小さな一歩だが、確かな一歩
昼下がりの冒険者ギルドは、酒場のように笑い声や怒号が飛び交う喧噪とは少し違った熱気に包まれていた。
広間の奥、登録窓口の前には冒険者志望たちの列ができ、誰もが手にした羊皮紙を抱えながらそわそわと順番を待っている。
カウンターの向こう側では、事務机に腰かけたギルド職員が一人。
ペン先が走る音だけが規則正しく響き、流れるように書類を確認し、印を押し、次々と処理していく。
その無表情な横顔には、喜びも苛立ちも見えず、ただ仕事をこなす機械のような冷ややかさがあった。
列の冒険者たちは時折ため息をついたり、隣と小声で冗談を交わしたりしているが、誰もその職員の前では声を荒げない。
事務的な空気に、自然と場の喧噪が抑えられているのだ。
麗華はその列の中で、胸の奥をわずかに高鳴らせながら、一歩ずつ前へと進んでいった。
麗華の番が回ってきた。
心臓の鼓動が、ひときわ強く耳に響く。
カウンターの前に立ち、両手で用意していた申請用紙を差し出す。
「……冒険者登録をお願いします」
声は思ったよりも小さく、緊張が混じって震えていた。
ギルド職員は淡々と手を伸ばし、羊皮紙を受け取ると、慣れた仕草で視線を走らせる。
そして確認するように、麗華の首元へと視線を移した。
奴隷の証――焼き付けられた刻印。
職員の目が一瞬だけ細められた気がしたが、表情はほとんど変わらない。
冷たい事務的な口調で告げられる。
「申し訳ありません。奴隷の単独登録は規則で禁止されています。」
その一言が、空気を突き刺した。
麗華の背筋に、冷たいものが走る。
(……ここまで来て、駄目なの……!?)
握りしめた拳にじわりと力がこもった。
列の後ろからは次の順番を待つ人々のざわめきがかすかに響く。
だが彼女の耳には、自分の心臓の音しか届いていなかった。
麗華の番が回ってきた。
心臓の鼓動が、ひときわ強く耳に響く。
カウンターの前に立ち、両手で用意していた申請用紙を差し出す。
「……冒険者登録をお願いします」
声は思ったよりも小さく、緊張が混じって震えていた。
ギルド職員は淡々と手を伸ばし、羊皮紙を受け取ると、慣れた仕草で視線を走らせる。
そして確認するように、麗華の首元へと視線を移した。
奴隷の証――焼き付けられた刻印。
職員の目が一瞬だけ細められた気がしたが、表情はほとんど変わらない。
冷たい事務的な口調で告げられる。
「申し訳ありません。奴隷の単独登録は規則で禁止されています。」
その一言が、空気を突き刺した。
麗華の背筋に、冷たいものが走る。
(……ここまで来て、駄目なの……!?)
握りしめた拳にじわりと力がこもった。
列の後ろからは次の順番を待つ人々のざわめきがかすかに響く。
だが彼女の耳には、自分の心臓の音しか届いていなかった。
麗華の頭の中で、警鐘が鳴り響いた。
(ここまで来て……駄目なの!?)
冒険者として活動するには、まず登録が必要。
それなのに「奴隷」という理由で門前払い――。
胸の奥が急速に冷え、酒場でやっと掴んだ小さな希望が、砂のように指の隙間から零れ落ちていく錯覚に襲われた。
(あの酒場で……やっと仲間を見つけたのに。
登録できなければ、何も始まらない……!)
喉がカラカラに乾き、言葉を紡ごうとした唇はうまく動かない。
震える指先を必死に握りしめ、机の縁に置いた手が小さく痙攣した。
目の前のギルド職員は無表情のまま、紙束を整理している。
その冷徹な仕草が、麗華をさらに追い詰める。
胸の奥に生まれかけた安堵の灯火が、またしても掻き消されそうだった。
麗華の横で、豪快な声が割って入った。
「なーんだ、そんなことかよ!」
ロウガが大きな手でカウンターをドンと叩き、白い牙を見せて笑う。
「だったら簡単じゃねぇか。俺のパーティー所属ってことで登録すりゃいいだろ?」
周囲の冒険者たちが、いっせいに振り向く。
「またロウガが何かやらかしてるぞ」と囁く声が混じるが、当の本人は気にも留めない。
ギルド職員は一瞬だけ眉をひそめ、手元の書類を確認する。
そして、淡々とした声で告げた。
「……規則上、代表者の同意があれば問題ありません。登録は可能です」
「おう、なら話は早ぇ!」とロウガは胸を張り、麗華の肩をばんと叩いた。
「な? 簡単だろ!」
麗華は呆然とロウガを見上げる。
(……そんな簡単に?)
喉の奥でかすかに笑いが漏れそうになる。
張りつめていた緊張の糸が、一気にほどけていくようだった。
胸の奥に、また小さな安堵の灯がともる。
ロウガは豪快に羽ペンを握りしめ、勢いよく書き殴った。
しかし──
「……読めません。もう一度お願いします」
ギルド職員は眉ひとつ動かさず、書類を突き返す。
「お、おう……?」
ロウガは頭をかきながら再挑戦。だが二行目を書いたところで、また無情な声が落ちた。
「……やはり読めません。書き直しを」
「なにぃ!?」
後ろに並んでいた冒険者たちが、ついに不満を口にし始める。
「おい、早くしろよ」「こっちは依頼受けに来てんだぞ!」
ロウガは振り返って「わりぃわりぃ!」と笑って手を振るが、事態は改善しない。
焦った麗華が、思わずペンを取り上げた。
「もう……貸して!」
すらすらと紙の上に走る文字。几帳面で整った筆跡が、あっという間に必要事項を埋めていく。
ギルド職員は思わず目を見張り、小さく呟いた。
「……丁寧な字ですね」
「だろ!? 俺の仲間だからな!」
ロウガは胸を張って自慢げに笑う。
「……あなたが書いたわけじゃないでしょ!」
麗華は思わず突っ込むが、周囲の冒険者からは笑いが漏れ、さっきまでの苛立ちはどこかへ消えていた。
カウンター越しに、無表情の職員が二枚のカードを差し出した。
「登録完了です。パーティー名は……“無鉄砲旅団”でよろしいですか?」
「……え?」
麗華は瞬きを繰り返す。
「そんな名前、いつ決めたの!?」
隣で胸を張るロウガは、何の迷いもなく笑った。
「ノリだノリ! いいだろ、覚えやすいし!」
「覚えやすいって……!」
呆れ声が口をついて出る。けれど、怒る気にはなれなかった。
カードを受け取る指先がかすかに震える。
そして――自分でも驚くほど自然に、小さな笑みがこぼれた。
(……無鉄砲、か。ふふっ、ぴったりかもね)
ギルドのざわめきの中、二枚のカードが新たな絆を象徴するようにきらりと光った。
窓口から離れた瞬間、麗華は深く息を吐いた。
――やっと、終わった。
ギルドカードを握りしめる手に、ほんのり熱が宿っている。
緊張でこわばっていたはずなのに、胸の内を占めているのは、不思議な高揚感だった。
(……どうしてだろう。ドタバタだったのに、不安よりも……楽しい気持ちのほうが勝っている)
隣でロウガが豪快に笑う。その声に、気づけば自分も口元を緩めていた。
正式にギルドへと登録された今――。
彼女はもう孤独ではない。
小さな一歩だが、確かな一歩。
ここから、麗華の冒険者としての物語が本格的に始まるのだった。




