2、ホワイトタイガーがいたよ
家は? 仕事は? 彼女は居た試しがないので大丈夫だが、友人たちは? 家族は? 間違いなく失踪届けを出されるだろう。
これで十年近く続けば失踪が死亡扱いになってしまう。それに知り合いが誰一人としていない、文化も違うであろう土地でやっていける自信などない。というよりも魔法陣を直せとか無理に等しい。
——詰んだ……。
お先真っ暗だ。しかも各所でチクチクと嫌味さえ言われている気がするから腹が立つ。
「ところでいつまでそうしているおつもりですか?」
「……」
瞬きもせずに固まっていると神官に声をかけられたが、返事をする気にもなれずに口を引き結ぶ。
「とりあえず服を着ませんか?」
——アンタが言うな!!
無言で体を拭いてから服を着る。体は既に冷え切っていて寒かった。しかも出された服は生地が薄くて防寒には向かないものだ。靴はブーツタイプで同じくペラペラの生地ですぐに穴が空いてしまいそうだった。
——マジで腹立つわ……何なんだよコイツら。
馴染みのない服を着て、ニホンに帰りたいと切実に願う。これなら押し付けられた書類整理をしていた方がまだマシだ。
見慣れた部屋でエアコンをつけ、毛布と布団に包まりたい。普通に職場へと行きたい。
——魔法陣なんたらより、誰か普通の仕事をくれ。
心の中で涙した。ふと疑問が脳裏を掠める。
「それより、ここ異世界なんですよね? どうして会話が成立しているんですか?」
異世界ならば言語が違う筈だ。通じている方がおかしい。
「それぞれの世界で言語変換出来る魔法を使っているからです。この世界へ呼んで言葉が通じないとなれば意味がありませんからね」
——なるほど。
理解した。
言葉が通じるだけでも千颯にとってはありがたいけれど、身内によるドッキリ話であって欲しかった。
「魔法陣を修復する間、寝泊まりするお部屋へとご案内いたしますので、一緒に来ていただけますか?」
冷たい視線で一瞥される。
「はあ、分かりました……」
腹は立つが今は成り行きに身を任せる方が賢明だろう。宰相の後に続いて歩き出す。
一度大聖堂自体から出て、手入れの行き届いた広い中庭に出た。綺麗な花や形の良い樹木が並んでいる。
それを尻目に十分くらい歩いた先に別邸が見えてきた。
玄関先から見上げてまた呆然としてしまう。
——うわ、いかにもな洋館だな。ホラー系アニメやゲームで良くみるわー……こういう廃洋館。
掃除も行き届いていない別邸は大きい割にどこもかしこも埃まみれで蜘蛛の巣まで張っている。窓が割れていないのが救いだろうが、幽霊は出てもおかしくない。
——本当にニホンじゃないんだな……。
召喚されたのはいいが、お呼びでない存在だったので虐げられる程に低待遇だし気分は最悪だ。
ちっとも歓迎されていないのが有り有りと伝わってくるし、それでも雨露をしのげるのであれば外よりかはマシなのか? と考える。
それでも「これは無いわ」と心の中で悪態をついた。
——オレを生かす気ないだろ……。
「では、私はこれで失礼させていただきます。朝食は七時頃に届けるよう手配はさせますので」
お礼すら言いたくなくなった。
設置されているベッドに腰掛けると埃とカビの匂いが鼻をつく。とてもじゃないが眠れそうにない。
——埃叩きか箒みたいなのはないかな?
窓という窓を全て開け放ち、掃除用具を探しに廊下へと出る。あらゆる扉を開けて行くと厨房やシャワールームらしき所を見つけた。しかしながら水は出ない。
——もしかしてこれからはオレって風呂もなし?
本当にあり得ない。奴隷みたいな扱いに顔が引き攣った。
更に廊下を進んで行き、やっとお目当ての箒を見つける事が出来たのでそれを片手に部屋へと戻る。
こんな時間にベッドを叩く音を出すと迷惑かとも思ったけれど、自分以外の人はいなさそうだ。
離れにある別邸ゆえ、本邸には音すら聞こえないだろう。否、聞こえたとしても知るかっ。そんな気持ちでいっぱいだった。
遠慮なくベッドの埃を払い、少しでも快適に寝れるように簡単に掃除を開始した。
残りは明日に回す。どうせやる事はないのだ。元々ギッシリ詰まっていた仕事の予定も全てなくなったので何時でもいい。
家事には慣れている。伊達に一人暮らしはしていない。食えれば良い派なので炊事は得意じゃないが、掃除に洗濯は得意分野である。
不意に背後に何かの気配を感じて振り返った。
するとそこには成体のホワイトタイガーを一回り大きくしたような見目をしている動物がいて、透き通る程に綺麗なライトブルーの瞳でジッとこちらを見つめていた。
「え、もしかして窓から入ってきたのか!?」
全然気が付かなかった。
肉食獣だけに襲われるかもしれないと内心ビクビクしていたのに、意に反してホワイトタイガーは近付いてきたかと思いきや、己の足にスリスリと頭をすりつけてくる。瞬間、理性が弾け飛んだ。
「ヤバッ、可愛いっ!!」
掃除道具をほっぽり出して床に座り込むなり、ホワイトタイガーの頭を撫でる。




