第16-1回「激戦地の砦」
「絶対に、無理したらダメだからね」
別れ際、リリスから念を押されるように、もう一度声をかけられる。
砦に戻って、皆と、束の間の宴を楽しんだ次の日。
出発の時は、あっという間に訪れた。
厚く、何重にもなった曇り空の下、俺はモーリーさんと共に、最前線の砦へ。
リリスは、皆と一緒に、マンソンさんの幌馬車隊に同行して、ニッコサンガの町へと、足を進める事になる。
「大丈夫。ちゃんと帰って来るから」
不安げな面持ちを崩さない彼女に、笑みを湛えた頷きを、もう一度返す。
彼女も頷き返してくれるが、やはり、その胸中にあるものを、拭いきれないのだろうか。
とうとう、満面の笑みを見る事は、出来なかった。
「行こうか」
彼女との、僅かなひと時を遮るように、モーリーさんの声が聞こえてきた。
幌馬車も彼女に、出発するぞ、と言うように、ゆっくりと動き始めている。
もうひと言、やっぱり何か言おうと思い目を合わせた瞬間。
リリスの口が、ゆらりと動いた。
「……帰って来てね。約束だよ」
彼女の言葉に、考える事もせず。
大丈夫だよ。
という声を、返しそうになる。
が、澱んだ空の下で、真っ直ぐな視線を向けている彼女の姿を、見ているうちに。
ダメだ。そんな言葉じゃ、安心して送り出す事なんて、出来ない。
大丈夫、という言葉より───。
今、俺から送るべきなのは、こっちだ。
出そうになった言葉を飲み込んでから、頷きを挟み。
にこりと、笑みを返す。
リリスの頬が、ほんの少しだけ、緩んでくれた。
「アール、何してるんだ!」
後ろから、モーリーさんの苛立ち混じりな声が、聞こえてくる。
「は、はい!すいません!」
その呼びかけにすぐ返事をして、側へと駆け寄って行く。
振り向きざまに、幌馬車隊へもう一度視線を向けた時。
小刻みに、手を振っているリリスの姿が、どんどん小さくなっていくのが、留まった。
心配しないでね。
絶対に、帰って来るから。
俺も、そう返事をするように───。
彼女と、ニッコサンガに戻っていく皆に、手を振り返して、前を行くモーリーさんの背中を、追いかけ直した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
分厚い雲で覆われた空は、一向に晴れる兆しを見せようとしない。
彼女と別れて、モーリーさんと一緒に激戦の地へ向けて足を進めてから、かなりの時が過ぎた。
右手遥か向こうに流れている川は、伸び放題の草の隙間から、ちらちらと様子を覗かせながら、遠のいたり近づいたりを、繰り返している。
ヘクト11の砦は、まだ先なのだろうか……。
そんな事を考え始めだした時、ふと、前を歩くモーリーさんが足を止めた。
「アール、あれが見えるか」
左手の斜め向こう、小さくではあるが、建物が寄り集まったその地を、彼は指差している。
「あれが『アウターバン』の町で、あれが『ヘクト11』だ」
そう言いながら、スッと地平線をなぞるように指を動かしていき、右手側のすぐ向こうに見えている、小高い丘のような場所を、ピタリと指した。
灰色っぽくも、茶色っぽくも見える、丘の上の砦。
なるほど、あれが目的地のヘクト11か。
彼の指差したその砦は───。
手入れもされずに、生え放題になった草の生い茂る、人々の明るい生活をまったく感じさせないその場所で、ポツンと立っていた。
あそこに、これから入って……。
戦う事になるんだな……。
ここに着く前まで、あれだけ落ち着いていた胸の音が。
だんだんと大きく、強くなっていく。
ホックヤードの砦よりも、ひと回り小さく見える、丘の上に立った砦。
あまりにも、心許ない、あの小さな砦に……。
これからの自分を、委ねていく事に、なるんだな……。
「ふう……」
込み上げてきた、不安な気持ちをどうにかしようとするあまり。
つい、溜め息が出てしまった。
「アール、大丈夫か?」
そんな俺の姿を心配するように、足を止めて尋ねてきた、モーリーさん。
「え、ええ。大丈夫です、行きましょう」
しまった、隠しておくべきなのに……。
彼に心配をかけさせまいと、ぎこちのない笑みを返してから、再びヘクト11に向けて、足を動かしていく。
彼も、あえて何も聞かなかったように視線を戻してから、再び歩き始めた。
砦に向かう人影は、俺とモーリーさんを除いて、どこにも見当たらない。
空を漂う雲は、より厚く、重くなっていき。
不安を駆り立てるような強い風で、荒れ地をザザザと、ざわめかせている。
リリスと、約束したんだ。
不安だからなんだ。
ここまで来たからには、やるしかないんだ。
やる事をやって、無事に帰るしか、ないんだ。
体に広がっていく、言い知れぬ不穏な気持ちに首を振ってから、また、前を見据え直して、足を動かしていく。
空に懸かる雲は、ますます不穏な色となって、吹きつける風は、より冷たいものへと、変わっていくのだった。
-続-




