第14-4回
空に目を向けてみると、そこはすっかり、黒と紫の色で満たされていた。
茂る木の葉の遙か向こうまで、夜の様相が、ずーんと広がっている。
ホーホックの森に張っていた、敵の撃退に成功した俺達は、新しく赴任してくる駐留兵や、損傷のある陣地を整備する班が来るその時まで、櫓での見張りや、陣地の巡回を、任される事となった。。
目線を再び周囲に戻してみると、あちこちから粥の甘い匂いが、白い煙になって、ふわりと上ってきている。
ああ……。
お腹、空いたな……。
櫓に上がった時からくうくうと、音を立てている腹を摩りながら、火の光が届かない所や、周辺に目を凝らしていく。
今回の戦いは、大きな勝利となったらしく、残された敵の首級と、偵察で導き出した全体の数との差を計算して、この森に展開していた敵の、半分を倒した事になるらしい。
「この勝利を通して、ようやく攻勢への兆しが見えた。今日という日は、皆の頑張りがあってこそ成ったものである。ありがとう、本当にありがとう」
少し前に、目の前でそう話していた、指揮官のオッドマンの声が、また、頭の中に響いてくる。
その言葉と、温かな白い煙で、思わず頬が緩みそうになるが───。
それでも、敵が減ったからといって、油断してはいけない。
暗闇に乗じて、いつ、残存した敵が、奇襲を仕掛けてくるかも分からない。
まだ落として間もない、防衛能力に劣るこの陣営を守るには、監視の目を、隅々まで配っておかなければ、ならないんだ。
しっかりしろ、ここが一番大切なんだ。
そう、自分に言い聞かせながら、摩っていた手をギュッと握り締めて、見張りに集中し直す。
が、すぐにまた、その集中を掻き乱すように、腹から唸るような音が、聞こえてきた。
やはり、お腹の空きだけは、どうしても気になってしまう。
「はあ……。腹減ったなあ」
思わず、そう呟いた瞬間だった。
「アール、代わろうか」
すぐ近くから聴こえてきた、モーリーさんの声に、胸がドキリとする。
声のした方へ目を向けると、ほんの僅かに頬を緩めながら、彼は見張り台の上に身を乗り出していた。
その口からは、充分に腹を満たせた、と言うような白息が、もわり、と立ち上っている。
「あ、どうも。いいんですか?」
「おう、もう大丈夫だ。悪いな、残り物になって」
「い、いえ。自分なら大丈夫ですよ」
分配された雑穀を各班で分けて、夜食にありつく事になったのだが。
どうしても、見張り役が欠けていてはいけない、という事もあり、この班でその役目を最初に出来るのは、自分だろうと思い、真っ先に名乗り上げたのだ。
ふと、視線を下に向けると、まだリリスも皆も、鍋を囲んで食事をしている。
「本当にいいんですか?」
「いいから。行って来なよ」
俺の心配をするより、自分の腹の心配をしろ。
そう言うような表情を浮かべて、彼は頷いてくれている。
それなら、お言葉に甘えさせてもらおう。
心の中でそう呟きながら、一礼を返して、皆が囲んでいる所に向かおうと、足を進めていく。
「なあ、ちょっとだけいいか」
突っ掛かりに足を掛けようとした時、不意に彼が、呼び止めてきた。
何か、大事な話だろうか。
下ろそうとした手を止めて、声のした方へ目を向けてみる。
「はい、なんでしょうか?」
「まあ……。その、今日の事だがな……」
そう言いながら、モーリーさんの眉がだんだんと険しくなっていく。
なんだろう、今日の事……?
あっ、と頭によぎったのは、声を上げて真っ先に斬り込んでいった、あの時の事だった。
そうだ。
攻める前に、突っ走るな、無理をするな、と口酸っぱく言われていたじゃないか。
ああ……その事で、怒られるのかな……。
険しい彼の表情に、怒声の飛んでくる光景を予期した俺は、グッと身構え、受け止める姿勢を作る。
が、彼の口から出てきた言葉は、意外なものだった。
「アール。大した勇気だ、驚いたよ」
「……えっ?」
その言葉と共に、顰めていた彼の眉が、僅かに緩んだ。
想定もしていなかった声に、頭の中が真っ白になる。
「そりゃあ、周りも気にせず突っ込んでいったあれは、正直褒められたものじゃないよ。首や体に当たっていたら、君は落ちていただろうし。もしかしたら、死んでいたかもしれないからな」
「あ、そ、そうですね。すいません」
その後に来た言葉が、想定していたものだった事ので、ようやくそれで彼の発言を、受け止める事が出来た。
「その……次からは気をつけます」
「ああ。でも、狙われていると思い、咄嗟に注意を引いた判断は、とても良かったぞ」
その言葉で、その表情で。
先ほどかけられた、あの言葉がもう一度響きだし、頭の中で波紋のように、広がっていく。
大した勇気───驚いた?
視線を上げて、モーリーさんの顔を、あらためるように見つめ直してみる。
その表情は険しいが、いつものような厳しさに満ちたものでは無い。
どこか、恥ずかしさと、嬉しさが入り混じったような───。
これまで見た事の無いものだった。
まさか、俺の事を……。
褒めてくれた、のか……?
彼は、穏やかな表情のまま、言葉を続けてくる。
「よくやったな、アール。今日の成果は、お前のお陰だよ」
その言葉と共に、見えた笑顔は───。
昼下がりの日のように、あたたかいものだった。
ああ。
この人は、こんな表情も、持っていたんだ……。
少し、怖かったけれど───。
あそこで頑張って、良かったな。
彼の笑顔に、思わず笑みが溢れた。
空きっ腹に、彼の笑顔がどんどん染み渡っていく。
ふつふつと湧いてくる喜びの気持ちと共に、どんどん体が温かくなっていくような、そんな気がしてきた。
「おーい、アール君。食べないの~?」
「残り貰っちまうぞー」
ハッと下から声がしたので、目を向けてみると、リリスとトミーさんが呼びかけていた。
「ほら、行きなよ」
「す、すいません。交代、ありがとうございます」
彼は、俺の返事にすぐ声を返す事なく、頷きだけを向けている。
1つ、2つと手を掛けて、手足を降ろしている時。
また、上から声をかけられた。
「アール」
「はい」
「俺は、ちゃんと見ているからな。くれぐれも、無理だけはするなよ」
頬を緩ませながら、そう話しかけてくるモーリーさん。
俺も、彼に笑みを返す。
「はい!」
「アールく~ん」
「はい、行きます!」
失礼します、と言うように、もう一度彼に頭を下げてから、3つ、4つと体を地面に降ろしていく。
満足げな表情を浮かべながら、彼も見張り台の向こうへ、姿を消していった。
彼の、心からの笑顔と言葉に、ほくほくと胸が熱くなる。
突っ掛かりに手を掛けて降ろす速さも、なんだか気分に乗って、良い感じだ。
「ほら、アール。お前の分だぞ」
「すいません。残してもらって」
側に寄って間もなく、ディアナさんから、粥に満ちたお椀とスプーンを手渡される。
それを受け取ってから、彼らが囲む鍋の近くに寄って、俺も半座りをした。
「アール君、嬉しそうじゃん。上でなに話していたの?」
「えっ」
湯気立つお粥に口をつけようとした時、横に居るリリスに声をかけられた。
そ、そんなに嬉しそうな表情だったのか、俺。
彼女の言葉に何故か、恥ずかしい、という気持ちが込み上げてくる。
その声に答え返すのも忘れて、つい目線を逸らしてしまった。
「分かった。今度、呑みに行こうって誘われたんだな!」
「そんな訳無いだろ。もしそうなら、明日は雪だよ」
茶化すトミーさんを、ディアナさんが窘める。
2人の様子で、浮かんできた恥ずかしさを覆うように、あのぽかぽかとした気持ちが湧き上がってくる。
俺も、皆の笑顔を乗せて、軽く笑い返した。
「ほら、早く食べなよ。冷めちゃうよ」
「う、うん。いただきます」
リリスに促されて、ようやく粒混じりの粥に口をつける。
体に染み渡るそれは、モーリーさんの笑顔を思い出させるような、あたたかいものであった。
-続-




