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奴隷として目覚める麗華

――熱い。

 頬に、ざらりとした何かが貼りついている。

 ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに広がるのは灰色がかった土色。

 ここ……どこ?

 体を動かそうとした瞬間、うなじに鈍い痛みが走った。

 「っ……!」

 首に巻きつく鉄の首輪――重い。まるで、見えない手で押さえつけられているような感覚。

 無意識に指先で触れると、ひやりと冷たく、ずっしりとした質量が返ってきた。

 足をずらそうとして、さらに息を呑む。

 足首に赤黒い痕……鎖が擦れたような跡が、くっきりと刻まれている。

 ほんの少し動かすだけで、皮膚が焼けるようにひりつく。

 これ……夢じゃ……ない。

 砂の粒が汗で頬に張りつき、太陽の熱が背中を焦がす。

 痛みも、重みも、匂いも――どれも、現実のものだった。

――熱い。

 頬に、ざらりとした砂が貼りついている。

 ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに広がるのはくすんだ土色。

 ここ……どこ?

 体を起こそうとした瞬間、うなじに鈍い痛みが走った。

 「っ……!」

 首に巻きつく鉄の首輪――異様な重さ。ひやりとした冷たさが、皮膚に食い込む感触を強める。

 足首をずらそうとして、さらに息を呑んだ。

 赤黒い痕がくっきり残っている。鎖で擦れた跡だ。

 ほんの少し動かすだけで、焼けるような痛みが走る。

 「なんで……こんな所で……?」

 声が震える。耳に届く自分の声が、どこか幼く響くのも不気味だった。

 「事故の後なのに……病院じゃない……?」

 乾いた風が吹き抜け、砂が頬にまとわりつく。

 痛みも、重みも、匂いも――夢ではなく、確かな現実だった。

――まぶしい。

 まるで舞台の上に引きずり出されたみたいに、視界が白く光に染まる。

 青すぎる空、やけに濃い緑の並木道。まるで絵画かゲームの風景。

 夢……? それとも……。

 ふわふわとした感覚のまま地面に手をついた瞬間――

 「っ……熱っ……!」

 掌にじりじりと突き刺さる灼熱。頬に貼りつく砂が焼けるように熱い。

 さらに、首に巻きつく冷たい鉄の感触が、ずしりと意識を引き戻す。

 痛い。重い。……これは夢じゃない。

 うなじに食い込む鈍痛。足首を動かせば赤黒い痕がひりつく。

 「なんで……こんな所で……? 事故の後なのに……病院じゃない……?」

 乾いた風が頬を撫でる。だが涼しさではなく、砂のざらつきだけを運んでくる。

 幻想のような光景に、熱と痛みだけが残酷な現実味を与えていた。

乾いた風に砂埃が舞う中、影がひとつ、麗華の上に落ちた。

 見知らぬ男――黒ずんだ麻服に革の胸当て、顔には無精ひげ。汗と革の混じった匂いが鼻を刺す。

 男はしゃがみこみ、手にした鎖を無造作にいじりながら、じろりと麗華を見下ろした。

 「おい、起きたか。よく寝やがるな」

 その目に宿るのは、興味でも敵意でもない。ただの“品定め”――人間を見る目ではなく、獲物か道具を見る目。

 「なっ……なに……?」麗華が声を震わせた瞬間、

 ガチャン――!

 男が鎖を引いた。

 「きゃっ!」

 首に巻かれた鉄の首輪が一瞬で締まり、喉に鋭い痛みが走る。体がよろけ、砂に手をつく。

 熱い砂が掌に食い込み、涙が滲む。

 「ほう、まだ声は出るか……悪くねえな」

 男の口元がわずかに歪んだ。褒めているのではない。ただ“値踏み”しているだけ。

 私……人間じゃないの? この人にとって……私は……。

 屈辱と恐怖が胸を焼き、息が浅くなる。

砂まみれの手で首輪を押さえながら、麗華は必死にあたりを見回した。

 乾いた街道がどこまでも続く。見知らぬ馬車、見知らぬ木々、見知らぬ空――そして、見覚えのある顔はひとつもない。

 「あの……!」声がかすれる。「あのバスにいた子たちは? みんなどこ?」

 返事を待つまでもなく、奴隷商人は無関心に鼻を鳴らした。

 「仲間? 知らねえな。ここで見たのはお前だけだ。」

 まるで砂利のように軽く吐き捨てる。

 「……そんな……なんで……私だけ……?」

 胸の奥が冷たくなる。頭の中で誰かの名前を呼んでも、ここには誰もいない。

 「まさか、みんな……」唇が勝手に震えた。

 言葉の先を呑み込んだ瞬間、首輪の重みがいっそう増したように感じる。

 孤独と恐怖が同時に押し寄せ、足が勝手に後ずさった。だが鎖が鳴り、容赦なく現実へ引き戻される――。

商人は面倒くさそうに鎖をひきずりながら言った。

 「金にもならねえガキだが……まあ、売り先はあるだろう。」

 まるで道端の石ころを拾ったかのような軽い口ぶり。

 「……売り先?」

 麗華の声が震える。意味を理解する前に、本能が危険信号を鳴らした。

 「お前は奴隷だろ?」

 当然のように吐き出された一言。

 ――奴隷。

 麗華の頭が真っ白になる。

 首輪の重み、鎖の冷たさ、見下ろす視線。

 これが、言葉の意味を説明するよりも雄弁だった。

 「……うそ、でしょ……」

 拒絶の声はかすれ、風にさらわれた。

 商人は取り合うことなく立ち上がり、鎖をぐいと引いた。

 麗華の細い体が無理やり前へつんのめる。

 「歩け。荷馬車までな。」

 砂塵が舞い、太陽が容赦なく照りつける。

 麗華の胸に広がるのは、痛みでも怒りでもなく――初めて味わう“底のない恐怖”だった。

鎖がぐいと引かれ、麗華の体が無理やり起き上がる。

 足元が覚束なく、ふらついた視界が揺れる。

 熱い砂の上に落ちる影が、細く頼りない。

 砂埃の向こうに、無骨な鉄格子を備えた馬車が見えた。檻のついた護送車――まさしく人を運ぶ檻だ。

 胸がぎゅっと縮み、吐き気が込み上げる。

 「……夢じゃない……」

 小さな声が、自分の耳にすら届かないほど弱々しい。

 太陽のまぶしさが容赦なく降り注ぎ、目頭の熱を乾かしていく。

 唇はひとりでに震え、かみしめても止まらない。

 麗華は歩かされる。誇りを持つ暇も、状況を理解する余裕もなく――ただ鎖に繋がれたまま。

 その一歩一歩が、元の世界からの断絶を深く刻み込んでいった。

護送馬車の軋む音が、眠気を誘うように単調に響いていた。

 揺れる床の上で、麗華はうつ伏せに転がされ、まだ首輪の重みに慣れないまま、ただじっと耳を澄ませていた。

「……今度の市は貴族の競りがあるらしいぞ」

 御者台から聞こえてくる、くぐもった声。

「ほう、それは儲かるな」

「戦力になる奴隷が人気だとよ。魔法が使えるガキや、腕っ節の強ぇ獣人……そういうのは競り値が跳ね上がる」

 のろのろ進む荷車の横を風が通り抜ける。

 会話は淡々と続き、まるで家畜の出荷の話でもしているかのようだった。

「そういや聞いたか? 冒険者の奴隷まで登録できるようになったとか」

「はっ、冗談だろ。ギルドが許すわけねぇ」

「いや、一応“主人付き”なら可能だって話だ。ま、俺たちには関係ねぇがな」

 くぐもった笑い声。

 ――貴族。奴隷。冒険者ギルド。

 耳慣れない言葉が、頭の奥で反響する。

 麗華は震える唇をかみしめた。

 まるでニュースの断片を盗み聞きしているような感覚――でも、これはテレビではない。

 彼らの言葉一つひとつが、ここが“知らない世界”であることを突きつけてくる。

「やっぱり身分の低い奴隷は、どこに出しても安いな」

「平民でも借金背負やすいからな。結局、首輪ひとつで身分なんて簡単に落ちる」

 ガタリ、と馬車が揺れる。

 麗華の手首についた鎖が微かに鳴った。

 その音は、彼女の胸の奥でじわじわと広がる恐怖を、さらに強くする合図のようだった。

 馬車の車輪が砂利をかき回す音だけが、単調に響いていた。

 檻付きの護送馬車の隅で、麗華は膝を抱え、首輪の重みを感じながら息を殺す。

 額に貼りついた砂が汗でじっとりと湿っていて、不快さだけがやけに生々しい。

 ――夢じゃない。これは現実。

 でも、現実だとしたら……ここはいったいどこ?

 御者台から、気怠そうな声が聞こえてきた。

「今度の市は、貴族の競りがあるらしい」

「ほぉ、それは高く売れそうだな」

 隣の相棒が応じる。革のきしむ音とともに、鞭が無造作に揺れた。

「戦力になる奴隷が人気だとよ。魔法が使えるガキとか、腕っぷしの強い獣人とかよ」

「なるほどな。……平民あたりじゃ無理だな。首輪つけてても根性がねぇ」

「貴族様は贅沢だからな。使えねえ奴隷は即刻廃棄だ」

 廃棄――その冷たい響きに、麗華の背筋がぞくりとした。

 目の前の檻の鉄格子が、急に呼吸を圧迫する檻そのものに思えてくる。

「そういや聞いたか? 冒険者の奴隷まで登録できるようになったとか」

「はっ、そんな馬鹿な。ギルドが首輪付きなんて許すわけねえだろ」

「いや、一応“主人付き”なら可能らしいぜ。ま、俺たちには関係ねぇがな」

 くぐもった笑い声。

 麗華には意味がわからない単語ばかり――貴族、平民、奴隷、冒険者、ギルド。

 けれど一つだけ、はっきり伝わってきた。

 この世界は、彼女を「人間」として見ていない。

「やっぱり身分の低い奴隷は安いな。どうせすぐ壊れる」

「平民でも借金抱えりゃ簡単に奴隷落ちだ。……生まれが良い奴は楽でいいよな」

 ガタン、と馬車が大きく揺れる。

 鎖が床で引きずられ、甲高い音を立てた。

 麗華の喉がひとりでに震え、声にならない息がもれた。

 檻の隅にうずくまっていた麗華が、ついに声を荒げた。

「降ろして! 今すぐここから出してよ! 私は奴隷なんかじゃない!」

 必死に格子をつかみ、揺さぶる。手のひらに鉄の冷たさが食い込み、かすかに血の匂いがした。

 御者台から粗野な笑い声が響く。

「ガキが何をほざくかと思えば……おい、自分の首輪を見てみろ」

 麗華は思わず喉元に手をやる。そこにあるのは、分厚い鉄の輪。

 いくら引っ張っても、皮膚を食い込ませるだけだ。

「身分がどうとか、どこのお嬢様だとか、そんなのは関係ねえ」

商人は鼻で笑い、唾を吐き捨てた。

「貴族だろうが平民だろうが――首輪をつけられた時点で、ただの奴隷だ」

「そんなの嘘よ!」麗華の瞳が怒りで潤む。「私を誰だと思って――!」

「知るかよ」

鋭い視線が檻の中を射抜く。

「この国じゃな、奴隷は人権もねえ。せいぜい主人に気に入られるんだな」

吐き捨てられた言葉は、砂よりも乾いて、鋭く胸に刺さった。

麗華は格子を叩きながら叫ぶが、その声は馬車の揺れと車輪のきしみにかき消されていく。

 麗華は必死に立ち上がり、檻の鉄格子にしがみついた。

「ふざけないで! 今すぐ止めて――!」

 その瞬間、御者台から商人の冷笑が飛んだ。

「おっと、やんちゃなお嬢様だな。……だが、そういう時のための首輪だ」

 彼が鎖を軽く引き、短い呪文を吐き捨てる。

 ――カチリ。

 首輪が淡く赤く輝いたかと思うと、灼けるような激痛が麗華の全身を貫いた。

「っ――あぁああっ!」

 脚の力が抜け、膝が檻の床に崩れ落ちる。指先まで勝手に痙攣し、身体が言うことをきかない。

 視界がぐにゃりと歪み、世界が遠ざかっていく。

 脳裏で鐘が鳴るような轟音――それすらも次第に薄れ、闇が覆いかぶさる。

 商人の声だけがやけに鮮明に響いた。

「いい子だ。これで少しは大人しくなるな」

 その無造作な一言を最後に、麗華の意識は深い闇へと沈んでいった――。

「どうして……?」

 唇が震え、声にならない。

 灼けるような痛みで全身が痺れ、視界がかすむ。

「私は……こんな扱いを受けるような人間じゃ……ない……」

 必死に指先を動かそうとしても、まるで他人の体のように言うことをきかない。

 鎖の先で無精ひげの男があくびをしているのが見えた。

「やだ……何もできない……力が……ない……」

 その現実が、胸の奥を氷のように冷たく締めつける。

 視界が暗転し、麗華の身体は力なく檻の床に崩れた。

 遠ざかる意識の底で、馬車の車輪が砂利道を軋ませる音だけが、淡々と響いている。

 ――その音も、やがて闇に溶けて消えた。

 ――沈む。

 深く、深く、底の見えない闇の中へ。

 体が鉛のように重い。指一本動かせない。声を出そうとしても喉が固まっていて、まるで他人の体に閉じ込められたようだ。まぶたすら上がらない。

 ……夢じゃない……。

 ここはどこ……私、どうなっちゃったの……?

 何も見えないのに、わずかな感覚だけが現実を告げていた。

 遠くで――ごとん、ごとん……と木車が軋む音。規則正しく伝わってくる振動が、今この身が何かに運ばれていることを否応なく知らせてくる。

 闇がさらに濃くなる。音さえ溶けていく。

 その中で、かすかに自分の心臓の鼓動だけが耳に響いていた――ドクン、ドクン……。

 闇の中で、ひとつだけはっきりしている感覚があった。

 首筋に張りつく、ひやりとした冷たさ――鉄の首輪だ。

 馬車がごとんと揺れるたび、硬い金属が肌を擦り、鈍い痛みがじわりと広がる。

 ……ああ、やっぱり……夢じゃない。

 ぼやけていた意識が、その痛みによって少しずつ現実に引き戻されていく。

 逃げ場のない冷たさが、まるで「お前はもう自由じゃない」と告げるようだった。

 あの商人が鎖を引くだけで、私は――。

 思い出した瞬間、胸の奥に冷たいものが流れ込む。

 何もできない。声も出せない。立ち上がることすらできなかった。

 私が……奴隷……?

 信じたくない言葉が、脳内で何度もこだまする。

 プライドが砕けていく音が、はっきりと聞こえた気がした。

 ――だって、私はいつだって一番だったのに。

 友達に囲まれ、先生に頼られ、何をしても注目されて……。

 その“特別”が、たった一本の鎖と首輪で無残に引き裂かれる。

 いやだ。こんなの、私じゃない。

 けれど抵抗する力も、叫ぶ声も、もう残っていなかった。

 視界は暗闇に飲まれ、馬車の揺れだけが遠くで続いている。

 麗華の意識は、無力という底なし沼へゆっくりと沈んでいった。

たすけて――

 声にしようと唇を動かすが、空気が喉に引っかかり、ただの吐息に変わった。

 助けを求める言葉は、音にもならずに消えていく。

 馬車の車輪が軋む音。鎖がかすかに鳴る音。

 それらも遠ざかっていくように、だんだんと聞こえなくなる。

 やがて、暗闇の中で残るのは自分の心臓の音だけ――

 ドクン……ドクン……

 規則正しかったその鼓動が、不意に弱まり、間隔が伸びる。

 ドクン…… ……

 音が途切れた瞬間、意識は完全に深い闇へと沈み込んだ。

 完全な無音――世界から切り離されたかのような静寂が広がる。

 闇は深く、どこまでも冷たい。

 少女はただ、暗闇に沈み、

 世界の理を知らぬまま囚われの身となった。

 ――次に目覚めるのは、奴隷市。


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