第7-7回「星の先」
宿の裏手、馬小屋から少し離れた場所に歩き続けているうちに、だんだんと上がる白煙の濃さも、熱さも増してくる。
煙の近くでは、マンソンさんと思われる声が聞こえ、その側で暑そうに自分の番を待っているトミーさんが立って居た。
トミーさんの次に、入れてもらおうかな。
そう考えながら、他に待っている人を探して目線を向けていると───。
ふと木の近くで空を見つめている、ディアナさんの姿が目に留まった。
まだ濡れた髪を風に靡かせながら、寂しそうに───。
遙か遠くに行ってしまった人を、待っているような面持ちで───。
ひっそりと、木に寄りかかりながら、ジッと空を見つめている。
彼女の見ているその先が気になり、俺も夜空へ目を向けてみた。
昨日と同じように、穏やかに輝く数多の光と、雲が見えているだけ。
あの向こうに、彼女は何を見ているんだろう。
まだ会って間もない自分が、あまりずけずけと、彼女について色々と気にする必要は、無いのだが───。
彼女の、その物憂げな瞳を見ていると───。
ここで、しっかりと聞いておかないと、いけない。
これは、今の自分にしか、聞けないんじゃないのか。
そんな思いが、ふつふつと湧き上がってきていたのだ。
「お疲れさまです、ディアナさん」
俺は思い切って、彼女の側に歩み寄ってみる。
「ん?ああ、君か」
自分の姿に気づいた彼女は、空から目線を外してすぐ、その場を後にしようとする。
「あ、いえ。いいんです、俺もちょっと気になっただけなんで。すいません、話しかけたりして」
「いやいや、別に謝る必要なんか無いよ。あたしも勝手にボーッとしていただけだから」
どうぞお構いなく、と言うように身振り手振りも交えながら声をかける。
彼女も、穏やかな表情を返してくれた。
動きかけた彼女は再び木に寄り添うと、ジッと空を見つめ直す。
俺も、彼女の見ている物を見てみようと、またジッと視線を夜空に向けて見た。
明るさの違う、さまざまな光が───。
濃淡の違う黒の中で、ジッと、俺達を見つめ返すように、光っている。
「ディアナさん、今何を見ているんですか」
空を見つめているうちに、そんな言葉が自然と出てきた。
「そうだな・・・・・・。あたしの故郷だよ」
彼女の口から発した、故郷という言葉。
ふっと耳に入ったその言葉には───。
寂しい。
という文字だけで説明がつかないほどの───。
こちらも釣られて涙が出そうなほどの、そんな思いが込められているような気がしたのだ。
「遠いんですか?」
「うん・・・・・・。ずっと、ずっと、ね」
ずっと、ずっと・・・・・・。
その言葉が、ずしんと何故か、心に重く突き刺さる。
故郷には、もう戻れない・・・・・・。
そんな、諦めにも似た思いが、彼女の目を、表情を通じて、語りかけてきているような気がしていた。
「たまにな、こうやって、星のよく見える夜なんかは、空を独りで見ているんだよ。気持ちを落ち着けたり、色々・・・・・・考えたりしてね」
ぽつりと呟くように、彼女は言葉を続けてくる。
色々、考える───。
その言葉を心の中で復唱しながら、もう一度視線を夜空に戻してみた。
薄らとした黒雲が、ゆったりと流れている。
やがてそれは、じんわり星達を隠していき、また向こうへ、向こうへと緩やかに流れていく。
夜空の移ろいを見つめながら、俺はもう一度、2日前に見た、奇妙な夢の事について考え直してみた。
明らかに別人だという見た目なのに、それは俺だと分かる謎の男。
その男が冷たい水の中で、朝日を見ながら自分になっていって・・・・・・。
あれはいったい、どういう意味だったんだろう。
自分とは無関係だと、考えられないようなあの夢は、いったい・・・・・・。
気持ちを切り替えるように1回、2回と瞬きをしてから、ふと視線をディアナさんに向けて見る。
彼女の瞳にあった寂しさの色は少し落ち着いて、どことなく明るみの含んだような、優しい目になっていた。
自分の事だ、聞いたところで・・・・・・なのかもしれない。
でも、聞いたら何か分かる事が、あるのかも。
今なら何か、ひと筋、見えてくるのかも───。
帰ってからスタックス支部長に相談してみようと思っていた、あの悪夢の事を、彼女に話してみる事にした。
「すいません。ディアナさん、少し聞いてもいいですか?」
「なんだ?仕事の事か?」
「いえ、そういう訳じゃないんですれけど・・・・・・」
空に向いていた彼女の瞳が、ふっと自分に向けられる。
「変な話なんですけど。俺、自分じゃない別人が、自分だったっていう夢を見たんです」
彼女は何も言わない。
ジッと目線を外さずに、めちゃくちゃな自分の言葉に、耳を傾けてくれている。
こくり、こくりと頷きだけを返しながら。
「しかも、妙に生々しいというか。それを、その、一度経験した事があるような、そんな夢だったんですよ」
そう言い終えてから、しばらく沈黙が流れて───。
ディアナさんが、目線を合わせ直して間もなく、ふと口を開く。
「どういう内容だったんだ?」
その内容を説明しようと、あらためてあの夢の事を思い返す。
背筋に走る、ゾワリとした寒気の後に、つっとした汗が額から滴ってきた。
冷たい水の中で、刃物で腕を切ったまま───。
朝日を見つめながら、死んでいく自分。
その姿は、今の自分と違うのに───。
それを見ている自分は、それが自分だと認識出来ている。
あの夢の内容が、ちゃんと伝わるように───。
同じような光景が、彼女の頭の中にも見えるように。
慎重に言葉を選んでいく。
「左の腕を切ってから、水の中で冷たくなって・・・・・・」
彼女はそう呟きながら、ちらりと俺の左腕に、目が動かした。
俺もあらためて、自分の腕に目を向けてみるが、当然そんな傷はどこにも無い。
傷痕すら、残されていない。
「正夢・・・・・・。いやそんな事は無いか、別人の見た目なんだし」
彼女はそう言って、首を傾げながら、うーーんと唸っている。
「す、すいません。変な話ですよね。ディアナさんにこんな事聞いて、すいません」
やっぱり、言うべきじゃなかった。
浮かんできた後悔と、申し訳ないという気持ちに、思わず頭を下げてしまう。
「うん?いやいや、アール君は気にしなくていいよ。君も大事な話だったから、わざわざ話してくれたんだろ?」
そう言いながら、ディアナさんは微笑み返してくれたのだ。
その笑顔と、思いやりに今度は───。
ありがとう。
という言葉が気持ちが、ふっと胸の奥から、湧き上がってきた。
「そうだな。正直な話、その夢がどういう意味なのかは、あたしにもちょっと、分からないな・・・・・・。すまない」
「い、いえ。こちらこそ、聞いてもらえてありがとうございます」
申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を下げる彼女に、俺も頭を下げ返す。
「ただ・・・・・・」
ただ・・・・・・?
問い返すように、ふと目線を上げる。
「きっとその夢は、どうして記憶が無いのか、分かる手掛かりになるんじゃないのかな、多分。なんとなくだが、あたしはそう思うよ」
記憶喪失の、手掛かりになる。
その言葉を聞いた瞬間、ホッと胸を撫で下ろした自分を、見つけたような気がした。
良かった・・・・・・やっぱり、聞いて良かった。
夜風で冷たくなっていた頬がふっと緩み、肩の力が抜けたのが分かる。
「アール君、怖いかもしれないけれど、それは書き残したりして残しておいた方がいいよ、きっと。絶対、後々になって、役に立ってくると思うな」
「はい!ありがとうございます、ディアナさん!」
彼女の助言に俺は返事をする。
「あ、居た。おーいアール、お前が最後だぞ。入らないのか?」
ふと声がしたので後ろを振り返ると、トミーさんが手を振って呼びかけている。
彼の短い髪はうっすらと濡れて光り、ほんのりと体からは湯気が出てきていた。
「す、すいません!今行きます!」
もうそんなに経っていたのかと、慌てて彼の呼ぶ方へ駆け寄ろうと身を向けた。
「アール」
ディアナさんがふと、俺の事を呼ぶ。
「仕事だけじゃなくてもいい、今日みたいな事でもいいからな。困ったらいつでも話せ。相談に乗ってやるぞ」
笑顔で彼女は、その場を後にしようとする俺に、声をかけてくれた。
良かった、やっぱり聞いておいて。
「ディアナさん、ありがとうございます!」
「アール!お湯冷めちまうぞー」
「す、すいません!行きます!」
もう一度彼女に、深く頭を下げてからその場を後にする。
夜空にかかっていた黒雲はもう抜け切り、星は変わらず穏やかに、ゆったりと輝いていた。
-続-
・1度目の護衛旅は、今回で一応終了となります。
ここまでの拝読、ありがとうございました。




