第6-4回「寂しげな目」
ほんのりとまとわりついてくる、冷えた風。
留められた幌はどこだったかな。
そう考えながら、宿の裏手から出てスタスタと歩いていく。
右手に見える木組みの馬房からは、もさもさと乾いた草を食べる馬の顔が、ちらりと見えた。
彼女の姿は、ここには無い。
幌の留めてある所に、今は居るのかな。
ぐるりとそれを避けるようにして横を抜けていき、さらに向こうへと歩いていく。
ディアナさんは、馬小屋の近くに留めてある幌の側で、空を眺めながら佇んでいた。
小さく輝いている、夜空に散りばめられた光を見る、彼女の目。
悲しみの混ざった、誰かの身を案じているようにも見える───。
寂しくて、暗い目だった。
「ディアナさん?」
俺の呼びかけに、ハッとした表情を浮かべて彼女は振り返る。
「ああ、なんだ。どうしたんだ。別にいいぞ、私なら1人でも大丈夫だ」
「いえ、そうじゃないんです。初めての仕事ですけれど、自分も覚える為に夜回りを手伝いたいなと思って」
その言葉に、彼女は軽く手を横に振っていた。
「いいよ、アール君は初めてなんだから。しっかり今日は寝て、休むんだ。無理するなよ」
そう言い終えてから、大丈夫だと軽く頷いて、戻るように促してくれている。
俺の事を気遣ってくれているんだな。
彼女の温かな気持ちが、その言葉の節々から伝わってきた。
その思いに、ありがとうございます、と思いを込めて頷き、返事をする。
「いいんです。こう、食事が喉を通らなくて。お腹いっぱいになってしまったから、それなら夜の巡回とか、まだ知らない仕事もありますので、ディアナさんから、聞けたらいいかなと思いまして」
「ああ、そうなのか。・・・・・・ん?あまり食べられなかった?」
「え、う、うーん・・・・・・」
来た理由を説明した方が良いと思い、つい言葉を続けてしまったが───。
あまり食べられなかった、という言葉で彼女に、大丈夫なのか?と言わせるような表情を浮かべさせてしまった。
いえ、大丈夫ですよ。
そう言って彼女を安心させたいのだが・・・・・・。
入らない理由が、初仕事の緊張によるものなので、上手く誤魔化すような、説明をする事が出来ない。
言葉に詰まるあまり、ついつい唸り声ばかり返してしまう。
そんな姿を見かねたように、少しだけ頬を緩ませて、ディアナさんが声をかけてくれた。
「ま、気持ちは分かるよ。自分にも昔、そんな時があったからな」
冷たい風に乗って流れてくる、彼女の温かい言葉が、胸にじんわりと沁みていく。
無理するなよ。
そう言わなくても伝わってくる彼女の気遣いに、ピンとしたお腹の張りも緩み、肩の荷が下りたような気がした。
ありがとうございます、とまた彼女に言葉を返すと、不意にスッと俺の方を指差して、今度はキョロキョロと目を左右に動かす。
えっ。
と思う間もなく、彼女はさらに言葉を続けてきた。
「こうしている間にも、右、左、後ろと耳から入る音を凝らしておく事。話すのに夢中になって、疎かになっているぞ」
「あっ」
そうだった。
ディアナさんからの指摘に、ハッと昨日の事が頭の中に映し出される。
稽古の時、相手を像で捉え、全体を広く見ながら動け、と教えてもらっていたが・・・・・・
1つのものばかりに集中せず、常に色んな所へ。
見えていない所にも、何気無く気を配っていく。
この姿勢は、いつも、いつでも。
たとえそれが、何気ない日常であったとしても───。
意図的に、自分から持つようにしておかないと、いざという時に使えない。
その事に俺は、あらためて気付かされた。
「す、すいません。すっかり忘れていました」
「大丈夫。私が今はしっかり気を配っているし、アール君もすぐに出来るようになるよ。なかなか飲み込みが早そうだし、あまり落ち込むな」
優しく背中を押すように、鼓舞の込められた彼女の言葉。
温かい彼女の笑みに、俺もありがとうと、笑顔を返す。
出来る事は、ずっと出来るように。
出来ない事は、少しずつ出来るように。
今の俺は、まだその段階を踏んでいるところなんだ。
そう言い聞かせるように、軽く頷いてから、また彼女に視線を戻した。
「ディアナさん、ありがとうございます」
動作に、気持ち。
彼女から教わる色んな物事への感謝を込めて、俺はあらためて彼女にお礼の言葉を述べる。
意図も無く込めたお礼の言葉を受けた彼女は、少し笑うと恥ずかしそうに目線を外した。
「あ、うん・・・・・・。なんだか照れるな、そんな表情で言われたら」
「えっ?」
「いや、いいんだ。すまん、つい思い出してな」
照れを誤魔化すようにそう言いながら、軽く笑ってまた見つけた時のような、夜回りの姿勢に戻るディアナさん。
その、思い出してな、と言った彼女の姿。
ここに────このギルドに来る前の事を思い出したような。
懐かしさと、何故か悲しさの混じった彼女の目。
その目が、その姿が何故か俺の頭の中に、忘れてはいけないと言うように、強く引っ掛かった。
彼女との会話を終えて、スッと温かみが体の中から抜けていく。
ディアナさんは、1人で大丈夫と言っていた。
なら、俺はどうしよう───。
そう考えていると、馬小屋の向こうから、ふと誰かが歩いて来ている気がした。
誰だ、敵かと思い視線を向けると、なんとリリスがそこから出てきたのだ。
あ、リッちゃん。
と言う前に、ディアナさんが彼女に話しかける。
「ん?ああ、リリスか。どうした、もう交代か?」
ディアナさんの言葉に、彼女は小さく頷いた。
「ディアナさん、まだ夜食べていないですよね?私が入りますから、行って来てください」
「そうか・・・・・・。少し早くないか?」
無理しなくていいぞ、と言うのを遮るように、彼女は言葉を返す。
「大丈夫です。その・・・・・・またトミーさんが調子に乗ってマンソンさんと、騒ぎだしたので。そろそろディアナさんに」
「なんだ、そういう事か。あの人はほんと、能天気というか何というか・・・・・・」
彼女の言葉に、呆れた表情で乾いた笑いを浮かべるディアナさん。
それなら仕方ないか、と言うように頷いた彼女は。
ありがとう。無理させてごめん。
と言いながら小さく手を合わせて、その場を後にしていった。
-続-




