運気を上げようと有名パワースポットに行きまくった愚か者の末路
少し前に旅行も兼ねて、三重県にある伊勢神宮に参拝してきた。
神宮には外宮、内宮という二つの正宮があり、まず外宮に参拝した時のこと。
何やら、縄で囲まれた石積みに手をかざしている夫婦がいた。
何だろな?と思ってると「ここ、パワースポットなんですよ!」と呼びかけてきた。手をかざさないともったいないよ!と言わんばかりに。
「そうなんですね、へえ~~」と適当に流しながら、ひとしきり石を眺めた後、その場を立ち去った。
帰宅後に神宮の公式サイトを見ると、石積みは「三ッ石」といって、御装束神宝などを祓い清める「川原大祓」が行われる場所らしい。
さらにはこうある。
ーー近年、手をかざす方がいますが、祭典に用いる場所なのでご遠慮ください。ーー
https://www.isejingu.or.jp/about/geku/others.html
なるほど、眺めるだけにしといて良かった。
アマチュア時代、お世話になっていた方に神社参りを勧められて以来、神社仏閣やパワースポットといった類には親しみがある方なのだが、そういった場所を訪れた際は
・お願いごとはしない
・写真は撮らない
・その他、余計なことはしない
ようにしている。
こう思うようになったのは以前、パワースポットに関してこんな経験をしたことがきっかけだった。
時は遡り、プロ作曲家になって三年めくらいの時。
プロといっても、アーティストのリリース楽曲を決めるコンペ(プレゼン大会)で選ばれないと収入のない立場なのだが、幸運なことに一年目からシングル表題にCMタイアップ等々、ちらほらと採用をいただけた。
が、いつしかキープや採用が徐々に減っていった。
クライアントにも認知されてるし、作る曲のクオリティも年々上がってるはずなのに、おかしい……。
自分に必要なのは「運気」じゃないだろうか。
そう考え、関東近郊の有名パワースポットとされる場所を巡りまくったのだ。
「もっとコンペ通りたいです、売れたいです!」
と、必死にお願いをしてまわった、だが……。
相変わらず提出楽曲は箸にも棒にもかからず、採用どころかキープ連絡すら来なくなってしまった。
困り果て、スピリチュアル関連に詳しい事務所の担当さんに相談してみた。すると、
「あんまりあちこち行くと神様に良く思われないんじゃないですかね」
と言うのだ。
つまり運気を上げるどころか、むしろ神様たちの反感を買ってるんじゃないかと。
しかも、パワーの強力なスポットや神様の反感を買うということは、それだけ罰も強いんじゃ……。
もしかしてもう二度と、採用は取れないのでは……?
さーーっと血の気が引き、寒気がしてきた。
そこでどうしたかというと……それまで巡ったパワースポットに、片っ端から謝りに行ったのだ。
「不純な動機で伺ってすみませんでした」、と。
時間も交通費も多大にかかったが、半ばパニックになっていて気が気じゃなかった。
それに、自分がものすごく浅はかで愚かに思えた。
不純な動機であちこちの神様やらに擦り寄るなんて、罰当たりにもほどがある。
同時に曲作りも、二度と採用を取れないかもしれないという焦りから、メロもアレンジもミキシング&マスタリングも、洗いざらい全て見直した。
コンペに参加する際も、このところ流し読みだった案件メールを熟読し、テンプレを多用しマンネリ化しつつあった制作手法をできるだけ避け、丁寧に曲作りをしていった。
そのおかげか再び、キープや採用を取れるようになっていったのだが、この時に感じた強烈な危機感だったり、自身の愚かさへの反省は心にしっかりと刻まれた。
以降、パワースポットだったり神社仏閣といったものには「畏れ(おそれ)」を抱くようになり、お願いごとをしたり写真を撮ったりするのはなんだか失礼に感じ、遠慮するようになったというわけだ。
いかがだろうか、リアルでこの話をすると結構笑われたりする。
自分もこの件について振り返った時、本当に神様のバチが当たったかどうか、は正直わからない。
ただ、なぜ当時採用が取れなくなったかはわかる。
簡単に言うと、「調子に乗っていた」のだ。
調子に乗って、曲作りが「独りよがり」になっていた。
先に、僭越ながら一年目から実績を積めた、と書いた。
だが、おいしいおいしいと食べてくれていた相手もやがて味に飽きてくるうえに、こちらも心のどこかかで「キープや採用は当たり前」のような気持ちになっていた。
そのように驕った心で作った曲はマンネリ化するだけではなく、「自我」が出過ぎて鼻につく。
クリエイティブにおいて、自分が良いと思うものを相手も良いと思うとは限らない。
なのに、採用をコンスタントに取れてきたことで「自分には才能がある、もしくは相手に気に入られている。だからやりたいようにやって大丈夫」と勘違いしてしまい、いつのまにか自我を多分に含んだ曲作りをするようになっていた。
コンペ参加の場合なんて特に、クライアントなりアーティストが求めるものをまず理解しないといけないのに、時には相手の意向とは全然タイプの違う曲を提出したりしていた。
これなら敬遠されても仕方がない。
当時の曲を聞き返すと尚更そう思う。
つまり、神様のバチが当たったとかの前に、自身の奢りや実力不足が招いた必然の結果だと断言できる。
足りないのは「運気」ではなかったのだ。
では、パワースポットは関係がなかったのか、謝罪行脚は意味がなかったのかと言われると、そうでもないとも思う。
採用を再び取れるようになったのは、「神様のバチが当たってしまい、もう二度と採用は取れないんじゃないか」という、音楽人生が終わるかのような強い危機感を持ったことが大きい。
逆に中途半端な反省では、その後もダラダラと独りよがりな曲作りをして、本当にそのままフェードアウトしてたかもしれない。
その件以降も楽曲制作だったり株式投資だったり、道なき道を歩んできたが、振り返れば何事も結局は、自身の実力次第だと思う。
しかし人間、いつだってそんな風に割り切ってスマートに生きられるわけでもなく......。
「こんなに頑張ってるのになんで上手くいかねーんだ!」
と叫びたくなることなんて今でも多々ある。
いや実際叫んでる。
そして、心に溜まったプレッシャーやストレスや絶望感が重すぎてどうしようもなくなった時……パワースポットや神社仏閣の力を借りるのだ。
先の反省があるので、
「採用をください! 含み損を助けてください!」
とかお願いをするわけではなく、例えば神社に参拝した時は二礼二拍手のあと心の中で、住所氏名を告げたあと、まずは「許し」と「感謝」をとなえる。
許しとは、神社の神域内に足を踏み入れたことへの許し。
感謝とは、道を歩けば老人の暴走車に轢かれるかもしれない昨今、無事に生きているだけでもありがたいと思うので、そのお礼を言う。
そのあと、「今こういう状況で、やることがなかなか上手くいかず苦しいです」と、弱音をこぼす。
そして、
「もう少しだけ頑張ってみます。ですので、お見守りくだされば幸いです」
と締める。
10年以上、印税と株で食ってきましたと言うとかっこいいかもしれないが、
「もう少しだけ頑張ってみる」
を、泥臭く諦め悪くしぶとく続けてきただけ、というのが本当のところだ。
何をやるにも、「心」というのは全ての原動力だ。
不思議なことに、拝みながら心の中で自分の状況を吐き出すと、それだけで気持ちが多少落ち着き、整理がつく。
すると、辛い時ももう少しだけ頑張ってみるか、という気になる。
神様が願いを叶えてくれなくても、折れそうな心を支えてくれるだけでとてもありがたい。
おかげでもうひと踏ん張りできて、その積み重ねの先に運命が拓けるなら、それだけで自分には大変なご利益に感じる。
また、パワースポットと呼ばれる場所の洗練された空気や神秘性を感じたり、美しい建物や自然、季節の移ろいを眺めるだけでもリフレッシュ効果があり、心が洗われる。
部屋にこもってデスクワークばかり、画面を見っぱなしの生活なので、尚更だ。
ここで改めて、冒頭の「三ッ石」の話に戻る。
「三ッ石」に手をかざしたからといって、バチが当たるとかはないと思う。
しかし、自分はやはり手をかざさなくてよかった。
なぜかというと、神社側が「ご遠慮ください」と仰っているからだ。
自分は、心の支えをいただいているパワースポットや神社仏閣といった神聖な場所は、今後もずっと存続してほしい。
だからこそこちらが、余計なことをして場所を汚してしまったり、最悪破損をしてしまうなんてことはしたくはない。
「石に手をかざすくらいいいじゃないか」
それはそうかもしれないが、小さいことでも多くの人がおこなうことで、予期せぬ事態が起きるかもしれない。
観光客によって遺跡や文化財が傷つくなんて話も、ちらほらと耳にするし。
だからなるべく「余計なことはしない」ようにしているし、三ッ石に手をかざさなかった。
まあこれは、自分個人の考え方ではあるが。
ただ、今後もパワースポットを訪れる際は「畏れ」を胸に、謙虚な気持ちで望みたい。
最後に、これまで訪れたパワースポットの中で、個人的に不思議なオーラや感覚を感じる場所を三箇所ほどご紹介してみたい。
もし皆様にも、「ここは……」と思える場所があれば、感想欄で教えていただけたら嬉しい。
あ、自宅バレには気をつけて……笑
「秩父神社」 埼玉県秩父市
「大塚丘」 山梨県富士吉田市
「三峯神社 御仮屋」 埼玉県秩父市