3:骨を拾う
聖女に投げつけられたつぼはジーナの右足に当たり、鈍い音を立てた。
痛みにうずくまるジーナを一瞥すると、聖女はそのままくるりと踵を返す。
「ジーナ、あんたって本当にどうしようもないくらいの落ちこぼれよね。あーあ、あたし、あんたのことやっぱり大嫌いだわ」
ふんと鼻を鳴らし、聖女は足早に去っていった。
残されたのは、ジーナと、スカルと、ひびが入ってしまったつぼのみ。
「……あれが、聖女? 骨までしゃぶってくる悪人みたいな顔してたぞ?」
スカルの呆然とした声が、広い廊下に響き渡った。ジーナは聖女の消えた方向をぼんやりと見つめながら、力なく笑ってみせる。
「私、聖女様に嫌われているみたいで、いつもこんな感じなんです。でも、修行から帰ったのにあいさつをしないと、それはそれで怒られるので……。えっと、情けないところを見せて、ごめんなさい」
「何言ってるんだ、ジーナ! ジーナは何も悪くない!」
スカルはうずくまっているジーナを守るように、そっと抱きしめてくれた。
「足、痛くないか? ごめんな、聖女があんな奴だと事前に分かっていれば、ジーナを守れたんだが」
「だ、大丈夫ですよ。ほら、普通に歩けますし!」
抱きしめられているのがなんとなく恥ずかしくなって、ジーナは慌てて立ち上がると、元気に歩いてみせようとした。
けれど、ズキリと痛みが走り、固まってしまう。
「……ジーナ。痛い時は、ちゃんと痛いと言ってくれ」
スカルの空洞の瞳が、じっとこちらを見つめてくる。ジーナは動揺し、視線を下に落とした。
痛いと言ったところで、どうなるというのだろう。
こういう痛みは、ひとりで耐えるしかないのに。
この神殿内では、あの聖女が頂点だ。
数人いる他の聖女見習いの少女たちも、下働きをしている人たちも、みんな、みんな、ジーナの味方になんてなってくれない。
ずっと、ずっと、そうだった。
ジーナは役立たずの落ちこぼれ。聖女に嫌われて、虐げられて当然。
それが普通だったから、弱音なんて吐いても無駄――。
黙り込んでしまったジーナに、スカルがもう一度、優しく語りかけてきた。
「ジーナ、俺には弱音を吐いてもいいぞ。俺はジーナの味方だからな。だから、痛い時は、ちゃんと痛いと言ってくれ」
(……なんで)
なんで、ずっと欲しかった言葉をくれるんだろう。
こんなの初めてだ。
ジーナの胸の奥にじわりと温かなものがあふれ、知らず知らずのうちに言葉がこぼれた。
「……本当は、痛い、です。痛くて、歩くのが、辛いです」
小さな、情けない震え声。
スカルはその声に「分かった」とひとつ頷き、ジーナのそばにひざまずいた。
それからジーナをひょいっとお姫様抱っこすると、こてりと首を傾げてみせる。
「さて、足の治療ができる場所はどこだ? 早く手当てしないとな」
「え……あの」
「ほら、どこに行けばいい?」
「あ、じゃあ、私の部屋に……」
ジーナはドキドキしながら、自分の部屋への案内を始めた。
スカルに抱っこされたまま、指をさして方向を示す。
スカルの腕の中は、とても心地よくて安心した。
カツンカツンと響く足音のリズムも軽快で、なんだか楽しくなってくる。
そっとスカルの肩に頬を寄せ、ジーナはふにゃりと微笑んだ。
神殿を囲む灰色の壁。その壁の隅っこに寄り添うように、小さな木造の小屋がある。
そこがジーナに与えられた場所だった。
もうすっかり日も暮れて、外はもう真っ暗。ジーナはスカルに抱っこされたままランプに火を灯し、小屋の中を明るくした。
小屋の中には部屋がひとつ。小さなテーブルと椅子、それと簡素なベッドが置いてある。部屋の奥には備え付けの棚があり、古い本が何冊が並んでいた。
ここにあるものはどれも年季が入っていて、補修した跡が残っているものばかりだ。
「あの、ここまで運んでくださって、ありがとうございました」
「どういたしまして。あ、手当てもしておかないとな」
スカルはジーナを椅子の上に下ろすと、その場にひざまずいた。
それから、まじまじとジーナの右足を観察してくる。
「少し赤くなっているな。湿布薬はあるか?」
「あ、そこの棚の引き出しの中にあります。……でも、これくらいは放っておいてもそのうち治ると思うので、そんなに大袈裟にしなくても」
「大袈裟じゃないぞ。こういう時は湿布をした方が治りも早くなるんだ。それに、ジーナの可愛い足にアザができたら、俺が辛い」
なんというか、ものすごく過保護な人――いや、骸骨さんだ。
アザくらい、なんてことないのに。
ジーナは戸惑いながらも、スカルに湿布薬を貼ってもらった。
ひんやりとした感触が、痛みの熱を吸い上げてくれる。
「あ、ありがとうございます。スカルさん、優しいですね」
「優しいのはジーナだろう。骸骨である俺を、見捨てないでいてくれた」
スカルは、明るくカラカラと笑う。
「ジーナがいてくれたから、絶望せずにすんでいるんだ。感謝している……ありがとう」
「あ、いえ、そんな……」
ジーナは大したことなんてしていない。ただ、スカルをここに連れてきただけだ。
でも、そんな風に言ってもらえて嬉しかった。
すごくすごく、嬉しかった。
二人の間に、ふわふわと優しい空気が流れる。
「……しかし、今日のところはいいとして、明日からどうするかな。天に召されるための方法を探したいところだが」
ふと思い出したように、スカルがつぶやいた。
これからどうしたらいいのか。
ジーナは少し考えた後、おずおずと口を開く。
「あの……スカルさん」
「ん?」
「天に召される方法、聖女様なら分かると思うんです。スカルさんを天国へ送ることだって、きっとできるはず……。なので、私、頑張って頼んでみます。スカルさんを天国に送ってあげてくださいって」
「あの聖女が、人の頼みごとを聞くとは思えないが」
スカルが床の上にあぐらをかいて座り、天を仰いだ。
「まあ、ダメでもともとか。失敗したその時には……ジーナに俺の骨を拾ってもらうことにしようかな」
「えっ?」
「あ、俺、もう骨だった。おまけに、もう拾ってもらってた」
カタカタとスカルの骨が小刻みに揺れた。どうやら笑いをこらえているらしい。
いや、笑うポイントがよく分からない。
ジーナは小さく咳払いをして、話題を元に戻す。
「とにかく、スカルさんが天国に行けるように私も協力したいです。でも、聖女様はあんな感じなので、ちょっと時間がかかるかもしれません。だから、スカルさんさえよければ、なんですけど……ひとまずここで一緒に暮らしませんか?」
「一緒に?」
「はい。天に召される、その日まで」
――こうして、二人の奇妙な同居生活は始まりを告げたのだった。