18 進化
それは蛹が殻を破り蝶へと羽化する光景に似ていた。
モスグリーンの装甲を殻のように破り、新しく再構築された身体が姿を現す。
パイロットのイメージからかけ離れた、漆黒の皮膚に覆われた均整の取れた体躯。
皮膚の一部が盛り上がり硬質化して、新たな装甲へと変わっていく。
「きれい……」
そう発したのは、果たして誰であったろうか。
だがその一言はその光景を見ていた誰もが抱いた素直な気持ちを正確に代弁していた。
全身をツルリと滑らかな純白の装甲が覆い、頭の上には天使の輪のようなものまである。
例えるなら、翼のない天使。
そう呼ぶに相応しい神々しさがその機体にはあった。
「私は今日ここで、あなたを倒して本当の自分になるっ!!!!」
強い意志を力に変えて。
雷光の速度で踏み込んできた華音の拳を顔面にまともに喰らい、華凛機が大きくブッ飛んでいく。
「……違う。違うわ華音ちゃん。わからず屋はあなたよ。両親の期待を、周囲の期待を背負って結果を出し続ける。これがどんなに困難で苦しいことか」
酷くショックを受けたようにヨロヨロと華凛機が立ち上がる。
「あなたにだけは、こんな苦しい道は選んで欲しくなかった! けどあの人たちはあなたにも私と同じ道を強要した! だから私が先んじてあなたの道を整えるしかなかった!」
最愛の妹から決別を言い渡され崩れかけた足を踏ん張り、華凛が瞳の奥に強い意志の光を宿らせ妹を睨み返す。
「それが余計なお世話だって言ってる! 私のライバルになりそうな人の心を折って試合に出られなくしたりして、そんなことで私が喜ぶと思う!?」
華音機の頭上の天輪に紫電が迸る。
再び雷光となった華音機の蹴りを今度は肩でどっしりと受け止め、華凛機が眼光鋭く睨み返す。
「違うわ、あれはあなたに勝ち方のお手本を見せただけよ! あなたは無駄な努力なんてせずとも、私の真似をしてさえいれば勝ち続けていられたのに!」
「でもそれじゃあ一番にはなれない! 私は、お姉ちゃんの絞りカスなんかじゃない!」
雷光の速度で繰り出される嵐のような拳と蹴りの連打。
だが、完全絶縁物質に置き換わった華凛機にはまるで効果がなく、その場から一歩も動かすことさえ叶わない。
「こんな試合、もうやめましょう華音ちゃん。これ以上はあなたが恥を晒すだけよ」
雷化した華音機の頭を鷲掴みにして、華凛が諭すように迫る。
(そんな……!? みんなと力を合わせて、進化しても、まだ届かないの……!?)
まさか今の状態で掴まれるとは思わず、華音の心に諦めの影が差し掛けた、そのとき────!
「諦めるなッ!!!!」
「っ!?」
轟ッ!!!!
と、華音の全身に力が漲る。
大輝のスキルだ。
雷化した華音機が発する超高温に耐えきれず華凛機が手を離して距離を取る。
「ここで諦めたら今までの努力は何だったんだよ!? 自分で自分の努力を否定するなッ!!!!」
────大輝は昔はもっと内向的で大人しい少年だった。
幼い頃に自分の鋭すぎる目つきが他人を威嚇してしまうと知ってから、前髪で目元を隠し、他人を避けるように生きてきた。
そんな生き方をしていて友達などできるはずもなく、小学生の頃にいじめられていたときも、クラスメイトたちは誰も大輝を助けてはくれなかった。
そんな大輝が変われたのは、良い師と巡り会えた幸運もあるが、他ならぬ彼自身の弛まぬ努力のおかげに他ならない。
空の王と対峙したあのとき、彼の記憶を覗き見ている華音は、大輝が己に課してきた苛烈な努力の数々を知っている。
だからこそ、彼の信念の籠ったその言葉は何よりも強く華音の魂を揺さぶった。
「……ありがとう。お願い、力を貸して」
「もちろん」
雷化した華音機のエネルギー量がさらに跳ね上がる。
自然界には存在し得ない超高電圧は周囲の大気を瞬く間にプラズマ化させ、核融合反応を引き起こした。
華音の異能により周囲の電子すべてが制御されているためガンマ線バーストこそ起こらなかったが、その熱量だけでも太陽の中心温度を優に超えており、圧倒的熱量を前に華凛機の装甲が表面からジリジリと蒸発していく。
「ぐっ!? やめなさい華音ちゃん! それ以上は人でいられなくなる!」
「やめないっ! お姉ちゃんに勝つまで!」
「周りを見なさい! 皆死ぬわよ!?」
華凛が周囲を見渡せば、あちこちに転がっていたはずの剣術部員たちはおろか、相手チームまで全員いなくなっていることに気付く。
「へっ、悪いがこれくらいじゃ死なねぇよ!」
ボゴッ!
足元から飛び出した部長機の腕が華凛機の足首を掴んで捕える。
「っ!? いつの間に!?」
「ハッ! アタシの優秀な後輩たちが今まで何してたと思ってんだ」
「「モブだと思ってナメんなよコラ!!」」
いつから、と問われれば、試合開始直後からだ。
最初からこの状況に備えてチンピラコンビには地中潜行装備を持たせ、地下深くまで避難用の穴を掘らせていた。
リザ部長がスキルを入れ替える際にわざわざ口に出したのも、地面の下にいる二人への指示だったというわけだ。
「ま、まさかずっとこれを見越して!? 貴女何手先まで読んで……!?」
「終わりだ最強。妹の情熱に焼かれて焦げちまえ!」
「くっ!? 離しなさい! 離せぇぇぇぇッ!!!!」
華音機が一歩、また一歩と近づいてくる。
分子を操作して物質を構成しようにも、あらゆる物質は圧倒的熱量に溶かされ核融合してしまうため何もできなかった。
「ぐぅぅぅッ! わ、たし、は、負けるわけには、いかないのよッ!!!!」
とうとう装甲がすべて蒸発し、肉を焼かれる激痛に華凛が歯を食いしばり吼える。
安全装置は最初から切ってあるので作動しない。
こうなればあとは華凛の意地だけだ。
「もういいの。お姉ちゃん」
「っ!?」
あと十歩の間合いまで近づいた華音が姉を哀れむように首を横に振る。
「もう、一人で頑張らなくてもいい。私はもう昔みたいな泣き虫じゃない。あなたに守って貰わなきゃいけないほど、弱くもない」
「華音ちゃん……」
「ごめんなさいお姉ちゃん。私が弱かったばっかりに、一人で色々背負わせた」
一歩、華音が姉に歩み寄る。
「わ、たし、は……私は、お姉ちゃんとして、あなたの手本にならなきゃって……」
「……不器用な人」
けど、と一息入れて華音がまた一歩近づく。
仲間たちの想いと、湧き出す力が、華音の背中を押す。
「あなたが背負ってきたもの、これからは私も半分背負うから。もう一人で無理しないで」
華音が今までずっと言えなかった言葉を伝えると、華凛は少し淋しげに目を伏せる。
「……強く、なってしまったのね」
「みんなのおかげ」
「……そう。いいお友達ができたのね」
どこか肩の荷が下りたようなホッとした顔で華凛が微笑み、
「…………私の負けよ。完敗だわ」
諸手を上げて降参した。
「け、決着ゥゥゥ────ッ! 剣術部VSスキルアーツ研究部、勝者はスキルアーツ研究部ッ!!!! 無敗の女王率いる剣術部を見事下し、下克上達成ですっ!」
「部員たちのスキルや特性を活かした神々廻先輩の戦術が光っていましたね。まさに絆の勝利です!」
華音が超雷化を解くと、全身を大歓声が包み込む。
競技場の投影機器や観測機器は軒並み蒸発してしまったが、選手たちの視界を通じて戦いの様子はリアルタイムで学内に配信され続けていた。
華音を包んだ歓声もRBの通信機能を介してのものだったが、だからこそ一人一人の言葉をハッキリと聞き取ることができ、勝利の実感がヒシヒシと込上げてくる。
「とうとうやったな、月見里」
地面の下から出てきたリザ部長が華音の肩に手を回す。
「私一人じゃ倒せなかった。みんなのおかげ。本当に、ありがとう、ござい……まし……た…………」
まるで糸が切れたように。
突然華音が膝から崩れ落ち、指揮官機のリザ部長の耳に華音の異常を知らせるバイタルアラートが鳴り響く。
「月見里!? おい、どうした!? しっかりしろ月見里!」
「華音ちゃん……? 華音ちゃん! 嫌っ! 嫌ぁぁぁっ!」
装甲が溶け落ち皮膚も焼けただれてボロボロの華凛が、倒れた華音の下へ駆け寄り妹を抱き起こす。
「落ち着け! お前も重症だろうが! 傷に障るぞ!」
「嫌よッ! 誰にも渡さない! やっぱりこの子は私が守らないと! 私にはこの子しかいないのよっ!」
「クソッ! 埒が明かねぇ! 悪い、ちょっと寝てろ!」
「ガッ!?」
首の後ろに一撃。
チョップで意識を刈り取られ膝から崩れ落ちた華凛を肩に担ぎ、リザ部長が上空から下りてきた大輝に指示を飛ばす。
「撤収だ! すぐに帰って二人を医者に見せるぞ。お前は月見里を運べ。行くぞ!」
「わ、分かりました!」