……この人なら。生き延びられるかもしれない
酒場の扉を押し開けた瞬間、熱気と笑い声が一気に押し寄せてきた。
夕刻を迎えたその店は、仕事帰りの労働者や旅の傭兵たちでごった返し、木のテーブルには酒瓶や皿が所狭しと並んでいる。
その喧噪のただ中――ひときわ目を引く影があった。
片隅の長椅子に腰を下ろし、背を反らすように豪快に杯をあおる獣人の男。
分厚い腕はまるで丸太のようで、毛並みは荒々しく逆立ち、力強さをそのまま形にしたかのようだった。
しかし、荒くれ者のように見えるその顔には、不思議なほど無邪気な笑みが浮かんでいる。
ランプの灯りが金色の瞳を照らし出し、野性味と童心が同居するかのような輝きを放っていた。
ざわめく客たちの声の中でも、その存在感だけは際立っていて――まるで酒場そのものの空気を一人で支配しているようだった。
麗華は人いきれに満ちた酒場の空気を払いのけるようにして、獣人の男の前へと歩み寄った。
荒々しい毛並み、豪快に笑うその姿――彼が「ロウガ」だと直感する。
意を決して声をかけ、計画の説明を切り出した。
「……だから、私が今求めているのは――」
言葉が終わるより早く、ロウガの耳がピクリと動いた。
ガタン!
長椅子が大きく鳴り、彼は身を乗り出す。
「面白そうじゃねぇか!」
豪快な声が酒場のざわめきを一瞬かき消した。
麗華の話など半分も聞かずに、彼の黄金の瞳は好奇心と闘志で爛々と輝いていた。
「任せろ!そんな危ねぇの、大好物だ!」
麗華は思わず言葉を飲み込む。説明はまだ半分も残っていたのに――彼の答えはもう決まっていた。
「面白そうじゃねぇか!任せろ!」
ロウガの口から放たれたその言葉には、一片の迷いもなかった。
まるで計画の危険性も、報酬の有無も、命のやり取りすらも彼の辞書には存在しないかのように。
交渉も条件もすっ飛ばし、ただ勢いと直感だけで答える――それがロウガという男だった。
豪快な笑い声が酒場の喧騒に重なり、場の空気すら飲み込んでいく。
彼にとっては「面白い」ことこそが唯一の理由であり、何よりも揺るぎない約束のように響いていた。
麗華は思わず言葉を失い、その無鉄砲さに呆れながらも、胸の奥に奇妙な安心感を覚える。
ロウガの態度には、打算も裏表も一切なかった。
豪快に笑い、乱暴に見える仕草の奥には、悪意どころか計算すらない。
「危険だ」とか「成功の確率は」なんて話には、そもそも耳を貸す気がないらしい。
難しい理屈よりも、ただ心が動くかどうか――それだけで彼は行動を決めるのだ。
「面白そうだからやる」
その無邪気さは無鉄砲にすぎるが、同時に妙な清々しさを持っていた。
酒場の喧噪の中、ランプの光に照らされたその笑顔は、危険よりも楽しみを選ぶ獣人傭兵の生き様そのものだった。
麗華は思わずため息をつきそうになった。
(……こんな無計画で大丈夫なの?)
呆れが先に立つのは当然だった。危険な計画を語り終える前に「任せろ」と飛び込んでくるなど、常識的に考えれば正気の沙汰ではない。
だが――。
無邪気に笑うロウガの横顔を見ていると、ふと胸の奥に確かな直感が芽生えた。
(……この人は裏切らない)
計算も、欲もない。ただ「面白そうだから」という理由だけで飛び込んでくる豪快さ。
それは呆れるほどに無鉄砲だが、同時に彼が正直者である証でもあった。
酒場の灯りに浮かぶその笑顔は、危うさよりも、奇妙な安心感を彼女に与えていた。
木製のテーブルに置かれたランプの炎が、ゆらゆらと揺れていた。
その柔らかな灯りに照らされ、ロウガの豪快な笑顔が浮かび上がる。
笑い声と酒場の喧騒の中でも、彼の存在は妙に際立っている。
その無邪気な明るさは、計画の重苦しさや胸の奥にこびりついていた焦燥を、ほんの少しだけ溶かしていった。
(……考えなし。でも、だからこそ信じられる)
自分でも意外な感情が、心の奥で芽を出していた。
無鉄砲さの裏に、打算も裏切りもない。
そんな単純さこそが、今の麗華にとって最も必要なものに思えた。
麗華の脳裏に、これまで出会った男たちの影が次々と浮かんでくる。
──ジーク。
狡猾さを笑みに隠し、協力の名を借りて鎖を奪おうとした男。あれに手を伸ばせば、自由は瞬く間に縛られてしまう。
──ダリオ。
誠実で、真剣に話を聞いてくれた。だが彼はもう剣を抜けない。過去の重さに囚われていて、今は共に歩くことはできなかった。
──カイル。
かつての優等生。だがその整った笑みの奥は打算で満ちていた。協力ではなく利用──未来は裏切りへと繋がるしかない。
思い出すたび、胸に広がるのは孤独だった。
どの選択も、結局は自分をひとりきりに追い込む結末しか見せてくれない。
酒場の喧噪の中で、ただ一人、場を割るように響く豪快な笑い声。
ロウガ──大柄な獣人傭兵は、麗華の計画を聞き終える前に椅子を軋ませ、身を乗り出した。
「面白そうじゃねぇか! 任せろ!」
迷いも、条件も、見返りの話すら一切ない。ただ面白そうだから飛び込む。
その無鉄砲さは確かに危うい。計画を練る者としては頭を抱えざるを得ないだろう。
けれど、そこには打算も策略もなかった。
純粋で、正直で──少なくとも、裏切りの匂いだけは微塵も感じられない。
麗華は、ふと自分の胸に生まれた感情に戸惑った。
──なぜ、この人なら信じられると思ったのだろう。
無鉄砲で、計画性など皆無。まともな作戦会議など望むべくもない。
けれど、ロウガの笑顔を見ていると、胸の奥にほんのわずかな温かさが灯るのを否定できなかった。
不安が消えたわけじゃない。未来は依然として暗く、足元も危うい。
それでも、たったひとつ──“孤独ではない”という確信だけが、彼女を支えていた。
酒場の灯りが、柔らかく揺れながらロウガの豪快な笑顔を照らしていた。
その笑みに、不思議と胸の奥がじんわり温まる。
――こんな荒んだ世界で。
――誰も信じられないと、ずっと思っていたのに。
胸の奥に、小さな光がともる。
頼りないほどかすかなそれは、けれど確かに消えずに瞬いていた。
(……この人なら。生き延びられるかもしれない)
そう思った瞬間、麗華の心は次の行動へと自然に傾いていた。
もはや足を止める理由はない。
彼らの「計画」は、ここから本格的に動き出す。




