ダウナー系茶髪ポニテの美少女後輩と過ごす1日放課後デート
「……ぎ、ギリギリセーフ!」
俺は勢いよく教室に滑り込んだ。
危うく遅刻となるところだった。
環境が変わって1週間が経ったというのに、どうにも時間配分が掴めない。
環境が変わったと言っても、高校が変わったわけではない。
ただ、電車通学から徒歩通学に変わっただけだ。
「……にしても、あとこれを2週間続けろってマジかよ」
好きで徒歩通学に変えたわけではない。
これには理由がある。
──昼休み
「……で、何で最近ギリギリに来てるんだ?」
悪友が俺の卵焼きを口に放りながら理由を聞いてきた。
「これには山よりも高く海よりも深い訳が……」
「大した理由じゃないってことか」
軽くいなされた。
このやり取りはいつものことだから、コイツも飽き飽きしているんだろう。
俺はまじめに答えることにした。
「徒歩通学にしたんだよ」
「それは知ってる。なんで徒歩通学にしたか聞いてんだよ」
俺のミニトマトを頬張る。
「いや、定期を無くして」
「やっぱり大した理由じゃなかったか」
呆れた顔で、俺の白米を口に入れる。
「再発行はしなかったのか?」
「親に言ったら怒られて、『バツとして今月は歩いて通いなさいー!』ってさ」
もともと1駅分しか電車を使ってなかったので歩けない距離じゃない。
だが、毎朝布団の誘惑に負けて遅刻ギリギリになるというのがここ1週間の話だ。
今月が終わるまではあと2週間。
果たして、俺の明日は一体どうなる!?
「ふーん。まぁ、定期無くしたお前が悪いな」
そう言って、俺の唐揚げにかぶりつく。
「別に無くしたわけじゃ──って唐揚げはダメだろ!! というか、なんでさっきから平気で俺の弁当を食ってんだよ!!」
「おっ、やっと気づいたか」
「気づくわ!! 普通こういうの1個とかだろ!! 何で主食・主菜・副菜を全部人の弁当で網羅してんだよ!!」
「わりぃわりぃ。代わりに俺のふりかけをあげるから」
「割りに合わんわ!!」
なぜか、悪友の手元にあった俺の弁当を取り上げて急いで残りの食材を掻き込む。
「おーい、橘! お前にお客さんだぞ!」
他のクラスメートが俺の名前を呼ぶ。
どうやら、教室の外で誰かが俺のことを呼んでいるらしい。
「ありがと、今行くよ」
俺は悪友をほったらかしにして、教室の外に向かう。
廊下には、ダウナー系茶髪ポニテの美少女が立っていた。
片目が髪で隠れるほどの前髪の長さで漫画の中から出てきたような大きく透き通った瞳。
女性らしさを意識させられる長く整ったまつげ、白く雪のような肌と対称的に首元には黒いチョーカー。
どこを見ても、欠点が見当たらない完璧な美少女だった。
彼女を一目見た瞬間。俺はすでに彼女の全てに見惚れていた。
だが、同時に思った。
「だ、誰……?」
俺はこんな美少女を知らない。
恐らく、同級生ではないはずだ。こんな可愛い子を見逃すはずはない。
となると、顔立ちから考えると後輩か?
「……橘 淳介センパイですよね?」
美少女が俺の名前を呼んだ。
美少女が俺の名前を呼んだ。
美少女が俺の名前を呼んだ。
俺は完全にフリーズした。
何で俺の名前を知っているのか、彼女は一体誰なのか。
頭をぐるぐるとフル回転させるが当然答えは出てこない。
名前も知らない彼女の前で立ち尽くすことしか出来なかった。
「……ん」
彼女は短い声を出し、俺に何かを差し出してきた。
「あ、俺の定期」
差し出してきたのは無くした定期券だった。
いや、実際には無くしたわけではない。
ただ、人に貸していたのだ。名前も知らない同じ高校の誰かに。
「──ってことは、君が駅で定期を無くして困っていた子?」
「……はい」
彼女は最小限の長さで答える。
──あれは1週間前のこと。
俺は、いつも通り駅から電車に乗って家に帰ろうとしていた。
そこで、改札前で困っている彼女を見かけたんだ。
何度もポケットから物を出したり、カバンを開けて奥の方を見たり。
恐らく、定期券を無くして困っているんだろう。
俺は臆することなく声を掛けた。
だって、困っている人がいたら、見知らぬ人でも助けろって言うだろ?
──いや、実はそうではなかった。
「よぉ、どうしたんだ?」
俺は彼女をクラスメートだと思って声を掛けたのだった。
さすがに、知らない人に声を掛ける勇気は無かった。
だが、俺が声を掛けた人は知らない人。
つまり、今目の前にいるダウナー系の茶髪ポニテの美少女こそ、俺が声を掛けた人物だった。
俺は彼女のことを知らないし、当然彼女も俺のことを知らない。
俺が通う高校の制服だったし、後ろ姿がクラスメートと似ていたからよく確認せずに声を掛けてしまった。
つまり人違いで、俺は見知らぬ人に声を掛けてしまった。
声を掛けられた彼女はキョトンとした顔でこちらを見てきた。
当然だ。
彼女からすれば、知らない男からいきなり気さくに声を掛けられたのだから。
(やばい、やばい、やばい。このままじゃ不審者になってしまう!)
焦り、不安、羞恥心。
色んな感情が湧いてきて顔の辺りが熱くなる。
お互いに何も声を発さず、ただ時間だけが流れていく。
このままだと本当に不審者になってしまう。
俺は覚悟を決めた。
「困っているようだったからさ。気になって声を掛けたんだぜ」
俺はチャラ男風の口調で会話を続ける。
困っている女の子を見過ごせなくて声を掛けたイケメン男子を俺は必死に演じることにした。
こうなりゃやけだ。
「もしかして、定期を無くしたんじゃなかろうかい?」
語尾が滅茶苦茶だ。だが、後には引けない。
俺は必死に聞き出す。
「……あ、うん」
彼女は戸惑いながらも答えた。
ビンゴだった。
まさか、本当に定期を無くしていたとは。
「そっか、だったらさ。これ貸すよ」
そう言って、彼女に俺の定期券を差し出す。
彼女は戸惑いながらも受け取った。
「アデュー!」
俺は渡した瞬間に、訳の分からない捨て台詞を吐き逃げるように走り出した。
いや、実際に逃げるために走り出した。
早くこの場から離れたくて仕方がなかった。
振り返ることもせずに俺はただ走った。
きっと、彼女は驚いているだろう。知らない人からいきなり声を掛けられたのだから。
だが、彼女がこれで電車に乗れるなら良かったんだ。
恥ずかしさ満載だったが、人助けをしたという満足感もあった。
気持ちが高揚したまま、俺は勢いでその日は走って家に帰ることにした。
家に着いた瞬間俺は冷静になった。
「あっ、定期どうしよう……」
クラスメートだと思っていたから、明日にでも返してもらおうと思っていた。
だが、俺が渡したのは知らない女の子。
分かっている情報はただ同じ高校だということ。
あの時は恥ずかしさでいっぱいになっていたので彼女の顔をほとんど見ていない。
当然、名前を聞く余裕も無かった。
「……親に言うか」
俺は諦めて定期券を無くしたと親に言うことにした。
知らない女子に定期券を貸したなんて、恥ずかしくて言えたもんじゃない。
親に言った結果、再発行するがバツとして今月は徒歩通学しろと告げられた。
そして、今に至る。
──
──で、このダウナー系茶髪ポニテの美少女が、あの時俺が醜態を晒した相手ということになる。
「そっか。ありがと、助かったよ!」
俺は彼女から定期券を受け取る。
助かった。これで今日から電車を使って帰れそうだ。
「でも、どうして俺のことが分かったんだ?」
彼女は俺の教室まで届けてくれた。
だが、彼女と俺は面識はないはずだ。
「……名前」
彼女は定期券を指さす。
指の先を見ると、白くすらりとした長い指先に丸く可愛らしい小さいピンク色の爪があった。
見るのそっちじゃねぇよ!!
気を取り直して、俺は定期券の方を見る。
下の方に「タチバナ ジュンスケ」と俺の名前が書いていた。
「なるほど。これで名前が分かったのか」
「ん。制服一緒だったから、同級生に名前聞いた。
でも、学年違うなんて聞いてない」
彼女が不機嫌そうに少し頬を膨らませた。
可愛い。すごく可愛い。
定期券を返すために名前を頼りに探してくれたのだろう。
あれから1週間経ったのだkら、恐らく相当苦労して俺のことを探したのだろう。
「でも、無事に帰れたようで良かったよ」
俺は嬉しかった。
定期券も戻ってきたし、何よりこんなに可愛い子を助けることが出来たんだから。
「安心して下さい。その定期券使ってないんで」
「……へ?」
驚くほど素っ頓狂な声が出てしまった。
「……いや、1駅分だし。しかも、私の家と電車逆方向だし」
「あ、そっか」
冷静に考えれば当たり前だった。
定期券を渡したところで降りる駅が違えば何の意味も無い。
「じゃ、じゃあ、あの後どうやって帰ったの?」
「別のカバンに定期券が入ってました」
彼女は定期券を見つけて、自力で家に帰ったようだ。
結局、俺のしたことは無駄だった。
無駄どころか、彼女は1週間俺を探す羽目になったのでいい迷惑となってしまった。
「……ごめんなさい」
彼女が申し訳なさそうに頭を下げる。
謝るのは俺の方だっていうのに。
「何で謝るの?」
「センパイ、私のせいで徒歩通学になったってさっき言ってたから」
教室で話していた内容が聞こえていたらしい。
「君も俺を探すのに1週間使ったんだからさ。俺の方が悪いよ」
「でも、元はと言えば私が定期を無くしてたのが原因だから」
俺の方が悪いと言うが、彼女は頑なに譲ろうとしない。
意外と芯が強い子みたいだ。
「なので、お詫びとして私何でもしますから」
え、今何でもするって言った?
言ったよね!? 確かに言ったよね!?
「……センパイ、目がいやらしいです」
とても冷ややかな目で返された。
「いや、違う。違うよ」
冷静に誤解を解く。
確かに色々な妄想をしていた。
けど、決していやらしいことは考えていない。
決して、考えていないんだ!!
「でも、胸見てましたよね」
「違う、俺が見てたのは鎖骨だ! なぜなら鎖骨フェチだからな!!」
思いっきり自爆した。
俺は教室の廊下で何を堂々と告白しているんだ。
しょうがないんだ。
ワイシャツのボタンを1つ開けているせいで、鎖骨が見えているんだから。
これは見ないと失礼じゃないか!
「……ヘンタイ」
彼女が俺を見下してくる。
これが所謂ジト目という奴だろうか。
変態の烙印を押された俺に、先輩としての威厳なんてあるはずもなかった。
「センパイ。今日の放課後暇ですか?」
「え? 暇だけど」
俺は少し驚いたが、素直に答える。
「じゃあ、私と一緒に遊びませんか? 何か奢るんで、これがお詫びっていうことでいいですよね」
え、今デートしませんかって言った?
──いや、今回は言ってないな。
「う、うん。もちろん君さえよければ」
俺は喜んでOKした。
こうして、人生初の女の子と二人で遊びにいくことが決定した。
「東条 和音です。よろしくお願いします」
「た、橘淳介です」
今さらながら自己紹介タイムが始まった。
俺は今まで彼女の名前すら知らなかったのだ。
名前も知らない子から「ヘンタイ」と言われるなんて……。
俺にそっちの気が無くて良かった。
さすがに、そんなアブノーマルな性癖なんて持ち合わせていない。
俺はただ人より少し鎖骨が好きな一般男子高校生だ。
「……」
彼女が観察するように俺の顔をじぃっと見つめる。
「どうしたの?」
「いや、変なしゃべり方しないんだなって」
「ち、あれは違うんだ。クラスメートと思ったら知らない女子だったから、焦ってあんな喋り方になって!
普段は普通の喋り方だから!!」
まくし立てるように必死に弁明をする。
悪いことなんてしていないはずなのに。
「フフッ、そうだったんですね」
笑った。
ダウナー系という第一印象だったので少し驚いた。
「じゃあ、放課後校門のところで」
そう言って彼女はくるりと回って自分の教室へと戻っていった。
回った瞬間に香ってきた匂いは、まるで春の日の干し立ての布団のように優しくて心地の良いものだった。
◇
「お待たせ。遅れてごめん」
彼女の姿が見えたので俺は小走りで校門の方へ向かって行った。
「じゃあ行きましょうか」
それだけ言うと、彼女は歩き始めた。
俺は彼女の背中についていく。
「センパイ。甘いものって平気ですか?」
「嫌いじゃないけど」
「じゃあクレープを食べに行きましょうか」
ということで、俺と彼女は電車に乗るために駅に乗ることにした。
「──にしてもクレープなんて久しぶりだな」
「普段は甘い物食べないんですか?」
「だって、男がクレープなんて変だろ?」
「別に変じゃないですよ。スイーツ男子って言葉があるくらいだし」
「それはそうだけど。どうにも、ああいうの食べるのはどうにも気が引けちゃうんだよな。
店に行くと女子かカップルばっかりだし。周りの目がなんというか……」
「分かります! 私もラーメン屋に行くのに気が引けちゃうんですよね!」
彼女がグイと顔を寄せる。
鼓動を刻むリズムが1段階速くなる。
彼女は普段はゆったりと、少しけだるげな感じで喋り方で話す。
だけど、時折見せるジャンプをするような弾んだ喋りが俺の気持ちを高揚させる。
もちろん、普段の喋り方も安心感があるのでそっちも好きだが。
「そ、そっか」
照れを隠すように少し咳き込みながら言葉を返す。
「センパイはラーメン好きですか?」
「おう。週末とかがっつりしたラーメンを食べに行ったりするよ」
「そうですか。ああいうお店一回行ってみたいんですよね。
でも絶対太りそうで怖いし……」
彼女はお腹回りを少しさする。
ぱっと見た感じは太っていない、むしろ痩せているようにも感じるが、そこは女子として気になるところなのだろう。
「でも、クレープも結構カロリー高いだろ?」
「……」
彼女は黙り込む。
少し考え込んでいる様子だ。
「知ってますか、センパイ? "クレープ"の"プ"に丸が付いているじゃないですか?
だからクレープはカロリーゼロなんですよ」
落ち着いた口調で何を言っているんだこの子は。
もちろん冗談めかして言っていたので、彼女は本気じゃないのだろう。
だけど、それだけクレープが好きなんだろう。
「分かった、分かった。じゃあクレープ食べに行こっか」
「はい」
彼女がほほ笑む。
女子と二人きりでこんなに話すなんて人生初めての経験だった。
(今日は人生初なことがいっぱい起こるな)
そんなことを考えながら、彼女との会話を楽しみながらクレープ屋に向かった。
◇
「へぇー。こんなところにクレープ屋があったんだ」
辿り着いたクレープ屋は少し街のはずれにあった。
けれど、外装はきれいでチラシを見ると種類も豊富そうだ。
「じゃあ、行こうか」
俺は受付に向かって進もうとする。
だが、彼女は店の前のメニュー表から一歩も動かない。
「ちょっと待ってください」
彼女はサンプル食品とメニュー表を交互に見やる。
──まだ、決まらないらしい。
「ここに来るまでに決めてたんじゃないの?」
「ちゃんと決めてたんですよ! 今日は『ブルーベリーホイップ』にしようって!
でも、何なんですか『モンブランチョコ』って! 絶対美味しいやつじゃないですか!
いや、でも『メープルホイップ』も捨てがたいし……」
今日一番の早口だった。
よっぽどクレープが好きなんだろう。
「センパイは何にするんですか?」
「俺は『チョコアーモンド』にしようと」
「それも良いですよね! いやでも……」
これはまだまだ時間がかかりそうだ。
他のお客さんもいないし、俺は彼女が決まるまで待つことにした。
──そして、待つこと数分。
「決めた! やっぱり『ブルーベリーホイップ』にします!!」
どうやら決まったようだ。
彼女は店員に向かってメニューを告げる。
俺はその間に財布を出そうとしたが、
「センパイ。ここは私の奢りなんで」
と、どや顔で返されたのでここは素直に従うことにした。
俺は彼女が会計をしている間、店の前に丸テーブルがいくつかあったので席を確保することにした。
──
会計を済ませた彼女が俺を探しているのかキョロキョロと周りを見回す。
まるで、飼い主を探しているような子犬のようだ。
俺はずっとその愛くるしい様子を見ていたかったがそういう訳にもいかない。
手を振って合図をする。
すると彼女は俺に気づき、クレープが落ちないようにこちらに向かってきた。
両手にクレープがあるのでバランスをとるのが難しそうだ。
(あっ。クレープもらってからにするべきだったな)
女子と買い物をするなんて一度もないから、彼女の姿を見るまで考えもしなかった。
どうやら俺はまだまだ未熟らしい。
なんとか、クレープをテーブルまで運びきり俺の前に座る。
「……どうぞ」
最初あった時のように、女子にしては低く気だるげな声色でクレープを手渡す。
クレープを選んでいる時の彼女はどこかへ行ったようだ。
「ありがと」
俺はお礼を言い、クレープを受け取る。
「でも、本当に奢ってもらって良かったの?」
「はい。あの時助けてもらったお礼ですから」
そうは言っても、俺の定期券は何の助けにもならなかったはずだ。
だが、これ以上言い詰めるのも彼女にとって迷惑になるだろう。
「ほら、早く食べましょう」
俺は彼女の好意をありがたく受け取ることにした。
「……おいし」
彼女はすでにクレープを食べ始めていた。
俺も包装紙を破りクレープにかぶりつく。
「ん! うまい!!」
チョコとろけるような甘味が身体を癒し、それをふんわりとした柔らかい生地が舌の中で包み込まれる。
また、アーモンドのザクッとした食感が柔らかい生地のアクセントとなり絶品だ。
久しぶりに食べたがクレープも悪くないな。
俺は2口目、3口目と次々と口の中に入れ、味のハーモニーを楽しむ。
「……センパイ。美味しそうに食べますね」
彼女は食べるのを中断し、物欲しそうに俺の方を見ていた。
「おぅ。久々に食ったけど、普通に美味しいな!」
「私も1口食べていいですか」
「……へ?」
え? 今なんて言った?
今なんて言った!?
「良いですよね? 私がお金出したんだし」
彼女が前屈みをしてグイと顔を近づける。
「いや、良いんだけど。そういう意味では良いんだけど!」
これって、俺のクレープをそのまま食べる気だよな!?
いや、別に良いんだけど!
会ったばかりの男女がこんなことやっていいのか!?
「じゃあ、クレープちぎるからちょっと待てって!!」
「そんなことしたらこぼれますよ。ほらじっとして下さい」
彼女は一向に止まる気配はない。
俺はしどろもどろになるも、クレープを彼女の前に差し出すことしかできなかった。
「……いただきます」
彼女は髪を耳に掻き上げ、俺のクレープにかぶりついた。
「ん、おいし」
彼女は前屈みを止めて自分の席に戻る。
ペロッと舌で唇を舐める姿から目を逸らすことが出来なかった。
「ん」
彼女は自分のクレープを前に差し出す。
「ほら。センパイも1口良いですよ」
「……え? 良いの?」
良いの? 本当に良いの?
「早くしてください。崩れちゃいますから」
彼女から急かされる。
俺は世界で一番甘い誘いに乗っかった。
顔を彼女のクレープに近づける度に俺の心臓の音が速くなる。
張り裂けそうだ。
だけど、そこに苦しさなんて微塵も無い。
「い、いただきます」
俺は彼女のクレープにかぶりついた。
ゆっくりと噛み締めるように、口を上下に動かす。
「美味しいですか?」
彼女が至近距離で聞いてくる。
少し顔を近づければ唇が当たってしまうぐらいの距離で。
「お、美味しいよ」
嘘だ。
味なんて分からなかった。
クレープの食べさせ合いっこをするなんて。
まるで、まるで──。
「デートみたいですね」
彼女が俺の耳元でささやく。
吐息が耳に当たり、身体が跳ね上がる。
「な!!」
俺は即座に彼女から身体を離す。
「フフッ。センパイ驚きすぎです」
彼女は小悪魔のように笑うと、何も無かったようにクレープを食べ始めた。
俺も席に座り、クレープを食べようとする。
だが、目の前に彼女が食べた跡が見つかると、口が止まってしまった。
「食べないんですか? だったら私がもらいますよ?」
「食べる! 食べるから!!」
俺は勢いに任せてクレープにかぶりついた。
もう、さっきまであんなに味があったのに、今は恥ずかしさでほとんど味が分からなかった。
──
「ふぅー。美味かった、美味かった」
「……美味しかったですね」
クレープを完食するころには、さすがに鼓動の速さは正常になっていた。
彼女も出会った頃のように、落ち着いた雰囲気に戻っていた。
「じゃあ、帰りましょうか」
「おぅ」
俺たちは用事が済んだので、帰るために駅に向かって歩き始めた。
「……」
彼女はさっきから黙って俺の隣を歩く。
言いたいことがあるけど、言い出せないそんな雰囲気を感じた。
「どうしたの?」
彼女に聞いてみる。
「……怒ってないですから」
いや、それ怒っている人しか言わない台詞だから。
だが、彼女は本当に怒っていないことを俺は知っている。
表情を見れば簡単に感じ取れるから。
「分かってるよ」
俺は彼女に諭すように喋る。
「本当ですか? 私、表情が読めないってよく言われるから」
「そうかな?」
意外だった。
でも、確かに片目も隠れているし雰囲気は暗いからそう思われるのも仕方ないかもしれない。
「さっき、はしゃぎすぎたなって。でも、今冷静になって、恥ずかしくなって。
誰かとクレープを買いにくるなんて初めてだから」
まごまごと説明をする。
どうやら、さっきはテンションが上がってああなっていたらしい。
「分かるよ。俺だって好きな事になると舞い上がるし」
「私、変ですよね。いつもは暗いのに。
もっと明るかったら良かったのに……」
「そんなことないよ」
「センパイはどっちがいいですか? さっきの私といつもの私?」
彼女が真剣な表情をしてこっちを見る。
初めて見る表情だ。
俺も彼女の思いに応えるように真剣に答える。
「俺はいつものダウナーな感じも好きだよ。もちろん、さっきのハイテンションモードも良かったけど。
でも、いつもの方が"素"な感じがして好きなんだよな」
俺は本心を伝える。
一般的には暗い人より明るい人の方が好まれるかもしれない。
でも、俺は彼女に明るくなって欲しいとは思わない。
彼女は基本的に雰囲気は暗く、女性にしては低音で、声色も気だるげで近寄りづらいオーラがある。
だからこそ、困ったときに見せる仕草や好きな物に対して興奮している様子がギャップを生み出し俺の気持ちを揺さぶってくる。
でも、やっぱり彼女は明るくなるべきじゃない。それはいつもの彼女じゃないから。
だって、彼女は"ダウナー系茶髪ポニテの美少女後輩"なんだから。
「いつもはダウナーで良いんだよ。それで、好きな物の前では明るくなればいい」
「……ありがとうございます」
彼女が気だるげにお礼を言う。
だけど、照れ隠しをしているのは俺じゃなくても分かるだろう。
「やっぱり、センパイとお話できて楽しかったです」
「え、やっぱり?」
「駅で私に話かけてくれてすごく安心したんです。だから一度話してみたいなって思って」
「いや、でも定期券渡しただけで何の役にも立ってないし。そもそも、人違いで声かけたし」
「良いんです。きっかけは何だって。大事なのは行動と結果ですから」
行動と結果か……。
話をしている内に駅に着いてしまった。
彼女とは帰る方向が別なのでここでお別れだ。
「……じゃあ、センパイ。今日はありがとうございました」
彼女が駅の方に向かって歩き出す。
ここでこのまま別れたら、元の他人の関係に戻ってしまう。
大事なのは──行動と結果だ。
「こ、今度は俺が奢るよ!」
「え?」
俺は勇気を振り絞る。
彼女ともっと話がしたい。彼女のことをもっと知りたい。
「ほら、ラーメン食べたいって言ってただろ? だから、今度は俺の番」
俺は彼女のことが気になっていた。
これが"好き"という感情か、まだ恋をしたことない俺には分からないけれど。
彼女と一緒にいたい。この気持ちだけは未熟な俺でも分かっていた。
「……ありがとうございます、センパイ」
彼女が気だるそうに、だけど嬉しそうに言葉を返した。
放課後デートはもう1日だけ続いて行く。