第17-4回「物憂げなホリー」
さて、思いっきり、体を動かせるような場所は、どこかな……。
そんな事を考えながら、右に左に、目を向けてみる。
砦の中は、すぐ近くで敵と今も睨み合っているとは思えないくらいに、冷涼な空気で満たされていた。
どこからともなく、聴こえてくる……。
誰かのいびき……夜風のそよぎ……。
静かに、俺の周りに漂い続けるその空気は。
不思議で、奇妙な感じで満たされているのに、どこか、心地の良いものだった。
さて……。
あの辺りで、素振りしよう。
そう、気持ちを固めて、食事スペースのあった場所に向けて、足を動かそうとした時。
後ろの方から、こちらに近づいてくる足音が、聞こえてきた。
目を上げると、そこには───。
星の光を背にして、階段を降りている、短髪の女兵士、ホリーが居た。
「こんばんは」
寝ている皆を起こさないように、小さな声で、そう挨拶をすると、彼女も俺の姿に気づいて、会釈をしてくれた。
「やあ。見張りの交代かい?」
「あ、いや、眠れなくて……。ちょっとだけ、体を動かそうかなって」
「そっか。体力有り余ってるんだな」
彼女の問いかけに、返事と共に笑みを向ける。
彼女も柔和な表情を浮かべながら、返事をしてくれた。
「そうか、起きていたのなら……。ちょっとだけ、いいかな?」
今、起きているのなら、好都合だ。
そう、言葉を添えるように、さらに言葉を続けてきたホリー。
緩めた頬を、キュッと締めて、真っ直ぐに、俺の目を見据えながら、言葉を口にしたその姿。
その光景で、これから話そうという内容が。
何気ない痴話や、バカ話の類いでは無い。
彼女の気持ちに関わる、真面目な話だ。
という事を、すぐに理解出来た。
分かった、と頷き返して間もなく。
彼女は、こっちに来てくれ、と言うように体を向けて、誰の通り道も塞がない、ゆっくりと、2人で話の出来る場所まで、案内してくれた。
階段を降りて1階に出てから、足を進める事、数十歩。
先ほど、素振りをしようと目をつけていた、食事をしている場所にほど近い、広間から外れた壁際にまで、足を運んでいった。
小窓からは、ポツポツと光る星が、小さく見えている。
彼女はそれらを、目を細めるように見つめながら、ポンと、口を開いた。
「アール……。お前、記憶喪失なんだな」
「えっ」
初めて会った時とは違う、あまりにも寂しげな表情を、浮かべながら。
想定もしていなかった言葉が、彼女の口から飛んでくる。
ちゃんと、考えられた言葉が、何も浮かんでこない。
「あ、うん……」
困惑混じりの、なんとも不格好な返事が、つい口から、出てきてしまう。
「その、ごめんな。周りの人から聞いたんだよ、噂で。「ほんのつい最近、サンフィンチ商会に入ったばかりの若いのが。記憶も、身寄りも無いのに、すげえ良くやっている」ってさ」
そう言いながら、照れ臭そうな笑みを浮かべるホリー。
「へ、へえ」
上手い返事が、何も出てこないまま。
彼女の言葉に、頷きを返して、思わず出てきた笑みを、浮かべ返すのみ。
お互いに笑みを浮かべ合いながら、場に静かな空気が流れて、間もなく。
彼女の表情は静けさを取り戻し、また真面目なものへと、変わった。
いったい、何を聞きたいんだろう……。
胸の中で、そう呟きながら、その口から出てくる言葉を、ジッと待つ。
静寂を破るように、ふと開かれた、星の光を纏わせた、唇。
「その、独りでこう、居る事がさ……。寂しいとか、思ったりしないのか?アールは」
「独りが、寂しい……」
彼女の言葉を復唱しながら、噛み砕いて、飲み込んで。
再び流れた静寂に包まれながら、自分の中の真っ暗な場所で、その言葉を、考えてみる。
独りになったら、寂しい……か。
ふと頭の中に映ったのは、いつか見た、あの悪夢だった。
真っ暗な、冷たい水で満たされた場所で。
独り、朝日を見ながら死んでいく光景。
矢継ぎ早に、頭の中に映し出されたのは───。
初めて目覚めた時に、ゴブリン共に追いかけられて。
冷たい川の中で溺れ、どんどん深い場所へ、独り、沈んでいく、あの時。
2つの悪夢を、胸の中で握りしめながら、もう一度、彼女の問いかけを、自分の中で復唱し直してみる。
自分の場合は、寂しいというよりも……。
独りは、怖くて、嫌なものだけれど……。
分からないけれど、ほんの少しだけ。
『落ち着く』もの、だった。
でも、これを上手く、伝わるように、言葉にするのは、難しい。
彼女に、どう返事をしようか……。
そんな事を考えながら、目を向け直した時。
また彼女が、ポツリと口を開いて、言葉を続けてきた。
「あたしさ……。故郷をあいつらに奪われて、みんなと離れ離れになって……。たまにこうして、独りで空を見ているとさ……。すごく、寂しくなるんだ……」
そう言ってから、また遠くに見えている星空に、目を向けるホリー。
どうしようもない、拭いようの無い孤独を、見つめるように。
物憂げな瞳で、ジッと……。
彼女の視線の向こうでは、あのヘクト10が、暗い中でも分かるくらいに、とても小さく見えている。
だが、彼女の目は、それよりもさらに、向こうを見つめているように、見えたのだ。
ずっと、ずっと、まだずっと……。
どれだけ手を伸ばしても、届かないくらいに、遠くなってしまった故郷を。
もう、還ってこないものを、見つめているように。
彼女の目は、敵に奪われた砦の向こうを、ただ真っ直ぐに、見つめ続けている。
ホリーも、自分と、細かい背景こそ違うが……。
この砦で独り、相談する相手も無く。
ずっと、頑張ってきたんだ。
そして、これからも……。
ずっと、頑張っていくんだろう。
「そうだな……。俺も、独りは寂しいな……」
なんとなく、何故だか分からなかったが。
今の彼女に、自分の心情や言葉を、具に伝える必要性は、無いように感じ取れた。
それよりも、今は一緒になって、その寂しさに寄り添ってあげた方が良い。
俺の事は、後でもいいから。
ポツリと、そう胸の中で呟いてから。
彼女の見ている、遙か遠くの故郷へと、寄り添うように、目を向けてみる。
無数に点在する星は、変わる事無く穏やかに、優しく、包み込むような光を纏わせて、そこに在り続けていた。
「アール。ありがとうな」
夜空を背に、彼女は笑みを浮かべながら、そう話す。
心なしか、瞳を満たしていた寂しさが、少し抜けて───。
どこか、安堵の色が混ざったような、穏やかなものへと、変わっていた。
「ここにはさ、歳の近い人が少なくて……。ずっと、モヤモヤしたこの気持ちを話せなくて……。でも、やっと話す事が出来たよ。ありがとうな」
「そっか……」
頬を緩めながら、そう話してくる彼女に、上手く返せる言葉が、出てこない。
出てこなかったけれど、その穏やかな微笑に、頷き返す事は出来た。
ただ話を聞いただけでも。
それで安心してもらえたのなら、良かった。
誰にも言い出す機会の無い事が、こうして吐き出された事で───。
それで、気持ちがすっきりとしてくれるのなら。
俺も、聞く事が出来て、良かった。
またしばらく、互いに笑みを浮かべ合ってから、目を夜空に向ける。
「アール。今度さ、ディアナさんに会ったら「泣き虫のホリーは、元気にやっているよ」って、伝えておいてくれないかな?」
「えっ?」
夜空を見ている彼女が、突然言葉を投げかけてきた。
また、予想もしていなかった言葉。
言われてからしばらく、沈黙が流れてくるが、言葉の後ろに広がる背景が、まったく見えてこない。
頭の中が涼しくなっても、まったく理解が、追いついてこない。
「あの、ディアナさんと……。知り合いなの……ですか?」
気持ちの整理をつける為に、尋ね返してみる。
「うん。向こうは覚えてないかもしれないけどね。近くの村に住んでいて、よく面倒見てもらってたんだ」
なるほど……そういう事だったのか。
ディアナさんによろしく、という言葉と、故郷を奪われた、という話。
その2つが、ホリーの見せた、あの寂しげな瞳と、いつか見たディアナさんの寂しげな目と重なっていき、2人の像を、結び付けていく。
ようやく見えてきた、彼女の故郷と、言葉の背景。
それが、小さい頃の2人の姿になっていって、ピタリと、頭の中で合致する。
「分かった。伝えておくよ」
彼女も、柔和な表情を浮かべながら、頷きを返してくれた。
ありがとう。
そう言うような、優しい笑顔を浮かべて。
視線をまた、夜空に戻してみる。
相変わらず、星は静かに輝いていた。
輝きも、見えている風景も、何の変わりも無いはず。
でも、俺の心の中は、とてもあたたかくなっていた。
奥底から染み出てきているような、とても優しい、温もりになって。
「ごめんな。話、聞いてもらって」
「いいよ。ローマンさんが安心してもらえたのなら」
「そんな、ローマンだなんて、堅苦しいな。歳も近いんだから、ホリーでいいよ」
そう言いながら、明るく、彼女は手を横に振った。
分かった。
それなら、ホリーで。
そう言うように頷いて、俺も彼女に、笑みを返す。
「おやすみ。明日も頑張ろうな、アール」
「ああ。ホリーも、おやすみ」
そう言いながら、手を軽く振る。
彼女も振り返しながら、その場を後にしていった。
去り行く彼女の姿を見ながら、大きく息を吐く。
ここに来るまでに、あれだけ疼いていた体も、話を聞いているうちに、収まっていた。
もうここで、剣を振る必要も無いな。
足に立て掛けていた剣を、もう一度手に取って、少しだけ、全体に目を通していく。
俺も、しっかり休んで、また頑張るよ!
そう、奮い立たせるように、胸の中で呟いてから、ストンと腰に差すように持ち直し、階段を勢いよく上がって、寝所に足を進めていく。
砦に流れる空気は、まだ、穏やかそのもの。
変わる事なく、静寂に包まれたままだった。
-続-




