25、遭遇
どうしようかと頭を捻っていた時だった。何かが物凄い勢いで森を駆け抜けてこちらに近付いているようなイメージが、早送りした動画みたいに脳裏を駆け巡る。
——何だこれ。
皆、同じ感覚に陥っているようで身構えていた。
「千颯!」
グライトの言葉と共に引き寄せられた瞬間、目の前に知らない女の人が姿を現す。
紫色を主体とした煌びやかなドレスを纏い、金色の髪の毛を惜しげもなく宝石の髪飾りで毛先まで纏めている。
「やっと見つけたわ」
薄いながらも形の良い唇が満足気に弧を描いていく。実体というよりもホログラムに近い印象だ。目の前にいるのに手を伸ばすと透けてしまいそうなほどに存在感がない。
表情さえもない冷え切った金色の双眸がこちらを見下ろしていて、底知れない闇を感じて背筋がゾッとした。
それよりも……女が持つ焦茶色をした杖の上部が人の手の形をしているのが分かって固唾を呑む。
色も日に焼けたペールオレンジが精巧過ぎて、悪趣味にも程があると感じた。
——誰だこの人。もしかしてこの人が聖女なのか? え、あの傷って……!?
杖の上部についた左手の甲に、手首側から人差し指の付け根にかけて斜め一文字に入っている古傷に視線が釘付けになった。
ドクドクと心音が鳴り響き、聞こえそうなくらいに脈打ってくる。
「その手……」
——あれは……あれは。嘘……っ。
見覚えがあるなんてものじゃない。今でも鮮明に思い出せる記憶の中にある傷と同じなのだ。体中熱いのに嫌な汗が止まらなくなって、こめかみや背筋を伝い落ちていく。
『千颯、そんな持ち方をしていては手を切るぞ』
はにかんだ祖父が思い出の中で笑う。
自給自足で生活をしていた祖父母の畑作業を手伝っていた時に、目の前を横切った昆虫に気を取られ、危うく鎌で自分の手を切りそうになった事がある。
それを自分自身の手を覆い被せる形で庇ってくれたのが祖父だった。
『千颯無事だったか!?』
自分自身の怪我よりも慌てたように問いかけた。
子どもだったのもあり、流血を見た驚きと恐怖、また自分のせいで大好きな祖父に怪我をさせてしまった罪悪感でひたすら謝りながら泣くしかできなかった己の後悔の痕だ。その時の傷に酷似していた。
——何で、じいさんの手がここにある!?
心臓がドクリと大きな音を奏で、嫌な鼓動を打ち始める。
「アンタ、うちのじいさんに何したっ!!」
こんなに頭に血が登ったのは生まれて初めてで、カッとなってしまった怒りの衝動で自分でも驚くほどの声量で怒鳴っていた。
「精霊術師というから様子を見に来てみれば、あの老ぼれの血縁者だったのね。これ? 見たままよ。この通り有効利用してあげてるの。有り難く思って欲しい所だわ」
罪悪感のカケラもない、無機質な瞳が細められていく。何を意味しているのか分かった気がして怒りは頂点を超えた。
こんなに誰かに対して押さえきれない程の激情を抱いた試しがなくて、これ以上何と言っていいのかさえも分からなくなってくる。一度きつく目を閉じて開いてから唇を引き結んだ。
声無き憤りに応えるように地が揺れ出し、大きく視界が上下する。壁や地面に亀裂が入り始めたかと思えば、次に砂となって崩れ落ちていく。
視界の悪さが鬱陶しくて右手を横に振るうと、どこからともなく突風が吹いてきて全て一掃された。
次いで、曇天に変わり大粒の雨が降り注ぎ、全身を叩きつけられる。女の両目が信じられないものを見るように見開いていく。
「何……、何なの貴方!」
全身余す事なく精度の高い聖水を浴びて、女が悲鳴を発した。
本体でないのは分かっていても、体だけがまるで酸を浴びたように溶け始めたのに動揺してしまい、気が緩む。
「こんなの聞いていないわ! あの方に……何て説明すれば……っ」
あの方に説明て誰に? 問いかける前にその姿は空に霧散してしまった。事態は最悪だ。いや、エルゲアの使いは監禁されていると言っていた。ならさっき女が言っていたのは? 思考回路が機能してくれない。
「……っ、じい……さん」
間に合わなかったのかもしれないと思うと遣る瀬無い思いで胸が痛んだ。会えるのかどうかも怪しいかもしれない。
「千颯、さっきのは?」
「じいさんの……左手だった! あの傷……子どもの頃オレを庇ってついた傷だから覚えてる!」
目頭が熱くなり、堪えきれなくて地面に蹲る。雨と一緒に涙が土に吸い込まれていき、声を押し殺して泣いた。後頭部と背中に、グライトとエルゲアの手が置かれる。
「あの……大丈夫です。おじいさん、生きてます。ぼくの翼が機能している内は、おじいさんの左手の代わりになっている筈なので手も再生していると思います」
白龍の言葉を聞いて勢いよく顔を上げる。涙でグシャグシャになった顔を乱暴に拭って呼吸を整えてから視界に白龍をとらえた。
「どう……いう意味?」
「結果論を言えばです。ぼくの左翼には治癒や再生の能力がついているので。でも今回の件であの女の人は味を占めていると思います。おじいさんの手が自動治癒で再生するのがバレてしまうと、あの人はまたおじいさんを傷つける可能性が高いです。おじいさんは聡明な方でした。ぼくの能力を察して再生しないように調整しているかもしれません。そうだとすると、生かされている可能性はまだ高いです! お願いします、ぼくも連れていってください! ぼくの名前はラエアオン。おじいさんが仮の名前をつけてくれました」
「名前……。じいさんの精霊獣だったのか?」
「正確には違います。公国へ行くのに仮の名前と力を貰っただけなので。ぼくにはそれだけで充分です。公国へ行く前にぼくもおじいさんを助けたい。今はまだ良くても最悪な事態に変わりはありません!」
ハッキリと言い切った言葉からは誠意が感じられた。グライトが降参するかのように諦めのため息をつく。
「で? 俺に話というのは何だ?」
グライトからの問いかけに白龍……ラエアオンが首を傾げた。そういえば言ってなかったな、と思い出す。
「話ですか? え……、え? もしかして」
「俺がオリナルト公国の守護獣だ。今は千颯の精霊獣だがな」
面倒くさそうに口を開いたグライトがラエアオンを摘んで眼前まで持ち上げる。
「え、えええーー!?」
ラエアオンの叫び声がこだました。




