§第05話 蟹来浜の出会い
浜辺である。潮騒。海風。磯の香り。すぐ背後には三神山を背負う。
浜とは言え砂地はほんの一部で大部分は荒磯である。緩い斜傾の地層が数万年もの寄せて返す荒波で洗われた、所謂「鬼の洗濯板」の様相を呈している。荒く凹凸した表面は広い階段状を呈しつつ緩やかに水面に消えている。
見る限り波は比較的穏やかである。この特徴的な形状故か。地元の人々には蟹来浜と呼ばれている。山裾の道路から浜へ降りる口の立て看板に書いてあった。何やら由来が有りそうだ。その横のもう一つの看板にはキャッチコピーが。
「カニライハマで遊ぶかに?」――これでいいのか蟹来浜村民達よ。
声 フゥ!
甲高い声が浜に響いた。
山から浜に出る道を一台の自転車が猛スピードで降りてきた。道路を横切り「遊ぶかに」看板の横をすり抜ける。例のダウンヒル男、潤間潤だ。頂上で日の出を拝んでから三〇分も経っていない。どんなペースで降りてきたんだよこいつ。
潤 フォゥ!いやぁ楽っしい!ダウンヒルマンセー!ヒャッッッッホゥ!海まで一気降り!ぬまるぅぅぅフォゥ!
テンションアゲアゲ男の眼前に広がる海はあくまでも静かで、あくまでも凪いでいる。潤はまだ吠えている。
潤 フォウ!
山彦のおわす木々深い山道とは異なり、その声は視野を二分する水平線に消えていく。潤は自転車を降り地面に座り込んだ。
その自転車は密林のサバイバラーの様相を呈している。つまりかなりボッコボコということ。タイヤと言わずフレームと言わず泥がへばりつき、細い木の枝葉や蔓があちこちに絡んでいる。剰え潤のヘルメットからも草が生えている。wwww。
後ろに手を突いて水平線をしばらく眺めたと思うと寝転がり大きく息を吸う。空を見上げる。目を瞑る。……あれ。……寝た?……寝たか。
眠れるジャングル帰還者から少し離れた所に人間が二人現れた。ポケットの沢山ついたベストを着込み、フェルト底のゴムブーツを履いている。肩には縦長の竿袋を担ぎ、各々クーラーボックスをもう一方の肩にかけている。
釣り人だ。これはもう誰がどう見ても釣り人だ。漸くだ。漸く普通の人だ。
外見を見る限り、一人はそこそこ年かさの女、もう一人は彼女より背が低く若く見える男である。二人ともピタリと顔にフィットしたサングラスをかけている。そして無口だ。二人ともこの凹凸の大きい荒磯でもバランスを崩さず歩く。余程体幹が鍛えられていると見える。磯釣りのエキスパートか。二人の居住まいから察するにしょっちゅう一緒に出かける釣り仲間と言ったところか。
と、女が足を止め話しかけた。
女 この辺りにするか
男 少佐。ゴウウ=ケイ少佐。意見申し上げます。あちらに自転車の残骸が。あれは何かの罠ではないでありましょうか
女 よく見ているなライウ=チュイ中尉
女はゴウウと呼ばれ、男はライウと言うらしい。ゴウウとライウ――悪天候ペアか。嵐の予感しかない。
女 しかしあれは単なるゴミだろう。何か意味があるとは思えん。始めるぞ
男 ハッ了解しました
キビキビした態度と言葉遣い。そして少佐と中尉――間違いなく軍人じゃん。いくら軍属でもプライベートでの釣行でこうは呼ばないだろう。つまりこの扮装での軍務中ということか。やっと普通の人が登場したと思ったのに。がっかりだよ。
ライウ しかし少佐
と、ライウがゴウウに話しかけた。
ライウ 本当でありましょうか。「ニン国の諜報スキルをリークする」なんて話が美味すぎませんか。直前の任務を変更してまで飛びつくネタではないと愚行しますが
ゴウウ 確かにな中尉
「ニン国の諜報スキルをリーク」とは。いきなりディープだぞ。尋常じゃないぞ。軍務の中でも特殊なやつだぞこれは。
ゴウウ ニン国は諜報能力と情報処理能力で世界各国をリードしている技術大国だ。国民の半分が情報技術者で残り半分が諜報員だ。その諜報スキルは国外の誰も知り得ない。今までそこに触れようとした人間は誰も・帰って・こない
ライウ 恐るべしシノビの国
ごっくん。ライウはゴウウの話に生唾を飲んだ――いやいや。
ツッコミ所満載の都市伝説のコトのアルよ。国民半数が諜報員なのにスキルが一切漏洩しないとは。一人くらい寝返るやついるだろうに。国際結婚した子供はどうするんだ。互いに秘密を持ったまま家族として生きるあの漫画「酸っぱい○ァミリー」みたいなスパイ家族に?――どうでもいいがあの家族はあれだけ能力があるのに互いの秘密にだけ異常に鈍感なのは何故だ?もはや呪いか?――まあ、どうでもいいが。
本編に戻ろう。
ゴウウ だから我々は方針を変更した。直接潜入するのではなく間接的に断片情報を入手しそれを組み立てていく戦略にだ。名付けて
ライウ 「ジグソーパズル ピースが一つ二つ足りなくてもできたことにする作戦」ですね
ライウが引き取った。得意顔。ゴウウは深く首肯した。――いやいや。そのまますぎるだろネーミング。っていうか足りなくてもいいのかジグソー。
ゴウウ 今回のリークが本物かどうか見極めるのも私達の仕事である。仮に本物だったとしても恐らくごく小さなパーツの一部だろう。それでもニン国の諜報能力の一部が手に入れられれば我々ローカ人民共和国への貢献となるのだ。我々は指令を着実に熟し一歩ずつ進むしかないのだ。分かったかライウ中尉
ライウ ハッ。ゴウウ少佐!共和国の安寧の為に!
ゴウウ 共和国の安寧の為に!
二人は姿勢を正し互いに敬礼をした。そしてそれぞれのクーラーボックスと竿袋を開けた。そこにはあきらかに釣り道具ではないものが顔を覗かせている。
と、
声 うぅぅぅぅん
大きな唸り声が響いた。二人はギョっとして声の方を振り向いた。
潤 うにゃあぁぁぁぁ気持ちいい!
すぐ近くで一人の男が起き上がり思い切りのびをした。二人は完全に意表を突かれて半ばフリーズしている。気付かなかったのは気が緩んでいたのか。それとも――。
潤間潤は単に寝落ちしていただけなのだろうが。
潤が二人に気づいた。
潤 あ!こんちわ!へぇ~釣りですか!いいなぁ!僕自転車なんで釣り道具積めないんですよ!いいなぁ!
近いのにそんな大声出さなくても。二人はそういう表情で顔を見合わせ、出しかけた荷物をしまった。ライウが自転車を見て呟く。
ライウ てっきり不法投棄物だと
潤 で 今日は何を狙ってるんですか?
二人はさらに顔を見合わせる。ゴウウがスッと前に出た。
ゴウウ いや ここは初めてなんでよく知らないが。狙いとしては磯の根に根付いたグレかイシダイだな
ライウ さすがです
ライウが小声で言う。ゴウウはサムアップで応えた。
潤 イシダイ!いいなぁ!つり上げるまでのバトルが最高ですよね!フフフ
ゴウウ では
二人はその場を去ろうとする。
潤 あ ここで釣るんじゃないんですね!
ゴウウ ええ。あちらの「鼻」まで
「鼻」というのは磯のような入り組んだ場所で,海に向かって少し出っ張った地形の事だ。海に突き出しているのでキャスティングしやすいのと,外波に洗われるために水中で抉れており魚が根付きやすい。
釣りのエキスパートらしい自分の回答に満足げなゴウウと、それに尊敬の眼差しを向けるライウ。
潤 あ そうそう。初めてでしたらこの浜にまつわる天女伝説 ご存知ですか?
潤が二人を足止めする様に話を振ってきた。二人はまた顔を合わせる。微妙な表情。
ゴウウ いや。聞いた事はない
潤 フフッ。これがね。面白いんですよ。この浜ね。「蟹が来る浜」って書いて「かにらいはま」って言うんですが。――聞きます?聞いちゃいます?
ライウ いや我々はこれで
ゴウウ お聞きしたい
話しを切ろうとするライウをゴウウが遮った。
次回は「§第06話前篇 漁師松伝説(1)」