第2話:冷たい手の握手会
1
春花は今日も笑顔を作っていた。アイドルグループ「シャイニング・スターズ」のセンターとして、彼女には常に完璧な表情が求められるのである。会場となった商業施設の特設ステージには、既に長蛇の列ができていた。握手会は午後二時から開始予定だが、熱心なファンたちは朝から並んでいるのだ。
「春花ちゃん、今日もよろしくお願いします」
マネージャーの田中が声をかけてくる。彼は春花のデビュー当初から支えてくれている頼もしい存在である。しかし今日の田中は、なぜか顔色が悪い。額に汗をかき、時折震えているようにも見える。
「田中さん、大丈夫ですか?体調が悪そうですが」
春花が心配そうに尋ねると、田中は無理に笑顔を作った。
「ああ、大丈夫だよ。ちょっと寝不足なだけさ。それより君の方こそ、今日は特に気をつけてくれ」
「気をつけるって、何をですか?」
田中は答えずに、ただ首を横に振るだけだった。
2
午後二時、握手会が始まった。春花は席に着き、最初のファンを迎える。二十代前半の男性で、緊張した様子で春花の前に立っている。
「いつも応援してくれてありがとうございます」
春花が手を差し出すと、男性も震える手を伸ばしてきた。しかし、その手が春花の手に触れた瞬間、異様な冷たさが伝わってきた。氷のように冷たく、まるで生気が感じられない。春花は驚いたが、プロとして表情を変えることなく握手を続けた。
「がんばって...ください...」
男性の声は掠れていて、顔は青白い。まるで病人のようだった。握手を終えた男性は、よろめきながら会場を後にする。春花は不安を感じたが、次のファンが既に待っているため、気持ちを切り替えなければならなかった。
しかし、次のファンも、その次のファンも、皆同じように冷たい手をしていた。握手をするたびに、春花の体に氷のような冷気が伝わってくる。そして皆、異様に青白い顔をしているのである。
3
握手会が始まってから一時間が経過した頃、最初に異変に気づいたのはスタッフの一人だった。
「あれ?さっきの男性、倒れてませんか?」
会場の隅で、最初に握手をした男性が床に倒れている。スタッフが駆け寄ると、男性は意識を失っていた。救急車が呼ばれ、男性は運ばれていく。しかし、これは始まりに過ぎなかった。
握手を終えたファンたちが、次々と倒れ始めたのである。まるで伝染病のように、会場内に異変が広がっていく。医師が呼ばれたが、原因は不明だった。患者たちの体温は異常に低く、脈も弱々しい。まるで生命力が吸い取られているかのようだった。
「握手会を中止しましょう」
田中が提案したが、春花は首を振った。
「でも、まだ待っているファンがたくさんいます。彼らを失望させるわけにはいきません」
春花は握手を続けた。しかし、握手をするたびに、相手の手はより一層冷たくなっていく。そして春花自身も、徐々に体の芯から冷えを感じ始めていた。
4
握手会が終了した頃には、会場は混乱状態となっていた。握手をしたファンの大半が倒れ、病院に搬送されている。しかし、不思議なことに春花だけは元気だった。疲れは感じるものの、他の人々のような異変は起きていない。
その夜、春花は自宅で一人考え込んでいた。今日の出来事があまりにも異常すぎる。そんな時、玄関のチャイムが鳴った。
「春花さん、田中です。ちょっと話があります」
ドアを開けると、田中が立っていた。しかし、その顔は朝以上に青白く、目には異様な光が宿っている。
「田中さん、どうしたんですか?」
「実は...君に話さなければならないことがある」
田中は重い口を開いた。
「君のその力について...知っているんだ」
「力って、何のことですか?」
「君は他人の生命力を奪う能力を持っている。握手をすることで、相手のエネルギーを自分に取り込むんだ」
春花は絶句した。そんなばかげた話があるわけがない。しかし、今日の出来事を考えると、田中の言葉には一理あった。
5
「それは...いつからですか?」
「君がデビューした時からだ。最初は気づかなかった。握手会の後に体調を崩すファンがいることは知っていたが、まさかこんな理由だとは思わなかった」
田中の説明によると、春花の能力は徐々に強くなっているという。初期の頃は軽い体調不良程度だったが、今では生命に関わるレベルまで達している。
「でも、どうして私は平気なんですか?」
「君は能力の源だからだ。他人から奪った生命力で自分を維持している。だから君だけは影響を受けない」
春花は震えた。自分が知らず知らずのうちに、ファンたちを傷つけていたのだろうか。しかし、田中の次の言葉は、さらに衝撃的だった。
「実は...僕も君の能力の影響を受けている」
田中の手を見ると、指先が青く変色している。まさに、今日のファンたちと同じ症状だ。
「君の近くにいるだけでも、少しずつ生命力を奪われるんだ。でも僕は...君を支えていたかった」
6
翌日、春花は事務所に向かった。しかし、そこで待っていたのは警察だった。
「春花さんですね。昨日の握手会の件でお話を伺いたいのですが」
警察の調べによると、握手をしたファンの中から複数の死者が出ているという。病院で治療を受けていた患者たちが、次々と息を引き取ったのだ。死因は不明だが、全員に共通しているのは異常な体温低下と、生命力の急激な減少だった。
「私は...何も知りません」
春花は否定したが、警察は疑いの目を向けている。そんな中、事務所の社長が現れた。
「春花、君はもうアイドルを続けることはできない」
社長の言葉は冷酷だった。
「ファンが死んでしまうような人間を、ステージに立たせるわけにはいかない」
春花は絶望した。自分の夢も、大切な人たちも、すべてを失ってしまったのだ。
7
それから一年が経った。春花は人里離れた山奥で、一人暮らしをしている。人との接触を避けるため、自給自足の生活を送っているのだ。
時々、テレビで芸能ニュースを見る。かつての仲間たちは新しいメンバーを加えて活動を続けているが、春花の名前が出ることはない。まるで最初から存在しなかったかのように、彼女の痕跡は消されている。
田中は握手会の三日後に亡くなった。最後まで春花を支えようとした彼の優しさが、かえって命を縮めたのである。春花は毎日、彼の墓前で謝り続けている。
春花の手は、今でも冷たい。触れる物すべてから生命力を奪ってしまう呪われた手。彼女は鏡を見るたびに、自分だけが健康的な肌色をしていることに罪悪感を覚える。
しかし、最も恐ろしいのは、彼女の能力がまだ成長し続けていることだった。今では直接触れなくても、近くにいるだけで動物や植物が枯れてしまう。春花の周りには、常に死の影が漂っているのである。
彼女は生き続ける。他者の生命を糧として、永遠に孤独な存在として。それが春花に課せられた、最も残酷な運命なのであった。
これは、「冷たい手をしたアイドル」の話