この人は爆弾だわ
ギルドカードを受け取る手続きがようやく落ち着いたその瞬間だった。
ロウガがずい、とカウンターへ肘を突き出し、妙に得意げな顔を浮かべる。
「ははっ! こいつは俺の奴隷だ! 文句あるか?」
──ドン。
その豪快すぎる宣言は、まるで酒場のテーブルを叩くような勢いで場に響き渡った。
事務的に淡々としていた空気が、一瞬にして凍りつく。
カウンターの奥の職員が、目を瞬かせて書類を引き寄せ、慌てて行を追う。
背後に並ぶ冒険者たちまでもが一斉にざわめき立った。
「おい、今“奴隷”って言ったよな……?」
「規則違反じゃないのか?」
鋭い視線が矢のように麗華へ突き刺さる。
彼女の心臓が跳ね上がり、ほんの一瞬で空気が息苦しいものに変わっていった。
――場の空気が、ざわめきに変わった。
カウンターに座っていた職員が、慌てて手元の書類をかき集める。走り書きのようなメモや印章の並んだ紙束をめくり、規則の項目を何度も確認していた。額に浮かんだ汗を指でぬぐいながら、小声で「ま、まずい……」と呟く。
一方で、窓口に並んでいた冒険者たちが一斉に顔を上げた。
「今……“奴隷”って言ったよな?」
「ギルド規則に引っかかるんじゃねえか?」
囁きは瞬く間に伝染し、列の後方まで波紋のように広がっていく。
彼らの視線は、一人の少女へ集中した。
麗華――その名を呼ぶ者はいないが、無数の目が彼女の姿を捕らえて離さない。
彼女は背筋を強張らせ、思わず一歩後ずさった。喉がひりつき、心臓が跳ね上がる。
(やだ……全部、私に向いてる……!)
まるで市中引き回しにされた罪人のように、針のむしろの注目を浴びていた。
――ロウガの豪快な一言が、どれほどの爆弾だったか。
その事実を、麗華は今さらながら痛感していた。
(ちょっと……な、何を言い出すのよロウガ!)
耳に飛び込んだ「奴隷」という言葉が、鼓膜の奥で何度も反響する。
心臓は痛いほど跳ね上がり、指先は冷たく、背中にはじわりと汗がにじんだ。
けれど――その一瞬の動揺のあと、麗華の思考は稲妻のように回転する。
(ダメ……ここで“奴隷じゃないです!”なんて否定したら……!)
(職員は疑う。列の冒険者も面白がる。登録手続きそのものが滞って……最悪、私の冒険者登録が消える!)
脳裏に、必死で辿り着いたここまでの道のりがよぎる。
荒野を越え、魔物を避け、勇気を振り絞ってたどり着いたギルドのカウンター。
ここで終わるわけにはいかない。
(だったら……やるしかない!)
麗華はぎゅっと唇を噛んだ。
羞恥と悔しさが胸を焼くけれど、それ以上に「冒険者として登録する」ことが最優先だ。
(“従順な奴隷”を……演じきる!)
彼女の瞳に、諦めではなく覚悟の光が宿った。
次の瞬間、麗華はすっと背筋を伸ばし、伏し目がちに両手を前で揃え――誰が見ても「従順な奴隷」にしか見えない仕草をとっていた。
麗華は、まるで舞台女優にでもなったかのように、すっと背筋を正した。
その動作だけで、先ほどまでの普通の少女の雰囲気がすっかり消え失せる。
そして――深々と、まるで額が床につくほどに頭を下げた。
「……主人様の命令に従います」
抑えた声色。硬く不自然なまでの口調。
わざと感情を押し殺したような響きに、場の空気がぴしりと張りつめる。
ほんの一瞬の静寂――。
次の瞬間、ざわっ、と冒険者たちの間に波紋のようにざわめきが広がった。
「……マジで奴隷だぞ、あれ」
「見ろよ、あの頭の下げ方……」
「ギルドで本当に登録させる気か?」
窓口に並んでいた冒険者たちが、一斉に好奇と疑念と興奮をないまぜにした視線を投げかける。
職員は書類を抱えたまま、顔をひきつらせ、目を瞬かせていた。
まるで“舞台の幕が上がった”かのように――麗華の即興の演技は、見事に場を支配していた。
職員は、しばし呆けたように硬直していた。
手元の羽ペンが止まり、視線が宙を泳ぐ。
「……っ、こほん」
わざとらしい咳払いで気を取り直すと、無理やり事務的な口調を取り戻す。
「え、ええと。代表者が責任を持つのであれば……登録に問題はありません」
そう言いつつも、表情は固いまま。
机の上に置いた書類へ朱印を押し込む手は、微妙に力が入りすぎていた。
パチン、と乾いた音が響き、赤い印が紙に刻まれる。
それでも彼の目は、完全に事務処理に集中しているわけではなかった。
ちら、ちら、と顔を上げては麗華の方を窺う。
――まるで「本当にこの少女は“奴隷”なのか?」と、目で問いかけるかのように。
麗華はその視線を感じながらも、伏せたままの顔に一片の動揺も浮かべない。
冷たい演技を続ける自分の姿に、胸の奥で小さな鼓動が暴れていた。
ロウガはまるで場の騒ぎなど耳に入っていないかのように、カウンターへ肘を突いたまま豪快に笑い飛ばした。
「ははっ、これで完璧だな!」
その無神経なほどの自信に、場の緊張が一瞬だけ吹き飛ばされる。
――ほんとに、この人は爆弾だわ。
麗華は胸の内で小さくため息をつく。
常識外れで、口も態度も大雑把で、振り回されるばかり。
けれど、不思議なことに……その感情は嫌悪でも恐怖でもなかった。
(……むしろ、悪くない)
心の奥で芽生えた安堵と温もりを、自分でも否定できずにいた。
ギルドの朱印が乾く音と、ロウガの笑い声。
それが、二人の冒険者としての第一歩を告げる合図のように響いていた。




