死んでくださいませ、お嬢様
「どうぞ、お嬢様」
「ん、これは」
日課のジョギングを終えて、爽やかな一日が始まった。
煌びやかな机を前に紅茶を手に取る。
「新鮮な茶葉が取れたので」
「あぁ…自家製してるんですか」
私が飽きぬようにと
執事が様々な工夫を凝らしているのは承知の上。
いつもは信頼のある店からの取り寄せではあるが…まぁこれもこれで悪くはない。
「…ん?何だか舌がピリッと…?」
「ですね、俺も毒見をしてみたのですが
数分後には全身が動かなくなりました」
「もしかして毒?!」
思わず、ティーカップを床に落とす。
「落ち着いてください、ただの遅効性の毒です」
「やっぱり毒じゃないですか」
「しかして、その一口は人類にとって大きな進歩になるのです」
それは見事にぶちまけられた紅茶をスポイトで吸い上げながら
ありふれもしないことを言うのだ。
吸い上げたは良いものの、当然
三秒ルールはとっくに過ぎており。
「ゴミが浮いていますわ…」
「飲めません?」
「飲めません…」
執事は一度溜息を吐くと
朝食として用意されていたパンを運んで目の前に差し出した。
口に含めば、モチモチとした感触が歯に伝わるので
朝はパン派。それも、ジャムを塗りたくったものが特に好み。
「これも毒あるんじゃないですか?」
「しかして、その一口は人類にとって大きな進歩になるのです」
「やっぱり首を縦に振るのと同義ですよそれは」
「歯磨きましたか?昨日の夕食の後味とか
残っているんじゃ」
「歯磨き粉ちゃんと付けて歯磨きしましたから」
「もしかして…口の中はミント味
で充満しているんじゃないですか?あれもピリッとしますよ」
「うがいしましたから…」
冗談はさておきと、咳払いを挟む。
執事の淹れる紅茶は、確かに美味しい。
否、美味しかった、過去形だ。
何より、毒を盛られた後ではどうも信用ならないからな。
私は、パンにジャムを塗りたくる。
一口齧ってみるが……やはり舌にピリッとする感覚があった。
これはきっと毒だ。間違いない。
「どうしてですか?昨日までは
美味しい紅茶に、美味しいご飯を頂いていたはずです。
短期間の間に、貴方に何かした覚えは…」
「どうしてって、こんなにも日当たりの良い
窓辺側の席に座りながら何を言うのですか」
指差す先には、鳥の声がさえずる晴れ晴れとした青空が広がっている。
しかし、その日常を指しているわけではないようで。
「ほら、下の方。耳障りな声が聞こえますよ」
「本来逃亡生活を送っているご夫人方に言うべきですが
巷では、一人取り残された貴方を悪役令嬢と揶揄する声も」
涙ながらに語る姿は、正しく歴史あるこの名家には
あるべき姿であるが、直後「だから貴方を殺すしかないのです」
なんて言われてしまうのだから「慈悲のある悪魔ですか」と返すしかない。
まぁしかし、悪役だなんて言い草もあながち間違ってはいない。
他者を蹴り落とし、天下を手に入れたのは事実なのだから。
それは私にだって同じことで
ずかずかと物言う性格故何度人に虐げられてきたことか。
「だからって殺されるのは嫌です!!」
「ちょっとお嬢様?!
この注射をちょっと打つだけで良いですから!」
「見た目がおどろおどろしいんですよー!!」
私が話している隙に、二の腕には
針が差し掛かっていた。油断なんてありはしない。
注射器を跳ねのけ走った、ただ走った。
沢山のメイドや執事が勤めていた、今は見る影もない廊下を突っ切って。
やがて、香り際立つ一つの扉の前へと到着する。
「ねぇ、シーバおばさん。
アルったら酷いんだよ!」
シーバと呼ばれた人間は、微笑みながら扉を開いた。
全てが大きいこの屋敷で、三人暮らしをしている内の一人。
齢八十の、一般的にはお婆さんと呼ばれるような歳の女性。
「あらあら、随分と元気だこと」
しかし、背中はぴんと張られ生気溢れる顔立ちから、若々しさが感じられる。
「どうしたんだいリリィ。まるで
アル坊が意地悪をしてきたみたいな言い草じゃないかい」
シーバは椅子に座るよう促し、それに従った。
事の経緯を話すとシーバは「それは酷い」と相槌を打つ。
「試作品でね、焼き菓子を作ってみたんだ。
これで堪忍してくれって訳ではないけど…」
綺麗に形作られたクッキーが、皿の上に並べられた。
「わぁ!美味しそう!」
目を輝かせて、クッキーを頬張ると
サクッと良い音が耳に響いた。
以前は料理長として腕を振るい
数多の名のある料理人が師として仰ぎ教えを請うたという。
まさに生きる伝説なのだ。
「で、何の用があってここに来たんだい?」
シーバは私の対面に腰掛ける。
笑顔を綻ばせ、自然と口から愚痴がこぼれ出た。
「私、執事というのは、皆裏の顔があると思っているの」
「へぇ、アル坊のことか」
「だって、酷いじゃない。
布団に模様を描いていた時はあんなにも可愛かったのに
今となっては、殺しに来ているんだもの」
「リリィだって、おもらししていた時は
他人の子供が食べていたアイスクリーム
を高らかに笑いながら盗んだことだってあるのよ?」
私自身、ちゃんと悪役としての血を引いていることにまず驚いたが
性格というのは時の流れと共に変わっていくものと言いたいのだろう。
いかんともしがいのは変わりないが。
「でも、どうしよう。私死んじゃうんじゃない?」
シーバはうんと困った様子で頬を掻く。
クッキーに舌鼓をうちながら、話に花を咲かせる。
「今日は良い天気だね」だとか「夜ご飯は何にしましょう」
みたいな、毎日繰り返される日常的な会話とは程遠いものがあったけど。
「あの子は正義感が人一倍強いからね。
弱きを助け強きを挫くのさ。
だから単純で、リリィが死ねば、
この不景気も戻るかも、なんて思っているんじゃないかな」
「私だって弱者だもん」
「あぁそうだ。だから、あの子は
リリィのことも国民のことも助けたいんだよ」
「…どういう意味?」
扉が一人でに開いたかと思えば、キィッと擦れる音。
こういう時、噂をすれば、なんて言うらしい。
次はどんな手段で私を殺そうというの。
シーバの後ろに隠れるように身を屈めたが
必要はなかったようで、アルが手にしていたのは
毒薬でも刃物でもなく、花束だった。
赤、青、白 三色の花が華やかに咲いている。
一体どういう風の吹き回し?
「俺と共に来るというのならば
何もかも捨て、遠い辺境地へと貴方を手配することも可能ですが」
「…いやいや、幼馴染とはいえ貴方みたいなちんちくりん
とはお断りします!それは、まるで子守じゃないですか」
するとどうだ、丁度花束の影に隠れていた
片腕から、手が伸びてきた。手にはナイフが握られているのだ。
今か今かと待ちわびていたと言わんばかりにギラギラと輝いている。
私は対抗するように、頬を赤く染めたアルに唾を吐きかけ場を後にした。
やっぱり、これだって罠だった。
これは色仕掛けみたいなものでしょう?
明日だって、明後日だって
色々な方法で私を殺しにくるに違いない。
少しでも動揺した私が馬鹿みたいじゃない。
でも…
――――私は、絶対に負けないんですから!