第1-6回「身分照会」
・長くなっております。
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彼はこのニッコサンガを、要害の都市だと言っていたが、ついて行くうちにその理由がだんだんと分かってきた。
真っ直ぐ進んでいったと思うと、建物に遮られ左右どちらかに進路を取らされ、また進んでいくと、道が真っ直ぐと曲がる方へと分かれていく。
通り道は横に人が並べば十人いけるかくらいの幅。
通る分には狭くないが、とても広いという訳でもない、絶妙な広さで作られていた。
急ぎ足で進む彼に置いていかれないように、俺もひたすらついて行く。
その途中で、ぽつりぽつりと、曲がり道三つ四つ間隔で作られた、大きな建物とすれ違っていった。
通りに面する所が開かれていたり、家のような作りになっていたり───。
と、多種多様な顔を持っていたが、ちらりと一番上に目をやると、こちらから上の様子が見えないような作りになっていた。
すれ違う人は家や、近くの村へと帰る途中なのだろう。
ぴりぴりとした緊張感は、全く伝わってこない。
だが、入り組んだ町の作りに、点在する見張りのような建物────。
視界に広がる町並みが、敵の侵攻を食い止める重要な拠点であるという事を、ひしひしと伝えてきている。
ここも、戦場の最前線なんだな・・・・・・
過ぎゆく建物を見ていくうちに、そんな言葉がぽんと浮かんできた。
「ふう・・・・・・。なんとか間に合った」
前を行く支部長は、立派に組まれた門を見据えながら、ぽつりと呟く。
その門の向こうには、大きく広がる建物。
さらに遠くの方には山のような所に建てられた、立派な建物が見えていた。
あの立派な建物に、ここの偉い人が居るんだろうか。
一度もニッコサンガに来た事が無い自分でも、そう分かるほどに、遠くに見えている建物は堂々としたものだった。
「さ、ついて来てくれ。まだ夜にはなっていないから、間に合うとは思うけれど・・・・・・」
「あ、そ、そうですね。すいません、ついぼーっとしちゃって」
彼の呼びかけに意識を戻し、再び歩みを進めていく彼について行く事にした。
目の前の建物には入っていかず、横に逸れてから一つ建物の横を抜けていき、更に斜め奥に位置する建物に辿り着く。
彼の開けた扉を抜けると、そこには何かを待っている人がおり、長く作られた机のような仕切りの向こうでは、疎らではあるが何かをしている人達が居た。
あの人達は、ここで働いている人達かな。
また彼に視線を戻すと、きょろきょろと何かを探している様子だ。
何を探しているんだろう、と思いしばらく待っていると、手招きしてこっちだよと呼びかけてくれていた。
「彼の身分について、調べて欲しいんだ」
向こうに居る人に、スタックスさんがそう話しかけている。
「分かりました。じゃあ、書類を用意しますので───」
「いや、それなんだが・・・・・・。彼は記憶喪失なんだ」
その言葉に、対面する方の動きが止まった。
「記憶喪失───。えっと、まさか名前とかも思い出せないんですか?」
「ああ、名前だけじゃない。生まれた場所も、両親の名前も、思い出せないようで・・・・・・」
うーん、と向こうの人は考え込んでいる。
その様子を見ているうちに、また不安な気持ちがふつふつと湧き上がってくる。
「なんとか出来ないかな?」
「そうですね・・・・・・。ちょっと聞いてきます」
そう言うとその人は奥の方へ、誰かを呼びに行ってしまった。
「あの、スタックスさん。今、何をしてもらっているんですか?」
居ても立っても居られなくなり、思わず彼に尋ねてみる。
「ああ、ここで君の戸籍を確認してもらっているんだよ」
「戸籍・・・・・・」
「君がその人かどうか、その名前で正しいのかどうか。それを調べる前に『君以外の君』が居るのかどうかを、まずは調べないといけないからね。今はその手順を踏む前の段階なんだよ」
「う、うーん・・・・・・?」
分かるような、分からないような。
自分以外にも自分が居る───そんな事があるのか?
「ははは。いや何、君が気にする事は無いよ。思い出せない事は仕方ないんだし」
「す、すいません。思い出せたら良かったんですけれど、お手数掛けてしまって」
「いいっていいって。前にもこんな事があったんだ、今回はその応用みたいなものだし」
そうこうするうちに、さっきの人がよりしっかりとした印象の人を連れて、こちらに戻って来た。
「あ、スタックスさん。彼がその人だね?」
「いやー遅くにすまんね、トーカーさん。何とか調べられないかな?」
目の前に現れた、ぴしっとした印象を与えるこの方は、どうやらトーカーと言う名前らしい。
彼とスタックスさんの話す雰囲気からして、前にどうも接点があったようだ。
「他に、こう名前が分かりそうな、手掛かりは無いか?」
「いや、あるっちゃあるんだよ。すまない、あの短剣を彼に貸してくれないか?」
支部長に呼び掛けられ、ハッとなる。
「え、ええ。どうぞ・・・・・・」
言われるがままに、俺はトーカーさんに腰に付けていたそれを手渡した。
「ほら、ここに書いてあるだろ?これから何か分からないかな?」
「ああ、スティッケルの文字だねこれ」
刻まれた文字をなぞりながら、彼はそう答える。
「ああ、それか!なるほど、どうりで見覚えがある訳だ!」
「お、おい。もう閉めようって時なんだから、あんまり興奮すんなよ・・・・・・」
手を叩き喜ぶ彼の姿を、トーカーさんは眉をしかめて、窘めている。
だが彼の喜ぶ反応からして、あの文字は決してこの地域とは馴染みの薄い物でも無いようだ。
それなら俺がいったい誰なのかも、案外あっさりと分かるのかも・・・・・・。
不安だった気持ちもふっと薄れて、ぱっと希望が差し込んだような気がした。
「なんて書いてあるか分かるか?」
笑みを浮かべて尋ねる彼に対して、トーカーさんは唸りを返している。
その表情は、どんよりと曇りっぽかった。
「いや、すまん。俺にはちょっと分からん。多分、どこかの部隊所属だって事が分かるぐらいしか・・・・・・」
部隊所属───。
その言葉で、あの短剣に書かれているのが自分の名前じゃない事が、あっさりと確定してしまった。
喜んでいたスタックスさんも、しょんぼりと肩を落としている。
「そ、そうか・・・・・・」
「あと、これがスティッケルの文字だっていう事は多分、身分を証明するの相当大変だぞ」
「えっ、相当大変・・・・・・?」
彼のその言葉に、思わず尋ね返してしまった。
「あの、どうして大変なんですか?」
「うん?ああ、一応そこと、うちの国は地続きで繋がってはいるんだがね。魔族に分断されて、すぐにやり取りは出来ないんだよ」
彼の説明に、スタックスさんが補足をしてくれる。
「来る前に言った、戦争の相手。そいつらがその国とここを攻めているから、情報のやり取りも時間がかかるんだよ」
ああ・・・・・・なるほど。
だから、トーカーさんは短剣の文字を見た瞬間、あんなに険しい顔をしていたんだ。
「そうだったんですね・・・・・・」
「うん、そうなんだよ。───で、調べ終わるのは、いつぐらい掛かりそうだ?」
支部長がそう尋ねると、彼は顎を軽く摩ってから、こう返事をする。
「うーーーん。断言は出来ないけれど、二週間は超えるかも。下手したらもっと・・・・・・」
「そ、そんなにか・・・・・・」
彼の返事に、スタックスさんは絶句している。
その様子を見て、記憶の無い自分を自分だと証明するという事が、どれだけ大変なのかと言う事を、身をもって痛感させられた。
自分はこの人達を、とてつもない苦労に巻き込んでしまった。
そう思った時にはもう、申し訳ない気持ちで、心の中がいっぱいになっていた。
「すいません・・・・・・」
俺には、その言葉を呟く事しか、出来なかった。
「いや、気にしちゃダメだって!ちょっと時間が掛かるだけだから!そんなに落ち込まないで!」
「そうそう!手掛かりはこうしてあるんだし、調べる方法が無い訳じゃないから。大丈夫だよ、ちょっと手間が掛かるだけだから」
二人は懸命に、俺を励ましてくれている。
その姿が、申し訳ない気持ちをますます湧き立たせてきた。
見えている床が、ぐらあっと歪んだように見えてくる。
・・・・・・いや、ここで自分が落ち込んだら、ダメじゃないか。
ぐっと目を瞑ってから、前を見据えて返事をする。
「・・・・・・ありがとうございます。トーカーさん俺、頼らせてもらいます!大変なのは承知ですが、よろしくお願いします!」
俺の言葉に、彼らの表情が和らぐ。
「・・・・・・よし!そこまで言ってくれるんだ、俺も頑張らせてもらうからな」
「すまん、トーカーさん。よろしく頼むよ」
「じゃあ、出来る範囲でなんとか情報が欲しいからね。ちょっと待ってね」
そう言うと彼は奥の方へと戻って行き、そして両手に何かを持って帰って来た。
「すまないが、ここに手形を取りたいんだ。そのインクに手を浸してくれ」
彼の視線の先には、真っ黒なそれと紙のような物が敷かれた物があった。
ここに手を乗せればいいのか、と思いつつ、俺はインクに右手を軽く浸して、ぐっと紙に押し付けた。
ぺらりとした触感の後に、はらりと手の形が付いた紙が剥がれる。
「ありがとう、じゃあこっちには左の手を押してくれ」
言われるがままに今度は反対の手を浸して、また別に用意された紙の上に押し付けた。
「よし、今はこれで何とかするか。ちょっとタオルを取ってくるから待っていてくれ、手はそのままでね」
彼は手形の付いた紙とインクを持って、また奥の方へと消えて行ってしまった。
「へえ、あんな感じでも照会って出来るんだな」
横で見ていた彼は、感嘆の声を漏らしていた。
その反応からして、このやり方は随分珍しい方法らしい。
記憶喪失のまま生きて流れついて、しかもこの国の人では無い───。
それだけ自分のように助かった人は珍しい、という事なのだろうか。
そう考えるとなぜだか、しっかりと生きなきゃ、という考えがむくむくと伸びていっているような気がした。
この命は自分だけの命じゃない───。
そんな言葉が込み上げる度に、胸の中が、明るくなっていくような、そんな実感が湧いてきていたのだった。
-続-