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奴隷令嬢、最強への成り上がり  作者: 南蛇井


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10/50

駆け引き

昼下がりの陽光が、街外れの訓練場に容赦なく降り注いでいた。乾いた土が踏み荒らされ、模擬戦の余韻を残す白い砂煙がまだ空気の中に漂っている。

 あちこちに転がる木剣や革の盾。鍛え上げられた獣人傭兵たちが、額の汗をぬぐいながら豪快な笑い声を響かせていた。

 その中心にいるのは、やはり彼――ロウガだ。

 狼の耳を揺らし、厚い胸板をさらして笑う様は、戦場の緊張とは無縁のように見える。

「はっはっは! おい、今のは惜しかったぞ! もう少し踏み込みが速けりゃ俺の首飛んでたかもな!」

「やめてくれよ、ロウガ! 誰もあんたの首なんか欲しくねぇ!」

 冗談とも本気ともつかないやり取りに、周囲がどっと沸く。土と汗の匂いが混じり、陽炎のような熱気が漂う中、その場の空気は奇妙に爽快だった。

 麗華は――いや、今は「リナ」と名乗るべきだ――訓練場の入り口で足を止めた。

 胸の奥が微かに高鳴る。目の前の男は、力強さと無防備さを同時にまとっている。

(あれがロウガ……この街で評判の獣人傭兵……)

 笑い声に混じる低い声。陽光に照らされた銀色の毛並み。無邪気なまでの豪快さが、かえって危うく見えた。

 ――ここで一歩踏み込めば、試せる。

 リナは唇を結び、ゆっくりと訓練場の土を踏みしめた。

訓練場の土煙がまだ落ちきらない。仲間たちが喉を潤すために水袋を回しているその隙を狙って、麗華は一歩を踏み出した。

 ――いや、今は「リナ」だ。

 少しおどおどした様子を意識して演じる。

(ここで強気に出ちゃダメ。弱い子を装わなきゃ……)

 ロウガが汗を拭っているのを見つけ、麗華は視線を落としたまま声をかけた。

「あの……すみません。リナといいます……」

 か細い声。まるで緊張で今にも消え入りそうな音量。

 ロウガは狼耳をぴくりと動かし、陽に焼けた顔をこちらに向けた。

「ん? 嬢ちゃん、見ねぇ顔だな。どうした?」

 麗華はわざと足先で土をいじり、視線を合わせない。

「実は……強い護衛を探してて……でも、お金がなくて……」

 言葉の最後を少し震わせる。唇をきゅっと噛み、頼りなげな雰囲気を演出。

 ロウガは一瞬きょとんとしたが、次の瞬間には破顔した。

「はっはっは! 金なんか後からどうにでもなる! 面白そうだし、俺がやってやるよ!」

 あっさりした返答に、麗華は内心で眉をひそめた。

(……やっぱり。豪快だけど、計画性ゼロ。何も聞かずにOKって……)

 それでも彼女は、しおらしい笑みを作って頭を下げた。

「ほ、本当ですか……? 助かります……」

 声は震えているが、それも演技のうち。ロウガの無邪気さと無警戒さを見極めるための小さな試金石――。

麗華のか細い声に、ロウガは一瞬だけ目を瞬かせた。次の瞬間、彼は豪快に歯を見せて笑う。

「はっはっはっ! なんだそりゃ。金なんか後からどうにでもなる!」

 両手を腰に当て、胸を張ったまま声を張り上げる。

「面白そうじゃねぇか! よし、俺がやる! 護衛だろ? 任せとけ!」

 あまりに即答すぎて、麗華は内心で思わず眉をひそめる。

(……軽すぎる。事情も聞かないの?)

 ロウガは詮索するそぶりもなく、こちらの動揺に気付く様子もない。まるで「困ってるなら助けるのが当たり前」とでも言うような顔だ。

 彼は振り返り、訓練場で休憩していた仲間たちに声をかけた。

「おい聞けよ! 今日から俺、この嬢ちゃんの護衛な! しばらく飯代は期待すんなよ!」

「また勝手に決めやがって!」

「報酬も聞かずに? さすがロウガだ!」

 仲間たちの笑い声が土埃に混ざって響く。

 麗華はしおらしく微笑みながら、胸の奥に冷たい感触を覚えていた。

(悪意はない……でも、この無計画さ。鎖を預けたら、私が振り回されるかも……)

ロウガの笑い声が、訓練場の乾いた空気に響いていた。

(……豪快ね。だけど無計画すぎる)

 報酬の話は一切しない。危険性も確認しない。ただ「面白そうだからやる」と即答。

(同情で動いてるのか、それとも……ただの勢い型?)

 麗華はわざと視線を落とし、控えめに礼を言いながら、その表情の変化を見逃さないように目の端で追った。

 ロウガは、こちらの経歴にも名前にも興味を示さない。詮索しようともしない。

(裏がない……? それとも考えるのが苦手なだけ?)

 仲間に笑われても全く気にしない彼の姿は、陽だまりのように無邪気で、そして――無防備だった。

(この人には計算が見えない。だけど、鎖を握らせても安全かは別問題……)

 麗華の胸の奥に、判断の天秤が静かに揺れる。

 ロウガが去っていく背中を、麗華はしばらく目で追っていた。

(……本当に何も考えてないの? それとも、ただ優しいだけ?)

 奴隷として過ごした日々が脳裏をかすめる。あの頃は、誰もが詮索し、弱みを握り、従わせようとした。

(悪意はない。でも、この人に鎖を預けたら……きっと振り回される)

 無責任さへの不安と、詮索しないことへの安堵。その二つが胸の奥でせめぎ合う。

(同情じゃなくて、“面白いから”動くタイプ……危険だけど、誠実なのかも?)

 自分の中で揺れる評価の天秤は、まだどちらにも傾かなかった。




夕刻、酒場のランプに一つ、また一つと火が灯る。

橙色の明かりが揺れ、木製の梁に長い影を落とした。薄暗い空間には、煙草の煙が薄く漂い、酒と汗と獣脂の混ざった匂いが鼻を刺す。

ざわめく声の中、奥のテーブルだけが不自然なほど静かだった。

ジークが腰をかけている。鍛えられた肩に黒いマントを羽織り、視線は鋭く、それでいて動じない。

目の前では、賞金稼ぎの依頼主らしき男が額の汗を拭っていた。

ジークは机に肘をつき、無駄な言葉ひとつなく報酬交渉を終えたところだった。銀貨の詰まった袋が机に置かれると、彼は淡々と重さを確かめ、口の端だけで「不足はないな」と言う。

その声には、喜びも不満もない。ただ“当然の結果を確認した”という冷ややかさがあった。

酒場の喧騒の中で、そのやり取りだけが刃物のように澄み切っている。

銀貨の袋がランプの光を受けて、鈍い光を放った――それは、ジークの眼差しとよく似ていた。

ジークが依頼主を見送り、銀貨の袋を懐に滑り込ませた瞬間。

麗華――いや、今は“リナ”と名乗るべき彼女は、深呼吸をひとつしてから席に近づいた。

「……あの、少し、お話いいですか?」

声を潜め、不安げに目を揺らす。

ジークの視線が鋭く動いた。酔客を一瞥し、麗華に目を戻す。その一瞬で、彼がすでに周囲の危険を把握したことが伝わってくる。

「何の用だ?」

低く乾いた声。

麗華は唇を震わせ、あえて言葉を詰まらせる。

「……私、誰かに追われているの。……遠い親戚に借金を返す途中で……」

細部まで整った嘘を重ね、視線を伏せたまま両手を胸の前でぎゅっと握る。

「お金は……ほとんど残ってなくて。でも……護衛をお願いしたくて……」

声は震えていたが、それは演技だった。彼女は自分が“困窮した旅人”として映るよう計算している。

ジークは椅子の背に寄りかかり、無言で麗華を見つめた。

その眼差しはまるで値踏みする商人のようだ。笑みも同情もなく――ただ冷静に、「嘘か本当か」を秤にかける視線。

「追われてる理由は?」

「……それは……」

「それに、俺に何の得がある?」

淡々と突きつけられる問い。

麗華は視線を逸らし、息を詰まらせる。演技半分、本当の恐怖半分。

ジークの目は細くなり、煙の向こうで銀貨のように光った。

酒場の奥。

薄暗いランプの灯りに、ジークの横顔が鋭く浮かび上がっていた。

麗華――いや“リナ”が震える声で事情を語り終えると、沈黙が落ちる。

ジークは無言のまま、机の上で指先をとんとんと規則正しく叩いた。まるで、言葉の重さを一つひとつ測るかのように。

「……追われてる理由は?」

低く落ち着いた声。怒りでも同情でもなく、ただ冷たい観察。

麗華は目を伏せ、かすかな息を吸う。演技の震えを混ぜた呼吸。

しかしジークは動じない。

「それで――俺に何の得がある?」

彼の声は淡々としていた。まるで金貨の枚数を数える時のような正確さだ。

さらに矢継ぎ早に質問が飛ぶ。

「親戚? 名前は?」

「返す額はいくらだ?」

「借金の証文は?」

急所を突く問いが、容赦なく投げ込まれる。

ジークの表情はほとんど動かない。わずかに目が細まっただけで、その視線は氷のように澄んでいる。

麗華は心臓を早鐘のように鳴らしながらも、唇だけは震えさせて答えを繕う。

ジークの指先が机を叩く音が、妙に大きく響いた。

まるで嘘を暴く鼓動のように――。

酒場の奥、煙草の煙の向こう側で――ジークの瞳は氷のように澄んでいた。

麗華は“リナ”として、わざとおどおどした声を出す。

「……誰かに追われているの」

ほんのり涙声まで足した演技。しかし、目の前の男は一片も揺れない。

――情がない。弱みを見せても、表情が微動だにしない。

「それで、俺に何の得がある?」

抑揚のない声が胸に刺さる。完全に“損か得か”でしか判断していない視線だ。

質問は矢継ぎ早で、無駄がない。

「親戚?名前は?」

「返す額はいくらだ?」

「証文は?」

言葉の合間に入るわずかな間さえも、彼は観察していた。麗華が返事に詰まれば、その瞬間に矛盾を見抜く気配――。

――間の取り方が冷たい。視線を逸らせば即座に察知される。

麗華は演技を崩さぬよう必死に答えを繕いながらも、心の奥で記録する。

「情では動かない。冷静で、矛盾を逃さない。――契約すれば、私の価値を計算して売り払うタイプ。」

ランプの明かりが揺れるたび、麗華の胸の鼓動がいやに大きく響いた。

――やっぱり、情じゃ動かない。

ジークの瞳は、獲物の価値を測る商人のように無機質だった。声を荒らすでもなく、ただ淡々と質問を積み重ねてくる。その冷静さが逆に怖い。

――有能。でも、この人に鎖を握らせた瞬間、私は“商品”にされる……。

言葉を紡ぐたび、嘘を混ぜる余裕が消えていく。返事の一拍の遅れさえも、彼は見逃さない。

――圧が強い。無表情なのに、視線だけで心を射抜かれるみたい。

胸の奥がざわつく。まるで市場に並べられた家畜が、値札を付けられる瞬間を思い出したかのように――。

麗華は顔色ひとつ変えずに笑みを作る。しかし、指先は微かに震えていた。

ジークはしばらく麗華を見据えたまま、沈黙を崩さなかった。

やがて机の上の銀貨袋を指先でつまみ上げ、椅子をきしませて立ち上がる。

「……話は聞いておく。」

低く短いその一言だけを残し、背を向けて歩き去った。足取りは迷いなく、まるで答えを急ぐ必要などないと言わんばかりだ。

麗華は作り笑いを崩さないまま、その背中を見送る。だが心の奥で冷たい汗が伝う。

――もし彼を選ぶなら、ただ守ってもらうなんて甘い考えは通用しない。

――“鎖”を渡す前に、条件を呑ませるだけの交渉力が必要だ……。

胸の鼓動が収まらないまま、麗華は静かにグラスの水を口に運んだ。

薄暗い酒場のざわめきが、妙に遠く聞こえた。





昼下がりの陽射しが傾き、石畳の路地に長い影を落としていた。市場はすでに店仕舞いの気配が漂い、荷馬車の軋む音と木箱を積む音があちこちから響いている。

遠くで焼き菓子を焼く匂いが風に乗り、空腹を刺激する甘い香りが鼻をくすぐった。人通りはまばらで、さっきまでの喧噪が嘘のように静かだ。

麗華――いや、いまは“リナ”と名乗る少女――は路地の影に身を潜めるようにして立っていた。視線の先には、布袋を肩に掛けた初老の男。品のいい服を着ているが、腰に差した短剣がただの商人ではないことを示している。

「……今だ」

麗華は深く息を吸い込み、足音を忍ばせて路地に踏み出した。ダリオが振り返った瞬間、夕陽が彼の瞳に反射して鈍く光った。老練な笑みが口元に浮かぶ――この人間は、ただの善人でも悪人でもない。そう、直感が告げていた。

路地裏に差し込む午後の光が、石畳にまだらな模様を描いていた。

麗華――いや、“リナ”と名乗る少女は、肩にかかる髪を少し整え、自然な困り顔を作って歩み寄った。

「すみません……」

声をかけると、ダリオは足を止め、片眉を上げて振り返る。

「働き口を探してるんです。でも……保証人がいなくて」

言葉を選びながら視線を少し伏せ、しかし過度に怯えるそぶりは見せない。

「遠い町で行商をしていた娘なんですけど……旅の途中で、父の仲間ともはぐれてしまって」

わずかに唇を噛み、しかし声はまっすぐ――“困ってはいるが誠実そうな旅人”を演じるように。

ダリオの視線が静かに彼女をなぞった。睨むでもなく、甘い笑みでもなく、ただ淡々と観察しているような目。

麗華は気づかれないように、胸の奥で小さく息を整える。過剰な演技は逆効果。だからこそ、自然に――わざとらしさのない弱みを、少しだけ見せるのだ。

ダリオは立ち止まり、肩にかけた布袋を持ち直すと、深い皺の刻まれた口元に穏やかな笑みを浮かべた。

「保証人か……なるほどな。条件次第では、助けられなくもないが」

声色は柔らかい。だが、その目だけが油断なく光り、商人特有の“損得勘定”を隠そうともしない。

「行商の娘と言ったな。どの町だ?」

何気ない問いかけのようでいて、返答を計る視線が鋭い。

「荷運びの経験はあるか? 交渉は父親任せだったか、自分でもやったのか?」

立て続けの質問。まるで雑談の延長に見えるが、ひとつひとつの答えを天秤にかけているようだった。

麗華は微笑みを崩さず、胸の奥でわずかに鼓動が速くなるのを感じる。

――老獪。こちらが差し出す情報の“質”と“量”を正確に測ってくる。

一見親切そうでも、誤魔化しは一切通じない。

麗華は、目の前の老練な商人を見つめながら胸中で冷静に分析していた。

――慎重で誠実な印象。声色は穏やかで、感情の波がほとんど見えない。

――それでいて、主導権は一瞬たりとも手放さない。こちらを“客”ではなく“交渉相手”として見ている。

質問のひとつひとつは雑談に見えるが、まるで糸で魚を絡め取るように、自然に情報を引き出してくる。

露骨な詮索はしない。だが、こちらが言葉を濁せば、即座に“何かある”と悟られるだろう。

――信用できる。でも、こちらの弱みを見つければ確実に利用してくるタイプ……。

麗華の視線がわずかに鋭くなる。この人を選ぶなら、常に駆け引きの準備が必要だ――。

麗華の胸中で、じわりとした焦燥が広がる。

――安全そう。けれど……この人には、嘘も誠も全部計算されてしまいそう。

――主導権を渡した瞬間、完全に支配されるかもしれない。

彼の柔らかな笑みの裏に、冷徹な算盤の音が聞こえる気がした。

誠実――だからこそ怖い。“見返りなく動くことはない”タイプ。

麗華の背中に汗がじんわりと滲む。

市場の片付ける音や遠くの焼き菓子の匂いが、まるで膜を隔てた向こう側にあるように遠のいた。

一歩踏み込むたび、彼の掌の上に転がされる未来がはっきりと見えてしまう。

路地裏に傾いた陽が差し込み、長く伸びた影の中でダリオは足を止める。

柔らかな笑みを崩さないまま、麗華を一瞥した。

「……少し考えさせてくれ。」

言葉の響きは穏やかだが、その背後には秤のような冷静さが透けて見える。

麗華が返事をする間もなく、彼は手を軽く上げて挨拶代わりにし、そのまま市場の通りへと消えていった。

残された路地裏に、かすかな荷馬車の軋みと焼き菓子の匂いだけが漂う。

――明確な拒否でも、承諾でもない。

――この人を選ぶなら、常に駆け引きを覚悟しなければ……。

麗華は無意識に拳を握りしめていた。

背筋を伝う汗が、昼下がりの光の下でやけに冷たく感じられる。



午前の喧騒がひと段落し、人影のまばらな市場の裏道。

積まれた木箱と樽の間を、荷運び人が慌ただしく通り過ぎる。薬草や香辛料の香りが風に混ざり、通りの奥にはかすかに焼き菓子の甘い匂いも漂っていた。

狭い路地に差し込む光は淡く、喧騒の表通りとは別世界のように静かだ。

麗華──いや、この場では“リナ”と名乗る少女は、足早に歩く青年の背を見つけて立ち止まった。

両腕いっぱいに薬草を抱えた若い魔術師、カイル。

背中は細く頼りなく、肩にかかるマントが揺れるたびに薬草の香りが広がった。

麗華は一度深呼吸し、視線を落としてから歩み寄る。

――この路地なら、人目を気にせず話せる。

麗華──いや、この場では“リナ”。

彼女は狭い裏道で薬草を抱えた青年に歩み寄り、わずかに俯いた。

足取りはためらうように遅く、声はかすかに震えていた。

「……頼れる人がいなくて……」

路地の喧騒が遠のいたかのような静けさの中で、その告白はひどく小さく響いた。

青年がぎょっとして振り返る。

「えっ? あ、あの……」

問いかけられても、麗華はうつむいたまま柔らかく首を振る。

「ちょっと事情があって……」

身元については、それ以上語らない。

目元にわずかな潤みをにじませ、孤独の影をさりげなく浮かべる。

決して過剰に怯えず、ただ“放っておけない雰囲気”をまとって──。

青年は両腕いっぱいに薬草を抱えたまま、目を白黒させている。

視線が泳ぎ、言葉が喉の奥でつっかえた。

「えっ、えっと……だ、大丈夫ですか……?」

慌てて片手を薬草の間に突っ込み、懐をまさぐる。

がさり、と小袋を引っ張り出して、ぎこちなく差し出した。

「こ、これ……落ち着くお茶で……よかったら……」

その顔には警戒の影がまるでない。

麗華の素性を問うでもなく、嘘や矛盾を探す気配すらない。

“疑う”という発想が、そもそも彼にはないのだろう。

「ぼ、僕でよければ……」

申し出の声は弱々しく、不安げで──頼もしいとは言いがたい。

麗華はその様子を静かに見つめる。

麗華は青年の差し出した小袋を受け取りながら、静かにその眼差しを観察した。

──悪意は、まるで感じない。ただ心配しているだけ。

目の奥にあるのは純粋な善意で、下心も打算も見えない。

理由も考えずに手を差し伸べる“同情先行型”。

問い詰める様子もなく、曖昧な説明でもすぐ納得してしまう。

詮索する意志が、そもそも欠片もない。

(……頼りにはならない。でも、害もないわね)

麗華は即座に結論を下した。

彼の優しさは本物だ。だが、それゆえに脆い。

鎖を預ければ、守られるどころか──こちらが守る羽目になる。

麗華は薬草茶の小袋を指先で弄びながら、青年の困ったような笑顔を見つめた。

──優しい……本当に優しい。

けれど、この人に鎖を渡したら……私が守る側になってしまう。

悪人に利用されれば、簡単に騙されるだろう。

その危なっかしさに、ほっとしつつも冷静に“戦力外”の評価を下す。

(……点数は低いわね。でも、嫌いになれないタイプ)

胸の奥に、わずかな罪悪感が滲んだ。

これほど純粋な人を騙している自分に、ふと後ろめたさを覚えてしまうほどに。

「ま、また困ったら……言ってください!」

青年は薬草を抱えたまま、慌てて小袋を麗華の手に押しつけると、

耳まで赤くしながら足早に路地の奥へ消えていった。

麗華はぽつりと取り残され、掌の上の小さな袋を見下ろす。

薬草の香りがふわりと漂い、思わず小さく笑みがこぼれた。

──守られる側じゃなくて、守ってあげたくなる……そんな人。

「利用はできない。でも……この世界の“救い”みたいな存在かもしれない」

自嘲とも安堵ともつかない溜め息が、路地裏に溶けていった。

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