12、逃げるが勝ち!
「なあ、これからどうするんだ?」
「先に国境を越えてしまった方が良い気がするな」
まだ朝の時間帯で良かったとつくづく思う。これが深夜だったら気付きもせずに捕らえられていただろう。
オリナルト公国の領土に入ってしまえば、中々追手は差し向けられないだろうし、面を合わせるのも更なる手続きが必要となってくる。
オリナルト公国で人型になったグライトの存在が知れ渡っているかどうかも気になるところだが。
その前に今回の追手は聖女関係なのかそれとも金庫内の金関係なのかも分からない。両方だとするとまた話はややこしくなりそうで胃が痛んだ。
「オリナルト公国で、誰かグライトの人型の姿を知ってる人はいるのか? 書籍か何かに記されてるとか」
グライトが軽く首を傾げて考えている。「まだ生きていれば……」と珍しく弱目の口調で言っていた。それらから察するに相手がいかに高齢者かがうかがえる。
生死に関わらず、ボケている可能性もある。ここはハッキリさせておきたい。
「生きていれば……か。そう仮定するとして、その人って何歳くらいなんだ? 人間なんだよな?」
「ああ、人間だ。もう二百四十歳くらいだろう」
——いや、それ確実に死んでるやつ……。
短命化が進んでいる中で、今の人間のおおよその寿命は八十年くらいだからだ。生きていたとしても長生きで済む所の話じゃない。早々に希望は断たれた。
「グライトの存在が知られていなければ、不法入国者としても捕らえられるかもしれないって事だよな。金庫から持ち出す時は誰かに姿を見られてないか?」
「見られるようなヘマはしない」
——あ、そう……。
ラスティカナ帝国から亡命を果たしたとしても、このままでもオリナルト公国で入国を歓迎して貰えないかもしれない。
ラスティカナ帝国とオリナルト公国が戦争の末に同盟を果たした際、グライトは精霊術師と一緒に一度ラスティカナ帝国へと人質として行かされている。事情を話した所で歓迎されないかもしれないという可能性も出てきた。
「俺が精霊獣から人型になる瞬間をオリナルト公国の神殿に行って披露すれば良い。精霊獣はオリナルト公国にとっては神に等しい存在だからな。ラスティカナ帝国に連れて行かれる時も人間側では相当揉めていた。神を侮辱する行為になると……。それにラスティカナ帝国は元々悪い噂の絶えない帝国だったから余計だろう」
「そうなのか。ならこのまま目指して旅をしても安心だな。それとついでに城下街で聞き込みするのも有りだな」
つい数日前にこの世界に来たばかりだ。何もかもが初めての事尽くしなので、覚えるのが大変そうだ。
これからどうしようかと逡巡しているとグライトに口を塞がれて軽々と担がれた。
気がついた時には木の枝の上にいて、悲鳴を上げそうになる。数分後、木の下を馬に乗った警備兵と指示を出している男が駆け抜けて行く。グライトが気が付いてくれなかったら、見つかっていた。
「ありがとうグライト。全然気が付かなかった」
「千颯を守るのが俺の役割だからな。それより通常ルートで行くとバレそうだ。獣道から行こう」
「分かった。そうしよう」
ベッドで寝れなくなるのは惜しいが命の方がもっと惜しい。
グライトが先に歩いて通りやすいように育って伸びていた枝などを避けてくれた。おかげでかすり傷一つ出来る事もなく、サクサクと進んでいける。
そして、また問題に直面してしまった。
「……」
「よし、下るぞ」
——無理ですけど!?
目の前には底の見えない断崖絶壁があるのだ。いくら魔法があったとしても無事に下りられる気がしない。無言で左右に激しく首を振るとまた横抱きにされた。
「待て待て待て待て! グライト、これは物理的に無理だ!! 無理っ、嫌だ! 絶対死ぬ!」
「俺がいるから大丈夫だ」
「グライトが凄いのは知ってるけど、見ろよこれ! 下が見えないんだぞ!? どこに到着するんだよ!」
「土の上だ」
「そういう意味じゃない! 普通に返すな!」
力いっぱい叫ぶとグライトに顎を取られて上向かせられる。これは狡い。この良い顔でやられるとその気がなくてもドキリとしてしまう。
——オレってミーハーだっけ?
いや、違う。美人を見てもドキドキした試しはなかった。この世界に来てから挙動のおかしい己自身に悲しくなってくる。
「おい、千颯。俺が大丈夫って言ってるんだ。返事は?」
「…………はい」
どっちが主人なのか分からない関係になっていた。
体が浮いたのと同時にグライトの首にしっかりと抱きつく。もっとゆっくり下りてくれるのかと思いきや、急降下したので思いっきり叫んだ。
そういえばそうだった。二階から飛び降りた時もこんな感じだった。
「ああああああ! 無理ーーー!!」
——風、吹け! 風、吹け! 体を持ち上げろ!!
必死になって心の中で叫ぶ。下っ腹の奥から全身にかけて熱が広がり温かくなっていく気がした。すると落下速度が急激に落ちていき、ゆっくりと地に下りて行く。
——あれ? 滑らかになった?
「ち、はや?」
グライトが呆気に取られた顔をしていた。
「もう! ゆっくり出来るんなら初めっからしてくれよ!」
恐怖で溢れた涙が顔の周辺で漂っている。グライトが微笑んで眦に浮かぶ涙を唇で掬い取った。
「俺じゃないぞ」
「俺じゃないって……もしかして追手の誰か!?」
「そうでもない」
周りを見渡すも誰の姿もない。それどころか底なし加減を見て気絶しそうになる。本当に土の上に下りられるのかどうかも疑わしい程に真っ暗なのだ。
——今は下を見たらダメだ!
己を叱咤し、気を持たせる。
「くくく、まさかここまでとはな」
グライトの顔が楽しそうに輝いている。まるで新しいおもちゃを与えられたこどものようだった。