炎獄の魔除師
「絶望は前触れもなくいきなりやって来る。両親が死んだ時もそうだった、俺の前に突然現れたなにかは、一瞬のうちに俺の両親を食い殺した。まるで人が空腹を満たすために食事をするように当たり前に....」
ここは岐阜県飛騨地方の山奥にあるとある田舎町。町と言えるほど栄えているわけでもなく、コンビニどころか、街灯一つあるだけで珍しい。そんなあたりを見渡せば山ばかりの町に、16歳の少年が住んでいた。その少年の名は仙石 命。幼い頃に両親を亡くし、親戚に引き取られこの町にやってきた。両親を失った悲しみで心を塞ぎ込んでいた命には、たった1人だけ、唯一心を開いた女の子がいた。
「命〜!! 学校行くよぉ〜!!」
高校に通うことを拒む命に、毎朝声を掛けにやって来るこの少女の名は斎藤 菜由。命は2階の寝室で眠っていても、玄関先から聞こえてくる菜由の呼び掛けで目を覚ます。命は今日も眠いを目を擦りながら起床し、寝室の窓を開けて菜由の呼び掛けに答える。
「今日は行かない..体調が良くないんだ..」
命が気怠そうに言うと、菜由は大きくため息をついて。
「はぁ..あんたいつも体調悪いじゃないの! 冗談言ってないで顔洗って降りて来なさい!!」
「はいはい..」
菜由に逆らえない命は、結局断れず重い足取りで菜由と一緒に学校に行く。しかし命は、こんな毎日が嫌いではなかった。
「ねえ命! 放課後暇?」
学校に向かう途中、突然菜由が言った。命は戸惑いながらも答える。
「暇っちゃ、暇だけど..なんで?」
「私に付き合ってよ! 行きたい所があるんだ!」
菜由からの誘いに、命は内心は嬉しかったが、悟られないように。
「どーせ暇だし..いいけど..」
命がそう言うと、菜由は頬をぷくりと膨らませながら。
「女の子からの誘いなんだからもっと喜びなさいよね! じゃあとりあえず放課後ね!」
そして放課後、命は菜由に連れられ、飛騨の山奥にあるとある寺に来ていた。なぜお寺なのか気になっていた命は菜由に。
「行きたかったとこって..寺かよ..」
「ここのお寺凄いんだからね! 除千寺って言ってね? 災いを祓って願いを叶えてくれるんだよ!」
心弾ませながら言う菜由のテンションとは裏腹に、命は小さくため息をついて。
「ただの言い伝えだろ? 単なる迷信だって..」
「そんな事ないもん! ほらお参りするよ!」
命は半ば強引に腕を引かれ、御社殿の前に立たされた。隣を見ると、菜由は賽銭をして手を合わせ、強く願いを念じていた。つられるように命も手を合わせる。
「菜由はなんてお願いしたの?」
命が聞くと、菜由は満面の笑みをこぼして。
「命が笑顔になりますようにって! あんたいつも不機嫌そうな顔してるでしょ? だからいつか..命が心の底から笑ってるところが見たいの..ってこんなの神様にお願いする事じゃないか!」
菜由は照れ臭そうに言って、先に境内の方へ走っていった。命は小さく笑って菜由についていく。命にとっては、こんなありふれた日常があるだけで充分だった。菜由と一緒に居られるこの時間が何よりの安らぎであり、希望の光だった。しかし..
「君は無事なのか?! 一体..ここで何があった?!」
命の両肩を強く掴み、声を張り上げる警察官の声。命と菜由が境内を出てすぐの事だった。菜由が突然なにかに襲われ命を落としたのだ。命の記憶に残っているのはそのなにかの正体と、全身を大きな爪で引き裂かれた菜由の亡骸だった。警察に全てを話しても、信じてくれる様子はなく、結局、死因は境内の階段から足を滑らせた事による事故死だと判断された。菜由が死に際で最後に言った言葉は、一年経った今でも命の記憶に鮮明に残っている。
『なぁ..! 死ぬなんて嘘だよな..? 俺は菜由が居ないとダメなんだ..全部菜由のおかげなんだ..俺がこうして生きていられるのも..! だから死ぬなよ..!!』
『命..? 私が死んでも..悲しみに打ちひしがれないで前を向いて..命は..決して弱い人間じゃないから..だから命には..誰かの希望になれる存在になって欲しい..命が私の希望だったように..』
そして今日、菜由が亡くなってからちょうど一年の月日が経った。菜由との約束を守り、悲しくても強く生きる事を決めた命は、徐々に菜由の死を受け入れ前を向いた。そして、菜由と最後の思い出の場所であった除千寺を訪れていた。命は境内の方を見つめ呟く。
「あいつが死んでからちょうど一年か..俺はあの時よりマシになれてるかな?」
命はそう呟きながら、菜由の事を思い浮かべ、境内を歩き始る。すると、本殿の前に命と同じ歳くらいの女の姿が見えた。
「寺の人か..? すごい派手な髪色してるけど..」
命の視線の先にいたのは、髪の長さは腰くらいまであるほど長く、まるで炎が燃え上がっているかのように激しい深紅の色をした髪の女の姿だった。その女はこちらに気がつくと、氷のように冷たい視線で命を見つめた。
「めっちゃこっち見てる..無視するわけにもいかないよな..?」
命は、内心ではあまり関わりたくはなかったが、目を合わせてしまった以上素通りするわけにもいかず、近づいて声をかけた。
「こ..こんにちわ..住職の人とかですか..?」
命が声をかけると、その女は命をじっと見つめ黙ったままだった。見つめあった命は、さっきの距離では気が付かなかったキリッとした目つきに高い鼻、血色が良く潤った唇は美人以外の言葉が見つからない程だと心の中で思った。
「えっと..俺の顔、なんか付いてます?」
見つめ合っているのが気まずくなった命は女に言った。すると、女がようやく口を開いた。
「ここは..現世..」
女は小さな声でボソッと呟いた。聞こえなかった命はもう一度聞く。
「はい..? 今なんて..?」
「ここは..現世..?」
聞き慣れていない言葉に命は困惑しながらも、会話を続ける事にした。
「えっと..どこから来た方なんです? 見たところこの辺の人じゃないと思うんですけど..」
「..分からない..ここがどこなのかも..私が何なのかも..」
命がいくら質問をしても、女は分からないの一点張りだった。万が一、行方不明者であったり何らかの事件に巻き込まれている人だったらと考えた命は、警察に連絡をしようとしたその時だった。
「来る..」
「..え..?」
突然、女が小さな声で呟いた。その瞬間、境内の空気が一変した。霊感の類など微塵も感じた事なかった命でさえ、その異変には気がつく程だった。
「なんだ..? 空気が重くなった..? 呼吸がしにくい..ゔっ..!」
命は手で鼻を覆った。鼻奥をツンと刺すような刺激臭はみるみる内にその場の空間に充満していく。その時、命は思い出した。
「この匂い..あの時と同じだ..」
その鼻を刺すような刺激臭は、菜由が殺されたあの日と同じ匂いだったのだ。当時の記憶を走馬灯のように思い出した命は、恐怖と不安から嗚咽した。
「おぇっ..! はぁ..はぁ..」
女は、重い空気と辛い記憶で苦しむ命をじっと見つめるだけだった。そして、あるものを見た命の思いは、確信に変わった。
「はぁ..はぁ..やっぱりそうだ..菜由を殺した時と同じ..化け物だ..!!」
命と女の目の前に現れたのは、見覚えのあるなにかだった。その姿はお世辞にも人間とは言えず、まるで地獄絵図に描かれているかのような恐ろしい姿をした化け物だった。目が合えば、全身が金縛りにあっているかのように硬直する。命の頭の中には、一年前の記憶が鮮明に思い出された。
(殺される..逃げないと..!! )
命は心の中で叫んだ。しかし恐怖のあまり体は思うように動かず、その場に立っているだけでも体力を奪われる。だが、命は化け物の視線が女の方を向いている事に気がつく。命は心の中で思った。
(あのバケモンが狙ってるのは..この女の子..俺だけなら逃げられるのか..?)
死を目前にしている状況ならそう考えるのも当然だろう。しかし、命はそう思っていても、体が言うことを聞かなかった。
(動け..! 動け動け..! 俺だけでも..!!)
女は無表情のまま化け物を見つめる。化け物は口から赤い液体を垂らし女目掛けて襲いかかる。
「あー..! くそっ..! 逃げるぞ!!」
命はそう叫ぶと、女の手を強く引き本殿の中へ逃げ込んだ。
(目の前で誰かが死ぬのはごめんだ..! 俺はもう..恐怖から目を背けない..!)
命は女の手を引きながら、自分にそう言い聞かせ本殿の中を走り回る。そして化け物から少し距離が離れたところで、戸が半開きになっていた部屋の中へ潜り込んだ。部屋の中は辺り一面に棚が並べられており、埃まみれでむせるほどだ。命と女は棚の物陰に身を潜めた。
「はぁ..はぁ..はぁ..」
命は荒い息を我慢して息を殺す。女の方を見ると、息切れしている様子はなく、無表情のままだ。
「どうして貴方も逃げるの?」
突然女が命に言った。命は息を整えて。
「昔、君と同じくらいの子を目の前で失ったんだ..あの化け物に襲われてね..俺は怖くて助けを呼ぶことも出来なくて、目の前の絶望から目を背けたんだ..その子の為にも..俺はもう逃げたくない..!」
命が言った次の瞬間、戸を突き破る音が部屋中に響いた。床が軋む音が近づくにつれ、命の動悸は激しくなる。すると、女が突然化け物の前に立った。命は心の中で思う。
(この女の人..俺を庇ってるのか..?)
化け物は女を見るなり血相を変えて襲いかかる。菜由との記憶を思い出した命は。
(また俺は何もしないまま目の前で誰かを失うのか..? これじゃああの時と同じだろ..! 決めたじゃないか..! もう逃げないって!!)
命は心の中で葛藤するが、目の前の化け物に対する恐怖が強かった為後退りをした。すると、左手が何かに当たる感触を感じる。
(..ん..? これって..)
命の左手に当たったのは半分開いた棚だった。中を覗くと、刀の柄のようなものが見える。命は咄嗟にそれを取り出した。
「ゔおぉぉぉ!!」
そして、叫びながら取り出した刀を化け物に振るった。銀色の光沢を放った刃は、油断していた化け物の胴体を真っ二つにした。化け物は体が分裂しながらもその場で狼狽える。
(死なない..?! 体が半分になったんだぞ..?!)
化け物は地面に這いつくばりながらも命たちに向かってくる。命は咄嗟に刀を振るったものの、我に帰ればその刀の重みに気がついた。そして恐怖と走った事による体力の消耗と筋力不足により刀を落としてしまった。
「はぁ..はぁ..君だけでも逃げるんだ! 這ってるから走れば何とかなると思う!」
声を振り絞り命が言うと、女は顔色ひとつ変える事なく。
「でも..狙ってるのは私..」
「だから言ってるんだ! もう化け物の思い通りにはさせたくない!」
女の言葉を遮るように命は言った。女は命を数秒見つめると、その場から立ち去ろうとした、その時。
「化け物から離れろ..」
声のする方を見ると、何者かが戸の前で立っていた。その男は2メートル近くある大男で、大太刀を拵えて化け物の目の前にゆっくりと歩いていく。命はその大男の迫力に圧倒された。
「だ..誰..?」
そして、化け物の目の前に立った大男は、一突きで化け物にとどめをさした。化け物はそのまま黒い塊に変わり、どろどろの液状になり消えていく。
(すごい..胴体を切り裂いても死ななかった化け物をたった一瞬で..)
大男の力に驚愕していると、大男は命の方に近づいて。
「体が切断されていたが、お前がやったのか?」
命は困惑しながらも答える。
「は..はい..!」
「刀の除力が足りていないぞ、魔除師なら武器の手入れくらいしておけ..」
大男の言葉に理解できなかった命は。
「え..えっとぉ..除力とか魔除師とか、よく分かりませんけど..助けてくださってありがとうございます..」
言うと、大男は眉間にシワを寄せ疑問の表情をした。
「お前..魔除師じゃないのか..?」
「そもそも魔除師が何なのかも..」
大男は、命の動揺している様子を見て思う。
(本当に何も知らない..ならこいつはまさか..)
「あ..! あの..!」
その時、命が大男に言う。
「さっきの化け物は一体何なのでしょうか?とても人間には見えませんでした..」
大男は抜刀した大太刀をしまい、口を開いた。
「あれは魔害だ。人間の自然災害に対する恐怖から生まれた物だと言われているが、詳細は分かっていない。やつらは逢魔時と呼ばれる、現世と常世との境が曖昧になる時間に現れ、人々を襲う」
命は、畳み掛けるように頭に入る聞いた事のない言葉に困惑しながらも会話を続けた。
「しかし..どうして人間を..」
「さあな..だが、あいつらは人が食欲を満たすように..用を足すように当たり前に人を殺す。我々の常識では測れん。魔除師たちが命を削り戦い続けてきたが、数百年経った現在でも戦いは終わらない..」
そう言った大男の手のひらは、豆が潰れた跡が無数にあり、それが何重にも重なって皮膚が爛れているように見える。体の至る所にも古傷があり、言葉にしなくとも現状の過酷さは分かるほどだった。大男は深妙な面持ちで話を続ける。
「もしかすると、お前の体には魔害に対抗する大いなる力が備わっているかもしれない。そこで、俺はお前を強力な切り札にしたい。我々の代で終わらせたいんだ..あいつらとの戦いを..」
大男はそう言って命をじっと見つめた。一瞬、命は大男から目を逸らす。命には、両親や菜由を奪ったあの化け物に対する恐怖が完全に消えていた訳ではなかった。魔除師になる事は、命自身が抱える恐怖と向き合う事になる、命はそれを悟っていたが、震える手を抑え大男に聞いた。
「俺たち以外にも、魔害の被害を受けている人は大勢いるのでしょうか?」
「数えた事はないが、魔害による死亡者はここ数年で格段に上がっている。こうしている間にも、誰かが殺されている可能性は否定できないだろう。俺たちが身を粉にして戦っても..守りきれない命もあるんだ..」
それを聞いた命は、落とした刀を拾い、強く握った。そして決意する。
「俺は..不条理に人間から希望を奪うあいつらを見て見ぬ振りは出来ないんです..もし俺に..魔害を倒す事の出来る力があるのなら、俺は..人々を陥れる絶望の連鎖を止めたい..! だから..俺は魔除師になります..!」
命は大男を強い眼差しで見つめた。大男は小さく笑みをこぼし、命を見つめ返した。
「お前..名は?」
「は..! はい! 仙石命です..!」
「命か、俺は鴇 雅比古だ。お前を暫く預かりたい。両親のところへ案内してくれ」
「いや..両親は俺が幼い時に亡くしています..親戚の人の所なら..」
大男は一瞬黙り込み、再び口を開いた。
「悪いことを聞いてしまった..許してくれ」
「いえ..! 気にしないでください..」
命を養ってくれている親戚の人に、しばらく家を出る事を伝えるため、命たちは一度家に戻る事になった。歩き出した大男が女を見つめて。
「お前も家に送ってやる」
女は黙り込んだまま鴇を見つめる。命は女に。
「そいえば君..名前は..? って..何も覚えてないんだよね、毎回君って呼ぶのも何かあれだしなぁ..」
命は女を見て考え込む。そして。
「じゃあ、炎みたいな髪だからヒノカなんてどうかな?」
女は無表情で命を見つめる。命は苦笑いをしながら。
「はは..だ..だよねぇ..もうちょっと今どきの方がいいよね..」
「それでいい..」
女がボソッと言う。命はにんまりと笑ってヒノカを見た。
「じゃあ、名前を思い出すまでは君はヒノカだ! よろしく..ね..?」
ヒノカは小さく頷く。
「ヒノカ、家も覚えてないんだよね? 」
「うん..でも多分..帰る場所はない..」
そう言った女の表情は相変わらず無表情だった。命は大男に。
「この子も一緒にいいですかね..? また狙われるかもしれないんです」
「狙われる..? お前は狙われなかったのか?」
鴇は険しい表情で命に問いかける。
「俺は相手にされていなかったと思います..素人でも斬りつけられたくらいですから..」
(どういう事だ..? 魔害は無作為に人間を狙うはず..何故この女だけを..)
鴇は頭の中で疑問を抱く。
こうして、命は鴇の元に身を置く事になった。命たちは境内を後にする。
読んでいただきありがとうございます。1話完結ですが、短編にするには話数が多いので連載小説として投稿させていただきます。
毎日投稿しますので、次回も楽しみにしていただけると幸いです。