よし、行くぞ相棒! 最初の狩りだ
昼下がりの冒険者ギルド。
登録窓口の喧噪から少し離れた壁際には、分厚い木板を覆い隠すほどに依頼書がびっしりと貼られていた。
麗華は足を止め、掲示板に視線を走らせる。
「討伐」「護衛」「採取」──依頼の種類ごとに整然と並べられ、横には報酬額と危険度の目安が簡潔に記されている。
周囲では、同じように依頼を物色する冒険者たちが紙を剥がしたり、仲間と声を潜めて相談したりしており、ざわめきが絶えない。酒場とは違う、実務的な熱気がこの空間を支配していた。
麗華は唇をかすかに噛みしめながら、掲示板に貼られた依頼を一枚ずつ追っていく。
(ここから……私たちの冒険者としての一歩が始まるんだ)
――そう思うと、心臓が少しだけ速く打ち始めていた。
掲示板の前で、麗華は依頼書を一枚ずつ目で追っていた。
「討伐……護衛……採取……」
どれも新人には荷が重そうに見える。報酬額が高ければ危険度も跳ね上がり、逆に安全そうな依頼は「薬草二十束」や「果実の採取」など、妙に骨が折れる雑用ばかり。
(無理なくこなせるもの……だけど……どれも、意外と大変そう)
肩に力が入る麗華の横で、ロウガが鼻を鳴らした。
「チッ、採取系なんて退屈だ! 枝折って草むしって、そんなの冒険じゃねぇだろ。俺は狩りがいい!」
「ちょっと、声が大きい……!」
麗華が慌てて制止するも、周囲の冒険者たちがチラと視線を寄越す。
そこに、職員の女性が歩み寄ってきた。明るい笑顔を浮かべながら、手にした依頼書を差し出す。
「新人さんでしたら、こちらはいかがですか?」
差し出された紙には、大きく《群れ狼討伐》と記されていた。
――森の近くで家畜や旅人を襲う狼の群れ。個体ごとの危険度は低いが、数が多いので注意が必要。報酬は金貨三枚。
麗華は思わず唾をのむ。
(狼の群れ……危険度は低い。でも数が多いから、油断できない……)
一方で、ロウガの耳と尻尾はあからさまにピクリと反応していた。
「狼か! 肉も食えるし、一石二鳥じゃねぇか!」
麗華はそんな相棒の能天気さに、不安と同時に少しだけ心強さを覚えるのだった。
――こうして二人の最初の依頼は決まった。
職員はにこやかに依頼書を掲げたまま、落ち着いた声で説明を続ける。
「新人さんでしたら、この程度が妥当です。無茶をしなければ、命の危険はほとんどありませんよ」
安心させるようなその口調に、麗華は胸の奥がほんの少し軽くなった。
(……大丈夫、最初の試練。これなら、なんとか……)
隣でロウガは満面の笑みを浮かべる。
「よし決まりだ! 肉も食えるし、一石二鳥だな!」
大きな声と一緒に白い牙を覗かせ、耳と尻尾まで楽しげに揺れている。
その様子に、掲示板近くのベテラン冒険者たちがちらりと視線を流した。
「群れ狼か……」
「新人にしちゃ悪くない選択だな」
「まあ、運が良けりゃ肉祭りだろ」
誰も強い関心は示さず、興味なさげに会話を切り上げる。
だが麗華にとっては、それだけで背筋が少し伸びた。
(……彼らの目に、私たちはどう映っているんだろう。笑われていないなら……それだけで十分)
小さく息を吸い込み、麗華は心の中で改めて決意を固めた。
こうして、彼女とロウガの“冒険者としての第一歩”が静かに始まろうとしていた。
麗華は依頼書をそっと受け取り、その紙を胸の前で握りしめた。
手触りはただの粗い羊皮紙。それなのに、ずしりとした重みを指先に感じる。
胸の奥で、自然と息が詰まった。
(……これが、冒険者としての最初の試練)
(ここで何もできなければ……私はきっと、ずっと“守られる側”のまま……)
紙の端を握る指先に、じんわりと汗がにじむ。小さな緊張が全身を駆け巡るようだった。
けれどその震えを悟られぬよう、彼女は表情を変えずに紙を掲げる。
隣では、ロウガが豪快に笑いながら斧の柄を軽く叩いていた。
「よし、行くぞ相棒! 最初の狩りだ!」
その能天気さに、麗華の胸の緊張は少し和らぎ、同時に強い決意が芽生えていく。
(……負けない。私も、ここで立ち止まるわけにはいかないんだから)
彼女の心に灯った小さな炎は、まだ弱々しいものだった。
だがそれは確かに、冒険者として歩み出す最初の一歩を照らしていた。
ギルドの出入口に向かいながら、ロウガは大きな背負い袋を肩に放り上げた。
「よっしゃ、さっさと行くぞ!」
その声は周囲のざわめきを軽く吹き飛ばすほどに朗らかだ。
麗華は一歩遅れて歩き出し、腰の剣の柄にそっと触れる。冷たい金属の感触が、張り詰めた心を現実へと引き戻す。
「……ふぅ」
胸いっぱいに息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。緊張を抑え込むように、深呼吸をひとつ。
二人の背中が扉の外へ消えていくのを見送りながら、カウンター越しの職員は小さく呟いた。
「……無事に戻って来ればいいけど」
その声音は、場の喧噪に紛れて誰の耳にも届かない。
ただ、出立した二人の冒険者にとって、初めての試練がすぐそこまで迫っていることを示す小さな予兆のように響いていた。




