第三話 冒険とは冒険をすることをさします
粘体生物——それは、この異世界大陸の中でも最も取るに足らぬ怪物の一種。食物連鎖の底辺に沈み、愚鈍で脆弱、戦いを挑むまでもない雑魚として知られている。
半透明の粘体はあらゆる環境に適応し、わずかな有機物すら糧として増殖するという厄介な特性を持つ。だが、それ以上の特徴はない。ただ増えるだけの存在。成長することもなく、知性の片鱗すら見せず、より強き者たちの糧として消えていく運命にある。
——それなのに、今回は違った。
大穴の上層に、異常なまでの数の粘体生物が出現したのだ。
探索者支援組合もすでにこの異変を把握していたが、ただの粘体生物なら危険性は小さいと判断し、大々的な討伐作戦を組むことはなかった。とはいえ、このまま増え続ければ上層の生態系に悪影響を及ぼす可能性がある。そこで、いくつかのギルドに小規模な討伐依頼が降りた。
その依頼を請け負ったのが、カイト率いる新米探索者の一団だった。
「依頼内容については理解しました。ですがなぜ、大穴の上層で粘体生物が大量発生しているのでしょうか」
「さぁ?そこに関しては組合が調査をしているらしい。まぁ、そうでなくても大穴は未知の塊。何が起きたって不思議じゃないさ」
「そうそう。『大穴にトラブル』は付き物だって、先輩は言ってた」
大穴の内部は階層ごとにその様相を変える。上層部はまだ安全な領域とされるが、それでも太陽の光が届かぬ漆黒の世界。土と岩が支配する洞窟のような環境で、転倒を避けながら歩くだけで体力を削られるような場所だった。
「……暗いな」
カイトは片手に持った角灯の形をした灯火の魔道具を掲げた。かすかな光が岩壁を照らし、不気味な影を落とす。だが、その光すら、闇の奥へと吸い込まれていく。
探索者の装備は、駆け出しのうちは粗末なものばかりだ。カイトたちが持つこの灯火も、大穴由来の資源を使って産み出された中古品にすぎない。地球の科学と異世界の魔術の技術を組み合わされて作られた品だが、その効力は衰えつつある。
「もっとお手軽に普通の懐中電灯とか使えたらいいのにねー」
「無茶言うな。『大穴の中では大穴由来の物しか役に立たない』学園で習った常識だろ」
軽口を言うハスミの言葉に対し、カイトがすぐさま否定の言葉を投げつける。
大穴内部は地球の知識や技術は全く通用せず、そこでは大穴特有の環境が支配している。とある科学者が試しに地球由来の道具や物品を持ち込んでみた所、それらの道具は異常なほどに力を失い、その効力は目に見えて低下したという。
『大穴は自分の中で存在して良い物を選んでいる』とは、探索者達の中では常識の事であった。
「お二人は学園出身なので?」
「えぇ、こいつとは小学校のころからの幼馴染。お互いに、探索者の素質があったからそのままの縁でこんな所まで来ちゃった。まぁ、腐れ縁ね、腐れ縁」
「学園とはいっても、高等学校のような専門校じゃなくて、中学校みたいなもんだからな。結局、高等学校に通う前に親が病気になったから、自主退学してそん時の伝手でこっちに来たけど。お前はあっちに残っていても良かったのに」
「おばさんには私も世話になったからね。その恩返しよ。それに、あんた一人だけだと早死にしそうだし?」
カイトは苦笑しながら、軽く肩をすくめた。
「……まあ、助かってるよ。お前の斥候技術にはな」
「もっと素直になりなさいよね」
ハスミは鼻を鳴らしながらも、どこか誇らしげに笑った。そのやり取りを見ていたアマネは、小さく息を吐く。
見ず知らずの自分を拾ってくれたことに関しては感謝しているが、アマネはこのチームにどことなく居心地の悪さを感じている。
旧知の仲、それも少なくともハスミの方はカイトという青年に対して好意を抱いているようにも見える。そんな二人の間に挟まった自分はまさにお邪魔虫だ。
——悪い人たちではないんでしょうけれど。
人間である以上恋愛感情を抱くのは致し方ない。しかし、探索者という仕事をこなす以上、そういった感情は切り離して仕事に従事してほしい。
なにせ、探索者は文字通り命懸けなのだから。
「お二人とも仲が良いんですね」
「よく言われるけど、当人たちはそう思ってないってやつだよ」
カイトがぼやきながら先頭を進んでいく。大穴の上層部は確かに暗く、足元の岩肌は湿気を帯びて滑りやすくなっている。
「それにしても、この湿気……さっきより酷くなってない?」
ハスミが立ち止まり、周囲を見回す。確かに、さっきよりも空気が重たく感じる。衣服がじっとりと汗を吸い、嫌な感じが肌にまとわりつく。
「おそらく、粘体生物の増殖が関係しているんだろう」
カイトは慎重に辺りを見回しながら言った。
「粘体生物は環境に適応しやすいとはいえ、これほどの湿気を生み出すほどの個体数が存在しているとなると、やはり異常だ。もっと周囲を明るく照らせたら、何か分かったのかもしれないけど……」
「もう少し明るくできないの?」
ハスミが不満げに呟くが、カイトは首を振る。
「ここは迷路みたいに入り組んでる。無闇に明るくすれば、小鬼や鬼犬のような、低度な知恵を持つ怪物に先手を取られかねない。それに、この魔法の角灯はだいぶ古いものだ。残存動力を使い果たしたら、それこそ暗闇の中で戦う事になる。そんなのは嫌だろう?」
「そうだけどさぁ。はぁ、早く上位陣が使っているような豪華な奴使いたいよ」
「今の俺達には夢のまた夢だな。今はただやれることをやっていくだけだ。それより、湿気がさらに強くなってきた。もしかしたらそろそろ接敵するかもしれない。ハスミ、索敵頼んだよ」
「はいは~い。単細胞生物程度の動き、私の耳なら容易に捉えられるもんね。そう心配しなくても大丈夫だよ」
「学園の先生にも言われただろ?怪物に選択肢をくれてやるな。先手を取れるよう、工夫しろってさ」
「分かってるよぅ」
「隊列は決めた通りに行こう。戦闘はハスミ。その後ろに俺で、後列にアマネだ」
まず先陣を切るのは斥候のハスミ。次点に剣士のカイトを置き、隊列の最後に魔女のアマネ。
「よしじゃあ、行くよ。後ろは、よろしく」
「任せとけって」
「わ、分かりました」
ハスミは短剣を手に、慎重に足を進める。彼女の猫のようにしなやかな動きは、訓練の賜物だ。足音を最小限に抑えながら、岩壁に沿って進む姿はまさに斥候向きだった。
カイトは剣を軽く握りしめながら彼女の背を追う。後列のアマネは魔法の詠唱準備に入ったまま、慎重に周囲を見回している。
杖を握る手がじっとりと汗で滲む。肌を撫でる風は氷のような冷気を纏っており、心地よさなど感じない。静寂が支配する洞窟の中、三人は慎重に歩を進めている。
ハスミの鋭い目が周囲を探る。カイトは剣の柄を強く握りしめ、いつでも抜刀できるよう身構える。アマネの杖の先には淡い光が灯り、魔力の奔流が静かに渦巻いていた。
「……何か、感じる?」
カイトが小声で尋ねると、アマネは小さく頷いた。
「うん……何かがいる。這いずり回る音が五つか六つ。多分だけど、巨大粘体が一体だと思う」
巨大粘体は通常の粘体生物が有機物を多く取り込み、異常なほどの質量を得た結果、生まれる変異体。体積が増しただけでなく、その内部には強力な粘着質の核が形成されており、一度絡め取られれば容易には抜け出せない。さらに、知性こそないものの、単純な捕食行動はより洗練され、獲物を確実に仕留める動きを見せる厄介な怪物だ。
「ハスミ、視認できるか?」
「……もう少し進んでみない事には。先行するね」
ハスミは短剣を握りしめ、そっと一歩前へ踏み出した。その足取りは猫のようにしなやかで、靴裏が地面を擦る音すら聞こえない。
カイトとアマネは息を潜め、彼女の動きを見守る。
——そして。
「……いた」
囁くような声が響いた。
ハスミの視線の先、闇の奥にぼんやりと青白い光が揺らめいている。
それは、ゆっくりと蠢く巨大な塊。
カイトも目を凝らし、光源を捉えた。
「やはり巨体粘体か」
そこにいたのは、まるで溶けかけたゼリーのような半透明の巨体。
通常のスライムと異なり、内部には何か黒ずんだ核のようなものが不規則に浮遊していた。それがゆっくりと回転しながら、闇の中で膨張したり縮んだりを繰り返している。
「……妙だな」
カイトが眉をひそめる。
通常、巨大粘体は動きこそ鈍いものの、獲物を感知すればすぐに反応し、粘着質の体を伸ばして絡め取ろうとするはずだ。それは目の前に同族が居たとしても同じ。
だが、目の前の巨大粘体は——じっとしている。
「死んでいる……訳でもないみたいだな。待ち伏せか?」
「……ただの巨大粘体にそんな知能はありましたか?」
アマネが持つ怪物の知識は少ない。組合から支給される怪物辞典も読んではいるが、ほぼ生物学の専門書のような物で、読んでいるうちに読む気が失せてしまう。
だからといって、全く怪物の知識がないわけではない。大穴上層部で接敵するであろう怪物の知識は、一通り頭の中に入っているし、上位種である巨大粘体についての知識も少しだけではあるが知っている。
——が、どれほど怪物辞典の記憶を思い出したとしても、粘体生物種が待ち伏せをするという知識はなかった。
「いや聞いた事がない」
「右に同じく」
学園出身の二人も知らない目の前の怪物の行動に、アマネはほっと息を吐いた。
「何をしているかはわからないが……本能的な行動の一環なのかもしれん」
カイトは低く呟きながら、長剣の柄を握りしめる。
「どうする?」
「粘体生物の大量発生は恐らく、目の前の存在が原因だろうが、組合へ報告する為にも念のため、さらに先へと進んで本当に大量発生しているかどうか確認をする必要がある」
「やれるんですか、その……私達だけで」
アマネは二人の実力を知らない。
学園を中退したとはいえ、大手ギルドに所属できる実力があるという事はそれなりに戦えるはずだ。
しかし、本来倒すはずだった相手とは違う存在と戦う予想外の事態に、不安が弱気な自分の心を塗りつぶしていく。
「注意すべきは巨大粘体一体。その程度なら、俺達二人だけでも倒した経験はある」
「あの時はもう全身べっちょべちょだったよね」
「確かに物理は効きにくい種族特性が厄介だが、今回は魔法持ちもいるんだ。順当に行けば、倒せるはずだ」
「そう、ですかね……」
既に目の前の怪物は待ち伏せをするという未知の行動を取っている。
前が良かったとしても、今日が大丈夫だという保証はどこにもない。
アマネは杖を握りしめ、不安を飲み込んだ。
確かに、カイトとハスミは経験豊富な探索者だ。だが、目の前の《ヒュージスライム》は通常のそれとは違う。もし戦闘になれば、どんな動きを見せるか分からない。
「……魔力を込めておきます。何があっても、すぐに詠唱できるように」
「助かる。魔法があるだけで戦い方の選択肢が広がるからな」
カイトは微かに笑みを浮かべると、そっと剣を抜いた。湿気を帯びた洞窟の空気に、かすかに金属音が響く。ハスミも短剣を構え、静かに息を吐く。
「じゃあ、仕掛けるよ?」
ハスミの囁きに、カイトは頷いた。
「頼む。まずは一撃、様子を見よう」
ハスミは瞬時に距離を詰めると、手首のスナップを効かせて短剣を投擲した。黒光りする刃が暗闇を切り裂き、巨大粘液の半透明の体へと突き刺さる——はずだった。
——だが、刃は触れることなく、まるで虚空に吸い込まれたように消えた。
「……えっ?」
ハスミの驚愕の声が響く。カイトとアマネも目を凝らしたが、確かに短剣は巨大粘液の体へと到達する寸前で消失していた。
「どういうこと——?」
この場にいる人間の疑問を代弁するかのように、ハスミの言葉が空へと溶け消えた。
その瞬間、洞窟の静寂が破られた。
ヌチュッ……ヌチュリ……
闇の奥から、奇妙な粘液音が響き始める。まるで何かが生まれ出ようとしているかのように。
ズルンッ……!
突如、巨大粘液の体の中から、無数の粘体生物が溢れ出した。
「増えてる!? そんな、こんな急速的な増殖はあり得ないわ!?」
ハスミが後退しながら叫ぶ。通常、巨大粘液は単なる巨大な個体であり、分裂や繁殖を行うことはない。しかし目の前の怪物は、まるで母体のように粘対体生物次々とを吐き出している。
「待て、違う……!」
カイトが冷静に観察しながら、異変に気づいた。
「分裂じゃない……!」
「魔法、使います!」
粘体生物たちは地面に広がると、まるで意志を持つかのように蠢き、三人の目の前で形を象った。
「これは―――っ」
「『神々の槌、神罰の執行者。嵐の王、天の王。其は遍く全てを滅する者。鳴動せよ、天の輝き。雷光よ……』」
「魔法陣だっ!?」
眩い光が粘体生物の作り出した魔法陣から放たれる。
視界を焼き尽くすかと思えるほどの白光に、三人の愚かな探索者は目を閉じる暇もなくその圧倒的な光に飲み込まれた。




