第11-3回「二人っきりの宴席」
「アール君、もっと急いでよー」
うっすらと紫の色が侵食し始めている空。
それを背にして、リリスはそわそわと体を震わせながら、早く早く、と急かしている。
「ま、待ってよ。急ぐ、急ぐから」
「もう遅いってー。ほら、早くしないと締め切られちゃうよー!」
「ちょ、待っ・・・・・・わわっ!」
痺れを切らした彼女は、グイと手首を握ってくると、そのままホールへと引っ張っていくように、走り出した。
腰に付けたお金袋を揺さぶりながら、もう片方の腕を振って、彼女の元から離されないように、足を動かしていく。
はあ、はあ・・・・・・。
彼女の足が止まったので、少しだけ俯いて息を切り、グイと、顔を上げてみる。
あの親睦会をしてもらえた『ケインズのキッチンホール』は、まだ外へ向けて、賑わいの声を飛ばしてくれている。
「間に合った・・・・・・。ふう・・・・・・」
一つ大きく吐きながら、彼女はすっと視線を向けてくる。
「ま、間に合ったね。ははは・・・・・・」
「もう。着いたんだから、早く入ろうよ」
「そ、そうだね。ごめん・・・・・・」
つい今日の約束も忘れて、長話をしてしまった事も詫びつつ、頭を彼女に下げてから、店の中へと足を踏み入れていく。
中は、あの時よりも僅かに、人が少ないような感じがした。
それでも、聴こえてくる些細な日常話や、顔も知らない誰かの愚痴───。
そして、机の上に並べられた湯気立つじゃがいも、輝きを放つジョッキが、明るくて楽しい、憩いの場所だと、再認識させてくれる。
女給仕の方に2名だと伝えて壁際の、椅子が4つ並んでいる、丸い机に案内してもらった。
「喉渇いたね」
「そうだね。なんでもいいよ」
「分かった。すいません、冷たいお茶2つ」
注文を受けたウェイターさんは、ぺこりと頭を下げて、その場を離れていく。
「アール君はどこに座る?」
彼女の問いを受けてもう一度、机の周りへ目を向けてみる。
正直、どこに座りたいという気持ちはまったく無いのだが。
さて、どこにしよう・・・・・・。
「じゃ、私ここで」
彼女は隣の机に面している席に、ヨイショと腰掛ける。
それなら、ここはこう座った方が落ち着くか。
そう思いながら、彼女と向き合えるように対面の、柱を背にした側の席へと腰掛ける。
「アール君、どれにする?」
そうこうするうちに、今度は置かれたメニュー表を覗き込むようにして、指を差しながら、話しかけてきた。
言われるがままに、ずらりと書かれた料理の名前に目を通していく。
キャベツの酢漬けも、美味しかったな。
お茶から入るなら、ハムの盛り合わせなんかも、あったら良いと思うし・・・・・・。
気になっていた、南国瓜のポタージュも、今日を機に食べてみようかな・・・・・・。
「じゃあ、俺は・・・・・・。キャベツの酢漬けと、ハムの盛り合わせ5種にしようかな」
「いいね!私も酢漬けと、あとチーズにしよっかな。この5種の」
これでいこう、と選んでいった料理名に、彼女も笑顔を返してくれる。
これがきた後で、それからはどうしようかな・・・・・・。
と、またメニューと向き合いながら考えていると、頼んでいた冷たい麦茶が机の上に並べられていく。
その流れで、ウェイターさんにさっき決めた商品を注文していくと、彼女から、ある提案が飛んできた。
「アール君、ここのビール美味しいんだよ!せっかくだから、呑んでみてよ!」
「えっ、俺も?」
その言葉でふと、頭の中にこの前の、ぐでぐでに酔い潰れた彼女と、眠り落ちたセシリーさんの姿が、浮かび上がってくる。
それを呑んだら、俺もあんな事に、なるかもしれないのかな・・・・・・?
もしそうなったら、今日は2人だけなんだし・・・・・・。
頼んでも、大丈夫なのかな・・・・・・?
「う、うーーん。前みたいな事に、ならないかな?」
「大丈夫!私、初めて奢ってくれるアール君の為にも、あんな酔い方しないから!今日はちゃんと帰れるようにします!」
「う、うーーーん・・・・・・?」
本当に、大丈夫なのだろうか・・・・・・。
でも、今日はせっかく、初給料で食べようって決めた、約束の場なんだし・・・・・・。
ここで断るというのも、なんだか嫌だな。
やけに自信を湛えた言い方に、僅かな不安を感じつつも、楽しもう、という心の声もあり、ついその勢いに飲まれたまま、頷き返してしまった。
「じゃ、じゃあ。ビール2つ」
「かしこまりました」
ウェイターさんの笑顔に、また不安な気持ちがよぎってくる。
本当に、大丈夫かな・・・・・・。
あんな形で、お互いめちゃくちゃに酔って、もう何もかも、分からなくなったりしたら・・・・・・。
俺、支部の皆に、顔向け出来ないぞ・・・・・・。
皆に迷惑をかけるような事だけは、絶対に避けないと・・・・・・。
「ほらアール君!そんな暗い顔しないで!楽しまないと!」
「う、うん。ははは・・・・・・」
なみなみに注がれた麦茶を片手に、彼女が眩しい笑顔を向けてくる。
こんな笑顔を向けられたら、とても後の心配だの、お酒が怖いだの、言い出せない。
リリスも、わざわざ誘ってくれたのは、こんな湿っぽい姿が見たいが為ではない、はず。
なら、俺も今日は、パーッとやらないと。
「じゃあ乾杯!お疲れさまー!」
「お、おう!!」
突き出された容器に、俺も掲げ返しながら、釣られるようにカツン、とぶつけ返す。
そのまま口をつけて、ごくごくと嬉しそうに喉を動かして飲んでいくリリス。
俺も、今は楽しくやる事を一番に考えないと、な!
胸の中でそう呟きながら、彼女に負けじと渇いた口の中にへ。
グッと、冷えた茶を、麦の香ばしい風味と共に、ごくごくと流し込んでいくのだった。
-続-




