卿に楯突ける者はいないだろう。何せ“辺境の獅子”だからな」
囁かれる声に混じって、さまざまな評が飛び交う。
ある者は冷笑を浮かべ、ある者は畏怖に眉を寄せる。
ギルド長はわずかに口元を歪めた。
「エルドラン卿――苛烈な領主にして、戦乱の世を生き抜いた老獅子。
その目に叶わねば、生きて帰れるとは思わぬことだ」
その言葉に、広間の空気が一層重く沈む。
依頼の背後には、単なる魔物討伐を超えた“力の試し”があるのだと、誰もが直感した。
ロウガは舌打ちをしながら呟く。
「領主に目をつけられりゃ、冒険者なんて駒同然だ……」
だが、麗華の瞳には、恐れよりも別の炎が宿っていた。
(苛烈な領主――ならばいい。挑戦を拒まぬ者こそ、私が乗り越えるべき壁だ)
エルドラン卿の姿はまだ影の奥にある。
けれどその名が告げられた瞬間、彼の威光は確かに大広間を支配していた。
焚き火の炎がぱちぱちと音を立て、赤々と揺れる火の粉が夜空へ舞い上がっていく。
その炎を見つめながら、麗華は唇を固く結んだ。
「奴隷であることも、過去の屈辱も……全部、踏み台にしてやる。
必ず――この世界の頂点に立つ」
静かな夜の中に、その誓いはひときわ強く響いた。
隣で豪快に肉を齧っていたロウガが、口元を拭ってから大きく笑う。
「ハッ、いいじゃねぇか! 頂点だろうがなんだろうが、騒がしい方が性に合ってる!」
その声に続くように、ダリオが手元の剣を研ぐ音を止める。
静かな瞳で麗華を一瞥し、無言のまま小さく頷いた。
それは、言葉にせずとも通じる“賛同”の証だった。
ふと夜空を仰げば、雲間から顔を出した月が冷たく輝き、三人を照らし出す。
それはまるで――新たな戦いの幕開けを告げる合図のようだった。
石造りの闘技場は、朝からざわめきに包まれていた。
天井近くまでそびえる円形の壁、その内側を取り巻く観覧席には、冒険者や職員たちが肩を寄せ合って詰めかけている。
「おい、あの奴隷女も参加するらしいぞ」
「はは、どうせ名義はロウガのものだろう」
嘲笑混じりの声が飛び交うたび、観覧席はいやに熱気を帯びる。
まるで“試験”ではなく、失敗を期待して楽しむための“見世物”のようだった。
中央の闘技場。
受験者たちは各々の武器を握り、張り詰めた空気の中で立ち尽くす。
麗華もその一人だった。
鎖の痕を隠すことなく、凛と立つ。名義はロウガだとしても――指揮を執るのは自分だ。
彼女の瞳は、嘲笑を浴びてもなお、揺らぎひとつ見せなかった。
「麗華……お前、もう完全に観衆の“餌”になってるぜ」
ロウガが苦笑混じりに呟く。
「なら、踏み台にすればいいわ」
小さく返す麗華の声には、観客席のざわめきを打ち消すほどの確信が宿っていた。
やがて、審判役のギルド幹部が高らかに告げる。
「――模擬連携戦、開始!」
次の瞬間、石畳を震わせるように扉が開き、試練の魔物が放たれる。
その咆哮が轟いたとき、観客たちの視線は一斉に闘技場へと釘付けになった。
「麗華! 指示を!」
「全員、前衛はロウガとダリオ! 後衛は散開して支援に回って!」
その声は澄んで鋭く、迷いのない命令だった。
――奴隷のはずの少女の言葉に、仲間たちが自然と動き出す。
そして観覧席でも、嘲笑が少しずつ驚嘆へと変わり始めていた。
観覧席に詰めかけた冒険者たちの視線は、一人の少女に突き刺さっていた。
――麗華。
鎖を外されてもなお、奴隷であることを示す首輪はそのまま。
受験資格を持たぬ身ゆえ、彼女はロウガの名義で昇格試験に参加している。
「ほら見ろよ、やっぱり奴隷は飾りだ」
「どうせ戦うのはロウガだろ? 女は隅で震えてりゃいいのによ」
観覧席のあちこちで嘲笑が弾ける。
受験者として並ぶクラスメイトたちも、冷笑を隠そうともしなかった。
――しかし、実際に仲間へ指示を飛ばすのは麗華だ。
「ロウガ、前へ。右の個体を押さえて。ダリオ、後衛の射線を確保して」
「後衛は詠唱を始めて! 私の合図で一斉に撃つ!」
声は澄んでよく通り、命令に迷いはない。
戦場に足を踏み入れた瞬間、彼女はただの奴隷ではなく――隊を束ねる“指揮官”へと変わっていた。
「麗華、お前……完全に仕切ってんじゃねぇか」
ロウガが苦笑しながらも、その言葉通り動き出す。
冷笑していた者たちの口元に、徐々に戸惑いが走り始めた。
奴隷の身でありながら、彼女は確かに戦場を制している。
麗華の横顔には、嘲りなど届かぬほどの鋭さと――頂を見据える決意が刻まれていた。
冒険者ギルド本部の闘技場。
石造りの広大な空間は、ざわめきと熱気で満ちていた。観覧席には職員、腕利きの冒険者たち、そして受験者の仲間やクラスメイトが肩を寄せ合っている。
――まるで試験というより、見世物だ。
麗華はそう思わずにはいられなかった。
何十もの視線が、首輪を付けた自分へ突き刺さっているのをひしひしと感じる。
中央の審査員が声を張り上げる。
「これより、ランク昇格試験・模擬連携戦を開始する! 想定は――“村を襲撃した魔物の群れを鎮圧せよ”。参加者は即席で連携を取り、被害を最小限に抑えること!」
その言葉に受験者たちが息を呑み、緊張の色を浮かべる。
次の瞬間、闘技場の床に描かれた巨大な魔法陣が淡く光を帯びた。
――ゴゴゴゴ……ッ!
空気が震え、耳をつんざくような唸りとともに魔力が渦巻く。
観客のどよめきを背に、魔法陣の中心から牙を剥いた猪――牙猪が次々と姿を現した。その後ろには、棍棒を振りかざす小型オーガまでもが影を落とす。
「ひっ……!」
「いきなりあんなのを……」
受験者の一部が怯え声を漏らす。だが容赦なく、審査員の声が場を支配した。
「――開始!」
鬨の声と同時に、魔物たちが一斉に暴れ出す。
審査員の号令が響いた瞬間、受験者たちが一斉に動き出す――はずだった。
しかし、戦場に最初に響いたのは剣戟でも咆哮でもなく、鼻で笑うような人間の声だった。
「俺は奴隷の命令なんざ聞かねえ!」
「ロウガに従うならまだしも、首輪付き女に仕切られる筋合いはねえ!」
吐き捨てるような言葉とともに、数人のクラスメイトが勝手に突撃した。
統制のない動きは瞬く間に隊列を崩し、戦線は穴だらけとなる。
「なっ……!」
麗華が制止の声を上げるより早く、前へ飛び出した彼らに向けて牙猪が突進した。
轟音とともに石床が砕け、突撃を受けたクラスメイトが吹き飛ぶ。
散開した魔物は進路を変え、守りの薄い後衛へと牙を剥いた。
「やばっ、後ろに回り込まれ――」
「きゃあっ!」
魔法詠唱の途中だった後衛の少女が悲鳴を上げ、足元に影が覆いかぶさる。パニックが伝染するように広がり、戦場は一瞬にして崩壊寸前。
観覧席からも嘲笑が漏れた。
「やっぱり奴隷がしゃしゃり出るからだ」
「茶番だな、これじゃ試験にならん」
麗華は拳を握りしめた。
怒りと羞恥が胸を焼く。だが同時に――冷たい思考が彼女の中で研ぎ澄まされていく。
(……いいわ。私が、この乱れを立て直す)
轟音とともに、最後の牙猪が地面へ叩き伏せられた。
ロウガの大剣が血を滴らせ、闘技場に静寂が訪れる。
「――そこまで!」
審査員の号令が響き渡り、魔法陣が淡く光を収めた。模擬戦は終結した。
一度は崩壊しかけた戦況が、見事に立て直された。その異様な光景に、会場はどよめきに包まれる。
「な、なんだ今の采配……」
「奴隷のくせに……いや、だが確かに的確だった」
「俺たちより上手いんじゃ……?」
驚愕と戸惑い、そして不本意ながらの称賛が交錯する。
観覧席の一角で、ギルド幹部のひとりが低く呟いた。
「……冷静で的確な指揮だ。奴隷という立場を差し引いても、戦術眼は突出している」
その声が、さらにざわめきを広げた。
麗華は周囲の反応を意識の外へ追いやり、ただ冷たい視線で前方を見据える。
その胸の奥に燃えるものは、羞恥でも劣等感でもない。
(そうよ……私は、奴隷でも這い上がる。すべてを踏み越えて――必ず、この世界の頂点に立つ!)
焔のような誓いが、静かな闘技場の空気を震わせていた。




