§第03話後篇 ご来光(2)
暁 あのぅ
潤 はい!
潤が座ったまま振り向いた。
暁 それ。自転車で登ってきたんすか?
潤 はい!そうです!
暁 あの道を?森ん中っすよね?
潤 はい!
ますますでかい声。暁が明らかに引いてるし。アキラだけに。
暁 へぇ凄いっすね!あの坂をねぇ
潤 はい!殆んど乗ってませんけどね!
暁・朔次 乗ってない?
朔次も思わず振り向いている。息が合って暁は頬を緩める。
潤 はい!この道だと自転車に乗って登れるのはちょっとだけなんですよ。あとは「押し」と「担ぎ」です!
朔次 は?担いで登ってきたのか?下から?
と朔次。嫌がっていたくせに驚きすぎて我慢できなかったか。
潤 はい!
朔次 失礼だが自転車なんて乗らなかったらただの重荷じゃないか。何の為に自転車を持ってくるんだ?
潤は満面の笑みを見せた。
潤 『ダウンヒル』です。
二人 ダウンヒル?
潤 はい!ここから麓まで一気に駆け下りるんです
自転車のダウンヒルとはマウンテンバイク競技の一種である。落差のあるオフロードコースを一気に駆け下りてタイムを競う。時速六〇キロに達するスピードと岩や樹木の障害に阻まれる危険との隣り合わせが生み出すスリル、そして大自然との一体感。それが数千人と言われる世界中のプレイヤーを魅了しているのだ。
解説終了。
潤 学生の頃に経験してから病み付きで。まあ危ない事もあるんで山を管理する人には親の仇みたいに嫌われてますハハ。でもあの落下して行く感じ!下りきった時の達成感!最高です!
テンションが上がってさらに声がでかい。比例して引き気味の二人。
競技としてのダウンヒルは人工的にデザインされ自転車運搬用ゴンドラが設備されたコースを使用する。ゴンドラ付きのスキージャンプ台の様なものだ。しかし元来は大自然を相手にした予測不能なエクストリームスポーツである。それ故に山野を安全管理する立場から見れば迷惑極まりない。
自然にやさしく人にやさしいエコでオーガニックなエスデージーズ社会的にはコンプラ違反でありバッシング対象なのである。
が、尋常ならぬ快感の虜になったエクストリーマにとってはそんなの知ったこっちゃない。
暁 じゃ そのために自転車を
潤 はい!今日も落ちる為に登ってきました!
朔次 へぇ。変わってるなぁ
暁 課長しゃべれるじゃないすか
朔次 五月蝿いな流れだよ流れ
暁 なんかズルいっす
朔次 ズルいって言うな。いつの間に~かしぜ~んに会話に混ざってたいんだよ俺は。ほらカメラ。お前が写せ
暁 へいへいっす
暁は大きなサイズの一眼レフを朔次から受け取った。付いているのは単焦点の広角レンズなので思ったより重くはない。三脚にカメラを取りつけファインダを覗きこんだ。ピントはもちろん無限遠だ。
暁 さあこれでご来光いつでも来いっすよ!
皆はその無限遠を眺める。薄明かりはより赤く、さらに黄色く変わってきた。命の根源の色。徐々に。徐々に。
時は刻まれるのではなく滑る様に連続したグラデーションだ。
やがて。
連山の黒いシルエットから生命力を纏った明るい放射光が左右に広がったと思うと、その中心が迫り上がってきた。まるで天上の音楽が降り注ぐ――いや。天然自然が織り成すこの劇空間にそんなものは必要ない。
言葉が出ない。この光景に自分の存在そのものが溶け込んでいく感覚。
朔次がポロリと言葉を溢した。
朔次 おお
潤 晴れてよかったですね!
暁 ええ
潤 雨だと電波飛ばないですもんね!
朔次 ん?
ん?「電波」?二人はピクリとした。朔次の目がスッと変化する。潤は間髪入れず立ち上がった。
潤 さてと!じゃあ僕はこれから下ります!
朔次 あ。ああ
暁 お気をつけてっす
潤 どうも!
潤は登山キャップを被り、顎紐をパチンと留めて自転車に跨った。
潤 ヒ~~ヤッホウ!
下り始めるとあっという間にスピードが上がる。ダウンヒル競技に特化した車輌には分厚いラバーのタイヤとストロークの長いサスペンションが装備されている。とはいえ、石や木の根が張った道は衝撃が大きい。そこを右に左にバランスを取りつつ飛ぶ様に降りて――いや。落ちていく。
潤と一体となった自転車は見る間に二人の視界から消えた。
朔次はそれを見届けてフウッと息を吐いた。暁は潤の行く先を見た。その眼はどこか意味有りげに光っている。ふと口から出たのは……
暁 たのむっすよ
祈る様な声だった。
次回は「§第04話 タテヤマの秘密」