第1-8回「支部」
ニッコサンガの町を、スタックス支部長に付き添いながら、すたすたと歩いていく。
空はすっかり暗くなっており、人の行き交いもここに来た時より、うんと減っていた。
役所を離れてから三箇所の別れ道を曲がっていき、しばらく歩き続けたところで、彼の足がある場所を前にして動かなくなる。
看板を掲げている、この少し大きな建物。
ここが彼の言っていた、支部、なんだろうか。
そう思いながら、上の方へと目を向けてみる。
真っ暗な空には小さな光がぽつぽつと点在し、建物はぐんと大きく夜空に伸びていた。
「おーい。私だ、遅くなってごめん!開けてくれー」
そう言いながら、彼は扉を軽く叩いている。
「はい?ああ、おかえりなさい。随分遅かったですね」
扉の向こうからは、穏やかな雰囲気に包まれた女の人が出てきた。
「いや、ははは・・・・・・。まあ、中に入りなさい」
彼に促され、俺も建物の中へと足を踏み入れてみる。
「えっ・・・・・・?あの、そちらの方は?」
彼女は不思議そうに、俺の顔を一瞥してから、彼に尋ねていた。
「お・・・・・・自分、アールって言います。スタックスさんに助けていただきました。はじめまして・・・・・・」
「いや、帰り道にカイサイを過ぎようとした時にね、グランさんが呼んでいるって事で。それから手助けしてみたら、彼が記憶喪失だって言うものだから。それで、ついさっきまで役所で色々手続きをしていたんだよ」
彼は事の経緯を、俺の代わりに説明してくれた。
彼の話が終わってから、俺はもう一度彼女に一礼をする。
彼女も納得したように、こくこくと頷いていた。
「そうだったんですね・・・・・・。今日は本当に、お疲れ様でした」
「いや、私はどうって事無いよ、彼の方がよっぽど大変さ。グランさんが引き揚げるまで、ずっと流されていたんだから」
「ええっ・・・・・・!?」
スタックスさんの言葉に、彼女はぎょっとした表情を浮かべていた。
流されていた、という言葉が、とても信じられないとでも、言いたげに。
「いや、まあ・・・・・・。覚えていないから、自分でも何が何だか分かっていないんですけどね」
湧いてくる恥ずかしさを誤魔化すように、後頭部に手を掛けながら、こくこくと頭を下げる。
少し間を空けてから、支部長がフッと口を開いた。
「そう言う事情もあるから、しばらくうちで預かる事にしたんだ。身寄りも無いし、グランさんに預かってもらうのも、申し訳ないからね」
「そうですか・・・・・・。えっと、じゃあしばらく、アールさんはここに泊まる・・・・・・って事ですよね?」
彼の言葉に、彼女は一瞬眉を顰める。
ああ、そうだよな・・・・・・見ず知らずの人が縁も無いのに泊まるんだよな。
外から見ても分かるくらいに高い建物だし・・・・・・。
もしかしたら、留守番も兼ねて、彼女はここに住んでいるのかもしれないよな。
俺はここに来るまで、他にも人が居る事を全く想定していなかった。
彼女の反応に、つい申し訳ないという気持ちが込み上げてくる。
「すいません、ずっと迷惑をかけてしまって・・・・・・」
何も出来ない俺は、そう言いながら頭を下げる他は無かった。
「ああ、いやそんな気にしないでくださいよ!私は大丈夫ですから!あの三階にある、療養室を使うんですよね?支部長」
彼女は慌てた様子で、手を横に振り彼に話しかけている。
「うん、今は幸い空いている事だし、それならちょうどいいかなと思って。まあ、そりゃ怖いっちゃ怖いか・・・・・・」
うんうん、と軽く頷いてから、うーんと唸り声をあげるスタックスさん。
沈黙がしばらく部屋の中に流れてから、重苦しそうに彼が口を開く。
「宿、探してくるから。そこに・・・・・・」
「いえ!だ、大丈夫ですよ!その、アールさんの気持ちも考えずに、つい私も変な事言ったりして・・・・・・。本当に大丈夫ですから」
俺の方を向きながら、話しかけていた彼の言葉を遮るように、彼女が言葉を発した。
やや強引に話しを遮られた彼は、ちょっと面食らったようで、一瞬言葉に詰まっている。
それから、また静寂がしばらく部屋に流れて───。
考えがまとまったように、彼は頬を緩ませてから、こくこくと頷きだす。
「分かった。ごめんね、急な話しにこんな形で巻き込んでしまって」
「いえ!私なら大丈夫ですから!その、アールさん・・・・・・お気に触りましたよね?ごめんなさい」
彼女も、俺の記憶喪失について随分気にかけてくれている様子だ。
初対面の相手に、そこまで気を遣ってくれるその姿勢に、より申し訳ない気持ちが強くなってくる。
「俺の方こそ、突然ですいません。色々、ご迷惑かけてしまって・・・・・・」
気遣ってくれた、その気持ちに返事をしないと。
その一心で彼女に、そしてスタックスさんにもう一度深く礼をした。
申し訳なさそうに顔の前で手を振り、気にしないでと言う彼女。
「分かった。それじゃあ、あらためてこれから君に部屋を案内するから」
小さく頷いてから、スタックスさんがまた口を開く。
そう言いながら向こうに見えている階段に向けて、歩こうとした時だった。
「あ。そういやアール君、お腹は空いているかな」
ぴたりと足を止めて、振り返りながら俺にそう話しかけてくる。
その後にすぐ、彼女もぽんと会話を続けてきた。
「あ・・・・・・。でも、今はパンくらいしか出せないですよ。明日もあるので、そんなに今日は買い込んでいませんでしたので」
そうか・・・・・・と彼女の言葉を受けるように、彼は小さく呟いている。
空が暗くなるまでここまで歩いて来たはずなのだが、そう聞かれてからも不思議な事に、お腹が空いた感じは全く無かった。
彼らを気遣って、という事とは関係無しに、何かを食べたいという意識が、今の自分の中には無かったのだ。
「あの、俺なら大丈夫です。全然お腹空いていません。疲れて、それどころじゃないのかも・・・・・・ははは」
俺の言葉を聞いてから、二人は軽く顔を見合わせている。
その言葉に安心したかどうかは分からないが、ふっと頬を緩めて二人もほんのり笑っていた。
「分かった。じゃあ、これから案内するからついて来て。セッちゃん、また後で降りてくるから」
「分かりました。アールさん、今日はゆっくり休んでくださいね」
「二人とも、今日はありがとうございます。しばらく、お借りさせてもらいます」
二人の言葉に、俺はもう一度感謝の気持ちを込めて頭を下げる。
うんうん、と軽く頷いてから、彼はすたすたと階段を登りだしていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二階、三階と上がってすぐの手前にある扉の前で、彼はぴたりと立ち止まる。
「じゃあ、アール君。気にせずゆっくり、休んでくれていいからね」
「すいません、ありがとうございます」
彼の言葉に、俺はまた感謝の気持ちを込めて礼を返す。
その扉を開けた彼は、どうぞ、と中へと促してくれた。
もう一度彼に、ありがとうございます、とに頭を下げながら、暗い部屋の中へと足を踏み入れていく。
「それじゃあ、おやすみ。また何かあったら、一番下まで降りて来てくれ。私はしばらくそこに居るから」
「ありがとうございます」
彼は笑みを浮かべながら、暗がりの向こうへと消えていく。
ギシギシ、ギシと閉じられた扉を伝わってくる、階段を下っていく足音。
せっかく好意的に、部屋を用意してもらったんだ。
俺も、今日はここで休ませてもらおう。
そう思いながら、ぐるりと目を一周させていく。
部屋の中にはベッドがあり、それに机と、背もたれの無い丸椅子が二つある。
そして窓からは暗い空が見え、その空にはぽつぽつと、小さな光が綺麗に輝いていた。
ベッドに腰掛けてから履き物を脱ぎ、その上にざばんと仰向けになってみる。
暗い中で見えるのは、たくさんの木目───。
彼に案内してもらった城下町ニッコサンガ、そしてこの支部。
初めて入る場所で、初めて横になる場所なのに・・・・・・。
不思議と安らかな気持ちになってくる。
まるで久しぶりに、我が家へ帰って来たような───そんな気持ち。
わっさわっさと、頭をベッドの上で揺さぶりながら、ゆっくりと穏やかな空気に浸っていく。
この安らぎ───。
体の芯から染み渡っていくような、この温もり。
久しく、忘れていたような・・・・・・不思議な気持ち。
ああ、ずっとこんな時間なら良いのに・・・・・・。
天井を見つめているうちに、温もりを纏った言葉が、ぽつりぽつりと浮かんでくる。
窓の方に顔を倒して見ると、変わらず小さな光が、きらきらとしていた。
ありがとう、俺を受け入れてくれて────。
窓の向こうを、天井を、扉を眺めていくうちに、段々と目が重くなってくる。
今日は、ありがとうございました・・・・・・。
俺、力になりたいです・・・・・・。
ぽかぽかとした気持ちに包まれながら───。
静かな、安らぎの向こうへと、ゆっくりと沈んでいく事にした。
-続-




