あの女――麗華の存在が、派閥の均衡を乱す
夜の森に、ぱちぱちと薪のはぜる音が小さく響いていた。
焚き火の赤い炎は暗闇を追い払い、わずかな温もりを与えてくれる。
狩った獣の肉を串に刺し、無骨な手つきで火にかざすのはロウガだ。煙に混じって香ばしい匂いが漂い、空腹の腹を刺激する。
その様子を横で見ていた麗華は、少し離れた喧騒に視線をやった。
同じクラスの生徒たちは派閥ごとに固まり、食事をしながら声を張り上げている。
貴族出身の者たちは上品ぶって談笑し、騎士系は戦功を誇り合い、平民たちは数の多さに物を言わせて群れを作る。
笑い声やざわめきが夜空にまで響くほどに賑やかだ。
その輪のどれにも加わらず、麗華とロウガは少し離れた位置に腰を下ろしていた。
周囲から隔絶されたその場所は、焚き火の光に照らされる小さな島のように静かだった。
夜の森に、ぱちぱちと薪のはぜる音が小さく響いていた。
焚き火の赤い炎は暗闇を追い払い、わずかな温もりを与えてくれる。
狩った獣の肉を串に刺し、無骨な手つきで火にかざすのはロウガだ。煙に混じって香ばしい匂いが漂い、空腹の腹を刺激する。
その様子を横で見ていた麗華は、少し離れた喧騒に視線をやった。
同じクラスの生徒たちは派閥ごとに固まり、食事をしながら声を張り上げている。
貴族出身の者たちは上品ぶって談笑し、騎士系は戦功を誇り合い、平民たちは数の多さに物を言わせて群れを作る。
笑い声やざわめきが夜空にまで響くほどに賑やかだ。
その輪のどれにも加わらず、麗華とロウガは少し離れた位置に腰を下ろしていた。
周囲から隔絶されたその場所は、焚き火の光に照らされる小さな島のように静かだった。
焚き火の明かりがゆらゆらと揺れ、麗華の横顔を赤く染める。
その表情には疲労の影が差し、瞳の奥には戦いの余韻がまだ残っていた。
耳に入るのは、賑やかに笑い合う声や、派閥同士でひそひそと交わされる密談。
それらは麗華の居場所を拒むかのように遠くで響いている。
対照的に、ここだけは不思議なほど静かだった。
火が爆ぜる音と、夜風に揺れる草の擦れる音だけが、二人の間を満たしている。
ロウガは黙々と肉を焼き、こんがりと焦げ目がついたところで無造作に串を差し出した。
「ほら、食え。力をつけねぇと倒れるぞ」
素っ気なく言う声とは裏腹に、その手つきは妙に自然で、気遣いが滲んでいた。
麗華は差し出された肉を受け取り、かぶりつく。
香ばしい匂いと獣肉の旨味が口いっぱいに広がるが、疲労で鈍った舌にはそれすら重たく感じられた。
隣ではロウガも同じように、無造作に肉を齧る。
ふたりの間に会話はなく、焚き火がぱちりと弾ける音だけが夜気を切り裂いていた。
その沈黙を破ったのは、ロウガの低い声だった。
「……お前がどこまで行こうが、俺はついてく」
焚き火に照らされたその横顔は冗談ひとつなく、真剣そのもの。
野心も打算もない。ただ“相棒”としての信頼が、そこにあった。
麗華は、思わず手を止めて目を見開いた。
胸の奥で、何か熱いものがじわりと広がっていく。
思いもよらない言葉に、麗華の胸が一瞬震えた。
驚きと共に、胸の奥に温かいものがじわじわと広がっていく。
今まで散々浴びせられてきたのは、嘲笑や軽蔑ばかり。
「奴隷のくせに」と踏みにじられた記憶が、心に幾重にも突き刺さっていた。
だが今、隣に座る男は違う。
打算も憐れみもなく、ただ真っ直ぐに――「信じている」と告げてくれた。
その実感が、冷え切った心に焚き火のような温もりを灯す。
(……信じられてる。私が……?)
言葉を返そうとしても、喉に引っかかって声にならない。
けれどその沈黙さえ、麗華にとっては確かな証だった。
返す言葉が見つからない。
けれど――麗華は静かに、微かに笑みを浮かべた。
ロウガはその表情をちらりと見ただけで、何も言わずに再び肉へとかぶりつく。
豪快な咀嚼音と、焚き火のぱちぱちと弾ける音だけが、二人の間に残る。
周囲では派閥ごとの集団が騒がしく笑い、密談を繰り返している。
だが焚き火の光に照らされた二人の姿は、それらよりもずっと静かで、確かな結びつきを感じさせた。
(……この人は、私を奴隷でも落ちこぼれでもなく、ただ“麗華”として見てくれる)
胸の奥でそう刻みながら、麗華は炎の揺らめきを見つめる。
ロウガ――騒がしくも揺るぎない支柱。
唯一の相棒としての存在が、確かに彼女の心を支えていた。
夜の帳が降りはじめたギルド外れの裏路地。冒険の疲れを抱えた麗華とロウガが通り抜けようとしたその時――。
――ギィ……。
奥の暗がりから、油の切れた蝶番のような音が響く。
そこに立っていたのは、黒衣をまとった異様に細長い影。人かどうかすら曖昧で、ただ「こちらを見ている」とだけ感じられる。
麗華は思わず足を止めた。
その影はゆっくりと歩み寄る。だが足音はしない。ただ空気が削り取られるように、静寂だけが迫ってくる。
やがて――。
奴隷商人らしき男は、ロウガを一顧だにせず、麗華の首元へと視線を釘付けにした。
「……それは」
低く湿った声が、耳ではなく骨に直接響く。
「ただの“奴隷の証”では、ない……」
ぞわり。
首輪の内側が、熱を帯びるように光を放ち、浮かび上がるのは古代文字めいた不気味な刻印。
それは血のように赤黒く、蠢くたびに何かの呻き声が聞こえた気がした。
「古代王国の……封印……」
「……権能……」
男の口から漏れる断片的な言葉は、意味を持たないのに背筋を凍らせる力を宿していた。
次の瞬間――影は煙のように掻き消える。まるでそこに存在したこと自体が幻であったかのように。
暗闇に残された麗華は、心臓を鷲掴みにされるような息苦しさに胸を押さえる。
(……この首輪に……何が……隠されているの?)
不気味な刻印の残光だけが、闇の中でじわじわと蠢いていた。
街の外れ。人通りも絶えた薄暗い倉庫。
錆びついた鉄扉がわずかに軋み、冷たい夜風が忍び込む。
その奥に、ふたつの影が向かい合っていた。
ひとりはフードを深く被った青年。麗華と同じ異世界から来たクラスメイトだ。
表向きは派閥の調整役、あるいは貴族派閥の腹心――だが、今のその姿に「同級生らしさ」は欠片もない。
対するのは、どこか人の形を保ちながらも、腕や背に獣のような瘤や棘が隆起した異形。魔王軍の尖兵だった。
黄濁した瞳が闇の奥で鈍く光り、空気そのものが濁るような瘴気を放っている。
「……あの女――麗華の存在が、派閥の均衡を乱す」
クラスメイトは低く囁いた。
その声音はかつて教室で交わした笑顔混じりの言葉と同じ口から出ているとは思えぬほど、冷徹で重い。
「フフ……」
異形は喉の奥で笑う。
「魔王軍は、この混乱を利用する。人間社会を、内側から……腐らせてやろう」
空気がひりついた。
青年は懐から黒い短剣の刃を取り出す。異形は自らの腕の棘を折り、血に似た黒い液を滲ませる。
そして両者は――互いの傷を重ね合わせるようにして、静かに「契約」を交わした。
しかし、その内容は一切明かされない。
ただ、倉庫の片隅に漂う影が歪み、見えぬ手で帳を下ろすように場を覆うだけ。
やがてクラスメイトは無言で背を向け、闇へと消えていった。
残された尖兵の口元だけが、にたり、と不気味に歪む。
――すべては、まだ誰も知らぬ場所で進行していた。




