9:天使のはしご
春の森のような香りが、ジーナをふんわりと包み込む。
唇に、優しい感触。
胸が甘く切なく、きゅんと締めつけられた。
(スカルさんさえいてくれたら、私、もう何もいらないよ……)
火照る頬もそのままに、ジーナはそっと目を開けた。
大好きで大好きでたまらない骸骨さんの顔を、間近でじっくりと見つめたかったから。
けれども。
「……へ?」
目の前にいたのは、骸骨さんではなかった。
銀色のツンツンした髪。
晴れた日の海のような青い色をした瞳。
そのふたつがぱっと目に飛び込んできて、ジーナは一瞬息を止めてしまった。
そこにいたのは、見たこともない人間の青年だった。
背が高く端整な顔をしたその美青年は、柔らかな笑顔でこちらを見ている。
年はジーナよりも少し上――二十代くらいだろうか。
「どうした、ジーナ? なにをそんなに驚いているんだ?」
美青年の声はスカルにそっくりだった。こてりと首を傾げるその仕草も、スカルと酷似している。
「え? え? スカルさん?」
「ん?」
「スカルさんが人間に……!」
ジーナはあわあわしながら、祈りの間に備え付けてある大きな鏡のところまでスカルを引っぱっていく。
全身が映るその鏡の前まで来ると、スカルが叫んだ。
「うおお! 俺、人間になってる!」
一体どういうことなのだろう。
ジーナもスカルも、ただぽかんと口を開けるしかない。見間違えではないかと思って何度か瞬きをしてみたけれど、やっぱり美青年の姿のままだった。
改めてスカルと向き合うと、今度はスカルがジーナを見て「ん?」と目を丸くする。
「ジーナ、ピアスが虹色に光ってるぞ?」
「え、虹色?」
紫色のふんわりした髪をかきあげて耳を出してみると、鏡に虹色の光が映った。
今までずっと白い光しか出せなかった聖石のかけらが、今、確かに虹色の光を放っている。
「……あっ! もしかして!」
ジーナはスカルの方をくるりと向くと、その大きな手を取って引っぱった。
「小屋に戻りましょう! 図書室で借りてきた本を、もう一度確認したいです!」
そうして小屋に戻ってきたジーナは机の上に積んである本をパラパラとめくり、ぱっと顔を輝かせた。
ページを開けたままの本をスカルの方へと差し出して、声を震わせる。
「やっぱり! スカルさんは『アンデッド』なんかじゃなかったんですよ!」
「ど、どういうことだ……?」
「スカルさんは、『一度命を落として骸骨になった』わけではなくて、ただ『骸骨そっくりに変身した』だけだったんです!」
ずっと不思議に思っていたのだ。
アンデッドに効くはずの方法が、なぜスカルには何ひとつ効かないのか。
答えは簡単。彼がアンデッドではなかったから。
「アンデッドそっくりに変身させる呪い、というのがあるんです。その呪いにかかるとアンデッドみたいになるんですけど、本物のアンデッドというわけではないので、光や聖水が効かないんです」
ジーナは本のページをめくって、スカルにまた見せる。
「こういう呪いは聖女のキスで解けるものなんです! ほら、本にもばっちり書いてあります!」
「……つまり、キスをしたから骸骨の呪いが解けた、と?」
「そういうことだと思います! スカルさんは普通の人間に戻ったんです。これからは普通に生きていくことができますよ!」
スカルがバラバラにされてしまったあの時、ジーナはとても強い感情を抱いた。
寂しい、辛い――と。
それに加えて、あのキス。
ジーナはそこで、これ以上ないほどの幸せを感じた。
この一連の強い感情が、ジーナの聖なる力を一気に強くしたのだろう。
その力は、聖石を虹色に光らせるくらいの強さにまでなった。
――虹色のピアスは、聖女の証。
ジーナは見習いから聖女へと昇格し、そのおかげでスカルの呪いも解けたのだ。
(呪いを解くつもりも、聖女になるつもりも、全然なかったんだけど……)
ジーナはただ恋をして、大好きな人とキスをしただけだ。
それがまさか、こんな結果をもたらすなんて。
「本によると、呪いが解けた後に少しずつ元の記憶も戻ってくるみたいです。よかったですね、スカルさん」
にこりと笑ってそう言うジーナに、スカルが眉を下げて微妙な表情を見せた。
「元の記憶か……少し恐いな」
「なぜですか?」
「もし俺が極悪人だったらどうする? ジーナはそんな俺と一緒にいられるか?」
ジーナはきょとんとして、それからくすくすと笑った。
「スカルさんが極悪人なんて、絶対ないと思いますけど」
「わ、分からないだろう? ものすごい貧乏人かもしれないし」
「ふふ。そういうのは記憶が戻ってから考えましょう? 大丈夫、なんとかなります!」
一度は永遠の別れを覚悟したからこそ、思う。
スカルがこの世にいてくれたら、それだけで充分なのだと。
ジーナは窓辺に寄り、小屋の外を見渡した。
雨は止み、雲の隙間から日の光が差している。
白っぽい光の線が放射状に地上へと降り注ぎ、空はキラキラと輝いて見えた。
それは「天使のはしご」とも呼ばれる光景。
見ると幸運が訪れると聞いたことがある。
(綺麗……)
ジーナは目を細め、輝く空を明るい気持ちで眺めた。
翌日。
スカルの記憶が完全に戻った。
ここで改めて、ジーナはスカルの自己紹介を聞くことになった。
狭い小屋の中、ジーナとスカルは並んでベッドに腰掛ける。
スカルの大きな手が、ジーナの手を優しく握ってきた。
「俺は、王国騎士団に所属する騎士だ。名前はフィリベルト、年は二十歳」
「王国騎士団って……ものすごいエリートさんじゃないですか」
その格好からたぶん騎士なのだろうなと思っていたけれど、さすがにそこまですごい人だとは思っていなかった。
ぽかんとしているジーナを前に、彼はひとつ咳払いをして続ける。
「王国騎士団の騎士は、みんな王都に住んでいる。俺も王都にある騎士寮に住んでいて……ああ、その寮の仲間たちはきっと今頃すごく心配しているだろうな。彼らに俺が無事であることを伝えるためにも、できるだけ早く騎士団に戻った方がよさそうだ」
「そうですね。そうした方がいいと私も思います」
「というわけで、俺はこれから王都に行くが……ジーナ」
「はい?」
「その、ジーナも俺と一緒に行かないか?」
彼は青い瞳に真剣な光を宿して、ジーナを見つめた。
「この神殿から、今すぐ君を連れ去りたい」