どんな手を使ってでも
森を抜けると、そこにはこぢんまりとした村が広がっていた。
素朴な木造の家々、土の匂い、畑を耕す村人たちの姿。先ほどまでの血と鉄の臭いが漂う戦場とは打って変わって、どこかのどかな空気が流れている。
「……着いたな」
ロウガが肩に担いだ大斧を下ろし、額の汗をぬぐう。
依頼を果たした証明を届け、報酬を受け取る――その目的を胸に、天我と麗華も並んで村の入口へと足を進める。
だが、そのとき。
「おい、馬車だ……」
誰かが呟き、村人たちがざわつき始める。
視線の先には、金と赤で飾られた豪奢な馬車の一団。
馬具には紋章が刻まれ、荷台の周囲を護衛の兵士が固めている。その存在感は、質素な村の景色の中で異様なほど浮き立っていた。
村人たちは驚きと畏怖を入り交じらせた表情で、自然と道を開けていく。
空気が張り詰め、いつの間にか彼ら三人も、その場で立ち止まっていた。
ギィィ……と音を立てて、豪奢な馬車の扉が開いた。
真っ先に姿を現したのは、見覚えのある顔。麗華の記憶を鮮やかに抉り出すような、旧クラスメイトの男子たちだった。
「……嘘……」
麗華の瞳がわずかに揺らぐ。
彼らは異世界に来る前、教室の片隅で存在感も薄い、どこにでもいるような男子だったはずだ。
だが今、その肩には金糸の装飾が施された立派なマントがかけられ、腰には輝く剣。胸元には貴族の紋章をあしらった徽章が光り、まるで“選ばれた者”の証を誇示するかのようだ。
「さあ、お下がりください」
恭しく従う取り巻きの兵士や従者たちに囲まれ、彼らは堂々と村の土道に降り立った。
かつて同じ机を並べた“地味な同級生”のはずが、いまや“貴族に仕える騎士見習い”や“領主候補”。
その姿は、麗華の記憶の中の彼らと、あまりにかけ離れていた。
そのときだった。
馬車から降り立った旧クラスメイトの一人が、ふとこちらを見やり――そして目を見開いた。
「……ははっ!」
次の瞬間、彼は大げさに口角を吊り上げ、指差す。
「おい、麗華じゃねぇか! ……ははっ、奴隷が似合ってんじゃん!」
その声はあまりに甲高く、村の入口にいた人々の耳を強引に引き寄せた。
ざわ、と空気が波打つ。
「マジかよ……あの落ちこぼれが奴隷だとよ」
「元の世界でも底辺だったしな」
「せいぜい獣人のペットでもやってろよ」
次々と浴びせられる嘲り。
取り巻きの笑い声が重なり合い、悪意は雪崩のように麗華へと押し寄せた。
周囲の村人も、目の前で繰り広げられる“高位の騎士見習いたち”と“奴隷”という構図に呑まれ、声を潜めてひそひそと囁き合う。
「奴隷……?」「あの人が……」
憐れみと侮蔑と好奇心――その全てが混じり合った視線が、容赦なく麗華を突き刺した。
空気は、一瞬で彼女たちに不利な色へと染まっていく。
「……てめぇら……!」
低く、喉の奥から漏れる唸り声。
その声音は獣の咆哮にも似て、周囲の空気を震わせた。
ロウガの全身から立ちのぼる殺気に、近くにいた村人や護衛兵が思わず身を引く。
巨躯がわずかに前傾するだけで、今にも旧クラスメイトたちへ飛びかかり、骨ごと噛み砕きそうな勢いだった。
「う、うわ……っ」
嘲笑を浮かべていた少年の一人が、無意識に一歩後ずさる。
だが――その腕を、そっと押さえる者がいた。
「ロウガ」
麗華だった。
彼女は静かに首を振り、そして自ら一歩、前へと進み出る。
怒りに震えるロウガの筋肉を押しとどめる細い手。
その背に宿るのは、屈辱ではなく、燃えるような意思の光だった。
胸の奥が焼け付くような屈辱。
(……この私が、奴隷だと笑われるなんて……!)
かつて「カーストトップ」と呼ばれ、常に中心に立っていた自分。
人の上に立つことが当然だと思っていた誇りが、いま土足で踏みにじられている。
だが麗華は俯かなかった。
ぐっと顔を上げ、嘲笑う彼らを真っ直ぐに射抜く。
「……今に見てなさい」
低く、しかし揺るぎない声。
「必ず、あんたたちよりも上に行ってみせる」
その瞳に宿った光は、冷ややかさと怒り、そして揺るがぬ決意。
一瞬、周囲の空気がぴんと張り詰めた。
「っ……!」
旧クラスメイトの一人が思わず息を呑み、足を引いた。
だが、すぐに取り繕うように鼻で笑う。
「はっ、言ってろよ」
「奴隷が吠えたところで、何も変わんねぇ」
嘲笑を残したまま、彼らは馬車に戻り、蹄の音と共に遠ざかっていく。
麗華の胸には、熱く燃え上がる誓いだけが残されていた。
胸の奥で、熱く激しい炎が燃え上がる。
嘲笑の言葉が突き刺さるほどに、その炎は強さを増していった。
(……奴隷のままじゃ終われない)
(私を見下したあいつらを……必ず見返す)
かつて誇りと共に立っていた「頂点」。
その場所を取り戻さずして、自分は終われない。
(――再び、“頂点”に返り咲いてみせる)
麗華の瞳は、もはや悔しさで揺れることなく、静かに、だが確かに決意を映していた。
それは彼女が再び自分のプライドを取り戻すための、最初の一歩だった。
馬車の一団が去り、再び村のざわめきが戻ってくる。
麗華は拳を握りしめたまま、黙って前を向いて歩き出した。
その隣で歩幅を合わせながら、ロウガがふっと笑う。
豪快というよりは、どこか感心したような、柔らかい笑みだった。
「……よく我慢したな、麗華」
短い言葉。だがその声音には、仲間を認める素直な信頼が滲んでいる。
麗華は返事をせず、拳を握りしめたまま前を見据える。
その沈黙は、悔しさでも後悔でもなく――燃え立つ決意を押し隠すためのものだった。
麗華の胸を焼くのは、ただの恐怖ではなかった。
かつて「カーストトップ」と呼ばれ、誰もが彼女を仰ぎ見ていた――その記憶が、逆に今の惨めさを際立たせていた。
(……笑っていればいいわ。今に必ず、あんたたちを見返してやる)
唇を噛みしめながらも、俯くことはしない。
麗華はすっと背筋を伸ばし、毅然とした態度で顔を上げる。
「……今に見てなさい。必ず、あんたたちよりも上に行ってみせる」
その瞳には氷のような冷たさと、煮え立つ怒りの炎が同居していた。
張り詰めた空気が一瞬、場を支配する。
「……っ」
思わずクラスメイトたちは一歩後ずさり、空気を乱される。
だがすぐに、誰かが鼻で笑った。
「はっ、何言ってんだか」
その言葉を合図にしたかのように、他の者たちも失笑を漏らしながら、ぞろぞろと馬車へと戻っていった。
残された麗華は、その背中を睨みつける。
悔しさで喉の奥が焼けるように熱い。
だがその奥底に、確かに燃え上がるものがあった――決意。
(必ず……やってみせる。どんな手を使ってでも!)
焚き火の赤い炎が、夜の帳を押し返すように揺らめいていた。
串に刺された獣肉がじゅうじゅうと音を立て、香ばしい匂いが野営地いっぱいに漂う。
ロウガは豪快に肉を焼き上げると、そのまま骨ごとガリッと噛み砕いた。滴る血も脂も気にも留めず、獣じみた食欲で咀嚼する。
対照的に――麗華は焚き火をじっと見つめていた。
彼女の隣に置かれた剣は、今もかすかに震えている。戦いを終えたばかりの体が、恐怖と緊張を引きずっている証だった。
(……あんなに震えて……情けない。だけど……)
心の中で自分を叱咤しながら、炎を見つめる瞳にかすかな光が宿り始めていた。
焚き火の赤い炎を映す瞳に、悔しさと恐怖が交錯していた。
――クラスメイトたちに浴びせられた嘲笑。
――あの刃が首を掠めた瞬間の、凍りつくような恐怖。
胸の奥で何度も蘇り、麗華を締めつける。
思い出すたびに、剣を持つ手は震え、喉が焼けつくように苦しかった。
けれど。
それでも――炎を見つめるうちに、彼女の目は少しずつ揺らぎを捨て、強い光を帯びていく。
「……絶対に……這い上がってやる」
かすれた小さな声が、炎の音に混じって夜気に溶ける。
「この世界の……頂点に」
それは呟きにすぎなかったが、決意を刻む刃のように鋭く響いた。
ぱちぱちと弾ける火の粉の向こうで、ロウガが豪快に肉へと噛みついた。
骨がバキリと音を立て、脂が滴る。
その合間に、彼は口の端を吊り上げて不敵に笑う。
「おう、面白ぇから俺もつき合うぜ」
焚き火の炎に照らされ、獣のような牙がきらりと光る。
「頂点だかなんだか知らねぇが……派手にやろうじゃねぇか」
その軽い口調とは裏腹に、ロウガの声には確かな熱があった。
麗華は思わず目を見開き――それからほんのわずか、唇に笑みを刻む。
それは彼女が、この異世界で初めて見せた“仲間への笑顔”だった。
焚き火の炎が、赤々と二人の顔を照らし出す。
炎に揺らめく影は地面に大きく伸び、まるで夜の闇と溶け合うように形を変えていった。
風が森を抜け、木々の葉をざわめかせる。
遠くでは獣の咆哮がこだまし、この世界がまだ容赦なく彼らを試そうとしていることを告げていた。
ぱちり、と焚き火が弾ける。
その小さな音に、二人の誓いが炎と共に夜へ吸い込まれていく。
――頂点を目指す少女と、それを隣で笑う獣人。
この夜が、二人の物語の始まりとなった。




